くじらさんのウタ(令和レイワ元年ガンネン追補ツイホ
 北海道 ■「アイヌの鯨祭のうた」 北海道  ■「アイヌのクジラマツウタ
浜へ鯨があがってきた フンボ エー フンベ・ヤンナ(フンボエ)、
行ってみようよ フンボ エー ベシタ・ヤンナ(フンボエ)、
浜へ大きな鯨が 白身の肉をどっさり背負って イン・カノ・ウタル(フンボエ)、
上ってきた フンボ エー サパ・イン・カル(フンボエ)。
行ってみようよ フンボ エー  チュウ)フンベは 鯨
海岸に打ち上げられる鯨は「寄り鯨」と呼ばれ、
丁寧にまつられてから貴重な食糧と された
チュウ)クジラさんの無形文化遺産 鳴き声は寄り鯨をいつも最初に発見するカラス。
http://www.catv296.ne.jp/~whale/sekai-isan-mukei.html その声を聞いて、「鯨が浜に上がったよ。
千葉・勝山カツヤマ ■「勝山の鯨唄」 (勝山カツヤマクミ  目のよい人たち、岬で見てきておくれ」と言いあう場面
やれ目出度のう うれしめでたの  http://www2s.biglobe.ne.jp/~koyukai/zupopo.html
ヤレ若松よナアエヤ ヤレ若松よナアエヤ
アア枝も栄える葉もしげる サア突いたしょ突いたかしょ  『クジラを演じる者が着物を頭からすっぽりかぶり横たわる。
ホイ槌鯨のこもつは 突いたかしょ そこへ盲目の老婆を演じる人が杖をつきながら登場する。
  今度突いたも(は) ヤレ勝山組よナアヤレ そしてクジラにつまずく。
  ヤレ勝山組よナアヤレ アア親もとるとる子もとるよ 老婆は何につまずいたか、手探りでその正体を知ろうとする。
サア突いたしょ突いたかしょ 沖のかごめに そしてその正体がクジラである事に気付き大声で部落の人たちに知らせる。
ヤレもの問えばナアヤレ ヤレもの問えばナアヤレ そこで部落のアイヌ達は背負い袋を持ってクジラの歌を歌いながら集まってくる。
アアつちは来る来る 明日も来る そしてクジラの肉を切り分けて背負い袋に入れる動作をする。
誰がさしたよ ヤレ枕箱ナアヤレ ヤレ枕箱ナアヤレ カラス演じるの人達もお相伴に預かろうと集まってくるがアイヌ達に追い払われる。
アア夜中夜中に目をさます (後略) カラスはアイヌ達が去った後、残った肉をついばみ飛び去る。
  後には抜け殻の着物だけが残される・・・。』
チュウ)鯨唄にある「祝いめでたの〜若松様よ♪」の若松様とは誰・ナニのこと ? http://midomidotacnet.blog.fc2.com/blog-entry-76.html
http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujira-iwaiuta.html
千葉・勝山カツヤマ ■「勝山の槌鯨」 [勝山カツヤマ刃刺ハザシオドリウタ」(内宿ウチジュククミ ■「勝山カツヤマ刃刺ハザシオドリウタ」(西海サイカイクジラウタ野本ノモトセイ宏著ヒロシチョP34)
うれし目出度の若松さまよナア (此時船中一同に)ヤアレ 若松さまよナア 今度コンドいたは、 ナカ宿シュクフネよ。・・・・(ウチ宿シュクか?)
インヤ枝も栄ゆる葉も茂る (一同のはやし)サアツイタカシヤウ オヤ子供コドモ(コクジラ)もるよ。
槌の子持ちをツイタカショ 沖の中へと やれハヤやのぼり、
   今度ついたも内宿組よナア 親もとる子もとるよ ノボクダりのツチ(ツチクジラ)をつ。
   長いかたなをからでも指すかそなたなるまいからかない オキカモメツチはとえば、
   おもしろいものヤアレ 笛の音ワナ さすが都の竹の根よ ツチるくる、コク(コクジラ)もる、
   知らで硯のヤアレ そばに寝てナア 身おば染たよ墨染に いたかいたかショ。
沖の渡(と)中にヤアレ や立て上り下りの船をまつ ツチ子持コモちをいたかショ。」
淀の川瀬のヤアレ 水車ナア たれをまつやらくると
何をなひくよ河端柳ナア 水の出ばなおなびきぞよ チュウオオクミシンクミ岩井イワイブクログミの3クミそれぞれ17,16,24セキ
何とさしたよヤアレ まくら箱ナア 夜中に眼をさます ケイ57セキ編成ヘンセイ記載キサイされている。
   こんど御ざらば持て来てたもれナア 伊豆の御山のなぎの葉
   ヤレおしこんだ 加知山浦へおしこんだ つちんぼのお金をかますにとりこんで
   おどらば拍子面白や三国一じゃ つち(槌鯨)をとりつんまいた(捕りしこと)
チュウ三国一サンゴクイチ世界一セカイイチ
千葉・勝山カツヤマ ■「勝山の土鯨」 千葉 チュウ)ここに5ケンの「勝山カツヤマクジラウタ」があるがスコしずつ
突いたかしょ突いたかしょ 土(ツチクジラ)のこまつ(子持コモち)や突いたかしょ  チガいがられる。トキナガれで色々イロイロ変化ヘンカがあるのが
嬉し目出度のヤレ若松様よナエヤ ヤーレ若松ヨナーエ 枝も栄える葉も繁る 「民謡」の特徴トクチョウでしょう。
アレヤー 突いたかしょ突いたかしょ ホイ土のこまつよ突いたかしょ チュウ)YouTube「2015安房勝山鯨唄 REDA舞神楽」
今度突いたも勝山組よ 親も捕る捕る子も捕ろよ ではオオきなクジラてきます。タノしくることができます。
沖の鴎にヤレもの問えば 土も来る来るやすも来る 千葉チバ船橋フナバシのグループだそうです。
千葉・岩井イワイブクロ ■「岩井袋の槌鯨」 千葉
咲て見事な岩山つつじ 植て咲かせてさまにやる
おしま原からよせてくるつちを 二十余隻秦士かさしてとる
をまい百までわしゃ九十九まで 友に白髪のはいるまで
船が新造で櫓かいが新木沖のつちんぼかよりかかる
   中をいわいて門に立つ これも酒屋の杉はやし
   お前十七はしゃ寅の年 詣る薬師も寅薬師
お山づでんどいをなる神は ここわくわばら四方まさる
沖の瀬の七瀬あはび 海士がとらねば瀬てくちる
   傘をわすれた駿河の茶屋へ 空がくもりておもい出す
   沖の渡中の三本竹 しほにもまれて葉がよれる 
チュウ)ずでんどんはカミナリオト
静岡 ■「突ン棒」  ■〈鯨突唄〉がネット情報ジョウホウにありました。
何と咲いたよ エー枕箱 ゝ 目覚めに目を覚ます 「りゅうそうもやいでェー波勝の沖で つちをついたとまねを出す 
サー突いたかじょう ゝ チョイとツチの子持を突いたかじょう サアツイタカジャウ ツイタカジャウ 
土肥の地組で エー追せておいて ゝ 戸田の嵐を吹いて通る  ホリャつちのこもちをツイタカジャウ
サー突いたかじょう ゝ ホイ ツチの子持を突いたかじょう 今度ついたのはェーやそべいが組か四郎左が組か 
(中略) 親もとるとる子もとると サアツイタカジャウ ツイタカジャウ 
イエエンゆごとしんみず何から先よ アエーンエーンサッサ ホリャつちのこもちをツイタカジャウ
まくら咲いて誠に鯨突く エー目出度のヤァ 土肥の地組でェー追わせておいて 戸田の嵐で吹いてとると
いわか枝もオーンヤラーン   サアツイタカジャウ ツイタカジャウ 
ホリャつちのこもちをツイタカジャウ」
