時期 写真をクリックすると拡大してご覧になれます remarks
1958/10
2アマに合格
1次試験は、「無線実験」記述式で5問、試験時間は2時間30分
2次試験は、「電波法規」記述式で4問、試験時間は1時間30分
1958/12 予備免許がおりる
スポット周波数で3537.5KC、7050KC、7125KCの3波
1959/12/31までの限定で、7100以上が使用できた。
1959/6 江戸川区東小松川 本免許
10W局でも技官、事務官が来宅し新設検査を受けなければならなかった。
免許後は、定期検査も実施された。

TX:当然807シングル、6V6PPプレート、スクリーンG同時変調
RX:9R42の回路をそっくり真似た、高1中2
(翌年コリンズのダイアルエスカッションをまねた3〰4MHzの受信機を自作、3.5以外はクリコンで受信。厚ければ安定とはなはだしい勘違いのたまものの4mm鉄板のシャーシーを特注して使用した。電源トランスの穴のサイズがあわず、毎日汗だくでやすりでけずった思い出がある)
ANT:竹ざおを使用した7MHzのダイポール(フィーダーは電気屋で購入してきたAC線で間に合わせる。同軸ケーブルは高くて買えなかった)
1959/4 新2アマに合格
移行措置として、CWの実技のみ受験すればよかった。
1959/11 新2アマになって、CWが追加され、28Mcも使用可能となった。
1961/1 50MTX.pdf へのリンク 電波科学 1961年1月号に50Mc電話送信機の製作記事
全くの技術音痴で、CQ等雑誌の製作記事を頼りに自作したののがよほどうれしかったのか、恥ずかしくもなく記事を投稿してしまった。
なぜ電波科学に投稿したのか、記憶にない。、
1963/4    宝塚市の独身寮宝泉寮へQSY
ANT 5ELE YAGI 16mHigh Xverter+16Tube DSでQRV
1963/6    宝塚市売布 及泉寮へQSY
1965/3/26 1964/3にTX88を購入
1965/3にJR-300S購入
当時はしりのSSBの受信が格段に楽になった。
TXは、
TX-88Aと自作のVFOで3.5、7、14、21,28,50にA1・A3でQRV。
独身寮で一人部屋が使用できたので好きな時間に運用できた。
宝塚クラブの皆さんと夜な夜なラグチュウにふけっていた。
1965/5/25 呼び出し符号、JA3JRDに変更
1966/4/17 茨木市へQSY
狭い戸建ての賃借住宅でしたが、庭の裏に住宅会社の宣伝用ネオンの鉄塔があったのでそれをアンテナタワーに借用していた
Mosley TA-33 地上高 18m
PNE NQQ JEW NHL RFZ 5AZQ RWD QNH RSH協力
1968/12/24 TS-510でSSBにQRV
当時、ALC談義で空も、CQ誌もにぎやかでした。
1970/11/20 1年かけて、1アマに挑戦
まずは、春の試験で電気通信術の科目合格
秋に工学と法規を受験、晴れて1アマになる
1971/1 500W ライセンス
TS-510とFL-2000Bの組み合わせ。
1971/6 港区白金にQSY
呼出符号:JA1COWに変更、設置場所変更検査合格

社宅の屋上に3ele八木 TA-33を上げた。
地域クラブの「はじっこクラブ」に所属。
同じクラブのメンバーでもあるJA1UA本間監査役の推薦でJARL関東地方本部の会計監査を委嘱され、現在も継続してその役目をおおせつかっている。
1973/4 SSTV免許される
第1回目は、1973/4/10付て゜24局
第2回目は、1973/11/22付で32局
私は、初回の申請に書類が間に合わず、2回目で免許されました。
1972/8/27 Collins S-LineでSSTV
残光性ブラウン管の映像は、部屋を真っ暗にしてパシャ、その後フラッシュをたいて全景をパシャ、つまりダブルシャッターで撮影したのです。
さすがプロのカメラマンは違います。
1973 がつがつしないコンテスト
新スタイルのQSOパーティー
私は、強いものが勝つコンテストはあまり好きではありません。
関東地方本部会議の際、もっと大らかにハムを楽しめるコンテストを企画してほしいと当時JARL関東地方本部長であったJA1LR内山さんに軽い気持ちで話ました。
内山さんは、早速理事会に諮ってくださったのでしょう。昭和49年から得点を争わない新しいスタイルのコンテスト「QSOパーティー」がスタートしました。
(内山さんの役職名は違った名称だったかもわかりません。)
新スタイルのコンテストでは、得点を争わない形式なので、ゆったりとしラグチューを楽しむ方がふえました。私の場合は、毎年20〰28局の範囲でした。1QSO、1時間以上というコンテストでは考えられない所要時間もありました。
QSOパーティーでは、20局以上とQSOするとその年の干支のステッカーがもらえます。
みごと12枚の干支が揃うと、有料ですが記念盾がもらえます。
私は、スタートの1974年から1985までの12年間継続してステッカーを集め、記念盾をいただきました。
その後、しばらくステッカーをあつめを休んでいましたが、1995年から再開、来年には2回目の記念盾を取得できそうです。
1974/8/9
埼玉県上尾市にQSY
コリンズべったりがしばらく続いたが、熱がさめると国産愛用に転向。昔から送信音が好きだったトリオを使い始めた。
送信音のいい局が誇らしげにヘッドフォンからの漏れてくる音でハウリングさせているのがなんとも格好良く思え、TS-820にR-820を組み合わせて送信音をモニターしながらの夜な夜なQSOにふけった。
1979/3/26 佐倉市江原台にQSY
リニアは、ヒースキットのSB-220を大丸デパートでJAバージョンを購入して組みたてた。
日本語の組み立てマニュアルがなつかしい。
1982 身障者にもハムの免許を 身障者にハムの免許を与えるよう郵政省に働きかける
1994/10/29    長年勤めていた会社を退職、ご苦労様の意味でTS-950SDXを買って、DSPのドンシャリを楽しんでいました。
1996 Get_1KW_license.pdf へのリンク 1アマに1KWが免許されることになった。
CQ編集部のすすめで、申請から変更検査合格までを記事にすべく、早速変更手続きを行った。
500W局で経験があるとはいえ、1KWともなるとどのような手続きをするのか、変更検査はどんなことが検査されるのか不安でいっぱいだが資料がないので、苦労話を記事にして参考にしていただこうという趣旨である。
変更申請:1996/5/2
変更許可:1996/7/1
落成検査:1997/1/29 変更検査に合格
勤務先が関東電気通信局まで徒歩5分のところにあったので足しげく通って、書類の記入方法や添付資料等について教えていただいた。
事務官、技術官とも非常に新設に応対してくださった。
2001/12/22        八重洲から出たMD-200のスタイルが気に入って購入、TRCVはTS-950SDXのまま
2002/6/22 IC-756PROで50Mhzにカンバック
2002/7/6 1KWのリニアをIC-PW1に変更
2003/3/2    DSPに飽き、アナログに魅せられてIC-780を購入
2005/4/16 サラリーマン生活の終止符を記念してIC-7800を購入
途端にDXにうなされるようになりました。
2005/8 DXCC AWARDを申請
2005/8/31現在181エンティティーコンファーム
10年以内にはオーナーロールになれればいいのですが.....
 QSLにみる私のDX-QSO

JA1COWの歩み

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