お袋の

 

戦中・戦後の記録

 

 

 
 

 戦時中、国際電気通信株式会社の通信技師だった親父がインドネシアに赴任している間、 博多郊外の下臼井にあった親父の実家に未だ幼い我々二人の兄弟とともに移住。  目の前が時代の流れに逆らうことも出来ずに田圃を徴用されて出来た板付飛行場だったこともあり、戦中・戦後の激しい戦火と食糧難の中、親父の父と子供を守りながら生き抜いた未だ二十歳前 半の若いお袋の苦労には頭が下がる思いがする。

 

 平成十年、当時七十九歳のお袋がそんな昔を思い出しながら「私の戦中・戦後の記録」と題したメモをしたためた。 

 終戦当時小学一年生だった自分は当時のことを断片的にしか記憶していなかったが、このメモを読んでお袋の並々ならぬ苦労が偲ばれて思わず目が潤んでしまうのを禁じ得なかった。

 

 我が家では親父が戦地から無事に引き上げてきたからまだ良かったが、当時もっと過酷な状況に置かれた多くの人々の苦労はいかばかりだったろうか・・・と思うと胸が締め付けられる。

 そういえば同級生のかなりの人が家や家族を失ったり、 戦地で親を失っていたことを思い出す・・・。

 

 

 そろそろ卒寿を迎えようとする年老いたお袋を見るにつけ、

                           戦争は絶対にしてはならない! ・・・ 

との思いを込めてこのメモを紹介 させてもらうことにした。 

 

                                                              

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