鉄砲でクジラを捕った



明治・大正時代から昭和初期にかけて鯨を捕るのに鉄砲が使われました。
火薬を使うことにより鯨に致命傷を与え、捕獲に要する時間が突取捕鯨より短縮
されました。
大正四年の小学校の教科書に『捕鯨船』と『捕鯨漁法』のことが書かれておりま
したのでご紹介します。

『捕鯨船』
『尋常小学読本』 巻十 第十八課 文部省(大正四年四月二十五日翻刻発行)

 昨夜の雨風は名殘なくをさまって、そよそよと吹く風に、海面はさヾ波を立ててゐる。
一隻の捕鯨船が今静かに波を切って進んで行く。見張人がマストの上から北の方を指ざ
して聲高く呼んだ。
「ブロー. ブロー. ブロー。」
 甲板に立ってゐた船長を始め、三十五人の若者はひとしく目を其の方向に向けた。
はるかのあなたに白い水煙が見える。
(捕鯨船の捕鯨図)

 船長の落ちついた力のこもった號令に、船ははや方向を轉じて、北へ向かって走る。
四五隻のボートは母船を離れて、我先にと漕いで行く。漕抜けた一隻は勇気をふるって、
見る内に一頭の鯨に近寄り、急處めがけて破裂矢をしかけた銛を打つ。小山の様な白
波が高くくだけて、夕立のやうに降散る。鯨の一群は影も形も見えなくなった。

 破裂矢は鯨の體内に深く食込んで破裂した。ボートは銛に附けた長いつなに引かれて、
或は右に或は左に引廻される。今にも沈むかと冷々する。鯨は再び浮上った。ボートは
つなをたぐって、又も鯨に近寄り、今度は銃を以て破裂矢を打込む。
 鯨は段々と弱って、泳ぐ力もなくなる。若者は長い劔を突通し、幾度となく抜いては又
突く。

 六七十尺の大鯨も今は全く息絶えて、水面に横たはる。流れ出る血に紅の波がたゞよふ。
 他のボートを見れば、今新に鯨を追ふものもあり、銛を打って鯨に引廻されてゐるもの
もある。あちらこちら入亂れて戰場のようである。さきのボートは鯨を引きながら母船
の方へ急ぐ。捕鯨は實に勇壯なものである。

 捕鯨法には此の外に汽船の備砲から銛を打つ方法もあり、又以前には鯨の通路に網を
張って銛を打つ方法などもあった。
 鯨は獣類中最も大きなもので、長さは十五間、即ち九十尺にも及ぶものも珍しくはない。
其の肉は食用となり、あぶらは機械油になり、ひげは細工物に使はれる。
 昔は大鯨一頭を捕へると、人口數百人の一村一箇月の生活費を支へ得ると言ったもので
ある。(注※字は成るべく旧字体をそのまま使用した)
                                     以上

補足説明:
注1)クジラには背ビレがあり、アゴの下に線状の畝があるのでヒゲクジラ類です。
注2)下図のモリは「破裂矢をしかけた銛(モリ)」です。棒の先にモリと短銃・破裂
   矢が描かれております。教科書の銛はT状に描かれており、T状では刺せません。
   絵の間違いと思われます。


(破裂矢をしかけた銛の拡大図)

この写真はTemple-Ironです。T状ではなくI状です。(勇魚文庫所蔵品)

注3)「ブロー」:クジラが汐(呼吸)を吹くこと。鯨を発見する目印となる。
注4)「破裂矢」:ボンブランスともいう。クジラに命中し鯨体内で爆発し致命
傷を与える矢状の弾丸のことです。「破裂矢をしかけた銛」=「ボンブランス手投
げ銛」
です。
注5)「汽船の備砲」:ノルウェー式捕鯨砲のこと。
注6)「網を張って銛を打つ方法」:日本独特の「網掛け突取捕鯨法」のこと。

上記のように教科書で、当時の捕鯨船や捕鯨法が子供達に教育されております。
もっと詳細に見て行きしょう。

『銃捕鯨』とは

 人が手で持って鯨を撃つ銃を「遊動型捕鯨銃」といい、銃(鉄砲)は船に固定しません。
 捕鯨銃の弾丸は50〜70センチの矢状で「破裂矢」(ボンブランス)といい、この破裂矢は
鯨体内で破裂するような仕掛けがされ、鯨に当れば致命傷を与えます。

