上海博物館に展示されている二つの銅牌飾は斉家文化のものだった
ー上海博物館には斉家文化地帯出土の記録があったー
佐倉市  本間崇義

 上海博物館に展示されている二つのトルコ石象嵌の銅牌飾は、無いとされている斉家文化のものだった。その証拠は上海博物館の公式データーベースにあった。私は以前、上海博物館に展示されている二つの銅牌飾のうちの一つは、斉家文化地帯から出土したものであることを既に発見していた。しかし今回、ChatGPTを使って質問してみると、上海博物館の公式ページに二つとも斉家文化地帯で出土したものであることの記録があることが分かった。


 ChatGPTを使ってのチャットで、下記のような出土場所についての記録があることがわかった。甘肃临夏广河县城关镇温家坪齐家文化遗址出土と書かれている。ここは明らかに斉家文化地帯である。斉家坪遺跡はアンダーソン博士が発見した斉家文化の遺跡だった。
 
上海博物館公式ページより
 収蔵ページ(ID: CI00159774 相当、同類の別個体)
 収蔵ページ(ID: CI00159784 相当)
 名称(要旨):镶嵌绿松石兽面纹牌饰(夏代/夏晚期)

サイズ:長 14.6 cm、幅 7.2 cm(表示あり)。

工芸法:范铸法、镶嵌 等。
 名称(要旨):镶嵌兽面纹牌饰(夏代/夏晚期)

 サイズ:長さ 15.7 cm、幅 9.8 cm(表示あり)。

材質・工芸:铜、绿松石、铸造・镶嵌
出所表記(原文の趣旨の抜粋):
「来源:传为2003年6月甘肃临夏广河县城关镇温家坪齐家文化遗址出土」(同様に「伝」として温家坪出土とされる旨の記載)。 

出所表記(原文の趣旨の抜粋):
「来源:传为2003年6月甘肃临夏广河县城关镇温家坪齐家文化遗址出土」(=伝承として2003年6月に甘粛臨夏広河県城関鎮・温家坪(齐家文化)出土とされる)。 

 この記録には「来源:传为2003年6月甘肃临夏广河县城关镇温家坪齐家文化遗址出土」とあり、温家坪斉家坪文化遺跡から出土したとある。だからこの二つのものは明らかに斉家文化のものである。但し出所記録に「傳」とあるので、恐らく古物商とかブローカーとから手に入れたものであろう。不思議なことはこれだけの根拠があるのに、博物館の展示には夏代晩期のものと表示されている。中国の論文では斉家文化に銅牌飾は無いとされいる定説に従って、この二つは夏代晩期のものとしたのかも。


銅牌飾に関する私の三つの発見

第一の発見;2019年9月頃、画像検索によって甘粛省回族自治州の広河県阿力麻土郷から
銅牌飾が出土していることを発見。

第二の発見;2024年2月頃、上海博物館の東館が新たに開館になり、そこに二つの銅牌飾が展示されていて、
が上海博物館に展示されていることを見つけ、
そのうちの一つは、広河県阿力麻土郷から出土したものと全く同じものであることを発見。

第三の発見;2025年10月頃、ChatGPTによって、上海博物館に展示されている二つの銅牌飾は
甘粛省の温家坪齐家文化遗址出土との記録があることを発見。
この第三の発見は上で述べたもの。


第一の発見:甘粛省の広河県阿力麻土郷から銅牌飾が出土しているのを発見

 2019年9月頃、中国語のネットのページから、画像検索で甘粛省回族自治州の広河県阿力麻土郷から、銅牌飾が出土しているのを発見した。そのページには中国語の説明があり、そこには「阿力麻土郷出土の斉家文化の銅牌飾は、二里頭文化のものより早期のもので、その芸術、歴史、考古学価値、夏文化の研究において重要な意義があるものである。このものは斉家文化のものであると同時に、夏王朝のものと重要な関係がある」と明確に書かれていた。このことを見れば、斉家文化には銅牌飾があり、斉家文化の銅牌飾は夏王朝の銅牌飾のルーツであることが明確に書かれていた。

