後 編



                       
西安に到着した時、私は駅の大きさもさることながら城壁の存在に感動しましました。

西安の街並み
  そのままホテルにチェックインした私達は夜の街に屋台を求めてさ迷い念願の羊の串焼き(羊肉串)を食
べることができたのでした。またハミ瓜やら黄河蜜瓜を購入し舌鼓を打ったのですが、驚いたのが街中の
・・・・夏であるためそこらじゅうにスイカや瓜の皮が・・・、中国人はみんな平気で食べては捨て食べては捨
・・・生臭い臭気が鼻を突いたのは言うまでもありません。ちなみに私達が泊まったホテルは秦都飯店。部
屋から城壁が望めて綺麗でした。



翌日から再びツアー旅行尽くし、西安は見所が多い古都だ。
    写真は上手く撮れていないけど秦の始皇帝陵墓。


                        
 兵馬俑博物館
今でも発掘が続けられている。
当時、ガイドの話では広さ16000u、兵士俑500体、馬俑24頭、戦車6台であった。
当時の推定で6000体もの兵馬俑が埋まっているという話でしたが今では・・・? 



                          
日本人しか行かないという観光地
興慶宮公園にある安部仲麻呂記念碑(左) 空海記念碑のある青龍寺(右)




玄宗皇帝と楊貴妃の過ごした華清池
蒋介石が監禁された場所でもある



 西安二日目の夜、ホテルに帰った私は暑さのために冷蔵庫にあったキンキンに冷えたコーラを一気飲みし
ました。何せ当時は道端でコーラなんか売って無かったし、中国旅行経験者ならご存知と思いますが、当時
は街中で冷えたジュースなんて売ってること自体が稀でしたからね〜。そして程なくして腹痛に襲われた私は
といいますと、その夜以降、日一日と激しくなる腹痛に襲われながら旅行をすることとなったのであります。

小雁塔。昔は15層あったらしい
現在は崩れたため13層である


  そういえば当時の西安は観光地に行くたびに物乞いがバスの回りに集まってきました。コップを差し出して
しきりに声をあげてうるさい人もいれば、そこら辺の子供なんかも追いかけてきたものです。一人に小銭を渡
すと「ウワァー」と声をあげて集まってくるんですよ。何を言っているかはわかりませんがね。でもお礼を言っ
ているような素振りは無かったです(笑)。

                                 
唐の玄奘三蔵法師が仏典を持ち帰り翻訳に勤めた慈恩寺の大雁塔。
高層建築の少なかった当時、最上階からの眺めは抜群でした。



トイレのショック
  余談ですが、西安二日目の夜から始まった腹痛はここ大雁塔でも私を苦しめました。常にポケットティッシ
ュを持ち歩き「いざ!」という時のために備えていたのです。中国旅行経験者ならば中国のトイレ事情はご存
知と思います。あのドア無し、仕切り無しのむき出しトイレです。まして今から13年も前のトイレです・・・・正
直引きましたよ。まず寺の僧侶が出入りしていた無料トイレの方に駆け込んだ私はその悪臭汚さに足を踏
み入れることすらできず、すぐ隣の有料トイレに向かいました。ドア無しトイレであることに変わりは無かった
のですがそれでも無料トイレよりは多少綺麗であったので我慢して用を足すことができました。気持ちが落ち
着いたこともあったのでしょう、トイレを出ると周りにある「設備」に眼が留まりました。それは無料トイレの前
にある鉄の杭に張られた縄でした。「はて?トイレに人でも並ぶのかな?」なんて思っているとその縄には無
数のが群がっているではないですか・・・ん?んんん?「ギャー」心が悲鳴を上げました。眼を凝らした先の
縄にはなんと「う○こ」がこびり付いているではないか!!!そう、その時私はやっと理解したのです。その
縄が用を足した後に使う「尻拭き縄」であったということに・・・。縄の張られた高さは確かに股下の高さにあ
わせてあるようでしたので、やはり跨いで使っていたのかなぁ?この「尻拭き縄」はその後中国へ留学した
後、二度と見ることはありませんでしたが実に衝撃的な経験であったことに間違いありません。現在後悔して
いる事が一つ、この縄の写真を撮っていなかったことです(笑)。その後・・・あまりに酷い腹痛に苦しんだ私
はツアーメンバーにいただいた抗生物質によりなんとか持ち直したのでした。

