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  私が中国を初めて旅行したのは91年の夏。初めての海外旅行と言うこともあってかなりびくびくしながら旅
立ったのを覚えています。確か出発当日は飛行機が6時間遅れて初日の北京観光がつぶれたのを覚えてい
ます(怒)。航空会社は確か・・・パキスタン航空PK753便だ(チクショー時間を返せ!)。それ以来私はチケ
ットが安かろうがそっち方面の飛行機は使用しないことにしています(笑)。
   
  北京空港に着いたツアー一行はバスで北京市内へ。夕食はホテルの近くのレストランでした。ボソボソのご
飯と麻婆豆腐が妙にマッチして美味しかった。先が尖っていない箸、欠けたままのグラスに注がれたお茶、ト
マトのスライスに砂糖をかけて食べる「糖拌西紅柿」も初めてでした。ちなみに・・・・真夏だというのにレストラ
ンにクーラーが無いばかりか扇風機さえ回ってない・・・っていうか停電で蝋燭の明かりを頼りに食事をした
のです。汗を流しながら・・・。
  街中では一部電気が輝いていたのだが当時の中国はそれこそ「電気こそ文明」「夜の明かりこそ未来へ
の輝き」といわんばかりに剥き出しの電球を繋げまくったセンスのないレストランやホテルが多かったなぁ
(笑)。ネオンというより豆電球のクリスマスツリー状態というやつです。


  翌日は朝から明の十三陵と万里の長城見物でした。ちなみに十三陵へ行く途中道端には人の死体があり
ましたが周りの人がそれほど気にしないで歩いていたのには驚いた。さ、さすが中国・・・・・。


見物したのは明の十三陵の定陵。萬暦帝の陵墓です。
真夏の暑さに地下宮殿が心地よかった!!



 
           
生まれて初めて見る万里の長城・八達嶺
龍を見ているようで感動したものです。こんなところによく作ったなぁ・・・。
人類の英知というより人民の気のなが〜くなるような労力に脱帽!!



その日の夕方、ツアー一行は北京站(駅)より河南省の古都・洛陽に向かいました。
やはり初めて見る北京站の大きさにも驚きました。その小汚さにも・・・。

 


          
現在は洛陽へ行くには新しくできた北京西客站からになっています。

  初めて乗る中国の列車はコンパートメント、中国で言う「軟臥」。夜型人間である私は室内の熱さもあってな
かなか寝付けなかったのを覚えてます。夜ということもあり写真は一切取りませんでしたが、途中家が火事で
燃えているのを窓から見かけたのを鮮明に覚えています。


さて、翌朝洛陽に着くと荷物をホテルに運んで早速観光。


白馬寺
  寺の中でお坊さんがお経をあげているのを見ましたが、片手団扇で経を読んでいたのが面白かった。ツア
ーのおばさんがそれを見て一言・・・「僧侶足る者が怠慢とは・・・」。心頭滅却すれば火もまた涼しの境地に
は遥かに遠い修行僧でした。






洛陽の龍門石窟にある廬遮那仏
現在では世界文化遺産に登録された中国三大石窟の一つ。李連傑(リーリン・チェイ)改め、ジェット・リーの
初主演映画「少林寺」でも使ってました・・・よね

           
切り立つ岩壁に穿たれた石窟群。 当時はこんな工事もされていました 。
蜂の巣に見えたのは私だけではないはず!