そのネットのアドレスは、https://www.doc88.com/p-1781306849194.html で
広河県阿力麻土郷から出土した銅牌飾は下のものである。



甘粛省の広河県阿力麻土郷から銅牌飾だ出土しているとする情報は、
別の中国語のページでも確認できる。

URLは     https://history.sohu.com/a/782661809_121119349
タイトルは   为何齐家文化出土文物和二里头极其相似,难道它是先夏?真知堂
タイトルの訳は  「斉家文化から出土した遺物が二里頭遺跡のものとこれほど
似ているのはなぜか?夏王朝以前の遺物である可能性はあるのか?」

その中国語のページには広河県阿力麻土郷から出土したとする銅牌飾の画像がある。
画像の下の説明には、これは広河県阿力麻土郷から出土したトルコ石象嵌の銅牌飾であると
説明が書かれている。
这面广河县阿力麻土乡出土的镶绿松石青铜牌饰,长15.5厘米、宽10.5厘米,

下が上のぺージにある広河県阿力麻土郷から出土したトルコ石の象嵌のある銅牌飾の画像である。



第二の発見:上海博物館東館に展示されている銅牌飾は広河県阿力麻土郷から
出土したものだった


 2024年2月2日に新たに上海博物館東館が開館になり、そこに銅牌飾が二つ展示されていることを見つけた。その銅牌飾のうちの大きい方のものは、甘粛省の広河県阿力麻土郷から出土した銅牌飾と全く同じであることに気が付いた。その広河県阿力麻郷出土の銅牌飾は2019年9月頃にネット検索で見つけたものである。そこで両者の写真を並べてみると、目の位置とかトルコ石の形状、紋様が獣面紋様であることなど全く同じであるが分かった。広河県阿力麻土郷から出土した銅牌飾の錆や汚れを落とせば、上海博物館東館に展示された銅牌飾となることがはっきりと分った。広河県阿力麻土郷から出土した銅牌飾が、上海博物に展示されているのであり、上海博物館に展示されている銅牌飾(大きい方のもの)は斉家文化のものなのである。下に二の銅牌飾の写真を並べてみたが、二つは同じものである。
甘粛省臨夏回族自治州の
広河県阿力麻土郷から出土した
銅牌飾
上海博物館東館の
中国古代青銅館に
展示されている銅牌飾

 このことを九州大学の宮本一夫博士(中国古代史が専門の考古学者、著書多数)にメールでご報告申し上げたところ、早速翌日にご返事をいただいて、「これで、二里頭文化の銅牌飾が斉家文化に起源することはより有力になりました」と、新発見を認めて頂いた。


上海博物館の銅牌飾の本当の出土地はどこなのか

 私が中国語のネットのページから見つけた銅牌飾の出土地は、甘粛省回族自治州広河県の阿力麻土郷である。一方上海博物館の収蔵記録には甘粛省広河県の城关镇温家坪斉家文化遗址とある。何れも広河県の中である。斉家坪遺跡は、今から100年前(1924年)にアンダーソン博士が発見した有名な遺跡で、それでその文化が斉家文化と命名された程の有名な遺跡である。上海博物館の収蔵記録にある温家坪は、アンダーソン博士が発見した斉家坪遺跡から数キロ以内で同じ丘陵にあるらしい(GhatGPTのチャットで聞いてみた)。また温家坪斉家文化遺跡という遺跡は考古学の発掘記録には無いようである。尚、上海博物館の記録には二つとも「来源:传为2003年6月甘肃临夏广河县城关镇温家坪齐家文化遗址出土」とあり、(傳)の文字があるので、正規の発掘゚調査ではなく、骨董商とかが二つの銅牌飾を博物館に売り込んだものである可能性が高い。だから博物館に持ち込んだ者が、あえて有名な斉家坪遺跡の近くの温家坪と言った可能性もある。どちらの出土地が正しいのか分からないが、阿力麻土郷であれ、温家坪斉家文化遺跡であれ、アンダーソン博士が発見した斉家坪遺跡の近くであり、この二つの銅牌飾の出土地は斉家文化地帯のど真ん中からのものであることに間違いない。下の図はアンダーソン博士が発見した斉家坪遺跡と、広河県阿力麻土郷の近さを地図で示した。その距離は30㎞以内である。



