日本の勇魚捕り絵図・鯨絵図&鯨本一覧

日本の古式捕鯨各地には「鯨絵巻」や「捕鯨絵巻」等がかなりあります。
一覧表を作ってみました。九州大学デジタルアーカイブでは沢山の絵図が見られます。
捕鯨のマニュアル、捕鯨の教科書、図鑑、捕鯨物語といった綺麗なものです。

  
絵図名内容時代作者
鯨漁叢話-1801年(享和元年) 大槻青準
鯨史稿 日本各地の捕鯨地を実際に訪れて、海外や日本各地の文献を参考に全六巻 からなる著書をまとめ上げた。
鯨の種類や効用、各地の捕鯨地、用具・船舶などについて記し、「捕鯨全書」と いうべき著作である。

巻之一---色々な鯨の名前についての考察。    
巻之二---鯨の種類についての記述とその考察。    
巻之三---鯨の身体的特徴の図説。    
巻之四---海外や日本各地の捕鯨地の紹介と鯨の解体方法と解体用具の図説。    
巻之五---鯨漁に必要な専用の船や道具と漁場などの紹介。    
巻之六---鯨漁から解体までの一連の流れの説明。    
「小児の弄鯨一件の巻」などの西海系や紀州系の捕鯨図説を多く参考にしている。
1808年(文化5年) 大槻青準
西海鯨鯢記日本で最古の「鯨事典」であり、捕鯨産業の詳細を綴った書籍「捕鯨産業史」
平戸の鯨組主の谷村友三が記したこの本が西海図説の先駆的なもの。
1720年(享保5年) 谷村友三
肥前州産物図考
(捕鯨絵巻)
肥州唐津藩の捕鯨を含めた産業を描いたもの。
@縦26.9×横1371.5pの巻子であり、唐津藩主水野氏家臣の木崎悠々軒盛標が天明4年(1784)、73才で完成させた「肥前国産物図考」のうちの捕鯨部分を写したもの。奥書に「天保六年乙未夏 榛谷詠謹書」とある 。
捕鯨部分は「小児の弄鯨一件の巻」と呼ばれて多くの写本がある。また多くの 捕鯨図説の雛形的なものとして以降の各図説に影響を与えました。
「小児の弄鯨一件の巻」は「勇魚取絵詞」や「小川島鯨鯢合戦」にも影響を 与えております。

A縦30.2×横16.5cmの折本であり、捕鯨部分のみを掲載した。
肥前国唐津藩小川島における捕鯨を描く。原本は、唐津藩、水野氏の家臣 木崎攸々軒盛標が安永2年(1773)〜天明4年(1784)の間、73才で完成させたもので、駒捕、鹿狩、漁業、石炭、紙すきなど8帖にわたり、唐津藩内の産業を描く。 捕鯨に関する写本は「国会本」「内閣本」「東大本」な40点近くあり、木崎の自筆原本はアメリカの博物館に保管されている。