資料シリョウ:https://www.shiz-bunka.com/pages/child_detail004
ふじのくに文化情報
〈つち〉は、ツチクジラのこと。
〈まね〉は、船上で揚げる信号旗のこと。
三重ミエ ■「鯨取船明神丸の唄」 三重  
[流し唄]
(前唄)
エェーヘェーヘェーヘェーエェーエ―― イヘーエ――ヘェー
エェーイ――ヘェー エ――ヘエーヘー
エ――サ――アー サーヨォシテーヨォシテ
(本唄)
今年ゃ世が良て穂に穂が咲いた
アー 枡はさて置いて箕で計る ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
吹けよ西風上がれよヒシコ
アー 上がりゃ四日市の浜で捕る ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
吉田通れば二階から招く
アー しかも鹿子の振袖じゃ ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
躑躅(つつじ)椿は山坂照らす
アー 鰯ゃ四日市の浜を照らす ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
沖のカモメに潮時問えば
アー 私ゃ発つ鳥波に問え ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
太鼓叩きはどなたで御座る
アー あれは富田の清助じゃ ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
宮の熱田のならずの梅は
アー 花は咲いても 実はならず ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
宮の熱田の二十五丁橋は
アー 誰が掛けたか知らぬ間に ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
鳥羽はよいとこ朝日をうけて
アー 七つ下がれば女郎がでる ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
鳥羽のセンスイ錨はいらぬ
アー 三味や太鼓で船つなぐ ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
〜以下略〜
[役唄]
安芸の宮島 廻れば七里
アァ 浦は七浦 ノホホイホイ 七恵比寿 お目出度や
[突唄]
沖のカモメに 鯨はと問えば
サァ 鯨が来る来る ノホホイホイ 後へ来る お目出度
ヤッソレー
イヤッサー ソレジャイナーエー
イヤッサー ヨイトコショーエー
[役唄]
お諏訪前で 鯨を突いた
サァ これもお諏訪の ノホホイホイ 御利生かや お目出度や 資料シリョウ:Wikipedia)
[役唄]
うれし目出度の 若松さまは
アァ 枝も栄えて ノホホイホイ 葉も茂る お目出度や
[役唄]
うれし目出度で 詣れば渡る
アァ 伊勢の大淀の ノホホイホイ 宇治橋や お目出度や
[梶直し唄]
これで妻子も諸共に
ア− 珠を持って 遊べ ヤッサ それじゃ 治まのぉー
アー エートー  シャーントーセイ
ソレジャー ヤーサ シャーントーセイ 
[梶直し後唄]
弥栄(いやさか) 子孫の家の ホーイノホーイ
アァソーレイ
[梶直し後唄]
伊勢の間の山を通ればヨォ
ア− お杉やお玉  ヤッサ 治まる御代ヤトーセ 
南納屋町 鯨船 明神丸 船唄 <昭和32年収録>
http://www.catv296.ne.jp/~whale/katuo-iwasi-kujira-naniterasu.html
大阪オオサカサカイ ■「堺出島浜くじら音頭」(鯨踊り音頭) 大阪   
波の花咲く(コラセ) かすみの海でさ 沖で鯨が しおを吹く(マカセ) チュウ小高コダカは「古座コザ」、たいじは「太地タイジ」、宮崎ミヤザキは「三輪ミワザキ
沖に見えるが(コラセ) 鯨の船か 小高か たいじか 宮崎か(マカセ) との解釈カイシャクもある。
(歴史と文化探訪:日本人とくじら・小松正之著)
大阪オオサカサカイ ■「くじら音頭」 (堺出島浜伝承唄) 
堺住吉(コラセ) 三社か四社かさ 表三社で 裏と四社(マカセ)
四社の前でと(コラセ) 扇をひろめ(ママ) 扇めでたや 末はんじょう(マカセ)
鯨とろとて(コラセ)綱まですいて くじら熊野へ みなかえる(マカセ)
出島浜にて(コラセ) 鯨がとれて 今はうれしや 宮詣り(マカセ)
堺あんりゅう町(コラセ) 浪花の松は 天に押されて 地で開く(マカセ)
沖に見えるは(コラセ) 鯨の船か 小高か たいじか宮崎か(マカセ) チュウ小高コダカは「古座コザ」、たいじは「太地タイジ」、宮崎ミヤザキは「三輪ミワザキ
前のろくろは(コラセ) かがすをはえて 鯨まくまで ひまがいる(マカセ) との解釈カイシャクもある。
目出度目出度の(コラセ) 若松さまよ 枝も栄えて 葉も茂る(マカセ) (歴史と文化探訪:日本人とくじら・小松正之著)
あきの宮島(コラセ) まわれば七里 浦は七浦 七えびす(マカセ)
http://www.catv296.ne.jp/~whale/goods-in-nagato1.files/image055.png
沖のかもめに(コラセ)潮時とえば 私や立つ鳥 波にとえ(マカセ)
沖のとなかの(コラセ) 三本竹よ うまづ(ママ)竹かや 子が出来ず(マカセ)
うまずだけでは(コラセ) わしやなけれど 潮にもまれて 子がさかぬ(マカセ)
とろりとろりと(コラセ) 船漕ぎ立てて 春は詣ろや 伊勢さまに(マカセ)
堺住吉 名所がござる(コラセ) 角(かく)の鳥居に それ橋か(マカセ)
和歌の浦には(コラセ) 名所がござる 一にごんげん 二に玉つ島(マカセ)
つつじ椿は 野山を照らす(コラセ) せみの子持ちは 村照らす(マカセ)
さがみ(相模)横山(コラセ) てるての媛は つまの小栗と 二度添える(マカセ)
播州高砂(コラセ) 尾上の松は 枝も栄えて 葉も茂る(マカセ)
ひい(比井)のからこ(唐子)の(コラセ) 中手(かて)の磯は 根からはえたか 浮島か(マカセ)
沖に見えるは(コラセ) 鯨の山か こざかたいぢか みやざきか(マカセ)
沖に見えるは(コラセ) 鯨の山か 陸へのぼせば 黄金山(マカセ)
堺出島の(コラセ) 船持(神社)さまは 出船入船 お守りなさる(コラセ)
竹になりたや(コラセ) お江戸の竹に お江戸御番所の とゆ竹に(マカセ)
えびす大黒(コラセ) いずみの国のさ 西と東の 守り神(マカセ)
浪の花咲く(コラセ) かすみの海で 沖で鯨が 潮を吹く(マカセ)
  [鯨のもりつきのかけ声。歌詞五番ごとに入れていく]
   一国二国三国一の大せみ
   取りすまして よいよーい よや よや やあやあやー
   やよせ やよせ やれつけや 
      <鎌苅一身『堺出島浜・鯨まつり−堺泉州三大奇祭−』
           (『堺泉州19号』堺泉州出版会)>
[かつお・いわし・くじらは何照らす!]