イケナイお土産
  どこであったろうか。西安でお土産を買っている時でした・・・目の前にユキヒョウ毛皮が現われたの
です。「おお!」まさに感動ものですよ。虎やユキヒョウの毛皮に触れるなんて(泣)。しかし、当然ながらワシ
ントン条約ではその取引や捕獲自体が禁止されている絶滅危惧種の動物です。本来なら売っても買ってもい
けません。しかし、当時条約に加盟していなかった中国では堂々と売られていたのですね。残念ながら値段
は教えてもらえませんでした。たどたどしい日本語で「あなたには高くて買えませんよ」だってさ・・・。



飛行機で・・・
  二泊三日の西安観光を終えたツアー一行は空路北京に向かいました。記憶では・・・プロペラ機だった気
が・・・。スチュワーデスをはじめ中国の旅客が離陸と着陸に拍手を贈るその様は始めての海外旅行であっ
た私の眼には恐怖に映ったものです(苦笑)。名前は忘れましたが北京空港とは違う空港に到着したのです
が、ツアーのおじさんに「北京空港の都合上、上海付近の空港に到着したよ。北京に向かうには新たに航空
チケットが必要になるけどお金は大丈夫?」なんて騙されてヒヤヒヤしたのを覚えてます。飛行機を降りると
きにはパンダの刺繍の入ったハンカチをプレゼントされたのを覚えています。当然ながら帰国後、このパン
ダのハンカチは誰かのお土産に化けました。



                                                        

                    北京では初日に潰れた市内観光や故宮博物館の見学をした。

                        
故宮と天安門見学・・・楽しみにしていたのだが折からの腹痛に悩まされ体力的に限界に来ていた私はあん
まり歩き回ることができなかった。健康状態が良好な私であったならこの壮大な宮廷建築物はまさに感動の
対象であったであろうが、その広大さ故にトイレを探す手間と歩く辛さは感動どころか逆に恨めしい対象でし
かなかった。ちなみに当日の故宮城内は城壁があるためであろうか・・・真夏の中、無風状態であった(泣)。
  そういえばツアーメンバーの一人がスリの被害にあっていたなぁ・・・。

  その後、王府井や建国門の友諠商店でお土産を買った我々はツアーを終え、無事日本に帰国したのであ
る。もちろんパキスタン航空で!


当時外国人が使用していた中国の兌換券。裏のレートでは価値が高くなるため中国人がこの兌換券をよく
ねだったものです。数年後、この兌換券は消えてしまい、留学中に持っていたものは使い切ってしまいました
が91年の旅で記念に残しておいたものがこれだけ残っていました。懐かしの品です。(注:現在兌換券は取
引されていませんが念のため画像に少し手を加えてあります。もし違法でしたらすぐ削除しますのでご連絡く
ださい



あとがき
  最後まで目を通してくださった皆様、ありがとうございました。この旅行は当時高校生だった私の初めての
海外旅行でした。十年以上も前の事ですが、当時旅先で起きた出来事を簡単にメモしていたおかげでここま
で形作ることができました。当時ツアー中ただ一人の学生であった私に気を使ってくださったツアーの皆様、
遅ればせながら、ありがとうございました。今思えば随分変わったメンバーがいたなぁ、と思います。ケンカを
吹っ掛けながら買い物をする社長親子、アル中を気にしてペンをくるくる回しながら酒を飲み続けるおじさ
ん、鉄道マニアで中国の列車をカメラに収め続けていたおじさん、私を引きつれ身振り手振りで会話を楽し
み朝から太極拳を学びに行ったおじさん、遠く四国から参加して空海の記念品を買っていたご夫婦、自分達
だけ自由行動してペキンダッグを食べに行ったご夫婦、子供の私とサマータイムの時間で言い争ったご夫
婦、ドアを閉め忘れたメンバーの部屋に入ってしまい着替えを覗いてしまったおばさん等、実に楽しかったで
す(我ながらよく覚えているなぁ)。
そういえば添乗員の趙さん(北京)陳さん(洛陽)金さん(西安)は元気なのかぁ・・・?
 
  これから中国に行ってみようと考えている方々、旅日記はつけておくと数年後、面白いですよ。
  (2004年5月 嘉翡)



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