西北旅行<5>



ウルムチを離れトルファン駅を過ぎるといよいよ新疆とお別れである。
名残惜しい場所だった、チャンスがあったら是非また訪れたいと思う。

 陽もとっぷりと暮れ、星が輝き始めるとまわりに建造物がほとんど無い荒野は一面がプラネタリウム。実に綺麗な
夜空でした。当然耳に入る音楽はゴダイゴ999です。ひたすら窓から外を眺める私は中国人にも奇妙に映るも
のらしく、外を眺める私が何を見ているのか確かめるために窓から外を眺めて星を眺める人民も何人かいたほど
だ。まぁ、顔を半分以上外に突き出して奇妙な体制で空を眺めてれば不思議がるのも無理は無いか・・・。
 時々投げ捨てられるピーナツの殻が顔に当たった時は

この人民ども、いい加減にしやがれ!ムードぶち壊しじゃないか!!

と心の中でいきり立ったが、以後前車両からの飛来物には注意することにした。
(っていうか人民列車でムードを求める私が馬鹿なだけです)



さぁ、新疆を離れて再び中華圏へと取って返した私が向かうのは柳園、
敦煌へ行くための駅だ!

敦煌は言わずと知れた井上靖原作の映画「敦煌」の舞台である。

西田敏行扮する朱王礼が突撃を繰り返しながら

「李元昊〜!」

 
と叫ぶ姿が懐かしい!

あの映画を見ていつか敦煌に行ってみたいと思っていた願いがやっと実現である!
きっと私と同じ思いで訪れた人は多いはず・・・と思う。

さて・・・夜空を眺め続けた私はさすがに首も疲れ、睡魔が襲ってきた。周りの人民は既に就寝モード。すれ違う乗務
員はやはり私の行動が気になるのかベッド番号の確認をしてくる。時計を見れば既に真夜中、

さぁ、寝るか・・・

ベッドに潜り込む・・・というより這い上がる!硬臥は三段ベッドであるが私はその一番上!
はっきり言って一番寝苦しい場所だ。


そして・・・


ウェイ、ウェイ(もしもし)

と誰かが私の頭を叩いている。男性のようだ・・・
しかし眠たいので、無視。いらぬ事で人民に関わるのはごめんだ。・・・暫らくするとその男性はあきらめたのか去っ
ていった。すると数分後・・・再び私を呼ぶ声がする。

ウェイ、ウェイ!

今度は女性だ。うるさいなぁ・・・と下を見ると乗務員ではないか!仕方なく返事をして応対すると私のチケットを見せ
ろという。なーんもやましいことなんぞない私は、ホレ、とチケットと引き換券を手渡す・・・。チケット番号と引換券を
見比べる乗務員。

乗務員「あ〜、このチケットはここまでだ。以後このベッドはこの客になるから君は今から硬座に行ってくれ!」

嘉飛「はぁ?どういうことですか?私はウルムチから柳園へのチケットを購入したんですよ、
ほらチケットにも柳園と書いてあるじゃないですか!」

乗務員「確かに柳園とあるが、これは柳園まで行けるというもので、柳園までベッドを専有できる、
というものとは違う。さっき停まった駅で君のベッドの専有権は終わってるんだ。」

嘉飛「それはないんじゃないですか?そんなこと一言も聞いてませんよ・・・」

駄々を捏ねても仕方がない私は2時間も寝ていないベッドを後に
すごすごと硬座に向かう準備を始める・・・

嘉飛「硬座は何処に行けばいいのですか?席番号は?」

乗務員「無いです。これ以後そのチケットは無座票(席無しチケット)です。あと2時間ほど
(午前5時)すれば多くの乗客が降りるからその時自分で確保してください」

嘉飛「そりゃ無いよ〜、何とかならないの?」

乗務員「残念ですが無理です。席があればいいのですがまったくありませんので」

嘉飛「それじゃ、せめて硬臥車輌にいさせてよ、あと2時間!」
(硬臥車輌は座席も着いているので他の客が寝ている間は座り放題なのだ)