http://www.catv296.ne.jp/~whale/katuo-iwasi-kujira-naniterasu.html
高知コウチ土佐トサ ■「鯨舟の歌」 高知 大宴ダイエン の説明セツメイ
三国一ぢゃ 子持取りすました   フナオロし ハツギョ 初詣ハツモウデ 1ガツ二日フツカハツシキ ハラ捕獲ホカク 
でかしたでかした 明日はでかした   背美鯨の捕獲 大漁祝
大きな大背美を捕った
   嬉し目出度の思ふこたかな 上記ジョウキ大宴ダイエンいてはスベての幹部カンブ一堂イチドウカイしてオコナうのであす。
   いやとったりや ともさで 上席ジョウセキウラナむるは役職員ヤクショクインであって、いで、シロフネアカフネ納屋ナヤブネ
   末は鶴亀 五葉松 樽番船のハネユビそれにツヅいて山見ヤマミカシラ解剖カイボウカシライキオフネアミブネ
重ね取りよする 浮津浦組 トウサシ全員ゼンインオヨカクヤク々の首脳シュノウシャ既定キテイ順位ジュンイによってシュセキ
いやとったりや ともさで します。
親も取りそへ 子もそへて 総裁ソウサイサカズキり、シロフネオキハイします。シロフネコレアカブネに、
   今日も背美取る 明日も取る 以下イカジュンワタるのです。
   いやとったりや ともさで アト各々オノオノ自由ジユウ献酬ケンシュウウツります。シャクりは壮年ソウネン男子ダンシばかりで
   明後日は旦那で 金かける あってケッして婦女フジョマジえません。
三国一ぢゃ 子持取りすました ウタゲタケナワなるにイタれば、総裁ソウサイ七合ナナゴウ一升イッショウオオサカズキ
でかしたでかした 明日はでかした タマう。シロフネオキハイ酒席シュセキ高潮コウチョウタッした時刻ジコク見計ミハカラい、太鼓タイコガタ
大きな大背美を捕った に命令します。
   いや組の栄は 久方の子持連魚を 太鼓タイコガタムチモッ三回サンカイつ。それを合図アイズ全員ゼンインナオし、
   日々に来て 押し寄せて 寄せて 酌取りはベツシツサガればシロフネオキハイ音頭オンドにつれてツギケイぐる
   突き取るはざしかこ 何時迄も何時迄も 如き歌を唄います。
   旦那栄える 浦屋もにぎはうかな浮津浦  (以下略)
アルイ一斉イッセイソウハダぎ、アルイフタげて相和アイワマコト勇壮ユウソウ
高知コウチ土佐トサ ■「鯨舟の唄」 高知  してフルミヤビオモムキがあります。ウタわれば全員ゼンイン一斉イッセイ退席タイセキ
三国一じゃ子持ち捕り済ました アでかしたでかした して一人ヒトリ残留ザンリュウするものがありません。
ソリャ明日はでかした ア大きな大背美をとった だが一歩イッポ門外モンガイればショカレショってタオれるモノが夥しい。
ソリャオン和歌の ア大浦から アヨーイ ア焦がれて来 ソリァ来たか シカ古来コライ捕鯨ホゲイテイ内にオイタオれるモノ一人ヒトリもいないということ
アソレモエーンエーンエーンエー アヨーイ です。これをってしても如何イカ規律キリツ厳重ゲンジュウであったかを推知スイチ
ア様は嬉しゅや アヨーイ アもろ共に 嬉し目出度の ア若松様よナー するコトができましょう。
ア枝もヨー ソリャ 栄える ア葉も茂る この宴席エンセキオイては流行リュウコウウタ一切イッサイ🈮ラわないきまりでした。
ソーリャ枝もナーヨーシ ア枝もヨー ソリャ 栄える ア葉も茂る 資料シリョウ勇魚イサナウタ 編集ヘンシュウ立石タテイシ陽一ヨウイチ
イヤ旦那様の鯨舟 ソリァ浮津の甚五郎が造りたや http://www.catv296.ne.jp/~whale/iwaiutanimiru-kakutiiki-kannren-zenbu.html
突き候背美のソリァ 子持ち突き候エ 「室戸:鯨船の歌 捕鯨唄(三国)」
イア旦那様の神楽さん ソリァ如何なる日を見て据えたやら をごランください
捲き候背美のソリァ 子持ち捲き候エ
イア旦那様の油納屋 ソリァ如何なる日を見て建てたやら ■「ヲカンセツ
練り候背美のソリァ 子持ち練り候エ ウレ目出度メデタ若松様ワカマツサマエダサカえるシゲ
イヤ鉢巻鉢巻 茜鉢巻ゃ浮津浦組よナー ソリャ ツヅツヅけよスエまでツヅスエ鶴亀ツルカメ五葉ゴヨウマツ
親も獲り添え ア子も添えてオモシロイ ソリャヨーカロ 今日キョウるいよ明日アス
ソリャ大背美は 舟に寄りかかる寄りかかる 明後日ミョウゴニチ(あさちゃ)旦那ダンナカネける
ヤあわの中のひよどり エイヤシャリシャリシャリソリァ 明日アスはよいぞえオキまでじゃ
一国二国三国一じゃ子持ち捕り済ました やらぬマエ網代アジロでもやい
ア三国一じゃ子持ち捕り済ました
高知コウチ土佐トサ ■「三国」 高知  ■「ヘッコラショセツ
三国一ぢゃ子持獲りょすました ヌノウエヤマにゃマネ
でかしたさア でかしたさア マエ網代アジロでもやいる ヘッコラショクワシチョケナアー
あすはでかした大けな大たろ大獲りぢゃ マエのろくろにツナくりはえて
祝えごりょしょにまず背美獲ろや オオ背美セミくのにゃヒマもない ヘッコラショクワシチョケナアー
これも祝いのごりょしょかぇ 熊野クマノミサキイソげよオオ背美セミ
重ね獲りょする津呂浦の組 土佐トサ室戸ムロトトドまる  ヘッコラショクワシチョケナアー
親も獲りそえ子もそえて ヤマえたぞ捕鯨ホゲイマエ
前の轆轤(ろくろ)へカガスをはえて あれはクジラじゃヤマじゃない   ヘッコラショクワシチョケナアー
子持ょ巻くのにひまがない くなワカれにゃまだハヤ
そりゃまた一ぢゃ子持獲りょすました フネ合図アイズにゃトリがなく     ヘッコラショクワシチョケナアー
でかしたさアでかしたさア
あすは大けな大たろ大獲りぢゃ
高知コウチ土佐トサ ■「和歌」 高知 ■「組の栄え」 高知 
そりゃアわかへくる時ゃえりかけござれ 組の栄えはひらかたの
わかの女郎すはえりにつく 子持つれ魚(いお)日々にきて 押寄せて
亀が舞する鶴たつ島に かけて突き獲る羽差舟子
お宮詣りの下戸(げこ)の祝(しゅく) 右は彼の津呂組それまた一ぢゃ
たけになりたやお山のたけに 子持獲りょすました
旦那栄えるしるしなり 明日はでかしたでかしたさア
大きな大たろ大獲りぢゃ 
 
ヤマクチ 長門市ナガトシ カヨイ 今年コトシコウ 無形ムケイ民俗ミンゾク文化財ブンカザイ カヨクジラウタ
今年コトシシアワせ サア オモうこんこうたあカノウうた  カヨイウラ沿岸エンガンではフルくからクジラりがオコナわれていたが、延宝エンポウ年間ネンカン(1673〜80)
                  アアヨイヤサー カヨイウラ住民ジュウミン組織ソシキした「クジラクミ」が創業ソウギョウして以来イライハギハン積極的セッキョクテキ保護ホゴ
