§ 鯨墓と諏訪信仰 §

 

諏訪大社の諏訪信仰「諏訪の勘文」が長門市通浦の鯨供養の墓碑に書かれております。 

墓碑には「南無阿弥陀仏」の下部に4字4行の 漢文 「業尽有情 雖放不生 故宿人 同証仏果」とある。

 

いっぽう諏訪(神文)勘文「業尽有情 雖放不生 故宿人 同証仏果」となっている。

鹿食免,あるいは,鹿食箸と共に,肉食が禁じられた時代において,肉食を可能にしたものとして知られている

お札の「鹿食免」(かじきめん)は狩猟免許状で、「鹿食箸」(かじきはし)は食の免罪を示すもので木製のお箸です。

 

鹿食箸と鹿食免は、諏訪神社上社の祭事にたくさん使われた鹿などの獣肉を食べてもけがれにならず、さわりもないと、

免罪符のような効果があるとされた箸と御符です。参拝者が土産として持ち帰ったり、諏訪神社の御師によって売られました。

ここで両者に「天」と「身」の違いがあり、ネット情報で調べてみましたが分りませんでした。

 

諏訪大社の歴史は古く種々の状況で文字の変動、さらに字の区切り方でも3字、4字、5字区切りなどがみられます。

サンスクリット語の文字から漢文字に訳し四字区切り日本の仮名にして4・4・4・4という韻のリズムが付いた文(お経)

に変化しております。同文の資料がありましたので不明点もありますが大意をつかんでいただければ幸甚です。

 

「諏訪信仰拡大と捕鯨等との関連」

 

1.山間部の食糧の確保・蛋白質肉食の奨励・動物供養(シカ・イノシシ)各種供養碑増大・・・・捕鯨への影響、墓碑銘への影響、

古代、狩猟は山間地に暮らす人々の生活の糧であっただけでなく、その土地を支配する王が神と交流するという意味もあった・・・神事

 

2.仏教思想を超えた殺生肉食禁忌という罪科消滅・免罪符・狩猟免許状の発布

 

3.御神託・神事・お札・信仰者の安堵と現世利益の拡大・宗教観の拡大

 

4.あらゆるものに効果ご利益(利生)がるという諏訪信仰の国内浸透・・・・・・お札や免罪符の箸 

                      

5.全階級の人たちを巻き込んだ支配層の意図・娯楽を交えた神事の利用・神仏にすがる民衆を巻き込んだ信仰

  (全国的な(狩猟+食料+農耕+武芸+武士・集団的支配力+誇示)の神事であった)

 

6.御師による全国啓蒙・・・・・・・・・・・歌舞伎や浄瑠璃などによる名地への拡散、伊勢音頭や祝い唄の普及

  (お札を御師が持ち歩き、諏訪大社の縁起を語りながら配って信仰を広めた)

 

7.諏訪神社の分社の分散・信仰の拡大、海の守り神として港口に分社、娯楽としての祭りの拡散。・・・・・・・(長崎のお諏訪さん)

  (祭神は武家の守護神と尊ばれた。それ以外にも、雨や風を司る竜神の信仰や、水や風に直接関係のある農業の守護神としての信仰を有する。

   また水の信仰が海の守り神となるなど幅広い信仰と結びついていることが、日本各地に広がった理由としている。)

 

8.武士階級を利用した武芸・武力競争・武芸による戦力の維持と強化・狩猟技術の向上・狩りによる食料確保

 (御射山祭という神事がある。鎌倉幕府は全国の武将をこの神事に参列せしめ、八島高原や霧ケ峯一帯で武芸を競わせたりして祭事を賑わしめ、

参加した武将は諏訪大神の御分霊を拝戴して任地に赴き、御分社を奉齋した。)

 

9.生活・風習・安心食事・安全確保の信仰.安心感(狩猟・漁業・農業と水の確保・生活の糧・海難事故・気象急変・守り神)等への現世利益願望

 

