安房の捕鯨(古式〜現在)


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古式捕鯨時代から現在も捕獲されている「ツチクジラ」 

口ばしから頭の部分が稲ワラをたたく槌(ツチ)に似ているため「ツチ
クジラ」と呼ばれています。体長1013b位。体重1012d。ハクジラ
類の中ではマッコウクジラについで2番目に大きいクジラです。ツチク
ジラの歯は下口ばし前方2本、やや後ろに2本の計4本、上顎には歯は 
ありません。

どうやってエサをとるのでしょう?????

「口ばし」にある歯は主に深海のイカ類などを挟んで噛まずに呑込む為のもの。

オスの皮膚には白い2本の平行の掻き傷が沢山あります。メスをめぐる
オス同士の戦いで受けた競争相手のオスの歯2本の傷ではないかといわ
れています。前歯による平行線のようで「歯は愛のための道具」に使わ
れていました。キズは名誉の負傷『勲章』でした。一夫多婦のハクジラ
類の『オス競争社会』のお話でした。ハクジラ類は歯の形、顎に対する
歯の位置、歯の有無と本数、歯の大きさ、歯の雌雄差、上顎と下顎の違
い等多種多様で、オスメスの格差が大きい不思議だらけの鯨たちです。

環境、食の確保・エサの種類、子孫維持・メス獲得競争・優位性、外敵
との関係等、鯨体の変化『進化』との関わりをみると非常に面白いです

海に入り浮力をえて流線形になるための進化で手足をなくし た鯨は人間と大違い!

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追加話>:イッカクの角(実は歯)は3b位。長いほどメスにもて
といわれています。歯はメスを巡る争いと強さの誇示の為のもの。
 
普通、イッカクのオスには左上顎に左巻きの歯一本しかありません。
だからイッカク!!。
江戸時代イッカクの角(歯)はウニコールといわれて珍重、輸入され朝
鮮人参・金並みの価格だったそうです。欧州では王や貴族に珍重され、
江戸時代の日本にも伝わり、新井白石が幼時に病気で死にそうになった
時「ウニコール」という高貴薬を飲んで命をとりとめたと書き残してい
ます。漢方薬としては解熱剤・解毒剤が一般的ですが、今でも超高価な
精力剤に含まれ売られているのを目にします。


安房勝山の古式捕鯨


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  醍醐新兵衛さん。  『房総の捕鯨の祖』といわれる。

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世紀初頭には安房郡保田村(鋸南町)で捕鯨専門集団の「突き組み」
を組織していた。鋸南町大黒山(下の写真参照)には新兵衛の墓や近く
に鯨を供養した「鯨塚」があります。1655年から明治時代に至るまで
代々、醍醐新兵衛を名乗り10(11代とも云われる)続きました。

船団の規模は、舟(各船主がいる)は57隻、舟に乗る漁師は500600
と云われ漁期ごと・夏場のみ『協業システム』を作って捕鯨を行いまし
た。醍醐家はクジラの大きさで買い取って脂肪を取る頭・皮・骨・尾だ
けを貰い、肉は全部関係者に配分しました。この漁民側からの鯨買取
ごとを「勝負」といい、鯨の大きさによる3段階(本勝負・半勝負・無
勝負)の鯨価設定がされていた。

年間捕獲は豊漁の年は、ひと夏に50頭以上の鯨を捕ったと云われている。

江戸時代、太地・土佐や西海漁場では「突取捕鯨」から効率が良い「網
取捕鯨」(網囲い突取捕鯨とも云われる)に漁法が変ったが安房漁場の
ツチクジラは深海に潜る性質があり網を使えないためモリだけの「突取
捕鯨」が続けられました。棲息場所は大陸斜面(急に深くなっている
所)・海山周囲の10003000b付近や近接した海域で、エサの深海性イ
カ類のすみか付近です。東京湾入口付近〜房総半島太平洋側など。

「いさなとる 安房の浜辺は魚偏に 京という字の 都なるらん」

にぎわう浜を「京」のようだと「鯨」の字になぞらえて詠んだ狂歌 です。
(江戸時代の文人・狂歌師・大田蜀山人:1805年に勝山を訪れた)
 「いさな:勇魚」はクジラの雅言葉、詩や俳句に使われています。

醍醐新兵衛さんは飢饉の時には蔵を開いて人々に米を放出して助けたり、
幕府に協力し蝦夷地にも行き日本の防衛も含めた蝦夷地開拓に貢献した。 

さらに鯨漁場開拓・銃砲等の捕鯨漁具の開発、水産加工品・缶詰製造法の
研究開発にも努め、明治維新以降は外貨獲得の鯨油の輸出に尽力しました。


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勝山駅前の観光案内所。 案内所ガラス窓に勝山の古式捕鯨図がありました。 
クジラのことを聞くと女性が丁寧に場所を書いて説明してくれました。感謝!
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『案内書類』
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種類のクジラ関連案内書が置かれていて捕鯨史跡・捕鯨方法等も詳しく書かれています。

鋸南町勝山 歴史ハンドブック「クジラの都」(江戸時代の安房勝山・醍醐組クジラ組)
「いさな」による安房の浜辺は都プロぜクト研究会。発行:鋸南町商工会 24n 300円販売中!
やさしい解説書!  これをゲット!