スエはつるカメ 五葉ゴヨウマツ のもとで藩政ハンセイ時代ジダイツウじて、瀬戸崎セトザキ川尻カワジリウラとともに、長州藩チョウシュウハン捕鯨ホゲイ基地キチ
さても利生リショウなサアー住吉スミヨシサマ として繁栄ハンエイした。
                      サアヨイヤサ カヨイクジラウタは、明治メイジ以後イゴ幾多イクタ変遷ヘンセンながら明治メイジ40ネン(1909)まで存続ソンゾク
氏子ウジコサカえるめでたさよ したが、カヨイウラ漁民ギョミンは、自分達ジブンタチ先祖センゾ栄光エイコウ歴史レキシめたこのクジラウタホコ
タケになりたや サア 薬師ヤクシタケ モッ現在ゲンザイまでもウタぎ、地区チク住民ジュウミンナカフカろしている。
うらはひごタケ サア はダン だいのタケ クジラウタは、捕鯨ホゲイ納屋ナヤ作業サギョウ宴席エンセキウタわれた労働ロウドウウタであり
ソリャソリャ いちじゃいの イワイウタであった。
またいちじゃいの
ナカサカえる しるしタケ 藩政ハンセイには正月ショウガツ元旦ガンタン住吉スミヨシ神社ジンジャ拝殿ハイデンウタめる儀式ギシキウタでもあったが
             ヨカホーエ 現在ゲンザイでは、もっぱら祝儀シュウギウタとして、結婚式ケッコンシキ上棟式ジョウトウシキフネおろしナド宴席エンセキ
ウタわれる習慣シュウカンとなり、しかも、その場合バアイ一座イチザ長老チョウロウがまずウタってから
ヤマクチ 長門市ナガトシ カヨイ ■「あのサカズキに」 モノウタうというほどの格式カクシキっている。
あのサカズキハナく ハナもや ウタ態様タイヨウは、クジラ太鼓タイコ太鼓タイコ二基ニキ中心チュウシン円座エンザをつくり、アタマアカ
こがねのハナ七重ナナエく ハナもや 鉢巻をしめ、両手リョウテをするわせながら、合掌ガッショウするカタチウタう。
しのミズコエサケのばや 歌詞カシ多様タヨウ西海サイカイ方面ホウメン方言ホウゲン混入コンニュウしていて、交流コウリュウ一端イッタン
さいとりさせばよいよあしさしなべ うかがわれる。
キミサマのおクミフネ
えにたてて イワ目出度メデタオオウタ一番イチバン
波風ナミカゼシズかに フネをとおりソウロウ さても見事ミゴトな(オオウタ二番ニバン
                 ヨカホエ ユメようよ(オオウタ三番サンバン
今年コトシコウ
■みしまクジラ アサのめざめ
みしまクジラダレがかけそめた あのサカズキ
クミ親爺オヤジがかけそめた 以上イジョウ資料シリョウ勇魚イサナウタ 収集シュウシュウ編集ヘンシュウ 立石タテイシ陽一ヨウイチ
ミズみたやおさんのから
カオのえくぼのたまりミズ
オビになりたやおさんのオビ
ひるはホソオビ(ほそこし)じゅるりと〆て
ヨルはとかれて添寝ソイネする ヨカホエ
佐賀サガ 呼子ヨブコ ■「鯨納屋石搗歌(くじらなやいしつきうた)」 佐賀 呼子ヨブコ捕鯨ホゲイ歴史レキシ
松に花さく萬代かけて  文禄ブンロク年間ネンカン(1592〜95)に当時トウジ唐津カラツ藩主ハンシュ寺沢テラサワ志摩シマカミ
上下万みん五常の道を 紀州キシュウクマナダから漁夫ギョフヤトってホウ捕鯨ホゲイオコナわせた
まもるめぐみで幾久しくも ことからハジまり、江戸期エドキ隆盛リュウセイキワめたといわれる西海サイカイ地方チホウ
つヾくつくしの名も立なみの 捕鯨ホゲイ嘉永カエイ六年ロクネン(1853ネン浦賀ウラガへのペリー来航ライコウ象徴ショウチョウ
松浦がたとやひれふる山に  されるように、当時トウジ外国ガイコク捕鯨ホゲイセン日本ニホンカイ近海キンカイ
残るくもりのはれ行方ハ  さかんに操業ソウギョウハジめており、日本ニホン各地カクチクジラクミオオきな
虹のまつ原其かたわらに  打撃ダゲキをこうむることになる。クワえて、明治メイジ四年ヨネン廃藩置県ハイハンチケン
しづが里とて賑ふ町に でそれまでクジラグミけていたハン庇護ヒゴがなくなると、
萬はかりし桝屋といふて  資本シホンリョクたない個人コジン経営ケイエイクジラクミはいっきに衰退スイタイへと
数代栄華のえだ葉もさかへ 追いやられた。
質屋酒やに寿命を延す  小川オガワジマ捕鯨ホゲイ拠点キョテンとし、呼子ヨブコ居宅キョタクカマえて八代ハチダイ
薬し辺々売広まりて わたり操業ソウギョウクジラ大尽ダイジンをほしいままににした中尾ナカオクミ
諸事の小ま物おみせがあまた 八代目ハチダイメ中尾ナカオ甚六ジンロク中尾家ナカオケ代々ダイダイ甚六ジンロク襲名シュウメイ)は明治メイジ七年ナナネン
物のうりかひ出入もあまた 佐賀県サガケンチョウ捕鯨ホゲイ免許メンキョ申請シンセイオコナって、小川オガワジマ人々ヒトビト
心廣川利兵衛さんな    共同キョウドウ捕鯨ホゲイたろうとしたが、ついに体制タイセイナオ
何に不足もなさおりからに ことはできず、正徳ショウトクネンカン(1711〜15)依頼イライクジラグミ
君の御用て筑前の守    歴史レキシじることとなる。
兼て長崎御預りで (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
諸士のおともで唐おらんだと
立に行きの御とまりじく センコシイワイウタ
三のちゃやともなる家がらの アーヨイヤサー
数年御宿のこんいと成て 利生リショウオン明日アスから
あひの名物玉嶋川の    オオグン(がち)ろうよ
清きながれのわたしばなれど これも氏神ウジガミさんのダイ利生リショウかな
汐のみちひにふねふつがふと アーヨイヤサー
桝屋一ッ手のちぞふのはしを 氏神ウジガミ利生リショウ明日アスから
かけて近来御通りあれバ オオグン(がち)ろうよ
上下揃ておんよろこびの これも恵比寿エビスさんの大御利生かな 
桝屋気どくの御ほうびとして アーヨイヤサー   (注:恵比寿 恵美須の違いあり)
今度ちくぜんかねざき沖に  恵美須エビス利生リショウ明日アシタから
うをの道筋かじめの嶋へ   大群(がち)獲ろうよ
なやのしぐみを下さる比ハ  これも恵比寿さんの大御利生かな
天保十一子の初春に     アーヨイヤサー
福を道行大こく天の 稲荷イナリ利生リショウ明日アシタから
あたえ成かやこわありがたや 大群(がち)獲ろうよ
うんき桝やの利兵衛さんな  これも旦那ダンナさんの利生リショウかな
時にあふぎの末廣川と アーヨイヤサー
成てあをがんかなめが大事
徳者中まにはなされけれバ  山見ヤマミ利生リショウ明日アシタから
我も我も打祝で 大群(がち)獲ろうよ
鶴のすごもる一本杉屋    これも旦那ダンナさんのダイ利生リショウかな
かじめ仕出の咄のねつに   旦那ダンナ利生リショウ明日アシタから