中国の考古学界では斉家文化に銅牌飾は無いとされているが

 下の図は台湾の黃翠梅博士の2015年の論文「功能與源流:二里頭文化鑲緑松石銅牌飾研究」の中の図であるが、この時点で、考古学者に知られた銅牌飾は17個しかなく、このうち出土地が分かっているのは7個しか無い。二里頭遺跡からのものが3個、三星堆遺跡からのものが3個、甘粛省天水から出土のものが1個で、計7個だけである。全17個のうち三星堆遺跡から出土のもの以外は二里頭文化のものだとしている。このうち甘粛省天水は斉家文化地帯であるが、天水出土のものを二里頭文化のものだとしている。この時点の論文では斉家文化に銅牌飾は無いとされている。出土地不明なものを、全て二里頭文化のものと断じているのは根拠に乏しいと言わざるを得ない。



黄翠梅博士の論文の④の銅牌飾(故宮博物館収蔵)は斉家文化のもの

 

 黄翠梅博士の2015年の論文「功能與源流:二里頭文化鑲緑松石銅牌飾研究」の中の④の銅牌飾は、台湾の国立故宮博物館に収蔵されているものである。これと同じ銅牌飾が、同じ台湾の黃銘崇博士の2014年の論文「 邁向重器時代──鑄銅技術的輸入 與中國青銅技術的形成 黃銘崇」(民國一○三年十二月2014年)に載っている。それには「傳甘粛天水麦積山」との表示がある。甘粛省天水は斉家文化地帯である。だからこのものは斉家文化のものである。これも「傳」と付いているので正式な発掘調査によるものではないではないことを示している。

 実は黄銘崇博士の2014年の論文には三個の銅牌飾が個載っている。そのうちの一個が(傳)甘粛省天水出土のものである。下の画像で、黄翠梅博士の2015年の論文に載っているものと、黄銘崇博士の2014年の論文に載っているものと全く同じものであることを示した。つまり2014年の論文にはこのもの(台湾の国立故宮博物館に収蔵されているもの)は、天水麦積山から出土したものである。従って、黄翠梅博士の2015年の論文に載っている④の銅牌飾は、斉家文化のものである。下の写真は15年の論文と14年の論文に載ったものが同じものであることを示すために並べてみた。
黃翠梅博士の
2015年の論文に
載っているもの
黃銘崇博士の
2014年の論文に
載っているもの
2014年の論文に
載っているものを
画像処理したもの

 また黄翠梅博士の2015年の論文には17個の銅牌飾が載っているが、国立故宮博物館収蔵のもの以外にも、もう一つだけ天水出土の銅牌飾がある。それは下の左のものである。だから15年の論文中には斉家文化地帯の甘粛省天水から出土した銅牌飾は二件あることになる。黄翠梅博士の論文では二件とも二里頭文化のものとしているが。この天水出土のものは天水博物館に斉家文化のものとして展示されている。黄翠梅博士がこのものを二里頭文化のものとしているのは斉家文化に銅牌飾は無いと信じているからだろう。
天水出土
の銅牌飾
故宮博物館
の銅牌飾


考古学者に知られている銅牌飾は17個だけであるが、
論文に取り上げられていない銅牌飾が沢山ある


 黃銘崇博士の論文「 邁向重器時代──鑄銅技術的輸入 與中國青銅技術的形成 黃銘崇」(2014年)には、 三個の銅牌飾が載っている。このものの紋様は凹の字が二つ重なった特徴のある紋様である。この銅牌飾の紋様をを凹型二重紋様と名付けると、黄銘崇博士の2014年の論文にある三個は、全て凹型二重紋様である。