 勝山  くじら塚


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勝山・板井ケ谷(イタイガヤツ)の弁財天には多くの石碑・くじら塚が立って
います。この塚は毎年、クジラの供養と大漁祈願のために建てたそうです。

勝山のくじら塚は漁・鯨解体に加わった漁師・出刃組が中心になって建てたものです。
鯨油・骨粉加工業者である醍醐家は『脇役』でしかなかったといわれています。
西海捕鯨の鯨組主は捕獲・解体・製造まですべてを牛耳っていたので、鯨
供養塔は鯨組主が建て立派です。関東唯一の鯨突き組である勝山捕鯨
『協業システム』では醍醐家は漁・解体にタッチしなかったので塚の形も小ぶりです。

弁財天には、醍醐新兵衛定香が天保9年に寄進した祠があります。

くじら塚は120基以上ありましたが崖崩れなどで現在52基が残っています。
骨を埋めた「くじらの墓」ではなく石を掘っただけの「くじらの塚」です。
その年の捕獲数で墓の大きさに違いがあります。高さは46a〜81a、幅は
30
aほど、奥行き20aほど。大漁年ほど背高です。狭い場所に立っていますが
数が多いので賑やかな感じ。後ろ・横・傾きと時代の経過を残しています。

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(
左)弁才天の鳥居。趣味人には有名な鯨塚ですが探すのに苦労しました。
  (右)道標。近所の人も知らない人が多くなりつつある探索難所。
曲がりくねった狭い道、近くの読売新聞販売店が目印、前の崖に見えました。
『説明案内板』が欲しいですね!道標も!


加知山神社 妙典寺 大黒山


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(左)天保7年(1836)鯨組・醍醐新兵衛定香(七代目)らの絵馬が奉納された「加知山神社」

絵馬に描かれた絵は「出雲国簸ノ川の上流で人身御供の櫛名田姫を救うため、剣を振り
かぎして八岐大蛇に立ち向かう素箋鳴尊。「古事記」「日本書紀」で有名な一場面を描
   いた大絵馬。天保7年は有名な天保の大飢饉の年。ところが勝山浦は、例年にない鯨
  の大漁でその危機をのりきりました。 定香は、自分達を救ってくれた鯨に対し、感謝
  と供養の気持ちをこの絵馬にこめて奉納した。絵馬の裏面には、大きく「鯨
 大漁追福のため、ならびに海上安全祈祷」と書かれています。現在この絵馬は
  鋸南町の菱川師宣記念館に置かれている。(資料:町報歴史資料館)

   (右)鯨組主・醍醐家の墓がある「妙典寺」

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妙典寺にある醍醐家の墓   卒塔婆に開基・醍醐新兵衛の文字
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(左)加知山神社付近から見える大黒山
「鯨見台(一枚岩):やまみだい」があり、各鯨見台(館山の洲崎や大
房岬)から「のろし」の鯨情報が入る勝山・八幡山と共に大黒山は情報
拠点でした。「初代醍醐新兵衛の墓」「捕鯨繁栄の碑」が麓付近にあります。

(右)蜀山人の「クジラの都」の南鋸南コマーシャル!!!!


千葉県の供養碑


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鯨塚(クジラを供養、安房郡白浜町乙浜)      「大鯨」石碑 浦安市稲荷神社(資料:安房博物館)


千葉県立安房博物館


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(
左)千葉県立安房博物館正面入口。 ツチクジラ曳鯨を描いた万祝長着(厚手の半てん状)
万祝長着は、大漁時に鯨組主(又は網元)が従事者・乗組員等に配る習慣がありました。

(
右)万祝着。竜宮城横の旗には地名の「勝山」、鯨組主の「醍醐組」と書かれています。
曳鯨の抵抗を減らすためツチクジラの口ばしは紐(白い線)で縛られています。
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ノルウェー式捕鯨砲になる前に使われたグリーナー砲    グリーナー砲略図 
砲は船首に固定、ツチクジラ捕獲に多く使われ、房総地方に数丁が残されています。

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(左)古式捕鯨時代の銛(もり)類。左から 
「テナゲモリ」(クジラを突き取るモリ、241a、明治30年代) 
「コロシモリ」(クジラに止めを刺すモリ、292a、明治〜大正期)
「セバギリ」(背ビレを切るもの、明治初年〜大正期)

(右)捕鯨砲用モリ 左から 「尖頭モリ」(小型捕鯨用)
「平頭モリ」(モリ先が平ら・海面で跳ねないようにしたもの・小型捕鯨用) 
「空気モリ」(クジラの腹に圧搾空気を入れて風船のように膨らます浮鯨用の空気入れモリ)