すヾもなまりもみな打とけて 大群(がち)獲ろうよ
和合はなしのおふなや小なや これもワカシュウダイ利生リショウかな
受つなかしつ質屋の出合 しぢゃいなーンマ しじゃいな
なれど新きのしだしの事で  イワうて今年コトシシアワせよかろうよ
金も諸方に銀仕を見立 ヨヨーイ ヨヨーイ ヨヨーイ ヨーヨヨーイ
思ひ思ひに手くばりなさる (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
時にしたつる船材木ハ
日向仕出しの五そふのうわに ■ろくろウタ
虹の浜べにみな買上て ヤーレいた ヤーレいた
私領御料の木引をあつめ 糸屋イトヤネエさん ヤーレいた
我も我も夜ハ日に次で いてとるのが 糸屋イトヤアネさん
引やはまさき手くりの伝へ (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
四十八うらの船大工しに
わけて願もいそぎの事で ■ろこぎウタ
呼子名古屋にかた嶋掛て   アーせやせ押せ船頭センドウさんもかこもよ
くみになれたるえり人斗り  せばミヤコが ノーヤレコノ チカくなるよ
よせもよせたる三百余り   アーハヤナオさなきゃ 市場イチバがしまるよ
ひごそかひあげ上ずにかけて 市場イチバしまればノーヤレコノダレタヨるよ
もっそかけあみ引船のつな  (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
くじらまきどふつり掛かがす
かじわもり早けん打上る   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小だま小だまがあらいそなみの
音にまさりてさも賑かに
つくりならぶるうらはま伝へ
いろは印の新ぞふ受て   
萬小道具早つみ込みて
船のおやじは水主船頭を   ヒダリからツヅく)
見立見立てわけ渡しけり
国のならいで物やわらかに
風をまてどもおりあしけれパ くじらあいさつこちやたいがたく
雨天つヾいて出船もならす 付つまわしつ取物類を
おなじ所にまむしの神や ゆだんさんすなかんだら心  
すわのみやなる神主様へ   しめつゆるめつ嶋役人ハ
右の次方をかたられけれバ 廣き所に屋敷を見立
ちかく川上鏡にたしま    渡し玉へバ地わりをいたす
唐津明神うきだけ山へ    むねも落付石搗おんど    
気勢(お)いかへれバあらたなことハ 伊勢ハ津で持津ハ伊勢でもつ 
そらにくまなき日ハ清(すが)々と 古歌をまなんでかりほのいほの
四海浪風おさまる冬の 苫のあら吹露霜よけて
中の月末日をあらたまの 住しかりがね田毎の月も   
こよみひらけバ其日も天しや 見ずに汐吹くじらをにらむ
よろずよしよし船押出す 船は白嶋山家のみ崎
白ほまきあげせみ口しめて 思ひ思ひにかじめの嶋へ   
四十八そふおい手にまかせ  かよふ千鳥の声山からも
鳥もおそるゝげん海なだを  ざいを振立ふり込方え    
風にならんで行勢ひハ 右も左りも早追船の     
むかし源平船いくさより 浪の龍田はもみじがてらす  
まして気づよく乗り出しけり 蝉の子持はかじめをてらす  
浪の高嶋打こし見れパ    次の長すハざ頭の手引    
神集嶋とやさよひめ嶋    沖のかもめか親鳥こ鳥    
いわれ咄しぞあら面白や   続く大雨とのがたまでも
けやの大戸ハはひして通る  なやのしかふを見物せんと
みさきかわれバ心もゆるみ  思ひ思ひに大樽小樽     
船にそなえし御酒ひろめんと つめる油が千丁余り
たんなたんなはなだ酒出て せじる火の手が雲井を照   
さへつおきへつ呑相の嶋   富士や朝間のけぶりも今ハ  
木でも竹でも引のこの嶋   およぱざけり心の内ハ    
はるかへだてゝかのだざいふや 日本取てもとよとみ公ハ   
玉の箱崎心で拝す       武士の名正三国一と     
次に古(いに)しへ神代のむかし 角力附でも大関成が     
いこくたひじのなされし時の  それにまさりて日本のくじら
一千の御宝ひみつの玉を 取てたらぬとせけんのうわさ
おさめおかれし此鹿の嶋    深山からすも鵜のまねすれバ
今にいたりて龍神祭り 水におぽるゝ古人の言葉
残し置れし船物語り 仇にこぽすな廣川の水
風がよけれバほどまぢかくも せくなせきゃるな浮世ハ車
船の掛りもよき地の嶋へ    まわり大がね千万両も
ついていろはの印を立る    のぞみますやがすき八合で
水主も船頭も心のいかり    わたり兼ても心にとかき
とんとおろして問屋に上り 引てかん定大つもごりの   
旦那旦那に附船頭や 明て目出たきみ箱に玉の
親父手付に水主はさしまで   三つの朝日もかヾやくよふに
思ひ思ひの地走の末に     今年ばかりかまた来年も
うちのよめかゝ隣のむすめ もふけ重ねてほふらひ山と  
客にむかふてようこらさった 庭に鶴亀まいあそびける 
ミギへ)
長崎ナガサキ壱岐イキ勝本カツモト 「納屋手歌」(なやてうた) 長崎  田浦タウラクジラグミ納屋ナヤウタ  
夫組(そのくみ)は 冬組春浦(ふゆぐみはるうら) 勢美(せみ)座頭(ざとう) チュウクジラグミ捕鯨ホゲイ基地キチフクめた詳細ショウサイべられている。
長須(ながす)児鯨(こくじら)花出しや
子持連魚(こもちれんぎょ)白長須(しろながす) 田浦タウラクジラグミ納屋ナヤウタ内容ナイヨウ
勢子持(せこもち)に立羽立(たちはたつ)        (チュウ狭子持の資料もある) ゲイシュ漁期ギョキ大小ダイショウ区分クブンクジラ部位ブイ、すべて活用カツヨウ
七尋物(ななひろもの)に雑物(ざつぶつ)や 扨(さて)名所は数多しチュウ;扱名所の資料もある) クジラグミ事務ジムショ担当タントウ部署ブショ仕事シゴト内容ナイヨウ泥棒ドロボウ見張ミハりまで、
觜(はし)囀(さえずり)に山臚(さんりょ?) フネゴト乗組員ノリクミイン役割ヤクワリ山見ヤマミというクジラ発見ハッケン場所バショ
衣(ころも)黒皮(くろかわ)敷(しき)胴身(どうみ) 捕鯨ホゲイモリ種類シュルイリョウ模様モヨウモリ順番ジュンバン手柄テガラまで
赤身(あかみ)臓(はらわた)骨(ほね)筋(すじ)髭(ひげ)や クジラ曳航エイコウ、その模様モヨウ
立羽(たっぱ)尾刷毛(おばいけ)とう[*革ヘンに「堂」]握(にぎ)り 解剖カイボウハマ状況ジョウキョウ事務ジムショ工場コウジョウ倉庫ソウコ 加工カコウ工程コウテイ道具ドウグ工場コウジョウ
唯輪(?)たけりに貝(かい)の元(もと)から肝(きも)までも捨(すて)りなし フネ道具ドウグ用具ヨウグルイ説明セツメイハタラ人々ヒトビト内容ナイヨウ
旦那(だんな)手代(てだい)に別当役(べっとうやく) ニギやかさなどがウタいこまれている。