 このような鯨の捕獲法を『銃捕鯨』と云います。
 この他に、漁具として鯨を沈ませない・逃さないために舟と鯨を連結するための銛と綱、
完全に止めを刺すために剣・槍などの漁具類が必要でした。


※一般には『銃(殺)捕鯨』といいます。
このページでは『銃捕鯨』という言葉を使い  いやな字(殺)は使わないことにしました。

『破裂矢をしかけた銛(モリ)』とは

 『銃捕鯨』の初期の段階では、突取捕鯨の「手投げ銛」の長柄の先に鉄製銛と破裂矢
を発射する短銃(短筒)をつけた銛が作られました。
 この銛を鯨に投げ、鯨に当れば短銃(短筒)が破裂矢(ボンブランスという)を発射、
体内で爆発するようにしました。このような銛を「ボンブランス手投げ銛」(ポスカン
銃)といいます。
 
『破裂矢をしかけた銛(モリ)』は『ボンブランス手投げ銛』・(『ポスカン銃』・
『ボスカン銃』?)・『投射銃』・『投げ鉄砲』・『Darting Gun(英名)』『Dart Gun』

とも云われました。
『投げ鉄砲』が分かりやすい!
※ 注「Darts(ダーツ)は投げ矢遊びのこと。羽のついた短い矢を的に投げて得点
を競う室内遊戯。」

『ボンブランス手投げ銛』についての説明:

 『アメリカ式の手投モリ捕鯨から、ノルウェー式捕鯨砲に移るまでの間、人々は色々
な工夫をしました。その中のひとつに手投モリの柄の先に別の飛び出しモリを装置し
たものを考えました。これは普通のモリが鯨に命中すると、その衝撃で爆薬が作動し、
飛出しモリが鯨の体の中に深くささって致命傷を与えるよう考えたものです。
(参考:東京海洋大学資料館)』


   『ボンブランス手投げ銛』(Darting Gunの構え)
(資料:Gifts-from-the-Whales)
 
    『ボンブランス手投げ銛』(Darting Gunの全体図)
 写真の左上部モリの先部は3本に分かれ、鉄製のモリ先部・ボンブランスを挿した
短銃(短筒)・細い当て金(ピストルでは引き金部)と後部の木製棒になっております。
 銛の先端は写真ではT状になっておりますが、木のピンで銛部をI状に固定し、鯨
体に刺さるとピンが取れてT状になり抜けないようにしております。
(http://antiquesandthearts.com/Antiques/AuctionWatch/2009-09-01__12-52-39.html)

 
↑『:Darting gun』 この写真では銛の先端は尖りI状です。
(資料:MYISTIC SEAPORTのTHE MUSEUM OF AMERICA AND 
SEA 展示品 )

 短銃から破裂矢(ボンブランス:Bomb Lance)が発射され、鯨の体内で爆発させる
ことにより捕獲時間が可なり短縮されました。
 日本にも輸入され千葉県・長崎県などで一時期このような銃は使用されました。
 今でも、アラスカで行われている原住民によるホッキョククジラ捕鯨には『ボンブラ
ンス手投げ銛』が使われております。

※(注)『投射銃(銛と爆裂矢とを併用したもの)』とも云われた。
     (資料:『国防と水産』山田忠一著:大澤築地書店刊:昭和18年刊)
    『投げ鉄砲(ダーティング・ガン)』とも云われた。
(資料:くろしお文化9「版画に見る中世鯨船(二)」:大村秀雄)

  破裂矢(ボンブランス:Bomb-lance)とは
 鉄砲で弾丸を発射し、鯨の体内で弾丸内の火薬が爆発して鯨に痛手を与える矢状
の弾丸のことです。
Bombは爆弾、Lanceは槍・ヤス。

ボンブランスは日本で
「破裂矢」「火矢」「爆裂弾」「爆裂矢」「破裂銛」「破裂槍」
「炸裂弾」「炸裂銛」「爆装銛」
    などとも云われました。
『破裂矢』はアメリカ人ロバート・アレンが1846年に発明しました。