 しかし不思議なことに黄翠梅博士の2015年の論文「功能與源流:二里頭文化鑲緑松石銅牌飾研究」には、傳甘粛天水麦積山の表示のある銅牌飾一つだしか載っていない。黄翠梅博士は黃銘崇博士の2014年の論文も気が付いていないようである。他の二つは付けられたラベルから見ると海外で所蔵されているもののようである。
 


 凹型二重紋様とは凹の字が上下二重に重なった紋様で、私が勝手につけた名前であるが、この他に凹型二重紋様の銅牌飾は他にも沢山あった。山東大学の王青博士の2009年の論文にも二個登場していたが、それを博士は偽物だとしている。


  山東大学の王授がニューヨークで見たものだとする二つの銅牌飾は凹型二重紋様である。王青博士の論文「紐約新見兩件镶嵌銅牌飾辯僞」(ニューヨークで見た二件の象眼銅牌飾は偽物であると訳せる)では、王青教授はこの凹型紋様の銅牌飾を偽物だと断じている。王青博士はこのような紋様を見たことが無いからだろう。台湾の国立故宮博物館に同じようなものがあると知れば、これは本物だと言うかもしれない。下は王博士がニューヨークで見たとする二件の銅牌飾。実はその右のものは、黃銘崇博士の論文にある三個の銅牌飾のうちの一個と全く同じものである。
 王博士がニューヨークで見たとする二件の銅牌飾 黄銘崇博士の論文に
ある銅牌飾
王青博士が見たものと
同じである
 


凹型紋様の銅牌飾も沢山ある、は日本にも存在していた

 尚、凹型二重紋様の銅牌飾は日本にも存在していたらしい。台湾の圓国際芸術公司の2024年春季(3月3日)のオークションに下の左のものが出品されている。日本の酒井家の旧蔵品だという。これは黄銘黄博士の2014年の論文にある三個のもののうちの一つ(Gisele Groesと名前があるもの)とソックリである。しかしよく見ると同じものではない。これほど似たもを作れるのは工房が同じであったに違いない。それは甘省の天水であったかもしれないし、甘粛省の斉家坪遺跡の近くかもしれない。そしてこの凹型二重紋様の銅牌飾が斉家文化のものだとする根拠はあるが、二里頭文化のものだとする根拠は全くない。

 問題なのは多くの銅牌飾が海外に流出゚してしまっていることである。考古学者に知られている銅牌飾17個のうち、中国国内に残っているものは7個に過ぎない。その全てを二里頭文化のものとしているのは根拠に乏しい。下は酒井家旧蔵のものとされるものと、Gisele Groes 所蔵と思われるもの。二つのものはよく似ている。



銅牌飾はネット検索で沢山の銅牌飾が見つかる

 中国の考古学者が知っている銅牌飾は17個だけらしい。しかし画像検索などで銅牌飾はたくさん見つかる。それの多くは海外に流出してしまっている。考古学者はそれらを探し出して研究に役立てなければならないのではなかろうか。そうすれば銅牌飾は二里頭文化だけにあるのではないことも理解できると思う。下はネット検索で探しだした銅牌飾である。この中にも凹の字の紋様はある。下の銅牌飾のうち上の一列四件は全て凹型紋様である。

 

ネットの画像検索で銅牌飾は他にもある 画像検索等で探し出した銅牌飾(←クリック)


夏王朝の銅牌飾のルーツは斉家文化にある

 夏王朝の偃師(えんし)二里頭遺跡から三個の銅牌飾が出土しているが、そのルーツは斉家文化にあることは、 上海博物館に展示されている銅牌飾と、夏王朝の三個の銅牌飾を並べてみると分かる。上海博物館にある銅牌飾は二里頭文化のものと比べると、二里頭文化の前駆的な紋様の様に見える。二里頭文化の銅牌飾では紋様がより抽象化され、洗練されたデザインになっている。銅牌飾は斉家文化で既に出現していたのである。
 上海博物館に展示されている銅牌飾
斉家文化のもの
  ⇒   夏王朝の二里頭遺跡から出土した銅牌飾
二里頭文化のもの


