捕鯨王国「呼子」

 
長者番付・呼子嶋甚六 (資料:呼子鯨組)
2008年6月、古式捕鯨「西海捕鯨」で知られる佐賀県唐津市呼子に行き探鯨して
きました。唐津といえば福岡空港からJRの電車で直通70分くらい、きれいな町
です。捕鯨の町からイカの町へ変身した呼子町は朝市・呼子大綱引き・ イカが有名。

イカの活き作りを食べさせる飲食店・民宿・旅館・国民宿舎が多く、 奇岩の七ツ釜
・立神岩、名護屋城跡、名護屋城博物館が直ぐ近く、玄界灘に面した虹の松原・
唐津城、多くの島々が点在し古式捕鯨の旧跡が残されています。鯨王国と云われた
呼子、その鯨組主・旧中尾家の住宅(唐津市指定文化財)を遺構として保存する
ための活動を呼子町文化連盟、呼子鯨組などが行っています。

江戸中期から明治10年までの中尾家の小川島における捕鯨の業績・盛衰を描いた
新聞連載:北島磯舟著『捕鯨王国』(復刻版)呼子鯨組編より表題としました。

    
(左上)呼子と加部島をつなぐ呼子大橋,長老の話ではこの橋の下でクジラの潮吹きの
音を聞き、潮を見たそうです。また子供の頃、近くの加部島にあった鯨解体場で
鯨の骨が足に当たりすねが痛かったことを記憶しているとのお話も伺いました。

(右上)呼子港全景、左側が呼子町、手前の森は加部島。呼子の対岸は「殿ノ浦」。
古式捕鯨時代、「殿ノ浦」には多くの遊郭があって男達で賑やかだったと云われています。

(左下)『ようこそ!水光呼子』イカとクジラが描かれているシンボルマーク。今はイカの町。

(右下)船尾に写る小川島は古式捕鯨を描いた絵巻「小川島鯨鯢合戦」が有名です。
昔は捕鯨で賑った鯨島でした。船で20分。遠方に福岡県の糸島半島が見え、ここに
芥屋大門(けやのおおと)の洞窟があり、鯨に食べられた天女の鯨伝説があります。 


今では勢子舟は「観光鯨船」。ピンクとブルーの2隻の「ジーラ」。定員は90名ていど。40分の航程

 
呼子・小川島捕鯨漁場図
鯨文化:龍昌寺・鯨鯢供養塔
日本の仏教思想・「鯨文化」がここに残されています。また日本中の海岸に鯨供養塔が点々と見られます。
 
鯨組主、3代目中尾甚六が鯨の冥福を祈るため、鯨1頭分を代価に替え龍昌寺を再興した。(左)
龍昌寺境内にある呼子鯨組主3代目中尾甚六の墓(右)

 
頭に6地蔵をのせた珍しい「鯨鯢供養塔」。1813年再建(左)
鯨は雄の鯨、鯢は雌の鯨のこと、どちらもゲイゲイと言い鯨のことです。
多くの鯨を捕り、その供養のために「鯨鯢千本供養塔」を建立。1831年建立(右)
龍昌院(寺)で保育園を作るためこれらの墓は一箇所に集められたとのことです。
海・山・浦・道・商家・住宅・寺・神社が込み合って建っています。これが昔の漁村の姿。  
呼子君塚の中川家の万霊鯨鯢成仏と、小川島の鯨鯢供養塔の4基が呼子にあります。

★鯨文化:鯨を弔った鯨墓・鯨塚など

★日本の鯨文化:鯨に関わる伝説・逸話ー 佐賀県唐津市:夢、祟り-夢枕、祟り,
大宝山参り-佐賀県呼子町:夢,弁天島詣りー佐賀県:和尚 など


★日本の鯨文化:鯨に関わる伝説・逸話(2) 小川島・長崎くんち・「鯨の潮吹き」起源・鯨鯢供養塔 

★日本の鯨文化:鯨に関わる伝説・逸話(3) 佐賀県呼子:龍昌院建立の伝説


旧中尾家邸宅
呼子の旧鯨組主・中尾家の邸宅です。付近には似たような建物が残っていました。
 
旧中尾家邸宅、屋根が傷んだ為かシートをかぶっていました。間も無く整備されるようです。
 
旧中尾家邸宅の昔ながらの二階窓と格子戸?