整備されつつある石窟群
     



龍門石窟の対岸香山寺の一角にある
唐代の詩人・白居易の墓碑



洛陽での歴史を感じた出会い
  この日の夕方、旅の間私によく気を使ってくれた森おじさん他数名とともに洛陽の街見物に出かけました。
当時は何がどこにあるのか何にもわからずいきなり中巴(バス)に乗って商店街に行きました。場所はわか
りません、窓に並べられた白黒テレビや自転車が印象的でした。店先の街頭テレビで人民が楽しむ姿を見
てツアーのおじさんは「日本も一昔前はああだったんだよ」と、ちょっと懐かしそうに私に言ってました。同行
したおじさんが怪しそうなタバコを購入していました。笑いを取る土産にはうってつけとか・・・。
  さて、暫らく歩いていると陽もとっぷりと暮れ街灯のほとんど無かった当時洛陽は真っ暗闇状態。帰り道の
わからなくなった私たちは当たりかまわず中国人に話しかけホテルを聞きました。当時私達の宿泊していた
ホテルは営業を始めて間もないもので地図にも出ておらず中国人も知らぬ存ぜぬでほとほと困り果てていた
ところ一人の中国人が日本語で話しかけてきたのです。「おお!」助けに船とばかりに迷子になった状況を
述べるとなんとホテルまで連れて行てくれるという。「助かった〜」と肩をなでおろす一同。その後、ホテル
に着くまでの約30分、日本語を器用に操る中国おじさんと話をすることになりましたがなんと!そのおじさん
は元日本人、残留孤児の方だったのでした。久しぶりに出会った日本人ということもありめったに使えない日
本語をここぞとばかりに使っていましたが、途中でばったりあったおじさんの会社の同僚の前では妙によそよ
そしく態度が変わったので後で聞いてみるとその同僚は共産党員で日本残留孤児である自分は目を付けら
れているので気をつけているのだと言ってました。おじさんには息子さんが一人いて囲碁が確か八段、日本
に行くとか、すでに行っているとか言っていたのを覚えています。おじさんは「日本へ帰りたいなぁ」と言ってい
ましたが今はどうしているのか、日本へ帰ってくることができたのだろうか・・・?確か自分の実家の住所を番
地までしっかりと記憶していたのが印象的だった。私は忘れてしまったけど横浜か横須賀だったような気が
するが・・・。無事にホテルにたどり着いた私達はおじさんにお礼と別れを言うとおじさんは笑顔で「さよなら、
また会いましょう」と少し寂しげな顔で帰っていきました。おじさんの名前は残念ながら忘れてしまいましたが
洛陽のベアリング(軸承)工場で働いているという話でした。 ちなみに私達が泊まったのは洛陽牡丹大酒
店、迷子になったのが上海市場、そしておじさんに出会ったのが改築前の牡丹広場・・・と知ったのは洛陽に
留学することとなった4年後の95年のことでした。




列車の中で
  翌朝五時起きして改築中の洛陽站に向かい西安行きの列車に乗り込んだ。プラットホームもできておらず
線路から直接の乗車でした。もちろんコンパートメントです。日中の移動ですから車内も明るく景色が実に良
く見える。そして見えなくていいものまでも・・・。途中昼食のため食堂列車に移るため一般車両へ足を踏み
入れたのだが・・・そりゃ〜もうカルチャーショックですよ。あたりかまわず捨てられたゴミ・ゴミ・ゴミ・・・。一般
客が窓からゴミを捨てるを見て驚いていたらとんでもない、そのゴミに紛れて座席の下に寝転がる中国の
子供「どけっ」とばかりに箒でゴミを掃く乗務員があろう事かそのゴミ笑顔窓から捨てる捨てる・・・。こ
の時ばかりは当時の中国人の現実を突きつけられた気がしました。その一般車両(といっても「硬臥」でした
が)に西洋人のおばさんが一人ちょこんと座っているのを見たときは周りのメンバーと「きっとチケット間違っ
て買ったんだよ、可哀想に・・・」なんてボソボソ話しながらちょっと優越感に浸りつつコンパートメントの幸せ
を噛み締めたものです(笑)。ちなみに食堂列車では生まれて初めて油で揚げた鯉の餡かけを食べました。
とにかくジュースが飲みたかった私はその場で「健力寶」を購入、喜び勇んでプルトップを開けるとそのまま
プルトップは開く事無く破損懐かしいプルトップ指輪の出来上がりです(泣)。その「健力寶」は西安まで開
けられることなくバッグにしまわれてしまうことになったのでした。仕方なくもう一つ「健力寶」を購入した私は
壊さないように気を使った事は言うまでも無い。ちなみにこの「健力寶」は中国でも有名な炭酸飲料です。


                                 
西安に向かう途中車内から写した風景。まだ河南省内と思われる。時折窓からは広い大地を流れる小川が
眼に見えたのだが、経済開放の余波であろうか・・・・だったりしたのには驚いた。そうそう、乗務
員が自ら土産物を持ってコンパートメントに売りに来たこともあった。筆談での値段交渉は私にとっては初め
ての経験でした。



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