破裂矢:ボンブランス:火矢     ダーツみたいな形です

「版画に見る中世鯨船(二)」

くろしお文庫に大村秀雄博士が面白い文章を書かれておりましたのでご紹介します。

 『アメリカ式捕鯨の場合にも飛び道具が使われている。ボンブランスとダーティン
グ・ガン(投げ鉄砲)である。
 ボンブランスは、本来は肩うち銃(ショルダー・ガン)から発射するものである。
ダーティング・ガンとは手投げ銛に銃身を装置し、銛を投げれば銃身も一緒に飛
んで行く。銛が鯨に命中すれば、連動装置によって銃身からボンブランスが発射さ
れる。その後で銃身を回収する。

 このようないわば文明の利器はグリーンランド・クジラの場合には使われた。
アメリカ捕鯨船は十九世紀の後半に入ると、アメリカ東岸から西岸に移って、サン
フランシスコが基地となった。
 ここを根拠とした捕鯨船は、夏はベーリング海峡を通って北氷洋にも入って、こ
こでグリーンランド・クジラを捕獲した。セミクジラやコククジラを捕獲したのも
この時代である。

 グリーンランド・クジラは大西洋のものと同じ種類であるが、これとは別系統の
ストックである。このクジラをとる場合は早く殺す必要があった。まごまごしてい
ると氷の下に潜ってしまうからです。そこでボンブランスやダーティング・ガンが
使われた。

 しかしながらマッコウクジラの場合は事情が異なっている。マッコウクジラは群
れをなしている。時間はかかっても静かに捕獲すれば何頭でも獲れる。鉄砲を使え
ば群れが散逸してしまう。

 彼等は経験的に、鯨が音に敏感であることを知っていたのであろう。この外に経
済上の問題もあり、それ以上に、おれの腕を見ろといったプライドがあったのであ
ろう。
 いずれにしてもマッコウを狙う場合は、鉄砲の類はあまり使わなかったようである』
(資料):くろしお文化9「版画に見る中世鯨船(二)」:大村秀雄
(財団法人鯨類研究所長 農学博士)(昭和54年8月:黒汐資料館発行)」

「捕鯨銃」(ショルダー・ガン)は「肩打ち銃」

銃を手で持ち肩に当て、鯨に狙いを定めて打つ「捕鯨銃」(ショルダー・ガン)です。
現在私たちが目にする猟銃(ライフル銃)の感じです。 
アメリカでは1846年頃から捕鯨銃(ショルダー・ガン)と破裂矢
(ボンブランス)が使われ、単に止めを刺すためだけに使われました。

1870年ころから「ボンブランス手投げ銛」(ダーティング・ガン)
が北極捕鯨に使用された。銛を打ち込んで長い間追尾していると氷
の下に潜水され追尾が出来なくなり、氷の下に潜る前に止めを刺す
必要から北極海で多く用いられました。アラスカのホッキョククジラ
を追う原住民捕鯨では現在もこの漁法で行われています。

アメリカで使われるのは死んでも浮くクジラである
「セミクジラ」「ホッキョククジラ」には銃砲捕鯨は効果的でした。
一方潜り沈むクジラにはあまり効果はありませんでした。


↑:捕鯨銃(ショルダーガン) ↑:破裂矢(ボンブランス)羽根がないタイプ

 「捕鯨銃」も鯨に命中すれば「破裂矢(ボンブランス)」が体内で破裂し致命傷を与
える仕組みは「ボンブランス手投げ銛」と同じです。
 銛が鯨体内で破裂し致命傷を与える仕掛けは今でもノルウェー式捕鯨法に引き継
がれております。
 日本では「ボンブランス手投げ銛(ポスカン銃)」と「捕鯨銃(ショルダー・ガン)」
は網掛け突取捕鯨時代(房総では突取捕鯨)にも併行して使用され、クジラの致死時
間を短縮するのに効果がありました。

(Shoulder gunでマッコウクジラに打つ 1852年頃(絵:Robert W Weil, Jr))(部分図)と(拡大図)

Shoulder gun:ショルダー・ガンは「捕鯨銃」「肩うち銃」「鉄砲」
「英名Whaling-gun」
とも云われました。
「肩うち銃」がわかり易い!

