音楽論
絶対音感の弊害
前回の更新で、打ち切り記念に「旋風の橘がクソだと思う人への100の質問」に答えましたが、
打ち切られた「旋風の橘」に代わって、今週から「ワイルドライフ」という漫画が始まりました。
ごく簡単にあらすじを説明しますと、絶対音感を持った主人公岩城鉄生が、その絶対音感を
生かして動物達の心音や呼吸音の異常を聞き取り、病気を治していくという獣医さんのお話。
「医者」ではなく「獣医」の漫画というのも珍しいですが、私が興味を惹かれたのは
その特殊(?)能力。
絶対音感ですよ、絶対音感。
今週は第1話ということで鉄生が獣医を志すきっかけのお話だったのですが、
初めの数ページを読んだ段階では普通に音楽漫画だと思ってましたし、
絶対音感が獣医の仕事に役立つなんて想像もしませんでした。
第1話で鉄生に獣医になることを進めた賀集という獣医さんの話によりますと、
「僕ら獣医は人間を扱う医者と違って、
何百種類もの全く別種の動物を診なければならない。
そのすべての動物の異常を瞬時に察知するのは
ベテランでも大変なことです。
ところが・・・・・・、
君のその能力は聴きとるだけでそれを可能にする!!
獣医にとって、これほど素晴らしい能力はない!!」
なんだかそんな風に大袈裟に言われると非常に胡散臭く感じるんですが、
まあ漫画なので話半分程度に聞いておくにしても、
とにかく絶対音感が音楽以外の職業にも役立つことがあるという事実は伺えます。
しかし、今回問題にしたいのはそんな絶対音感の便利さではありません。
作中に鉄生と賀集のこんなやりとりがあります。
賀集「君、絶対音感持ってるんですかぁ!
あの、どんな音もすべて音階で聴こえるっていう!
うらやましいなあ!」
鉄生「どこが!
ウチの隣がピアノ教室やってたんでその影響らしいんだよ!
ったく迷惑な話だぜ!」
かたや「うらやましい」という賀集に対し、鉄生の答えは「迷惑」。
絶対音感を持たない人にとっては「あればあったで便利な能力」と思われるかもしれませんが、
とんでもありません。
音楽を生業としない私のような人間にとって、実は絶対音感というのは
無用の長物、どころか、はっきり言って邪魔にしかならないのです。
今回は、そんな絶対音感の弊害の話です。
さて、まず絶対音感とはそもそも何なのでしょうか。
よく巷では「この世の全てがドレミで聞こえる能力」だと言われていますが、
それは実はちょっと違います。
正確には、基準音を聴かなくても音階を言い当てることが出来れば
「絶対音感がある」と言えるのであって、足をドンッと踏み込んだ音だとか
シンバルを鳴らした音、キーボードをカタカタ叩く音のピッチまで
正確にわかる必要はないのです。
現に管理人はクラクションの音だとか鳥の鳴き声程度ならピッチ(音程)がわかりますが、
いわゆるノイズ音になるとピッチがかなりあいまいになってしまいます。
このように絶対音感の鋭さは人によってまちまちです。
ちなみに「ワイルドライフ」の鉄生はノイズ音まで正確に聞き分けられる
完璧な絶対音感の持ち主のようです。
では、そんな絶対音感の、何がそんなに迷惑だというのでしょうか。
一番顕著にその迷惑さが現れる例は、音楽を聴く時です。
そうです、音楽教育の中で身につけた絶対音感が、
皮肉にも音楽を聴く上で邪魔になってしまうのです。
とりあえず身近な例として歌を挙げてみます。
皆さんにとって、「いい曲」とはどんな曲でしょうか?