10.捕鯨への影響  鯨供養塔建立・鯨の汐吹・捕鯨とけがれの免罪符 感謝と大漁祈願 寄進・寄付 納屋場での多種類の神様信仰     

 

「青海島鯨墓」

 

「青海島鯨墓」は元禄五年(1692)、向岸寺五世讃誉上人の隠居所である清月庵(観音堂)に建立されました。鯨墓は花崗岩で作られ、高さ2.4メートル、幅0.46メートルで、 正面に「南無阿弥陀仏」と刻まれその下に「業尽有情 雖放不生 故宿人天 同証仏果」と刻まれています。また側面には願主として設楽(しだら)孫兵衛、 池永藤右衛門、早川源右衛門の三人の鯨組み網頭の名が刻まれています。

 

「業尽有情・・・・」の文言は又とない名言でありますが、実はこの文言は「諏訪明神の四句の偈」として日本全土に普及しているものです。 「業尽有情」(ごうつきしうじょう)は、前世の因縁で宿業の尽きたために捕らえられた野生の鳥獣ということ。 「雖放不生」(はなつといえどもしょうせず)とは、そのような野生動物は放して天然のままにおいても、どうせ長くは生きられず野たれ死にする運命にあるということ。 「故宿人 同証仏果」(ゆえににんてんやどしぶっかをしょうせしめん)は、それだから人間すなわち成仏できる肉体の中に取り入れられ、 それによって人と同化して成仏するのがよいということです。
この諏訪明神「四句の偈」の解説は、千葉徳爾作の「狩猟伝承」(法政大学出版局)によるものです。

鯨としての生命は母鯨と共に終わったが、われわれの目的はおまえたち胎児をとることではなかった。むしろ、海へ放してやりたいのだが、広い海へ放たれても、 独りではとても生きてはいけまい。それ故に、われわれ人間と同様に念仏回向の功徳を受け、諸行無常の悟りを得てくれるようにお願いする。(照誉得定師解説)

通の鯨墓について、胎児だけを埋葬した墓である。いや、くじら全体を祭る墓だという二つの意見がありますが、その理由の一つとして、この諏訪神社の四句の偈の文言が引用されています。(上記資料:http://member.hot-cha.tv/~htc09819/kujirahaka.html

 

 http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujirahaka-to-suwashinkou55.files/image001.png  http://www.catv296.ne.jp/~whale/goods-in-nagato1.files/image180.png  http://www.catv296.ne.jp/~whale/goods-in-nagato1.files/image182.png

 国指定史跡「青海島鯨墓」

 

「業尽有情」(ごうつきしうじょう) 「雖放不生」(はなつといえどもしょうせず) 「故宿人天 同証仏果」(ゆえににんてんやどしぶっかをしょうせしめん)

『前世の因縁で宿業の尽きたために捕らえられた野生の鳥獣 、そのような野生動物は放して天然のままにおいても、どうせ長くは生きられず野たれ死にする運命にある

それだから人間すなわち成仏できる肉体の中に取り入れられ、 それによって人と同化して成仏するのがよい

 

http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujirahaka-to-suwashinkou55.files/image004.png山口県の青海島鯨墓正面に 「業尽有情 雖放不生 故宿人天 同証仏果(1692年建立)と刻まれている

<一字の「天」と「身」の違いがある>

 

長野県の諏訪の勘文には  「業尽有情 雖放不生 故宿人身 同証仏果」  の文字があります

 

業儘(人遍なし)有情(ごうじんのうじょう) 雖放不生(はなつといえどもいきず) 故宿人身(ゆえにじんしんにやどりて) 同証仏果(おなじくぶっかをしょうせよ)

諏訪の勘文の意味は 『前世の因縁で宿業の尽きた生物は 放ってやっても長くは生きられない定めにある 従って、人間の身に入って死んでこそ 人と同化して成仏することができる』

諏訪神文は,鹿食免,あるいは,鹿食箸と共に,肉食が禁じられた時代において,肉食を可能にしたものとして知られている

 