乗務員「ダメです。速やかに硬座車輌に移って下さい」

寝耳に水どころか寝起きに冷水ぶっ掛けられた状態の私は既に不機嫌の極み!
会話も段々粗雑になり、とうとうこんな言葉を吐いてしまう・・・

嘉飛「じゃーさ・・・いくら払えば席くれる?一つくらい準備できるんでしょ?」
(賄賂社会を象徴する暴言!まさに悪い見本ですね!!皆さんは気をつけましょう)

乗務員「席があれば既に準備してあげています。無いものは無いのです。」



数分後、がっかりしてリュックを背に硬座を歩く私の姿があった。

チクショウ・・・もとはといえばあんなチケット売りつけた紅山賓館のCYTSが悪いんじゃないか。
ぶつぶつ言いながら席を探すがあろうはずもない。しかたなく車輌と車輌の連環部に腰を下ろしタバコを一服、
気分を落ち着けた。早く人民降りてくれないかな・・・ボーッとしながら過ごす。

するとある駅(名前は忘れた)を境に一気に人民がいなくなり席が空き放題となった。

「イヤッホー」

完全に我が物顔の私は見事に硬座の3人席を占有(^o^)b。
後は寝るだけだ。荷物が盗まれないように足元に抱え込むように置き、爆睡状態に入る!
時折席を開けるようにと人民が話しかけてくるが聞こえない振りして無視。ひたすらこの席を死守し続けた・・・。
目が覚めてもゴロゴロしながらウォークマンを聞く姿はやはり外地の人間に見えたらしく、
一部の人民はこそこそ私の噂をしていた。

「きっと台湾から来た客人なんだよ・・・」

  んー、やはり日本人には見えないらしい。っていうかあそこまで奥地に入ると現地一般の人民には外国人など
観光地以外では決して見れない遠い世界の話なのだ。


 暑い硬座車輌の中、寝たり起きたりを繰り返すこと約6時間。私が目的地の柳園に着いたのは昼過ぎ頃であった。
早速、乾いた身体を潤すのによく冷えた缶の雪碧(スプライト)1本を購入し一気に飲み干す。
今度は間違いなく本物だ・・・と思う。

さて・・・、ここから敦煌へ行くにはぁ・・・・・あ?

道沿いに外国人を含めた旅行客が数台のバスの周りで屯っている。声をかけるとこのバスで敦煌へ向かうらしい。
満員になれば出発で、そうでなければ客を待ち続けるとか・・・。皆椅子に座って、それもできるだけ早く旅立ちたい
から何処のバスに乗るか駆け引きである。で・・・・私はというと、その賭けに負けて最後の最後で別のバスに回され
トルファン−ウルムチ間のように真ん中に座ることになった。それも座席と座席の間の通り道に椅子を置いただけ
まさに即席で出発することになったのです。


暑いよ〜狭いよ〜臭いよ〜

当然私の汗臭も混ざってはいるのだろうが、鮨詰め状態のバス内は空気が悪い。
窓を開けたいのだが外は埃まみれの荒野。容赦なく砂埃が入り込んでくるのだ。
クーラーなんぞかけてもくれない・・・っていうかはじめから無いのかもしれないが。

もうやだ・・・もうやだ・・・もうやだー

列車で気分を悪くしていた私は、キーキーいってる状態だったのですが、
当然降りるわけにもいかず、ひたすら忍耐の時間だった。

途中バスから見た一面の荒野には背の低い植物群が広がり、西部劇の街を風とともに飛び回る枯れた植物のよう
なものが転がりまわっているし、いたるところで見える竜巻には驚いた。規模は小さいのでしょうが、数も結構あっ
た。もしかしたら蜃気楼で見えただけなのかもしれないが・・・。写真が撮れなくて残念である。