小川嶋鯨鯢合戦にある旧中尾家鳥瞰図  資料:呼子鯨組

呼子の鯨に係わる神社
 
捕鯨関係者の信仰を集めた呼子八幡宮            天満神社
  
(左)呼子港を一望できる愛宕神社。
鯨組の妻達はここから夫・恋人?の船出を見送り安全・大漁を祈願しました。 
(右)愛宕神社の小川島捕鯨会社奉納の灯篭。
灯篭のてっ辺の犬?は立っていて非常に珍しい姿。
 
愛宕神社・ 大鈴の下の綱の飾り木奉納「浦方繁昌」、漁業・捕鯨の町の感じ。
 
   三神社                   三神社下の大綱引きの曲がりくねった綱
(この綱はマニラロープのようで鯨を捕る捕鯨船の元綱に似ていました。
捕鯨銛に付いたロープは細いロープから最も大きい元綱のマニラロープ
まで3段階で大きくなっています。潜ったシロナガスクジラなど大きい
クジラをウインチで徐々に捕鯨船に引き寄せるためのロープ似です。)

 
八幡宮の鳥居         八幡宮にある恵比須
 
八幡宮・鰐口 資料:呼子鯨組
  
   八幡宮・社額 資料:呼子鯨組 
 
八幡宮、観音坐像    坐像銘 資料:呼子鯨組
 
八幡宮 中尾甚六本殿寄進棟札:1786年  資料:呼子鯨組  
 
小川島田島神社の鯨組奉納鳥居  
呼子鯨組のトートバッグ&捕鯨資料
呼子町文化連盟さんに頂いた珍しいバック
   
呼子鯨組のトートバッグ。  デザインは旧中尾家鳥瞰図
   
作成:呼子町文化連盟、協力:呼子鯨組、小川島・島づくり事業実行委員会のパンフレット
   
中川家の万霊鯨鯢成仏塔。呼子君塚。資料:呼子鯨組
   
加部島の解体場。体長25b。多くの人が並んだ記念写真。昭和5年。資料:呼子鯨組
   
加部島にあがったセミクジラ。大正12年。資料:呼子鯨組
呼子の港内での廻仕式の珍しい写真。明治中期。資料:呼子鯨組
 
呼子町の歴史および捕鯨史年表(呼子町文化連盟)
唐津・呼子にあった恵比須様たち
大漁の神様、恵比須様は呼子の浜に、浦に点在しています。
また各家の庭には小さい祠があり祀ってあるのが見られました。
恵比須=鯨とも言われます。鯨が来ると魚が取れる、鯨が魚を
追い込んで大漁になる。怖れと共に幸をもたらす鯨さんでした。
 
神集島を見る唐津市側にあったきれいなカラーの恵比寿様と波乗り不動様。クジラに乗った恵比須様がある神集島。
神集島(かしわじま)では鯨大敷網(定置網:網長727b網巾245b)でむかし鯨を捕っていました。
 
神集島の「クジラに乗った恵比須様」。(資料:呼子鯨組・名護屋城博物館)  釣竿を持った恵比寿様
 
鯛をかごにいれた観音様。   呼子の浜にある恵比寿様
 
鯛を持った呼子の恵比寿様。    小川島の民宿クジラ支満付近の恵比須様。
名護屋城博物館及び捕鯨関連古文書
豊臣秀吉が朝鮮出兵のために作らせた名護屋城及び陣屋跡・ここに博物館があります。
2006年に第26回全国豊かな海づくり大会開催記念展「くじらといきる」西海捕鯨の歴史と文化ーを開催。
下記の資料:佐賀県立名護屋城博物館所蔵。
 
佐賀県立名護屋城博物館        名護屋城の説明図(展示資料)
 
(左)捕鯨絵図「小児の弄鯨一件の巻」:唐津藩士である木崎攸軒が安永2(1773)に描いた図説。
小川島漁場での捕鯨の様子を順序立てて詳細に描き、他の西海捕鯨図説にも影響を与えている。
これは「小川島及び周辺地図部分」のみの図です。きれいに描かれていました。

(右)「銃殺捕鯨日誌」:平戸や平島・宇久島など西海各地での捕鯨銃(ボンブランス)を用いて
捕獲した捕鯨記録。通過鯨を種類毎に何頭見て銃を何発撃って捕獲は何頭したかなど書かれて
いる貴重な資料です。捕獲率は数%とかなり低い。(資料:佐賀県立名護屋城博物館)
 
(左)「西海鯨鯢記」:1720年(享保5年)谷村友三著。日本最古の鯨事典、捕鯨産業の詳細を綴った書籍。

(右)「西遊旅譚」洋風画家・蘭学者の司馬江漢著、江戸時代(寛政6年刊:1794)江戸から長崎までを
往復したときの挿図を交えて記した旅日記。生月島系捕鯨図説。 資料:佐賀県立名護屋城博物館

  
(左)「鯨肉調味方」:くじらにくちょうみかた。鯨料理本。江戸時代(天保3(1832)年刊)
「勇魚取絵詞」の付録として刊行された。鯨の各部位ごとの調理方法を紹介している。鯨体
全部を食べている鯨食文化資料。たとえばオス・メスのシンボル・玉など

(右)2006年企画展「くじらといきる」西海捕鯨の歴史と文化。西海捕鯨が一目で分る冊子です。
資料:佐賀県立名護屋城博物館
 
玄界灘を望む「名護屋城天主台址」
  
ここにも鯨(鯱:シャチ)がいた。名護屋城「鯱鉾池」の図     現在もその形を留めた地形・道路
小川島の鯨見張小屋・鯨鯢供養塔・納屋場跡
 
小川島案内図。  田島神社、大納屋奉納の鳥居(後部鳥居)1768年。 

「小児の弄鯨一件の巻」に描かれている「鯨見小屋」
 
鯨見張所の小屋全景。  小屋の内部、捕鯨資料の写真等を展示。
 
鯨見張所入口。  海から見た鯨見張所の小屋(山頂やぐら横)
 