 

http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujirahaka-to-suwashinkou55.files/image005.png

 

 

下記「古族研究」(長田通倫氏)の中に多くの資料がみられます。

 

1)これ以外に偈文・唱文・神文の違いと文字(人・天・神・即 ・同)の違い、区切り方(3字・4字・5字)の違いがみられる。

諏訪神文(『古族研究』,2002年)」によると,諏訪神文は,鹿食免,あるいは,鹿食箸と共に,肉食が禁じられた時代において,肉食を可能にしたものとして知られている。

 

これに対して,「狩猟儀礼(同,2007年)」によると,狩猟に際して唱えられる偈文が伝えられており,『神道集(1354年,安居院)』や,「青海島鯨墓」にも唱文が遺されている。

また,袋中上人と呼称された僧侶;釈袋中の『琉球神道記』にも,諏訪偈文が引用されている。

@  諏訪偈文「業尽有情、雖放不生、故宿人天、即証仏果」

 

生業を尽くした生きものは,解き放っても,長くは生きれない故に,人に宿れば,天神が直ぐに成仏を保証する』

  偈(げ、サンスクリット語: gāthāとは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの。

仏典に最も多く出てくる16音節(8音節1句を2句)2行の32音節よりなる首盧迦(しゅるか)(śloka) をいう。漢訳はこの一偈を4字または5字の4句に訳すことが多い。

 

A  諏訪唱文「業尽有情,雖放不生,故宿人,天同証仏果」を袋中上人が引用している。 袋中上人:(1552223~ 1639223日)

 

B  諏訪神文「業尽有情、雖放不生、故宿人神、同証仏果」

 

 

神文とは 「起請の内容に偽りがあったり違背した場合、神仏の罰を受けるべき旨を記した文」

 「諏訪神文」によると,4,4,4,4字区切りの諏訪神文の表意は「生業を尽くした生きものは,解き放っても,長くは生きれない故に,大祝に宿れば,大祝が同しく成仏を保証する」である。

 

 狩猟儀礼(同,2007年)」によると,狩猟に際して唱えられる偈文が伝えられており,神道集(1354年,安居院)や,青海島鯨墓(1692年)にも唱文が遺されている。

また,袋中上人と呼称された僧侶;釈袋中の『琉球神道記』(琉球神道記1605年完成)にも,諏訪偈文が引用されている。

 

袋中上人は,江戸時代の初期,琉球諸島に渡り,仏教の普及に努めた僧侶である。当時は,キリスト教の宣教師が渡来していたので,袋中の布教活動は,仏教側に芽生えた,ある種の危機感の

露呈であったと考えられる。布教の手法は,教義によるものではなく,平安時代(0794年 – 1185年)に確立していた呪詛であった。

 

※注 じゅそ【呪詛】( 名 ) スル 〔古くは「しゅそ」「ずそ」とも〕 恨みに思う相手や物事に災いがかかるように祈ること。のろうこと。

 

※注 大祝:古くは神職の名称・階級は宮司、禰宜(ねぎ)、祝と神社によって異なっていました。鎌倉時代初期の諏訪神社には大祝(おおほうり)、権祝(ごんのほうり)、擬(こりの)祝、副( そえの)祝などの職名あったそうです。

家の苗字にもなった。生き神様ともいわれた。諏訪氏(すわし)は、日本の氏族の一つ。信濃国諏訪地方の領主。諏訪神社上社大祝( おおほうり)を司った家柄でもある。

 

2)さらに生贄時・狩猟時の違いがあり

 

@  生贄時諏訪神文「業尽有情,雖放不生,故宿人,同証仏果」

 

A  狩猟時諏訪神文「業尽有情,雖放不生,故宿人,天即証仏果」

 

3)また、縁起系・生贄系・狩猟系・呪詛系などの変化も指摘されている。

 

訪縁起系「業尽有情,雖放不生,故宿人天,同証仏果」人天=現人+天神: 人天:成仏の論理 http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujirahaka-to-suwashinkou55.files/image006.png 長門の鯨墓と同じ文字です。