帳役(ちょうやく)若衆見習(わかしゅうみならい)は
勘太郎(かんたろう)追(おい)を最初也(さいしょなり)
親父(おやじ)役人(やくにん)惣支配(そうしはい)
勢子(せこ)の羽指(はざし)に持双(もっそう)や 流し沖番水主(かこ)の者
舳押双海(へおしそうかい)行列は 山見(やまみ)注進(ちゅうしん)天秤(てんびん)と
麾(き)の模様に 依(より)そかし          チュウ:「勢子(せこ)が「責子」の字もある)。
手柄仕勝(てがらしがち)の羽矢(はや)万(よろず) 一・二の銛(もり)は大事なり
剣切(けんきり)手形(てがた)仕課して 頭漕(とうそう)より浜(はま)までは
誠(まこと)に勇ミ敷(いさみしき)働(はたらき)なり 浜は大納屋(おおなや)西東
勘定(かんじょう)樽屋(たるや)道具納屋(どうぐなや)                                      轆轤ロクロ:ろくろ
鍛冶屋(かじや)大工(だいく)に釜懸(かまがかり)                                      神樂さん
大切(おおぎり)小切(こぎり)煎粕(いりかす)や
魚切部屋(うおきりべや)の飯焚(めしたき)や 田浦タウラクジラグミ納屋ナヤウタ一文イチブン
田島(たじま)の納屋(なや)の前細工(まえざいく) 江戸エド時代ジダイ勝本カツモトにとってワスれることのできないことは、四代ヨンダイ
小取(こどり)日雇(ひやとい)に立番(たちばん)や 土肥ドイ市兵衛イチベエ代表ダイヒョウされる捕鯨ホゲイ集団シュウダンクジラグミ」の繁栄ハンエイである。
夜廻(よまわり)不寝(ねず)の大鼓番(たいこばん) 鯨組の作業サギョウウラモウけられ、ヤク千人センニン男女ダンジョハタラくという
轆轤場(ろくろば)虎落(もがり)内札(?)は 坪場(つぼば)魚棚(うおたな)苫塵(とまちり)や 日本ニッポン産業サンギョウ史上シジョウ特筆トクヒツされる工場制コウジョウセイ手工業シュコウギョウ誕生タンジョウをみた。
呉竹杭(くれたけくい)に縄筵(なわむしろ) 船は碇(いかり)帆(ほ)梶(かじ)柱(はしら) 鯨組の経営者ケイエイシャ土肥ドイチョウトリ原田ハラダがあるが、コト土肥ドイ一族イチゾク
持双柱(もっそうはしら)八挺櫓(はっちょうろ) 繁栄ハンエイはめざましく日本ニッポン有数ユウスウ大富豪ダイフゴウとなり、当時トウジ隆盛リュウセイ
手柄褒美(てがらほうび)の羽指歌(はざしうた) しのばせる遺構イコウ今日コンニチにのこしている。
関東胡麻(かんとうごま)の誥出し(たけだし?)  田浦タウラ  旧名キュウメイ 浜田ハマダ
道具(どうぐ)浜売(はまうり)仕替物(しかえもの) 実に蓬莱(ほうらい)の山そかし ウラ年々ネンネンフユよりハルイタりて、クジラグミしてニギハしきトコロなり。
(資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
長崎ナガサキ対馬ツシマ ■「廻の鯨組唄」 長崎  「廻の鯨組唄」
麦は穂が出る 鯨組はもどる 下県郡シモアガタグン豊玉トヨタママチマワリは、対馬ツシマ代表ダイヒョウするクジラグミキョウラで、クジラ長者チョウジャ
なにを頼りに 麦とりいれよか 亀谷カメタニ右衛門ウエモンをたたえたクジラウタツタえられています。
亀谷さんのくらしをやれ 西海サイカイクジラウタ野本ノモトセイヒロシ
乞食非人に まさつたくらし 瀬田セタクジラグミウタ」 (別称ベッショウ  うちかけオドリウタ
そこでお上に願いをあげて 上県カミアガタグン上県町カミアガタチョウには、クジラグミキョウラとして伊奈イナウラシゲルウラ)や
願いかのうて 鯨組をなさる 鹿見浦のショがあげられ、この居浦にチカ瀬田セタには、
春になったら廻にござる 盆踊ボンオドりのウタとして、ウタわれている。(西海の鯨唄:野本政宏)
廻りや花よと納屋うちかけて
亀谷さんのすまいを見やれ
金の屏風に 金襴(きんらん)まくら 下記カキをごランください
金のたらいで ちょうずをなさる http://www.catv296.ne.jp/~whale/iwaiutanimiru-kakutiiki-kannren-zenbu.html
金の茶碗で 御飯をあがる
そこで一の別当さん手許につれて
あがる山見は寺崎山見
三里眼鏡で四方を見れば
はるかの沖には子持ちが見ゆる
それを見るより苫つりあげて
三六隻皆漕ぎいでて
池田もたれに網うちはりて
みとは三重がわ そのわきや二重
そこで子持がみとうちかぶる
一にけんぎり 二にはやたてて
刃刺しやとびこみ 胴なわいれて
新造もっそに早からみっけ
さあさ漕ぎやれ寺崎さして
そこで別当さんが語り出す
廻 唐州が皆あつまりて
からすみたよな かんだらなさる
そこで別当さんが語り出す
打つな叩くなちょうちゃくするな
人をのろえば 鯨がとれぬ 
長崎ナガサキ 壱岐イキ あしべ ■「伊勢イセ参宮サングウイワ 壱岐イキあしべ はざしウタ
伊勢イセにゃ七度ナナド 熊野クマノ三度サンド 「はざしウタ」は玄海ゲンカイかぶ壱岐イキシマイチ地方チホウ芦辺アシベマチモロキチタナ地区チク
   愛宕アタゴさまには ツキマイ ツタわる古謡コヨウである。
そのムカシ紀州キシュウ熊野クマノあたりで捕鯨ホゲイウタとしてウタわれていたというが、
■「誕生タンジョウイワイ 江戸時代、芦辺町アシベチョウタナ地区チク捕鯨ホゲイ基地キチオオくの若者ワカモノウタ
にもヤマにも いだものといわれている。
     はもちおきゃれ 現在ゲンザイでは芦辺町アシベチョウモロキチ地区チク中心チュウシンに、新築シンチク結婚ケッコン誕生タンジョウナド慶祝ケイシュクタビに、
          マンクラよりタカラ ウタイとともにウタがれている。
■「結婚祝ケッコンイワイ はざしウタ イワ目出度メデタ
次郎ジロウじょ太郎タロウじょと見合ミアったナカ オモうことカナ
    ナカいことヒトらぬ 伊勢イセ参宮サングウイワ
  ツヅツヅけよスエまでツヅ 建築ケンチクイワ
    ましてこのサキなおツヅ 誕生祝
結婚ケッコンイワイ
■「万座マンザイワイ 万座マンザイワ
今年コンネン仕合シアワカネとるトシ 中歌ナカウタ(さすサカズキハナく・・・・・)
    今年コトシとらねばいつとるな 中歌ナカウタモンにぞイワうよな・・・・・・)
ツルいますこのイエウエ 新造シンゾウイワイ
    ごイエ繁昌ハンジョウアソ 明日アスはよいナギ
神社ジンジャ参拝サンパイシモコウイワイ 中歌ナカウタ(さても見事ミゴトなおシュさまのイワ・・・・・)
カミマイらばごカツがぞざる ユメ目出度メデタ
