| 上海博物館にある二件の銅牌飾は、夏゚代晩期のものとして展示されているが、これは斉家文化のものである。台湾の国立故宮博物院にある銅牌飾も、台湾の黃翠梅博士の論文では二里頭文化のものとされているが、これも斉家文化のものである。考古学の論文では斉家文化に銅牌飾は無いとされているが、斉家文化に銅牌飾はある。その根拠は上海博物館の銅牌飾と台湾の国立故宮博物院の銅牌飾が、斉家文化地帯出土のものだからである。 下に上海博物館の二件の銅牌飾と、台湾の国立故宮博物院の一件の銅牌飾を示したが、このものは斉家文化地帯出土の銅牌飾である。斉家文化地帯出土のものである証拠がある。
上海博物館の収蔵記録には「来源:传为2003年6月甘肃临夏广河县城关镇温家坪齐家文化遗址出土」(=伝承として2003年6月に甘粛臨夏広河県城関鎮・温家坪(齐家文化)出土とされる)という記録があり、甘粛省の温家坪齐家文化遗址は斉家文化地帯である。よってこのものは斉家文化から出土したものである。 台湾の国立故宮博物院に収蔵されている銅牌飾は、台湾の黃翠梅博士の論文「功能與源流:二里頭文化鑲綠松石銅牌飾研究」(故宮學術季刊 第三十三卷第一期)の中にあり、二里頭文化ものものされている。しかしその同じ銅牌飾が、黃銘崇氏の論文「 邁向重器時代──鑄銅技術的輸入 與中國青銅技術的形成 黃銘崇」にも載っていて、「傳甘粛天水麦積山」のラベルがある。甘粛省の天水麦積山は斉家文化地帯である。よってこのものも斉家文化のものである。下は黃翠梅博士の論文にある銅牌飾と黃銘崇氏の論文にある銅牌飾で、両者を比較して見れば全く同じものであることがわかる。
上海博物館に収蔵されているものも、国立故宮博物院に収蔵されているものも、出土場所については、正式な発掘ではなく、骨董商が持ち込んだ際の伝承としての出土地の可能性がある。両者とも出土地の前に「傳」の文字が付いている。骨董商からの出土地ならば、信用し難いという見方があるかもしれない。しかし「傳」の文字があっても出土地は斉家文化地帯であることを示している。そしてこれらのものが二里頭文化のものとする根拠は全く無い。紋様の点から見れば、二里頭文化の銅牌飾(二里頭遺跡から出土した三個の銅牌飾)と全く似ていない。 紋様から見ると、上海博物館、及び故宮博物院の収蔵のものは、動物の頭部と角の部分が上下に分離している紋様で、未だ動物の頭部の印象が残っている。一方二里頭文化(二里頭遺跡出土)のものは、紋様が進化して神様に近づいた紋様になっている。二里頭文化の銅牌飾は夏王朝の礼器としての位置づけになっている可能性もある。二里頭文化の出土品には動物の頭部のような素朴な紋様は無く、頭部と角が上下に分離した紋様の出土例も無い。両者の紋様には格段の差がある。二里頭文化の銅牌飾は象嵌の技術においても格段に進化している。紋様と象嵌技術の差を下の画像で比較していただきたい。 上に上海博物館の銅牌飾と国立故宮博物院の銅牌飾を並べ、下に二里頭遺跡から出土した二里頭文化の三個の銅牌飾を並べてみた。その上下の銅牌飾を比較されたし。
![]() 二里頭遺跡から出土した銅牌飾は紋様が進化し神格化していて、夏王朝の神の域に達している可能性もある。これらは後の饕餮紋(とうてつもん)の原型とも考えられている。このように二里頭文化の銅牌飾は、上海博物館のものと国立故宮博物院のものと比較すると、紋様の点においても、トルコ石象嵌の技工技術の点においても、遥かに進歩している。 上海博物館に展示されているニ個の銅牌飾は、夏代晩期のものとして展示されているが、夏代晩期のものではなく、斉家文化ものである。また国立故宮博物院の銅牌飾は、黃翠梅博士の論文において、二里頭文化ものとされているが、これも二里頭文化のものではなく斉家文化ものである。 なお下は、台湾の黃翠梅博士の論文「功能與源流:二里頭文化鑲綠松石銅牌飾研究」の中の図であるが、その中の④のものが国立故宮博物院収蔵のもので、二里頭文化のものとされている。しかしこの図からも国立故宮博物院収蔵のもの(④の銅牌飾)が、他の二里頭文化もののとされる銅牌飾とは全く似ていないことが分かる。 ![]() 現在、考古学者に知られている銅牌飾は、上の黄翠梅博士の論文の17個と、上海博物館のものと国立故宮博物院のもの計3個で、合計20個だけである。その中で出土地が分かっているものは、二里頭文化のもの3個、長江文化(三星堆遺跡など)のもの3個、合計6個だけで、残りの14個は出土地は不明である。その出土地が分かっていない14個の銅牌飾の全てを二里頭文化のものとしているのは、銅牌飾の論文としていかがなものか。 上海博物館のニ個の銅牌飾と、国立故宮博物院のものは、収蔵の記録に「傳」がついている。「傳」の意味は伝承としての意味であり、正規の発掘品ではないことを示してる。恐らく骨董商などが博物館に持ち込む際に説明した出土場所なのだろう。だからといってその出土場所が間違いであるという根拠も無い。 一般に骨董商が、博物館に出土した文物を持ち込む際に、価値がある文化地帯出土のものとして博物館に持ち込む場合があるかもしれない。それであれば斉家文化のものではなく、むしろ二里頭文化のものとした方が付加価値は付くはずでる。そうすればそのものは、中国最初の夏王朝のものであり、中華文明の中心の中原からの出土したものと説明できるからである。しかし何故か骨董商はそうしなかった。二里頭文化のものとする根拠が全くなかったからだろう。又は本当に甘粛省の温家坪斉家文化遺跡から出土したものであることを知っていたり、実際に甘粛天水麦積山のラベルが付いているものであったりして、それを無視できなかったからだろう。 余談ではあるが、あるチャットAIに聞いてみると、「傳」が付いている出土地は信用できない、信頼できるのは正式な発掘調査によるものであるとの見解が示された。しかし「傳出土地」の情報と共に、模様の特徴なども合わせて参考にすれば、「傳出土地」の情報は信用するに十分足りるものだと考えられる。それより問題にすべきは、上に挙げた出土地不明な14個の銅牌飾は、正式な発掘調査によるものではなく、殆どが骨董商とかが国外に持ち出したものであり出土地不明である。それなのにそれらを二里頭文化ものとしている点は、銅牌飾についての論文の大きな問題点である。そう言う結論になるのは斉家文化に銅牌飾は無いという、考古学界の常識を前提としているからではないだろうか。 「伝」が付いていても、その表記は正しいと思われるものがある、それは日本のMIHO博物館に収蔵展示されている銅牌飾で、下のものがそれで「伝二里頭文化」として展示されている。このものの出土地は明らかではない。正式な発掘記録も無い。しかしこの銅牌飾は「伝」が付いていても、紋様、象嵌の技工から見て、二里頭文化地帯からの出土とするのが正しいと考える。夏王朝の貴族が身に着けるにふさわしいものである。二里頭遺跡から出土した三個の銅牌飾は、夏王朝の貴族の墓から出土したものとされていて、MIHO博物館に展示されている銅牌飾は、それらの三個と同じくらいのレベルのものだと考えられる。 ![]() 以上 |
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