凹型二重紋様の銅牌飾は斉家文化のものである

 黄翠梅博士の論文にある台湾故宮博物館蔵の凹型二重紋様の銅牌飾は斉家文化のものである。上海博物館に展示されている銅牌飾も斉家文化のもので凹型の銅牌飾である。北京の回族の骨董屋のコレクションも同じような凹型紋様がある。(この北京の回族の骨董屋のコレクションについては後述)。これらの凹型紋様は、二里頭文化の獣面紋様の銅牌飾の前駆的なものだったと考えられる。
 斉家文化の銅牌飾
凹型紋様
国立故宮博物館収蔵
 斉家文化の銅牌飾
凹型紋様
上海博物館収蔵
斉家文化の銅牌飾
北京の回族の骨董屋の
コレクション
 
  二里頭文化
夏王朝の獣面紋の
銅牌飾
   ⇒ 


私の収集した銅牌飾は夏王朝銅牌飾のルーツとなるものである

 北京で私が収集した銅牌飾は下のようなもので、人面紋と獣面紋の二種類がある。しかし方考古学者に知られた銅牌飾の中では人面紋は一個しか知られていない。その一個の人面紋の銅牌飾は下の右の写真のものである。その二里頭文化の人面紋によく似た銅牌飾を多数収集した。私の収集したものは夏王朝(二里頭文化)の銅牌飾ととてもよく似ているが、二里頭文化のものよりも技術的にも紋様の完成度においても二里頭文化以前のものであることが分かる。斉家文化の銅牌飾が夏王朝(二里頭文化)の銅牌飾になったことは明らかである。

私の収集品で斉家文化の人面紋の銅牌飾  ⇒ 夏王朝の
人面紋の銅牌飾

 斉家文化は多くの玉器が出土する文化だが、斉家文化には青銅器と同じ同じ形状、紋様、同じ象嵌の技工で作られた玉器が存在する。夏王朝(二里頭文化)の銅牌飾の人面紋のルーツとなる紋様、技工は斉家文化の玉器にも見られる。
人面紋の玉器(斉家文化、私の収集品)

 次は獣面紋であるが、獣面紋についても斉家文化の角のある動物のリアルな頭部紋様が、夏王朝(二里頭文化)に伝播してより抽象的な銅牌飾になったことがわかる。
私の収集品で斉家文化の獣面紋のもの  ⇒  二里頭文化の
銅牌飾


私の収集品は二里頭文化のものではあり得ない、
斉家文化地帯から出土したものである


 私の収集品は二里頭文化のものである可能性は全くない。斉家文化地帯から出土したものである。何故なら私の収集品は、北京で商売をしているイスラム教徒の回族の馬さん(複数の)から買ったものでる。彼らの姓は殆ど馬(マー)であった。一方、アンダーソン博士の著書「黄土地帯」の360ページに次のような記述がある。「この河の住民は全部とは言わぬまでも、主として回教徒だった。彼らの姓はいずれも馬(マー)であるが、それは教祖マホメットの頭文字に由来するということだった」と書かれている。このことから北京で商売をしている回教徒の回族の馬さんと、アンダーソン博士が発掘調査(1924年)した辺りの住民の回教徒の馬さんとは同郷であることが分かる。つまりアンダーソン博士が約100年前に調査した辺りで、斉家文化の文物を掘り出すのは回族の馬さんであり、それれらを北京で売り捌いているのも回族の馬さんなのである。

 北京で商売をしている回族の馬さんと、甘粛省の黄河上流に住んでいる回族の馬さんとの関係は、彼らが扱っている商品を見れば明らかである。北京の回族の馬さんが扱っている商品の殆どが、アンダーソン土器である。アンダーソン土器とは今から100年前にアンダーソン博士が、黄河上流地帯を調査して発見した土器である。その土器を北京の回族の馬さんが売っている。北京から遠く離れた斉家文化地帯に住む回族と、北京の潘家園という骨董市場で商売をしている回族の間には、その両者を結ぶルートがあると考えられる。


