少しづつのせていきたいと思います。よく人にどうして「こども病院」に通うようになったのと聞かれるのでそこのところを以前まとめたことがあるので書きました。
新生児の頃から湿疹が少しあり、4ヶ月の頃ミルクをあげたら2時間後に全身に絵の具を塗りたくったように真っ赤なじんましんが出ました。あわててかかりつけのお医者さんに行ったら、「食物アレルギーの疑いがあるのと、少し様子が心配だ。」ということで総合病院にまわされました。(いま思えば軽いアナフィラキシーショックだったようです。)
そこで血液検査をしたのですが、腸に危険な菌がいないかという検査で、特に心配はないと言われました。
その後、5ヶ月のとき風邪を引きました。かかりつけ医に行ったところ胸からゼイゼイ音が聞こえるが「この間の食物アレルギーはどういう診断だったのか。」と聞かれました。
「特にアレルギーということではなく、ただのじんましんとのことです。」と言うと、喘息の疑いがあるのでこども病院のアレルギー免疫科を紹介してくれ、そちらに通うようになりました。今でもこの時にこども病院を紹介してくれたお医者様にとても感謝しています。今は違うかもしれませんが当時は皮膚科と小児科医ではアトピーの考え方が違うからです。
こども病院で
こども病院で、今までの経過や家族のことを先生に話しました。
「ご主人が赤ちゃんのころ湿疹がひどく、小児喘息だったことからして体質がサムくんに遺伝したようですね。今日からお母さんを含めてお子さんの食物日誌をつけて下さい。」と言われ、血液検査を受けました。
1週間後、検査の結果を聞きにいくと大豆・卵・牛乳・小麦のアレルギーが見つかり、この日からアトピーとの戦いが始まりました。
母乳で育てていたもので、私もアレルギーの抗原となるものは食べられなくなりました。大豆がダメなので味噌や醤油も使えません。
「新鮮な大根なら塩だけで煮てもおいしい。なにもまずくて、高いアレルギー用の醤油を買わなくてもいいでしょう。」という考え方の医師だったので味付けもさびしいものになってしまいました。当時はアレルギーの情報を集めることも大変で私の勉強不足で調理法を工夫することすら考えつきませんでした。
また、かゆさで夜も二時間おきに起きてしまい、かゆいところを私が30分ぐらい掻いてあげて、ようやく眠って…でもまたすぐ起きてしまうといったような繰り返しでした。睡眠時間を満足に取れないこの頃の一番の願いは3時間続けて寝ることができればどんなにしあわせだろうということでした。
それでも食事療法の結果湿疹は目に見えてよくなっていきました。そして病院では食事の話・スキンケア・暖房や掃除・洗濯などの生活の話を通うたびにテーマにそって先生から聞きました。その話が一通り終わった頃、担当の先生が転勤で変わりました。
新しい先生の考え方
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