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現在の48d未満の小型捕鯨船(模型) ノルウェー式捕鯨砲(口径50_)
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捕鯨砲のモリ・拡大部分   クジラ解体用大包丁・小包丁
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解剖ノコギリ(二人用・一人用)


千葉県立安房博物館企画展


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(
左)企画展パンフレット:万祝着のデザインは「グリーナー砲を用いた操業風景」
グリーナー砲 左の舟からツチクジラまでロープが描かれています。

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右)企画展入口付近・ビデオ:鯨のたれ放映中

第一部『くじらとは』 生物学的な紹介 ツチクジラ 骨格 
第二部『鯨との出会い』 1.寄鯨(よりくじら)寄鯨絵馬 2.古代の人々と鯨 頭骨
第三部『鯨を取る』 1.江戸時代の捕鯨 西海の古式捕鯨図 鯨組・醍醐組・醍醐新兵衛
2.
明治時代の捕鯨 ツチクジラ絵の万祝着 関澤明清(18431897) 漁法の変化 
米国式捕鯨の試験 「ボンブランス」の使用 ノルウェー式捕鯨 経営母体の変遷 
3.
大正時代以降の捕鯨 東海漁業株式会社 外房捕鯨株式会社
4.
各地の捕鯨 紀州和田忠兵衛 米国の捕鯨・モントレー
第四部『鯨とくらし』 鯨食品 『鯨のたれ』VTR 灯油 害虫駆除剤 軟膏 鯨供養碑 鯨塚 
   等々が紹介されていました。平成20719日(土)〜97日(日)

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クジラ脊椎骨の見事な彫刻鬼瓦        房日新聞記事


房総の捕鯨基地の変遷


勝山 館山 白浜(銚子)白浜 千倉 和田 
漁法と鯨種、組織体の変化により捕鯨基地が変っていきました。
醍醐家の変遷など詳しくは下記の『房総半島の400年捕鯨史』をご覧ください。
 


2千万年前のクジラ化石


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千万年前のクジラ化石 (資料:鋸南町[町報歴史資料館])
鋸南町中佐久間の密蔵院(谷の不動尊)に保存されていた化石。寺のお坊さんが
見つけ、大蛇か龍のような伝説の動物骨と思われて「蛇骨」と云われていました。

近年鑑定されクジラのアゴ骨の化石と断定されました。 新生代第三紀中新世佐
久間層から出土し『サクマクジラ』と名付けられました。黒い凸凹の化石で大き
さは縦9a・横15a・幅8a。日本で最も古い「ハクジラの祖先」といわれ体長は
5
b位と考えられている。所蔵:鋸南町歴史民族博物館。

地球上、最初のクジラは5千万年前に海に現れたと云われています。さらに陸を歩
いていた四足のクジラの祖先はカバに近い偶蹄類で6500万年前に出現しています。
   


一茶 浄蓮寺の鯨見物


 一茶の句日記「文化句帖」や「七番目記」を見ると、一茶は勝山村にも3度訪れてい
ます。文化3年(1806)5月、海路木更津に渡った一茶は、富津村、金谷村、元名
村を経て、19日、勝山の浄蓮寺に入りました。浄蓮寺入りは勝山の俳諧仲間、宜明こ
と醍醐新兵衛定恒のすすめであったと思われます。この時、一茶は日記に 「鯨見物」
をしたと記しています。・・・『勇魚』の俳句は見つかりませんでした?
 関東捕鯨の祖、醍醐家は、勝山の鯨組の総取締り、帯刀御免の大名主の家柄で、定恒
は、四代目新兵衛。俳諧をたしなみ、葛飾派溝口素丸の門下で、乾坤宜明と号する俳人
でした。(資料:鋸南町 町報歴史資料館)


現在の勝山風景


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椰子の木・ハワイと間違えそうな風景???? 勝山のパチンコ屋さんでした。


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懐かしい味わい「おにぎりくじら」くじら肉入り 
あぶるとやわらかく美味しい、珍味「くじらのたれ」、レモンや唐辛子をかけて
マヨネーズをつけても美味しい!焼きすぎないこと。 道の駅でゲット!


館山名物   くじら弁当



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館山名物「くじら弁当」館山駅 千円   内容・色どり
電車の発車時刻に合わせて弁当は作ってくれます。所要時間5分くらい。限定30食。お早めに!
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くじら弁当の中味・2種類の煮方と味付け(くじら大和煮・みそそぼろ)。これはマイウー!!!
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面白いくじら弁当の宣伝文      くじら形



横浜マリタイムミュージアム・20年記念・捕鯨と日本人 コマーシャル版



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文化としての捕鯨  古から鯨を捨てるところなく愛してきた
日本人の捕鯨と歴史と文化を紹介
大漁鯨のにぎわい 184851 画:歌川国芳(勇魚文庫蔵)
捕鯨図屏風(右隻)江戸初期 画:土佐光則(複製:国立歴史民族博物館蔵)
鯨一件の巻 江戸後期(上村家本)(個人蔵 写真提供:呼子鯨組) など