北京の回族の骨董商は斉家文化に銅牌飾があることを知っていた

 北京の回族が営む「禄博斎」という骨董商のパンフレットには、銅牌飾が斉家文化の物として載っている。「禄博斎」のパンフレットに載っている品物は殆んどが黄河上流地帯(甘粛省、青海省)から出土する、土器、石器、玉器、青銅器である。黄河上流地帯の出土物専門の骨董屋である。この骨董屋の店主の姓も「馬」であった。そこのパンフレットの中には斉家文化のものであると明記してある銅牌飾が載っている。英文の説明でもQijiaCulture(斉家文化)と書かれている。北京の回族の「禄博斎」という骨董屋の店主は、斉家文化に銅牌飾があることを知っているのである。恐らくこの店主の出身地は甘粛省の斉家文化が栄えた辺りで、その辺の青銅器の出土物は斉家文化のものであることを知っているのだろう。つまり「禄博斎」の店主は、考古学者も知らないこと、つまり斉家文化に銅牌飾があることを知っているのである。




 ところで北京の回族の骨董商から貰ったパンフレットに載っていた銅牌飾と、上海博物館夷展示されている銅牌飾とはよく似ている。両者とも動物の頭部と、角の部分が上下に分離した凹型紋様である。もし仮に北京の回族の骨董商がこのものを、上海博物館に売り込めば、買い取ってもらえるのではないだろうか。そうなれば上海博物館に斉家文化の銅牌飾は三個あることになる。

 このパフレットには品名が英語でも書いてある。このパンフレットはもしかしたら海外のコレクターの為のものでもあるのでなかあろうか。実際に銅牌飾は海外のコレクターや博物館に沢山売られている。日本のMIHOミュージアムにも収蔵されている。上海博物館に収蔵されている二件の銅牌飾りも、「来源:传为2003年6月甘肃临夏广河县城关镇温家坪齐家文化遗址出土」と記録されているので、骨董商とかブローカーが持ち込んだものと考えられる。
北京の回族骨董商のコレクシ
ョン(パンフレット)にある
銅牌飾
上海博物館に収蔵されている銅銅飾


私の第一の発見の記録:甘粛省の広河県阿力麻土郷から出土した銅牌飾

 2019年9月頃、画像検索によって甘粛省の回族自治区の広河県阿力麻土郷から銅牌飾が出土していることを発見した。そのネットのアドレスは 
https://www.doc88.com/p-1781306849194.html
 もし上のURLが消えたり、ページが表示できないと、広河県阿力麻土郷出土の銅牌飾の証明が出来なくなるので、念の為そのページのコピーを下に張りつけておく。





 広河県阿力麻土郷出土の銅牌飾に付いてのページがあるが、そこには中国語の説明がで、「阿力麻土郷出土の斉家文化の銅牌飾は、二里頭文化のものより早期のもので、その芸術、歴史、考古学価値、夏文化の研究において重要な意義があるものである。このものは斉家文化のものであると同時に、夏王朝のものと重要な関係がある」と明確に書かれている。このことからも「夏王朝の銅牌飾のルーツは斉家文化にある」ことは明らかである。

なお、甘粛省の広河県阿力麻土郷から銅牌飾だ出土しているとする情報は、
別の中国語のページでも確認できる。
URLは     https://history.sohu.com/a/782661809_121119349
タイトルは   为何齐家文化出土文物和二里头极其相似,难道它是先夏?真知堂
タイトルの訳は  「何故斉家文化から出土した遺物が二里頭文化のものとこれほど
似ているのかか?もしかして夏王朝以前の遺物であるのか?」

下はそのページに載っていたトルコ石象嵌尾銅牌飾、上のページに載っていた銅牌飾と全く同じもの。
説明には、これは広河県阿力麻土郷出土のものと明記されている。



以上