    ご寿命ジュミョウナガかれ」もよかれ シゲサト
誕生タンジョウイワイにもウタう) トシハジ
オオヌシカツラク天赦テンシャまれ おこもり
   ご寿命ジュミョウエイかれもよかれ (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
ニワにゃコメ座敷ザシキ 上記ジョウキ赤字アカジ下記カキ「鯨唄に見る地域の関連は?」に歌詞カシ掲載ケイサイ
   二階ニカイ座敷ザシキで カネハカ http://www.catv296.ne.jp/~whale/iwaiutanimiru-kakutiiki-kannren-zenbu.html
中歌ナカウタ トシハジ
モンにぞイワうよな イワカドにはフクきたる トシハジめのカドマツ ハイヨ
    テンキンバコおふさをつけて トシはふりてのマエウラ ハイヨー
    ござるおキャクフクカミ   アイヤー さざねいおまのマツカゼよ ハイヨー
ツル千年センネントシふりて
中歌ナカウタ トシはふりてのワカウラ ハイヨー
さても見事ミゴトなおシュサマイワイ さざねいおまのマツカゼよ ハイヨー
これもイワイのごカツかな ごりしょかな それになかばんりくるオオ背美セミさまよ
今年コトシごりしょうかな これもイワイのごカツかな せぐみよな ハイヨ
こよやイワえて明日アスキンをとろよ せんせん ハーイヨナ
これも祝のご利勝かな アサがけとろそりゃカサねどりしようマエウラ ハイヨ
これのハシラツナくりかけて それにサクりくるオオ背美セミサマ
カネまくのにゃひまもない せぐみよな ハイヨ せんせん ハイヨナ
イワえて 大金タイキンや おおりしょ アサがけとろそりゃカサねどりしようマエウラ ハイヨ
旦那ダンナよろこぶカオみたい
ユメ目出度メデタ イワえて大金タイキンやおおりしよう ハイヤオイ
ユメをみようたいユメ
大金タイキンマクラ黄金コガネをまえに ■ おこもり
旦那ダンナサカズキむと こもりこもろば 氏神様ウジガミサマ
旦那ダンナたてたるアカネ鉢巻ハチマダレじゃ       ウジサカえて ミヤ繁盛ハンジョウ
ダレじゃござらぬこのイエワカシュウ
カネとりにたえ 黄金コガネをかけに
ヤマのだしからシオきまでも
もしもこのヒロあれば
おなをあげますセンタルものと
オヤにゃセンタル にゃ五百ゴヒャク
長崎ナガサキ  ツキ 小値賀オヂカイワいうた
イワ目出度メデタのサヨイヤサ 小値賀は小田組オダグミ生月イキツキ益富組マストミグミ捕鯨ホゲイ網代アジロとしてサカえたである。
若松ワカマツヨサヨサマヨサヤノ ヨサデヨイヤサエダ クジラとりうたとしての直接的チョクセツテキ文言ブンゲンはないが、アキらかにサカナとりうたの
ツネオモたりや サヨイヤサ 形式でイワいうたとしてウタがれている。
カノウたじゃヨナヨないか (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
サヤノヨサデヨイヤサこれも
タケになりたや サヨイヤサ ツキ
ヤマヨナヨタケにや サヤノヨサデ 結婚ケッコンイワイウタ
ヨイヤサおてす ハツのぼりイワイウタ
三国一サンゴクイチじゃおイワげすまそうよ ハイヤオイ イエイワイウタ
イワ目出度メデタ若松様ワカマツサマヨナ
エダサカえるシゲサカえるシゲる ヨイヤサ 結婚ケッコンイワイウタ
シゲるヤシゲるヤ 今日キョウ吉日キチジツ日柄ヒガラもよいがヤ
エダサカシゲるヨイヤサ おてすイワイは テンシャ サヨイヤサ
ツネオモたりゃカノウたじゃないか ツルカメとはイワいのものぞや
これもあなたのごれしょうかな サヨイヤサ カメがはやしてツルう サヨイヤサ
ごれしょうかなヤごれしょうかなヤ もろたもろたよ扇子センスばもろたや
これもあなたのごれしょうかな サヨイヤサ スエヒロがる目出度メデタいな
  よかれよかれよこれよりサキはヤ そりゃいちじゃいな(そのいちじゃいんさ)
  ましてこのサキやなおよかれ サヨイヤサ スエヒロがる目出度メデタさや ハイヤオイ
  なおよかれヤなおよかれヤ
  ましてこの先やなおよかれ ハツのぼりイワイウタ
イワ目出度メデタ若松ワカマツサマ
それいちじゃいな(そのいちじゃいな) エダサカえるシゲる サヨイヤサ
ましてこの先やなおよかれ ハイヤオイ シオまれたこの
  カミマイればごれしょがござるヤ 寿命ジュミョウナガかれもよかれ サヨイヤサ
  これもあなたのごれしょうかな マツミドリにこのえて
  アサユウなの信仰心シンコウシン この末代マツダイ一度イチド
  悪事アクジ災難サイナンげるよに そりゃいちじゃいな(そのいちじゃいな)
  タノみあげます これよりサキ この末代マツダイ一度イチド ハイヤオイ
  諸事ショジ万事バンジタノみます
それいちじゃいな(そのいちじゃいな) イエイワイウタ
諸事も万事も頼みます ハイヤオイ 今日キョウ吉日キチジツ日柄ヒガラもよいが
そろたそろたよお座中ザチュウがそろたや おてすイワイは テンシャ サヨイヤサ
アキ出穂イズホよりまたそろた 亭主テイシュ作事サクジ見事ミゴト作事サクジ
  これもこもらば氏神様ウジガミサマ 大工ダイク手柄テガラキムタカラ サヨイヤサ
  悪事災難逃げるよに ツルいますこのイエウエ
  カミメグみか ホトケのけしょか このイエシゲルるとマイさがる
  またはテンシャ見定ミサダめか そりゃいちじゃいな(そのいちじゃいんさ)
そりゃお座中ザチュウがいちじゃいな このイエシゲルるとマイさがる ハイヤオイ
・・・・サマのおメグみありぞかし ハイヤオイ
   イワイてくだされお座中ザチュウがおかた イワ目出度メデタ若松ワカマツサマ
   イワカドにぞ フクキタ エダサカえるシゲる サヨイヤサ
   今年コトシやよいトシ くぞ このイエニワ水川ミズカワりて
   今年コトシとらいでいつとろか ミズかえでキンく サヨイヤサ
   辛抱シンボウするにゃカネがなる ニワにゃコメナカカンじゃ
それいちじゃいな(そのいちじゃいな) 二階ニカイ座敷ザシキカネハカ
辛抱する木にゃ金がなる ハイヤオイ そりゃいちじゃいな(そのいちじゃいんさ)
   あたごタケから野山ノヤマれば 二階ニカイ座敷ザシキカネハカる ハイヤオイ
   野山ノヤマ五作ゴサクます
   ツクればできます 野山ノヤマ五作ゴサク
http://www.kabuki-za.com/syoku/2/img/134/main134.jpg
   サンマスきにはヒョウござる
   オンタケシャにろくろばすえて
   野山五作はせる
それいちじゃいな(そのいちじゃいな)
今年コトシとらいで いつとっか ハイヤオイ
   めや大黒ダイコクウタえば恵比寿エビス