 

諏訪生贄系「業尽有情,雖放不生,故宿人神,同証仏果」人神=大祝:人神=大祝    :生贄の論理

 

諏訪狩猟系「業尽有情,雖放不生,故宿人,神同証仏果」神=狩猟神(,諏訪神),同=同時:狩猟神(,諏訪神):殺傷の論理

 

琉球呪詛系「業尽有情,雖放不生,故宿人,天即証仏果」天=天上界の神,即=即時:天神:呪詛の論理

 

狩猟時における唱文は,時代的には,諏訪縁起系の唱文が基になっており,これが,諏訪神社の神事に,生贄系として導入され,更に,諏訪域の狩猟民に狩猟系として受容され,最後に,『琉球神道記』において呪詛系として取り上げられたことになる。

詰まり,最初は,純粋な成仏を促す論理として創作されたものが,後に,生贄を認めさせる論理として応用され,狩猟を認めさせる論理として解釈され,最後には,呪詛を展開するための論理として曲解されるに至ったと思われる。

(琉球神道記は1605年完成した書)

 

4)『神道集』の神々 第五十 諏訪縁起事に山口県の青海島鯨墓正面にある「業尽有情、雖放不生、故宿人天、同証仏果」がある。

 

「諏訪縁起事」に諏訪大明神は維縵国(地底の異郷:(いまんこく、ゆいまんこく)で狩の習慣があったので、狩庭を大切にされる。

 

四条天皇の御代、嘉禎三年1237年)[丁酉]五月、長楽寺の長老・寛提僧正は供物について不審に思い、大明神に祈念して「権実の垂迹は仏菩薩の化身として衆生を済度されるのに、何故多くの獣を殺すのでしょうか」と申し上げた。

 僧正の夢の中で、供物の鹿鳥魚などが金色の仏と成って雲の上に昇って行き、大明神が

 野辺に住む獣我に縁無くば憂かりし闇になほ迷はしむ と詠まれ、

 

http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujirahaka-to-suwashinkou55.files/image007.png業尽有情、雖放不生、故宿人天、同証仏果」1237年)」と四句の偈を説いた。 寛提僧正は随喜の涙を流して下向された。    長門の鯨墓と同じ文字です。

(上記資料www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/50.html )

 

5)「琉球言霊(同,2009年)」によると,袋中上人は,江戸時代の初期,琉球諸島に渡り,仏教の普及に努めた僧侶である。当時は,キリスト教の宣教師が渡来していたので,袋中の布教活動は,仏教側に芽生えた,ある種の危機感の露呈であったと考えられる。

布教の手法は,教義によるものではなく,平安時代に確立していた呪詛であったので,ここでは,『琉球神道記』に引用された諏訪偈文「業尽有情雖放不生故宿人天即証仏果」と,既に取り上げてきた諏訪神文「業尽有情雖放不生故宿人神同証仏果」との差違をみる


(1)生贄時諏訪神文
「諏訪神文」によると,4,4,4,4字区切りの諏訪神文の表意は「生業を尽くした生きものは,解き放っても,長くは生きれない故に,大祝に宿れば,大祝が同しく成仏を保証する」である。


(2)狩猟時諏訪神文


 大和皇権の時代を迎えて,仏僧が社域に居座るようになると,中央においては,大型動物に対する殺傷禁止が打ち出された。しかし,民衆サイドにおいては,大型動物を食糧化する要求は已然として強かったので,4,4,4,4字区切りの神文は,4,4,3,5字区切りの神文に切り替えられることになった。

狩猟時諏訪神文の表意は,以下の通りである。しかし,呪詛に染まった高僧の視座に立つならば,4,4,3,5字区切りでも,諏訪神文には,問題が残っていたと思われる。並べて見るに,

 

生贄時諏訪神文「業尽有情,雖放不生,故宿人,神同証仏果」

 

狩猟時諏訪神文「業尽有情,雖放不生,故宿人,天即証仏果」

 