鯨鯢供養塔1863年。  鯨組深澤家墓所、鯨の墓とも言伝えがある。
 
石造観音坐像1689年。 鯨解体をしていた納屋場跡。
 
民宿クジラ支満。  納屋場跡地付近にあった恵比寿様、砂岩の為崩れかけている。
 
岸壁のクジラ絵、イルカもありました。 つりの人が多い。


加部島・呼子観光物産館
鯨の骨や歯で作った鯨類や絵巻物等が展示されていました。
 
物産館入口のマッコウクジラ(ゴンドウクジラかな?)      捕鯨絵巻
 
ふれたいこ            銛類
 
マッコウクジラの下顎・歯    捕鯨三会社名が入ったライフブイ
 
骨製シロナガスクジラ(多くの種類展示)    模型のろくろ(クジラの巻上げ等に使用)
 
展望台付近のくじら絵
加部島の捕鯨関連もの
 
加部島にある田島神社・鯨組奉納鳥居      田島神社の奉納灯篭
田島神社は小川島にも同名の神社があります。
 
大洋漁業捕鯨部の事務所があった建物(左写真)(場所:呼子側の田島神社の鳥居付近) 
 鯨解体場があった石垣の残骸(右写真)
当時、鯨の血が流れて海を汚すと捕鯨誘致が問題になった由。
 
加部島小学校の門柱・小川島捕鯨会社の寄贈
鯨屋のクジラ達
くじら専門店。塩くじら赤身、ベーコンスライス、べーコンブロック、 尾身、舌(さえずり)
、豆わた(腎臓)、歯ぐき、百尋(小腸)、胃袋などもあります。日本人は鯨を100%活用。
  
呼子朝市通り入口の「鯨屋」。  木で作られた置物のクジラ。鯨屋でゲット。             
   
クジラ食品 クジラ「タンシチュウ」   とクジラ「照煮」 。鯨屋でゲット。
   
クジラ食品 鯨「かつ」とクジラ「冷凍品」の数々、鯨屋。
   
鯨三昧。   クジラ加工食品の数々。鯨屋。
  
くじら丼 。鯨屋。
     
貯金箱と鯨おきもの等。    クジラ型の酒器。ミンクのヒゲ板など。鯨屋。
日本三大朝市で売っていた鯨
   
呼子朝市で見たくじら。 黒皮クジラとパックに入った塩皮クジラ
    
鯨赤肉のかたまり。  右は旅館で出た黒皮が入った煮物「美味しかった」です。
唐津焼(陶器)の渋いクジラ
陶器は石もの(磁器)と違い粘土で作られています。唐津焼は室町中期頃
(約600年前)渡来せる朝鮮陶工により竹割り式登り窯が築かれ「朝鮮唐津」
「斑」「皮鯨」の名をそのままに和寇ゆかりの地、鬼子嶽周辺で焼かれています。
(曹源窯のしおり)。    『皮鯨』とは、これ如何に?

唐津焼、曹源窯(小島直喜氏)の渋い色のクジラ。用途は水を入れる「水滴」です。
口と背中に孔が空いて水が出ます。大きさ:9cm。
 
唐津焼の背部分に小さい背ビレ     腹部分・畝の線がデザイン。種類はヒゲクジラ。なに鯨でしょう?
唐津くんちの鯱:  シャチも鯨です。
唐津の産土神である唐津大明神のおくんちの山車・曳山は1番〜14番まであります。
5番「鯛」と7番「飛龍」13番「鯱」が魚型をしており鯱と飛龍は見分け
がつかないくらいです。鯱の尻尾は「垂直」、飛龍は「水平」で頭に角がありました。
尻尾は実物とは逆です。龍や鯱は架空の生き物です。難しいことを云うのは止めにしよう?
  
(写真左)唐津くんち十三番曳山の鯱(シャチ)の壁掛け。「ひきやま姿掛」。曳山吉屋製。
(写真右真中) 鯱に似ている「飛龍」の置物、シャチとの見分け方は角と尻尾の角度、胸鰭、鱗くらい。 
私の故郷・福岡に「飛龍」という美味しい日本酒があります。
  
    唐津くんちのシャチのPOSTーCARD KATO URATA氏デザイン。   油絵POST-CARDは川野勝巳氏作
   
カラーの銚子(猪口付)に入った鯱酒・白黒の銚子(猪口付)の鯱酒
    
鯱のポスター。 唐津くんちのシャチをデザインした皮製携帯ストラップ。ストラップは手作り店頭で売っていました。
   
鯱の置物(大)玩具      と鯱の置物(中)・玩具