大多数の人は「いい曲」の条件の中に「歌詞がいい」ということを挙げると思います。
歌詞を聞いて感動した、歌詞を聞いて共感した、歌詞を聞いて「いいなぁ」と思った、
歌詞を聞いて「かっこいい!」と思った・・・・・・、
そんな経験は大多数の人が持っていると思います。
しかし、前述の「ワイルドライフ」の中にはこんなシーンがあります。
鉄生の友人・矢納が鉄生に自分のお気に入りと思しき曲を聞かせているのですが、
矢納「いい曲だろソレ。またその歌詞がサァ・・・」
鉄生「あ、ワリ。歌詞聞こえてなかった」。
作中で鉄生は「歌詞すらドレミで聴こえんのによ!」と言っていますが、
絶対音感を持った人というのは、言葉よりもその声の音程を聞き分けることに
自然と神経を集中させてしまうのでしょうか、その辺の原理はよくわかりませんが、
歌を聞いても歌詞を聴き取ることができないということが多々あります。
それゆえ、いわゆる「歌詞がいい曲」というのは、聞いただけでは理解出来なんです。
言い換えれば、歌を聞いて感動するということが殆どないということです。
歌だけではありません。
「絶対音感」という本の中には、「音楽を聴いて本当に感動したということはない」という
ある絶対音感を持った音楽家のエピソードも紹介されています。
要するに、絶対音感があると音楽を聴く面白さが減ってしまうということがあるのです。
前回の音楽論で、管理人は滅多にCDを聴かないと書きましたが、
その理由がここにあります。
ことは音楽にとどまりません。
実は実生活にも支障を来たす場合があるのです。
上で「絶対音感を持った人というのは、言葉よりもその声の音程を聞き分けることに
自然と神経を集中させてしまうのでしょうか」と書きましたが、
実はこれは歌を聴く時に限った話ではなく、人の話を聴く時にも当てはまってしまうことがあるのです。
管理人の周りにも絶対音感を持った友人が何人かいますが、
やはり「何かを話しているその声は聞こえても、
何を話しているのかその言葉が聞き取れない」ということがたまにあるようです。
管理人自身、それで何度も苦い経験をしていますし、それは同時に相手に対しても
迷惑をかけてしまう結果になります(申し訳ありません)。
さて、ここまで絶対音感の弊害についてお話ししてきたわけですが、
その一方で管理人の運営する当サイトはMIDIサイトなわけでして、
なんだかんだ言ってやっぱり私は趣味で音楽をやっているわけです。
上で「音楽を聴く面白さが減る」とは書きましたが、「音楽が嫌いになる」とまでは書いていません。
「聴く面白さ」が減ってしまっても、それが全くなくなるというわけではありませんし、
「演奏する面白さ」、「作る面白さ」は依然残っています。
せっかく身につけた絶対音感、あまつさえ実生活にすら支障を来たすような迷惑な副作用は
この先一生かかっても消えるかどうかわかりません(ていうか多分消えません)。
それならいっそのこと趣味として積極的に音楽を楽しむことで、
絶対音感を「ただのはた迷惑な能力」にしないよう、
管理人はMIDI制作に励んでいるのです。
ですから、やっぱり音楽そのものは好きですよ。
ところで話を「ワイルドライフ」に戻しますが、鉄生の幼なじみ(彼女?)の宝生が
鉄生の将来について心配するシーンがありまして、そこでこんなやりとりがあります。
宝生「ねェ、その絶対音感生かして音楽の道に進むってのはどう・・・?
大学無理でも専学で・・・」
鉄生「あーダメダメ!!
お前、音楽ったってそれで成功するのは一握りなモンだぜェ〜。
だいたい俺なんて音ドレミで聴こえんだけで・・・」
赤字で書いた部分から察するに、どうやら鉄生は絶対音感はあるものの、何か楽器が弾けたり、
歌がうまかったりするということはないようです(楽譜を書くことはできるようですが)。
そうすると、趣味で音楽を作ったり演奏したりして絶対音感と共生していくということも出来ませんし、
さらにその絶対音感を身につけた理由が「隣の家がピアノ教室だったから」(本人に帰責性無し)、
その上その絶対音感がノイズ音まで聞き分けられるほど完璧なものだったとしたら、
彼が「全く迷惑な話だぜ」と言いたくなるのもわかるような気がします。
しかし、結局は彼も獣医という絶対音感を生かせる(らしい)仕事を見つけたわけですし、
私も同じ絶対音感を持つ人間として、今後の彼の活躍が楽しみです。
それでは今回はこの辺で。