立ったのを覚えています。確か出発当日は飛行機が6時間遅れて初日の北京観光がつぶれたのを覚えてい ます(怒)。航空会社は確か・・・パキスタン航空PK753便だ(チクショー時間を返せ!)。それ以来私はチケ ットが安かろうがそっち方面の飛行機は使用しないことにしています(笑)。 飯と麻婆豆腐が妙にマッチして美味しかった。先が尖っていない箸、欠けたままのグラスに注がれたお茶、ト マトのスライスに砂糖をかけて食べる「糖拌西紅柿」も初めてでした。ちなみに・・・・真夏だというのにレストラ ンにクーラーが無いばかりか扇風機さえ回ってない・・・っていうか停電で蝋燭の明かりを頼りに食事をした のです。汗を流しながら・・・。 の輝き」といわんばかりに剥き出しの電球を繋げまくったセンスのないレストランやホテルが多かったなぁ (笑)。ネオンというより豆電球のクリスマスツリー状態というやつです。 ましたが周りの人がそれほど気にしないで歩いていたのには驚いた。さ、さすが中国・・・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() かなか寝付けなかったのを覚えてます。夜ということもあり写真は一切取りませんでしたが、途中家が火事で 燃えているのを窓から見かけたのを鮮明に覚えています。 ![]() ーのおばさんがそれを見て一言・・・「僧侶足る者が怠慢とは・・・」。心頭滅却すれば火もまた涼しの境地に は遥かに遠い修行僧でした。 ![]() 初主演映画「少林寺」でも使ってました・・・よね ![]() ![]() ![]() ![]() 当時は何がどこにあるのか何にもわからずいきなり中巴(バス)に乗って商店街に行きました。場所はわか りません、窓に並べられた白黒テレビや自転車が印象的でした。店先の街頭テレビで人民が楽しむ姿を見 てツアーのおじさんは「日本も一昔前はああだったんだよ」と、ちょっと懐かしそうに私に言ってました。同行 したおじさんが怪しそうなタバコを購入していました。笑いを取る土産にはうってつけとか・・・。 わからなくなった私たちは当たりかまわず中国人に話しかけホテルを聞きました。当時私達の宿泊していた ホテルは営業を始めて間もないもので地図にも出ておらず中国人も知らぬ存ぜぬでほとほと困り果てていた ところ一人の中国人が日本語で話しかけてきたのです。「おお!」助けに船とばかりに迷子になった状況を 述べるとなんとホテルまで連れて行ってくれるという。「助かった〜」と肩をなでおろす一同。その後、ホテル に着くまでの約30分、日本語を器用に操る中国おじさんと話をすることになりましたがなんと!そのおじさん は元日本人、残留孤児の方だったのでした。久しぶりに出会った日本人ということもありめったに使えない日 本語をここぞとばかりに使っていましたが、途中でばったりあったおじさんの会社の同僚の前では妙によそよ そしく態度が変わったので後で聞いてみるとその同僚は共産党員で日本残留孤児である自分は目を付けら れているので気をつけているのだと言ってました。おじさんには息子さんが一人いて囲碁が確か八段、日本 に行くとか、すでに行っているとか言っていたのを覚えています。おじさんは「日本へ帰りたいなぁ」と言ってい ましたが今はどうしているのか、日本へ帰ってくることができたのだろうか・・・?確か自分の実家の住所を番 地までしっかりと記憶していたのが印象的だった。私は忘れてしまったけど横浜か横須賀だったような気が するが・・・。無事にホテルにたどり着いた私達はおじさんにお礼と別れを言うとおじさんは笑顔で「さよなら、 また会いましょう」と少し寂しげな顔で帰っていきました。おじさんの名前は残念ながら忘れてしまいましたが 洛陽のベアリング(軸承)工場で働いているという話でした。 ちなみに私達が泊まったのは洛陽牡丹大酒 店、迷子になったのが上海市場、そしておじさんに出会ったのが改築前の牡丹広場・・・と知ったのは洛陽に 留学することとなった4年後の95年のことでした。 線路から直接の乗車でした。もちろんコンパートメントです。日中の移動ですから車内も明るく景色が実に良 く見える。そして見えなくていいものまでも・・・。途中昼食のため食堂列車に移るため一般車両へ足を踏み 入れたのだが・・・そりゃ〜もうカルチャーショックですよ。あたりかまわず捨てられたゴミ・ゴミ・ゴミ・・・。一般 客が窓からゴミを捨てるのを見て驚いていたらとんでもない、そのゴミに紛れて座席の下に寝転がる中国の 子供に「どけっ」とばかりに箒でゴミを掃く乗務員があろう事かそのゴミを笑顔で窓から捨てる捨てる・・・。こ の時ばかりは当時の中国人の現実を突きつけられた気がしました。その一般車両(といっても「硬臥」でした が)に西洋人のおばさんが一人ちょこんと座っているのを見たときは周りのメンバーと「きっとチケット間違っ て買ったんだよ、可哀想に・・・」なんてボソボソ話しながらちょっと優越感に浸りつつコンパートメントの幸せ を噛み締めたものです(笑)。ちなみに食堂列車では生まれて初めて油で揚げた鯉の餡かけを食べました。 とにかくジュースが飲みたかった私はその場で「健力寶」を購入、喜び勇んでプルトップを開けるとそのまま プルトップは開く事無く破損、懐かしいプルトップ指輪の出来上がりです(泣)。その「健力寶」は西安まで開 けられることなくバッグにしまわれてしまうことになったのでした。仕方なくもう一つ「健力寶」を購入した私は 壊さないように気を使った事は言うまでも無い。ちなみにこの「健力寶」は中国でも有名な炭酸飲料です。 ![]() ![]() 眼に見えたのだが、経済開放の余波であろうか・・・・水が紫や青だったりしたのには驚いた。そうそう、乗務 員が自ら土産物を持ってコンパートメントに売りに来たこともあった。筆談での値段交渉は私にとっては初め ての経験でした。 |