「琉球言霊」によると,袋中上人は,倭族に対する呪詛を展開しているので,諏訪神文中の「神同」を削り,諏訪偈文中に見られる「天即」に変えたと思われる。
なお,当該偈文の表意は,「生業を尽くした生きものは,解き放っても,長くは生きれない故に,人に宿れば,天神が直ぐに成仏を保証する」であると思われる。

したがって,袋中上人は,仏教の普及に当たって,過去の遺物である「神同」という表現を避けて,「天即」を持ち出したと考えられる

 

(3)神道集諏訪唱文


『神道集』文和・延文(1352 - 1361年)頃の「諏訪縁起の事」に,

 

諏訪唱文「業尽有情,雖放不生,故宿人,天同証仏果」が引用されている。

 

これと諏訪神文との差違は,前者の「天」,後者の「神」において認められる。

「天」を「神」に更えることによって,倭族に取って,都合の良い状況を作り出したことになる
したがって,「生業を尽くした生きものは,解き放っても,長くは生きれない故に,人に宿れば,天神が直ぐに成仏を保証する

6)狩猟時における唱文

時代的には,諏訪縁起系の唱文が基になっており,これが,諏訪神社の神事に,生贄系として導入され,更に,諏訪域の狩猟民に狩猟系として受容され,最後に,『琉球神道記』において呪詛系として取り上げられたことになる。

最初は,純粋な成仏を促す論理として創作されたものが,後に,生贄を認めさせる論理として応用され,狩猟を認めさせる論理として解釈され,最後には,呪詛を展開するための論理として曲解されるに至ったと思われる。(長田通倫)


古族研究(日本古族研究所,1999年)』によると,列島における覇権は「→倭本族→倭支族→午族(=高句麗人)→」の順に交代し,国家が「→小倭国→大倭国→大和国(=日本國)→」の順に移行しているので,倭本族から倭支族へ交代を前期変革と呼び,倭市族から午族への交代を後期変革と称することが可能である。特に,後期変革に際しては,覇権が民族間で交代したので,午族が勝者となり,倭支族が敗者となって,列島には,呪詛と怨恨が渦巻くことになった。「銅鏡銘文(『古族研究』,2004年)」によると,呪詛は,大和皇権を主導した天皇と,大和王権を支えた藤氏,午族(,高句麗人,駒人),僧侶によって推進されたものである。(上記資料:長田通倫:日本古族研究所)

 

<鎌倉時代とは西暦1185年から1333年までの148年間にかけて関東・鎌倉において、征夷大将軍の源氏、執権 北条氏によって政治が行われていた時代を指す。>

<特別付録>

5年前くらいに建立された日本で最も新しい「鯨塚」でしょう。

場所は千葉県南房総市和田町仁我浦114 

鯨料理の店「ぴーまん」の駐車場横に建立されております。

和田浦駅からも徒歩で5〜10分程度、外房黒潮ライン沿いです。

http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujirahaka-to-suwashinkou55.files/image008.jpg  http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujirahaka-to-suwashinkou55.files/image009.png

さらに

JR和田浦駅からも近い場所に、屋外展示のシロナガスクジラの骨格標本があります。

国内には3体(和田浦・和歌山県太地・山口県下関)しかない珍しいものです。

http://www.catv296.ne.jp/~whale/wa-o-bw-mae.jpg

http://www.catv296.ne.jp/~whale/wadaura-wa-o.html

http://www.catv296.ne.jp/~whale/no6-wada-goods-ten28.html

 

傍の南房総市役所地域センター内には勇魚文庫(細田 徹氏)の資料分室があり、捕鯨文化資料(鯨の骨格・ペニス・

捕鯨砲・銛・模型・玩具類・缶詰・書籍・等々)が並んでおります。入場無料です。

 

駅の裏側に道の駅の和田浦WAO!“わーお”があり地産の野菜類・海産物や土産品が沢山売られております。

中にはレストランもあり鯨を食べる事が出来ます。

                                             (終)