 ひたすらま〜っすぐに続く敦煌への道・・・約3時間程かかったと思う。席と席の間に挟まれて凹みまくっていた私の
目に敦煌の町並みが見え始めた時、何かが弾けた。

嘉飛「降ります」

  運転手はまだバス停じゃないぞ!?と言っていたと思うがそんなの無視!適当な場所で強引に降りた。
夕方5時頃での事だった。ハイエナのような客引きがバスを降りた私にしつこく声を掛けてくる。
私が一番嫌いなパターンであるため、ひたすら無視を貫き、散策しながら自力でホテルを見つけた。
飛天賓館という。豪華すぎもせずレンタルの自転車もありバス停も近かったのでここに決めた・・・って
先ほどのバスがそこに停まっているではないか!あのままバスに乗って終点まで行っていれば何のことは
無くここまでこれていたはずだったが、私は途中下車していたためにここに来るまで汗を流し荷物を背負って
30分程歩いていたのだ。まさに身から出た錆び、自業自得・・・であった(ToT)



 ドミトリーに部屋を取った私は隣のベッドに見覚えのあるリュックを見つけたが、暫らくふらふら賓館内を散策しに出
ていた。暫らくして部屋に帰ってみるとそこには見覚えのある顔が!D君がそこにいたのだ。顔を見るなり互いに大
笑い。まさかまた一緒になるとはねぇ・・・おまけに同じホテル、同じ部屋になるなんて(^o^)
暫らく互いに別れてからの話をした。

D君は前日敦煌へのバス料金を払った払わないで危うく運転手達とケンカになるところであったという。コミュニケー
ションが取れなかったことに歯がゆい思いもしたらしいが、人民どもの臨戦体制にも驚いたらしい。手に得物を取っ
た人民数人に囲まれて料金を脅されたとか・・・。D君が料金を払ったことによって事なきを得たが、実際危なかった
と思う。コソドロが見つかって強盗殺人になってしまうこともありますし。まして自分達が絶対的に有利な状態で相手
が若い金持ち外国人、ましてやそれが日本鬼子だとしたら何があってもおかしくは無い。どっかで箍が外れてバス料
金恐喝が全財産へ、あるいは入院費に、最悪葬式代・・・と変わるかもしれない。
私は「お金払って正解だよ」と諭した記憶がある。

  話が少しそれるが中国人はケンカになるとすぐ仲間を呼ぶし、目の前に落ちてる獲物をすぐ手にとって攻撃してく
ることが多い。最も多くて怖いのがレンガ。そこら辺のおじさんでも若者でも兎に角レンガはすぐつかむ!それで頭
ポカッと一発であるし、投げつけることもできる。殴るところは見れなかったが殴るのに失敗して逃げる相手にレ
ンガを投げつける人民のケンカを見たことがあるが、怖いですよ〜!ケンカで興奮してレンガを持ち出す人民の姿
ははっきり言って異様です。チンパンジーが石を拾い上げてギャーギャー叫びながら襲い掛かってきて最後投げつ
けるというイメージと重なってしまいます。ある意味、あの姿は人間の持つ最も古い戦いの姿かも・・・と考えたことも
あるくらいですから。

 日本人の旅行者の皆様、もし中国の内陸部でケンカになったら逃げましょう!
また払ってすむならケンカする前にお金を払うのも無闇な争いをしなくてすみます。
一番いいのが危ない場所に近づかない、夜遅くに出歩かない、でしょう。

話を戻します。
  再会を喜んだ私は彼と他のメンバーにご一緒させていただき西千仏洞を見学に行った。
昼間は暑すぎるために皆夕方に行動しているとの事で、夕方からタクシーをチャーターして出発した。
メンバーの通訳である中国人一人を含め5人での出発である。途中映画「敦煌」の撮影で使った城が見えたが
目的が西千仏洞であるためこの日はあきらめた。


タクシーをチャーターしてたどり着いた西千仏洞のある場所。
この林を進むと西千仏洞のある岸壁に降りられる。ちなみに時間は夜7時。
    


こじんまりとした洞窟でした。一応文化遺産として保護は受けているようでしたが一部の洞窟ではすでに
仏像が風化してボロボロだった。そういえば責任者呼んでもらって鍵を開けてもらった覚えがあるけど、
現在はどうなっているのだろう?