   ナカシャクとりゃ フクカミ
   つつじ椿ツバキ野山ノヤマらす
   これの座敷ザシキテンらす
   オウギカナメにお客様キャクサマえて
   スエヒロがる目出度メデタいな
そりゃお座中ザチュウがいちじゃいな(そのいちじゃいな)
長崎ナガサキ 壱岐イキ あしべ 恵美エミ寿コトブキ端唄ハウタ 恵美エミ寿コトブキ端唄ハウタ
ウラ たいすさまおもこたサーかのたヨーナー サーヨイヤサー ウラには益富マストミクミセイ月島ツキシマ)やノチゴウウラクミ捕鯨ホゲイ基地キチ
スエ鶴亀ツルカメハーツルカメとはヨイヤー があり、明治メイジ20ネンコロ4〜5トウクジラれた。
イワイのサーものじゃよナーヨイヤー クジラクミ入口イリグチ勘定カンジョウ納屋ナヤオオ納屋ナヤがあった。アミソメとモッソウフネクジラ
ツルいますヨイヤサーおイエのサーウエにヨーナーヨイヤサー ひかれた印象インショウ老人ロウジンたちはオボえているという。
大漁タイリョウ満足マンゾクヨイヤサーヤレアソ ホネ納屋ナヤ、すじ納屋ナヤ若手ワカテ納屋ナヤもあったという。そのオオシキアミわって
今年コンネンしやナギトシヨイヤサーオキにはサーやらぬヨー 今日コンニチにいたっている。
イソのもぎわでサーヤレサカナ  クジラアミ  原料ゲンリョウアサチョナワになってサンつうちにし、親指オヤユビダイツナにして
そこたいすはいちじゃいの  めた。
おなおなサチせはよかろうよ ハイヤオイ  ゴウウラクミフネにはそうげ(ヨンセキ)せこふね(二十ニジュウセキ
イエーイワイめでたのサーヨイヤナ  もっそうフネセキ)がいた。
若松ワカマツさまよ サイヤナー  ったクジラ持双モッソウ(もっそう)フネ二隻ニセキアイダ持双モッソウハシラホンをわたし、
エダサカえるヨイヤナ―シゲるよ  そのアイダにまきつけた。
タレタータケになりたいヨイヤサー  陸揚リクアげにはロクロを使ツカった。
ヤマタケにヨーたいすサカえるヨイヤナーめでたいな (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
ソレフネのサーこぶちにサーヤレアミクリりかけてサーヨイヤサー
ブリをとるのにヨサひまもないジャヨイヤサー
それカネをまくのにサヨイヤサーひまもない
アージャヨヨーイエヨーサ
とかくたいすはサチせじゃよ
そこたいすはーじゃいのいちじゃいの
ぶりのおおかちまくのにひまもない ハイヤーホイ
長崎ナガサキ 宇久ウク マタフシ 宇久ウク メシリョウゴウオオウタ
イワイ目出度メデタ若松様ワカマツサマエダサカえるシゲルる。 数多カズオオくのモトウタによってっているオオウタ郷土キョウド民謡ミンヨウとして
ムラ座敷ザシキイワいな座敷ザシキ シオよにきつける。 継承ケイショウされている。
ツネトシより今年コンネントシしてシアワナオかれ マタフシは、モリ)を使ツカアミれてクジラるの意味イミをもち、
今年コンネンイチじゃさあ元旦ガンタンイワイませたたいな その勇壮ユウソウさを祝宴シュクエン最初サイショウタとしたのであろう。
カンブシススオオいの意味イミち、もてなしをけた謝意シャイアラワオオウタ
カンブシ であり、タチラク千秋楽センシュウラクにちなんだものとオモわれ「つもり」ともう。
コイしくばタズねて御座ゴザれよムラスギ瀬戸セトムラマツ便タヨ 五郎ゴロウ兵衛ヒョウエブシは「シアワせがコロべ」がなまったものとオモわれる。
区長様クチョウサマココロシズめてよく御座ゴザ佐渡サド金山キンザンの内 (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
高砂タカサゴロウセイマツイトりてイトひかずに黄金コガネ
区長様クチョウサマイチじゃいなトシハジめに元旦ガンタンイワうてこのサキシアワナオかれ
五郎ゴロウ兵衛ヘエフシ タチラク
コロかれやコロかれやシアワせがコロべかかれなかれな オモうたこちゃカナた 今年コトシカノウ何時イツカナ
尺八シャクハチヒガシカゼより枕吹ゆてよしょもな二十一五郎兵衛 ツヅツヅけよこのサキツヅしてシアワナオツヅ
区長クチョウ村方ムラカタもろはきタルナカいこちゃヒトしらず 世話セワになリたよ区長クチョウさんの世話セワ
ムラトコに小松を植えて松は末代世は一代           してお世話セワになりました
区長様クチョウサマイチじゃいな今年コトシ村方ムラカタ仲間ナカマナカさこちゃ 三国一サンゴクイチじゃいな 元旦ガンタンイワいに区長クチョウさんおタク
ヒトらず           してお世話セワになりました
     
勇魚イサナウタ
まえがき   「勇魚(いさな)捕りうたにおもう」 チュウ立派リッパな「勇魚イサナウタ」の冊子サッシ左記サキの「まえがき」がありました。
全文ゼンブン掲載ケイサイさせてもらいました。
海鳴ウミナりのように 潮騒シオサイのように
タカく ヒクレン太鼓タイコ雄叫オタケびあげる
フタハダぬいだざしシュウ
勇魚イサナった一番イチバンモリをかざしかざしてオドりぬく
水主カコ(かこ)持双モッソウ(もっそう)もあとうけて
フタすりすりウタうなり
勇魚イサナしとめてイワいのうたか
銅鑼ドラウタに ざしはおどる
江戸エドのむかしの勇魚イサナとりざしの意気地イキジえる
クジラりにイノチをかけたウミオトコウタがきこえる
納屋ナヤシュウのよろこびの熱気ネッキがみなぎる
黒潮クロシオ勇魚イサナったクニざしのうた
四国シコク土佐トサ納屋ナヤホネきりのネツっぽいうた
九州キュウシュウ西国サイコクウミオトコクジラにかける根性コンジョウのうたがきこえる
生月イキツキの「ヨイヤサー」がレン太鼓タイコ漁師リョウシ気質カタギをうたいあげる
海鳴ウミナりのように ときにはツヨ
潮騒シオサイのように ときには よわく 〵 〵
九州キュウシュウ西海岸ニシカイガンから日本ニッポンカイをかけのぼり
北前船キタマエブネでつたえられたという「ハイヤブシ」とは
またコトツタわりカタ
各地カクチ特色トクショクある「めでたウタ」となってウタがれている
クチからクチぶりぶりでツタえられながら
瀬戸内セトウチウミトオって日本ニッポンカイ
クニよりの「ざしウタ」とオモわれる                 (表紙ヒョウシ
数多カズオオウミのロマンのひとつである
収集シュウシュウ編集ヘンシュウ 立石タテイシ陽一ヨウイチ  長崎県ナガサキケン生月イキツキマチ
     
                                 (表紙ヒョウシ)小冊子ショウサッシ
                                                             (表紙ヒョウシ)