アメリカ式捕鯨漁場の移り変わり


アメリカ式捕鯨ボート


資料:Whales,Whaling and Whalecraft by Paul Giambarba

1642年、インディアン銛手を使ってナンタケットで行われた捕鯨は入植地でも
行われ、捕鯨が入植者の大きい位置を占めるようになり、重要な産業に成長しました。
捕鯨技術はバスク人が作り上げたものが殆ど受け継がれているといえます。
対象鯨種はセミクジラに始まり、1712年頃からマッコウクジラが捕獲されはじめると
セミクジラとマッコウクジラが捕られ、マッコウクジラの比率が高まり、マッコウクジラ油が
石油製品に代替され不要になるとヒゲ板が3bと長いホッキョククジラを対象にしています。
ホッキョククジラには歯のかわりにヒゲ板があり女性のファッションに使われました。
当時、捕鯨情報交換は最重要で捕鯨船同志、商船、漁船、軍艦、中継地、基地で行われました。
クジラ捕獲のために好漁場が発見されと沖へ沖へ、遠くへ遠くと進み、航海日数も4〜5年
に延び日本沿岸にまで脚をのばし、最後はベーリング海峡を越えて北極圏に入り氷の中に
入りました。250年にわたる捕鯨漁場の移り変わりを追ってみました。

※注;(セ)はセミクジラ、(ホ)はホッキョククジラ、(マ)はマッコウクジラ
                     
西暦年度漁場の推移
1546年 ラフ゛ラト゛ルにてインディアンが銛 ・弓矢で捕鯨
1583年ニューファント゛ラント゛島(バスクの捕鯨船が操業、スペイン・フランス・イギリスのタラ漁船が操業)
1607年イギリス人がハ゛ーシ゛ニアシ゛ェームスタウン建設
1620年メイフラワー号ケーフ゜シ゛ェムス(ケーフ゜コット゛)に到着、あとフ゜リマスに入植
多くのクジラと、インディアンのクジラ・イルカ漁を見る。
1630年入植者は食料としてイルカを食べる。
1630年代(バスク人はスヒ゜ッツヘ゛ルケ゛ン島で海岸に搾油基地を設置できなくなり船上搾油方法を開発した。
舷側クジラ解体とあわせ400トン級で外洋捕鯨)
1642年ナンタケットではインディアンを使って捕鯨をさせる。
1644年ロンク゛アイラント゛のササ゛ンフ゜トン入植地で漂着クジラを捕った。
1650年頃入植者は漂着クジラを共有物として利用
ニューインク゛ラント゛海岸でインディアンを雇い捕鯨始まる。最初のアメリカ捕鯨
1650年代ロンク゛アイラント゛・コネチカッット・ロート゛アイラント゛・マサチューセッツ
1672年ナンタケット
1680年ニューフ゜リマス
1698年ナンタケットの沖合いに出て捕鯨(セミクジラ資源減少のため)
1712年ハッシー船長ナンタケット沖に流されマッコウ捕獲、マッコウ捕鯨始まる
1715年30トン級の捕鯨船6週間分の食料を積み沖合いへ「外洋捕鯨」
1726年頃ナンタケット(沿岸ホ゛ート捕鯨)はピークを迎えた
1720〜1730年代 <南行き>南航海
カロライナ沿岸⇒カリフ゛海・ハ゛ハマ(マ)・西イント゛諸島
<東行き・北東>
ニューファント゛ラント゛島・ク゛ラント゛ハ゛ンクス(マ)(大西洋カナタ゛沖)
1732〜1746年北へ40〜50トンの船でパックアイス(氷)広がるテ゛ーヒ゛ス海峡(セ)(ク゛リーンラント゛・カナタ゛間)
オランダの400トン級大型船に混じって操業
1740年代南アメリカ大陸南下、東のアフリカ・コンコ゛沖
西へ、カナリア諸島、アソ゛レス諸島(ウェスタン諸島)
1751年北へ、ハ゛フィン湾テ゛ィスコ島(ホ)(ク゛リーンラント゛・カナタ゛間)
1761年セントローレンス湾・ヘ゛ルアイル海峡・ラフ゛ラト゛ル(セ) (カナタ゛南東部)
1763年<ウェスタン>アフリカ北西岸アフリカ・キ゛ニア湾(マ)
1765年ウ゛ェルテ゛岬諸島(アフリカ・セネカ゛ル沖)
アソ゛レス諸島(大西洋ホ゜ルトカ゛ル西方)
カリフ゛海 メキシコ湾
1770年代<赤道越え南大西洋>
1774年フ゛ラシ゛ル海岸
1775年フォークラント゛諸島(アルセ゛ンチン沖)
<太平洋へ>
1791年太平洋チリ海岸
1791年頃ケーフ゜ホーンから東へ、オーストラリア・シト゛ニー沖、ニューシ゛ラント゛
1800年頃太平洋を北へハ゜ナマ湾
1818年カ゛ラハ゜コ゛ス西方海域  ※1815〜24年平均航海日数29ヶ月
<オフショア・ク゛ラウント゛>
⇒赤道海流。マルケサス・エリス・キ゛ルハ゛ート゛諸島(ホ゜リネシア付近)⇒<シ゛ャハ゜ン・ク゛ラウント゛>
1820年頃@<シ゛ャハ゜ン・ク゛ラウント゛>
黒潮・偏西風・北米西岸⇒南下カルフォルニア半島
「ハ゛ハ・カルフォルニア」⇒ハワイ⇒<オフショア・グラウンド>
Aオフショア・グラウンド⇒貿易風ハワイ近海⇒北緯30度線⇒オフショア・グラウンド
<喜望峰廻り>
喜望峰⇒オーストラリア・ニューシ゛ラント゛⇒「ミドルグラウンド」
@「ミドルグラウンド」北へ⇒南緯22〜28度を東へ、ヒ゛トケアン島・イースター島(チリ東方)
南米海岸⇒タルカウノ・ハ゛ルハ゛ライソ・ハ゛イク・トウンヘ゛ス⇒オフショア・グラウンド
A「ミドルグラウンド」⇒ソシエテ諸島(タヒチ)反転 サモア・フィーシ゛ー諸島
南下「ミドルグラウンド」
1836年アラスカ湾「コディアック・グラウンド」(セ)
1845年オホーツク海(セ)※1842年〜57年平均航海日数42ヶ月
1848年ヘ゛ーリンク゛海・ヘ゛ーリンク゛海峡・北極海域
コマント゛ルスキー島・カムチャッカ半島
1849年ヘ゛ーリンク゛海⇒北極海
1840年代1850年代北太平洋の寒帯域へ。ハワイのホノルルが基地となる。
(マッコウクジラ⇒セミクジラ⇒ホッキョククジラ)
1854年アラスカ北西部海域
1860年代チュトコ海北東海域〜ホ゛ーフォート海(ホ)
ナハ゛リン岬・アナテ゛ィール湾・リス゛ハ゛ーン岬・ハ゛ロー岬(ホ)
1870年代以降北アラスカ
1871年・1876年遭難事件発生、多くの捕鯨船と人命を失い帆船捕鯨の終わりに近づける
1914年アメリカ式帆船捕鯨、最後の航海


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