『The Whale Fishery』
捕鯨銃(Shoulder gunショルダー・ガン)を使った捕鯨絵図

捕鯨銃(Shoulder gunショルダー・ガンにbomblance)を使った捕鯨図

日本の『捕鯨銃による操業図』
長崎の「平戸の瀬戸」では銃捕鯨が昭和初期までつかわれました。


↑:『平戸瀬戸における銃捕鯨絵馬:明治時代(比売神社蔵)』
 この絵では捕鯨銃が描かれております。



↑:『各船ボスカン(ボンブランスガン)を持つ』
 ここではボスカンとボンブランスガンという言葉が使われており、捕鯨銃=ショ
ルダーガンのことのようです。
この絵では捕鯨銃の形(筒状)と構えが描かれている。ボスカンの語源はンブ
ランスガンからか? (資料:くろしお文化6) 

「鯨銃殺の景状」たたえらるべき三頭網代 長崎県漁業誌(明治29年発行)
 三頭網代とは平戸の瀬戸浦捕鯨のことをいい、1年にクジラが3頭しか取れない
漁場(網代)のことです。ボンブランスガンの使用により多く捕獲出来ました。
 ボンブランスガンは平戸で日本人の体力などにあうように改良されました。数百
人規模で行われていた網掛け突取捕鯨に比べて55人くらいで捕鯨ができ、年間6頭
くらいの捕獲でも経営は成り立ったと言われております。
(資料:くろしお文化6黒汐資料館)

  破裂矢・火矢・捕鯨銃の構造は


『捕鯨小銃 破裂矢(ボンブランス)の構造説明図』
 (森信義著平戸植松捕鯨組より)従来舶来品の鉄砲を使用していたが重量過大で使用
不便であった。その反動で銃手が倒れる危険もあった。明治26年にこれを改良、銃身
の台尻を短縮、銃身の厚さを減らし、全体重量を減らし便利さと安全を図った。
 又火矢の欠点も改良し爆発力もまし、捕獲も増えて年2〜11頭の成果となる。
明治5年、橘重彦氏が始めて銃捕鯨を実施したといわれる。
(資料:くろしお文化6:捕鯨特集(中):黒汐資料館))

同時にご覧下さい
★機能から見た銃砲捕鯨の違い


固定型砲捕鯨について
 砲を船体に設置、固定して捕鯨をする方法を「固定型砲捕鯨」といいます。
固定型砲にはグリーナー砲+ロープ付銛、米国式中砲、連装砲(3連・5連)、
現在のノルウェー式捕鯨砲+ロープ付爆発銛(爆装銛)などがあります。
教科書では「汽船につけた備砲」とも書かれております。

 グリーナー砲は主にモリを発射するだけで、破裂銛ではなかったので致命傷を与え
られませんでした。どうしても槍や剣で突き息のねを止めました。
ノルウェー式捕鯨砲が発明されてこれらの漁法は短期間で現在のノルウェー式捕鯨
にかわりました。

グリーナー砲
 グリーナー砲はアメリカではSwivel Guns(回転砲)と呼ばれ、ボートの船首に固
定し上下左右に動かすことが出来ました。1837年にイギリスのグリーナーが製作した
無炸裂銛を打ち出すタイプの捕鯨砲です。
 日本でもノルウェーから輸入し房総のツチクジラ捕鯨に使われました。
(資料:捕鯨砲からみた日本の捕鯨:生月町博物館・中園成生)


グリナー砲を使った捕鯨絵図・砲や綱が描かれている(萬祝着裾部分)房総地方のツチクジラ漁

グリナー砲の銛をデザインした萬祝着(襟部分)


参考資料:
『尋常小学読本』 巻十 第十八課 文部省(大正四年四月二十五日翻刻発行)
捕鯨砲からみた日本の捕鯨:生月町博物館・中園成生
くろしお文化6:捕鯨特集(中):黒汐資料館)
くろしお文化9「版画に見る中世鯨船(二)」:大村秀雄
(財団法人鯨類研究所長 農学博士)(昭和54年8月:黒汐資料館発行)
長崎県漁業誌(明治29年発行)
『国防と水産』山田忠一著:大澤築地書店刊:昭和18年刊
MYISTIC SEAPORTのTHE MUSEUM OF AMERICA AND SEA 展示品

ネット情報
Whaling Tools in the Nantucket Whaling Museum By Robert E. Hellman
http://www.coolantarctica.com/gallery/whales_whaling/0019.htm
http://www.whalingmuseum.org/library/whalecraft/whalecraft_index.html
http://antiquesandthearts.com/Antiques/AuctionWatch/2009-09-01__12-52-39.html 
http://americanhistory.si.edu/onthewater/exhibition/3_7.html