西千仏洞の岸壁の前はこうして植林されているが、
これは少しでも洞窟の風化を防ごうとしている表れなのであろうか?




西千仏洞のある絶壁の川原を挟んだ対岸にある絶壁

その絶壁によじ登って喜ぶ私の図。写真の中央に見える黒い点が私です(^o^)
D君とぜーぜー息を切らせながらの撮影でした。


8時過ぎて日が落ち始める。95年当時西千仏洞に行くには途中からこんな脇道を進みました。

敦煌市街に帰ってきた我々一行は楽しく屋台で食事をしたのでした。


 
  砂漠地帯の太陽は熱い・・・観光に行くなら朝か夕方。そうアドバイスされていた私ではあったが翌日いきなり寝
坊。仕方なく夕方まで土産を見たり、敦煌以降の予定を組む。D君が翌日チベットへ向かうため敦煌からゴルムドに
行くチケット購入を手伝ったりした後、午後6時ようやく観光に出かける。行き先は鳴砂山だ。

レンタルした自転車に乗って進むこと30分位であったろうか・・・絵に描いたような砂の山が
眼前に現れる。おぉ〜うつくしぃぃ、暑い中も自転車を漕ぐ足に力が入る。
しかし人民自転車はどうしてこう必ずどっかに欠点があるのか・・・サドルが緩い!!

   
ボウガンやアーチェリーなんかの催し物もあったりします。
    
鳴砂山ではラクダのキャラバンを楽しむこともできる。しかし風やラクダによって巻き上がる砂埃と
ラクダの体臭やフンの臭いが結構きつい・・・。

この姿は決してアリババを真似ているのではない。埃と臭いを避けているだけである。


月牙泉
佐藤浩市扮する趙行徳が最後に砂山から転げ落ちてたどり着く泉。
柵に囲われてイマイチ感動がない。そのせいか写真の撮りもイマイチであった・・・。

 
この砂山では上から砂すべりが楽しめる。私は途中で転げ落ちてしまいました。
急斜面の砂山は登るのに一苦労!ぜーぜーいってました。この砂山ではパラグライダーも行われていた。
私もやっとけばよかったなぁ・・・・・。

  陽が暮れはじめると、強い風が吹き始めたのでD君と私は撤退。刻々と暗くなる中、強い風で砂が飛んでいく様は
視界をぼんやりさせ結構不気味でした。記念に、飲み終わったペットボトルで砂をもらってかえりました。出口に差し
掛かると陽が暮れてからの観光客を待つラクダのキャラバンが屯していて実に臭かった!せっかくの観光地もラク
ダの糞を避けながらではムードが出ません。そういえば陽が暮れて、月の砂漠を見た記憶がないなぁ・・・曇ってたん
だっけか?忘れてしまった・・・(-_-)。でもまぁ、楽しかったですけどね。

  
余談ですが・・・翌年、洛陽に留学で来たある学生はここ鳴砂山で雨に降られてカッパ姿で写真を撮ったという話でし
た。鳴砂山らしい観光ができなかったようだが、ある意味ものすごく貴重な体験だと思う。っていうかその話聞いたと
き信じられないのと、おかしいので大笑いしましたが・・・。だって砂漠で雨に降られるなんてね〜?


自転車で賓館へ引き返した私達は砂を浴びてざらざらの身体をシャワーで流すと夜の屋台外へ向かった。何か
色々食べた気がするが、さすがに思い出せない・・・。たまたま屋台先で知り合ったグループが実は日本の千葉大へ
留学している中国、韓国、マレーシア(華僑系)の学生達で短い間であったが楽しく中国語と日本語を混ぜて話がで
きました。



西北旅行<6>