B横浜マリタイムミュージアム企画展「捕鯨と日本人ー文化としての捕鯨ー」で巻子「鯨一件の巻(上村家本)」が展示されました。写本にも多くの違いがあります。
「鯨一件の巻(上村家本)」は呼子の旧中尾家邸宅・資料館で展示される予定です。
1773年(安永2年)〜
1784年(天明4年)
木崎攸々軒
西遊旅譚 江戸から長崎までの旅行の往復の記録、生月島の捕鯨の様子を描いた 1794年(寛政6年)司馬江漢
画図西遊譚同・画図 1803年(享和3年)司馬江漢
西遊日記 同・旅行絵日記1815年(文化12年) 司馬江漢
鯨絵巻(上下)
(鯨魚覧笑録)
縦37.7×横1836.5pの巻子である。 五島福江領・唐津領小川島など九州における鯨組の様子、鯨解体図・納屋場などを描くとともに、「鯨組定法書」を記す。
生島絵巻(上下)ともいわれる。正確な「らん」の字ジは金偏に「覧」と書きます。
1796年(寛政8年)生島仁左衛門
五島に於ける
捕鯨沿革図説
『五島に於ける捕鯨沿革図説』は折本三冊からなり、唐津小川島の中尾組で鯨組の一組を任された生島仁左衛門の「小川島捕鯨絵巻」を、天保5年(1831)に青方 田宮運善なる人物が写したものである。有川鯨浦及び納屋場の図は本資料のみとされ、田宮運善によって加筆されたものと考えられる。一巻の内容は10頭の鯨・イルカを描いている。
1831年(天保5年)
生島仁左衛門
青方田宮運善(写)
小川島鯨鯢合戦 呼子地方の小川島という鯨組の捕鯨の仕事前の段取りから仕舞いまでを描いたものであるが合戦という言葉が使われ鯨と 漁師を敵と味方に見立て戦況を伝える形で物語のように表現   1840年(天保11年) 秋亭里遊撰
渓柳舎希樂画
勇魚取絵詞
「鯨肉調味方」
@年代、著者は不明で上下二巻。江戸の国文学者である小山田与清の1829年(文政12年)の跋(おくがき)があるのでそれ以前の作 生月島の御崎浦で益冨・御崎組の鯨方の捕鯨の様子を描いた図説。
A江戸の国文学者小山田与清の文政12年(1829)の跋がある。肥前国生月島の 鯨組主、五代目益富又左衛門正弘の鯨漁を中心に 描いている。上巻では生月での捕鯨・納屋作業の様子が描かれ、下巻では鯨の解体作業・捕鯨道具・納屋道具について描かれている。 「鯨肉調味方」は鯨料理のレシピで、天保3年刊。
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1829年(文政12年)
1829年(文政12年)
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小山田与清(写)
小山田与清
壱岐名勝図誌   前目・勝本の鯨組みの操業の様子を紹介1861年(文久元年)-
五島列島漁業図解   定置網捕鯨の図と解説 1882年(明治15年)-
高知県捕鯨図 国立公文書館に所蔵されている捕鯨図説である。
手彩色の冊子で、明治期に作られた写本であるが、江戸時代に伝わった 網掛け付き取り法による捕鯨の様子が描かれている。
縦26.0×横18.7cm
土佐国捕鯨説 『土佐国群書類従』304冊の中の1冊。内容は捕鯨に関するもので、漁場や捕鯨法、明治初期の捕獲数などが記されている。
『土佐国群書類従』は、吉村春峰(1836〜1881年)が土佐国に関する江戸時代から明治時代初期までの歴史・地理・民俗・文学等に関する文書や古書類を編集したものである。
縦26.5p、横18.8pの書冊で232巻、304冊からなる。国立公文書館「内閣文庫」に所蔵されている。
1836〜1881年 吉村春峰
土佐捕鯨図絵 捕鯨図絵 年代不詳
土佐捕鯨図絵 捕鯨図絵 幕末
室戸捕鯨図 捕鯨の場面第一回水産博覧会用に関連して作られた 1883年(明治16年)
太地浦捕鯨猟古図 太地の捕鯨絵図600年(慶長5年) 筆者不詳
鯨絵巻 縦26.7×1082.7cmであり、 鯨のほかに鮫やイルカなどを描く巻子である。
注記によると、原本は「享保八年 紀州熊野浦諸鯨之図」(筆者不詳)である。
1723年(享保8年) 筆者不詳
古座浦捕鯨絵巻 和歌山県東牟婁郡の古座地方の捕鯨の様子を描いたもの 1725年(享保10年) ?
鯨絵巻(大小) 縦26.8×横1110.0pの巻子であり、紀州熊野における鯨を描く。
宝暦7年(1757)に 酒井忠昌が、元文元年(1736)「松平義尭以家本」を写し、さらに安永7年(1778)に山氏時成が写す
1757年(宝暦7年) 酒井忠昌(写)
鯨志 鯨の身体的特徴から生物学上の魚ではないと指摘
和歌山の本草学者,薬種商山瀬春政(通称梶取屋治右衛門)の著書。
1巻1冊。1760年刊。実地の見聞に基づいてクジラ14種を図示説明。
著者は梶取屋次右衛門とするところもあるが、同一人物であり梶取屋次右衛門が俗称である。鯨志には両方の名前が記載されている。
鯨志は日本で最初に印刷された鯨関連の書籍。最初の鯨に関する専門書
シーホ゛ルトが持ち帰ったライテ゛ン大学図書館の『鯨志』は、宝暦期に南紀和歌山の梶取屋次右衛門によって記されたものを、寛政6年に大阪書林の樫本勘兵衛が刊行したものである。  
1760年(宝暦10年) 山瀬春政
  梶取屋次右衛門
(同一人物)
鯨記 日本で最初の捕鯨の歴史書であり日本各地と紀州熊野地方の捕鯨を紹介している。
突き取り式捕鯨(銛ではなく矛であった)が最初に行われたの1570年頃の三河であり6〜8艘の船団で行われていたとされる。
鯨記はほぼ谷村友三の「西海鯨鯢記」の内容をそのまま掲載している。
1764年(明和元年)-
摂陽奇観 1766年(明和3年)2月1日紀州熊野灘(和歌山県から三重県に跨る湾) で長さ7間半(約13,6m)の鯨が捕らえられ大坂千日の法善寺(大阪市中央区千日前)に運ばれ大阪初の鯨の見世物が催されたとある。 1766年(明和3年) 浜松歌国
捕鯨絵巻 縦26.7×734.2cm、捕鯨船と鯨を描く巻子である。奥書によると、「古座浦」で 捕獲した鯨を描いたものであり、寛政10年(1798)にしている。1798年(寛政10年) 宮重氏(写)
鯨絵巻(上下) 縦27.8×横810.0pの巻子であり、紀州古座浦における捕鯨の様子、取り上げられた鯨を描く。筆者不詳 筆者不詳
鯨及海豚之図 上中下の三巻から構成されており、上巻では捕鯨船、鉾、鯨截と11種の鯨を描く。
巻頭では、背美鯨・座頭鯨・長須鯨・児鯨・鰯鯨・まつこう鯨 の解説が書かれている。
鯨絵巻 縦29.5×横620.0pの巻子であり、「南紀熊野太地之住 」とあり、鯨の他に鯨船や太地浦の景観も描く 和多氏図
太地浦捕鯨絵巻 縦29.0×横1260.0pの巻子であり、紀州太地浦の景色・鯨解体図・道具類を描く。作成は明治5年。 1872年(明治5年)
鯨之図 縦23.2×横600.8cmであり、鯨と捕鯨船を描く巻子である。 奥書には紀州太地浦の漁長である太地覚右衛門所蔵の絵巻を明治24年に 写したことが記されている。明治24年に写太地覚右衛門
熊野海鯨絵巻 縦26.5×横405cmであり、「紀伊国熊野海鯨図」の内題があり、奥には加納夏雄の銘がるが、作成年代は不詳である。 作成年代は不詳 加納夏雄
慶長見聞集 江戸と相模国三浦の見聞集。現時点でもっとも古い捕鯨記録。 1614年(慶長15年) 三浦浄心
本朝食鑑 捕鯨者の目と言葉。総論部は釈明・鯨総論・分類・捕鯨技術と捕鯨史・各部位論で構成されている。--
大和本草 鯨、ムカデクジラ、龍等誤解を与える記述もある。 1708年〜 貝原益軒
倭漢三才図会略 江戸時代の105巻からなる百科事典
鯨について詳細な記述、図説がありそのなかで古式捕鯨についても触れている
1712年(正徳2年) 寺島良安
月堂見聞集 下総国行徳(千葉県市川市行徳)で長さ7間(約12,7m)と5間(9,1m)の鯨2頭が捕らえられ江戸両国(東京都墨田区両国)に運ばれ江戸初の鯨の見世物が催されたとある 1734年(享保19年) 本島知辰
磐城七浜捕鯨絵巻 小名浜の捕鯨の様子を描いた図説 1747年(延享4年) 森雪竹
張州雑記 尾張国の地誌に師崎の突き取り捕鯨の様子が紹介されている 1789年(寛政元年)-
能州鯨取り絵巻  能登系の能登地方特有の台網捕鯨の様子を紹介 年代不詳-
能登国採魚図絵 能登の捕鯨の場面 1838年(天保9年)-
大漁万祝図集 茨城地域 弘化2年〜明治43年頃の大漁祝着  1845年(弘化2年)
三重県水産図解   三重県の捕鯨の場面、第一回水産博覧会用に関連して作られた 1883年(明治16年)-
※絵図の名称は正式名・俗称等がありなかなか難しいです。
(資料)
鯨絵・捕鯨史料 http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kujira/
ウィキペディア(Wikipedia)
鯨取り絵物語  中園茂生・安永浩著 弦書房
日本捕鯨史話  福本和夫著 法政大学出版局
鯨と捕鯨の文化史 森田勝昭 名古屋大学出版会