二里頭文化の銅牌飾の紋様のルーツは人の顔、または牛の頭部である
佐倉市 本間崇義

 夏王朝の二里頭遺跡から三個の銅牌飾が出土しているが、これらの二里頭文化の銅牌飾の紋様は何を表しているのか。中国の論文によると龍だとか神面像だとか様々である。しかし私の収集品及びアモイの上古文化芸術館の展示品と、二里頭文化の銅牌飾をを並べてみると、そのルーツの一つは人の顔、もう一つは牛の頭部、であることは明らかである。一方中国の論文では、その紋様のはルーツは龍だとか神面像だとかだとであるが、斉家文化の出土物と比較して見れば人の顔であり、牛の頭部であり、身近な生き物であった。

 夏王朝の偃師二里頭遺跡から出土した三個の二里頭文化の銅牌飾は、それぞれ、M4:5、M11:7、M57:4と記号が付けられている。M4、M11、M57のMは墓を意味している。そのM4:5は人の顔、M11:7は牛の頭部がルーツである。

下は夏王朝の偃師二里頭遺跡から出土した三個の二里頭文化の銅牌飾


二里頭文化のM4:5の銅牌飾のルーツは人の顔である

 下の様に右に二里頭文化の銅牌飾(M5:4)を置き、その左にアモイの上古文化芸術館に展示されている銅牌飾でと、私の収集品とを並べてみれば、人の顔がルーツであることは疑いもない。アモイの上古文化芸術館に展示されている銅牌飾はハッキリと人の顔であるり、斉家文化のものだと明記されて展示されている。一方二里頭文化の銅牌飾は象嵌の技術において格段に進化している。また、私の収集品はアモイの展示品と同じ人面紋であることからも斉家文化のものと言える。斉家文化の人の顔の紋様が二里頭文化の銅牌飾に伝播したのは明らかである。
アモイの上古文化芸術館
に展示されている銅牌飾
私の収集品で斉家文化の人面紋の銅牌飾    ⇒ 二里頭文化の銅牌飾
(M5:4)

 下に並べたのは青銅器ではなく玉器である。同じ形、同じ紋様の玉器と青銅器が存在するのは斉家文化だけである。良著文化や紅山文化でも玉器が出土するが青銅器は出土していない。下の玉器は、盾形の外形で、四つの耳、トルコ石の象嵌、そして紋様は人の顔で、銅牌飾と全く同じである。人の顔の紋様が玉器にあることからも斉家文化の人の顔が、二里頭文化の銅牌飾(M5:4)のルーツであることは明らかである。
玉器(斉家文化、私の収集品)   ⇒ 二里頭文化の銅牌飾
(M5:4)


 なお考古学のある論文に記録されている銅牌飾(M5:4)は、下の様に目を下にした図になっている。目を下にして見れば、人の顔ではなく、神様とか神獣の顔として見たかもしれない。しかし二里頭文化の時代に、この銅牌飾を目を上にして身に付けたか、目を下にして飾ったかは明らかではない。銅牌飾(M5:4)の出土状況図(5の位置のものがM5:4)では、銅牌飾が胸の辺りにあるが、銅牌飾の目が上か下かまでは分からない。
 論文に記録されている
銅牌飾は目が下になっている
 銅牌飾(M5:4)の
出土状況図


 下の図は、神面紋がルーツだとする陳国梁氏の論文「二里頭头文化嵌緑松石牌飾の来源」からの図であるが、神面紋がルーツだとするにはあまりのも似ていない。



 銅牌飾(M5:4)が人の顔であったとしても、二里頭文化では人面紋の上下がひっくり返り、目を下にしてみ他かもしれない。そうであれば後の時代に現れる饕餮紋(とうてつもん)の原型であるという説もある。下の写真は殷の時代の饕餮紋の青銅器。鼻筋が通っていて目が下にあるところは二里頭文化の銅牌飾と同じで。



二里頭文化のM11:7の銅牌飾のルーツは牛の頭部である

 下の様に右に二里頭文化の銅牌飾(M5:117)を置き、その左に私の収集品を並べてみれば、二里頭文化の銅牌飾のルーツは牛の頭部であることがハッキリと分かる。一番左のものはアモイの上古文化芸術館に展示されている玉器(青銅器ではない)であるが、斉家文化のものとして展示されている。これらと二里頭文化の銅牌飾(M5:117)を並べてみれば、そのルーツは角のある牛の頭部であることは明らかである。

上古文化芸術館に
展示されている玉器
私の収集品の銅牌飾(斉家文化) ⇒ 夏王朝の銅牌飾

 中国の考古学の論文では、夏王朝の銅牌飾の紋様のルーツは、中国古来の伝統的動物の「龍」だとする説もある。陳小三氏の論文「試論镶嵌绿松石牌飾の起源」などである。この説は私の説によって否定されるであろうと考える。



結論:二里頭文化の銅牌飾の紋様のルーツは人の顔、牛の頭部である

 
私の銅牌飾の収集品は、北京の回族の馬さん(複数)から購入したもので、その入手経路から斉家文化のものと考える。しかし私の収集品が斉家文化のものだとする根拠は入手経路ばかりではない。私の収集品は、アモイの上古文化芸術館に斉家文化のものとして展示されている玉器、青銅器とソックリなものがある。だから私の収集は斉家文化のものである。
展示品は玉琮で
私の収集品は
青銅器だが
紋様は獣面紋
でソックリ
展示品と下の
私の収集品は
ソックリ
展示品と
下の私の
収集品は
ソックリ
展示品と北京の
骨董市場で
撮った写真と
ソックリ
展示品も私の収集品
もトルコ石の象嵌の
ある玉璧(ぎょく
へき)である
     
  私の斉家文化の収集品 北京の骨董市場
で撮った写真
  私の斉家文化の
収集品の玉璧

 二里頭文化の銅牌飾のルーツは、私の収集品を並べて比較してみれば、人の顔、または牛の頭部であることがハッキリ分かる。またアモイの上古文化芸術館に展示されている銅牌飾や玉器と並べてみれば、これによっても人の顔、牛の頭部がルーツであることが分かる。またアモイの上古文化芸術館の展示によれば、斉家文化に銅牌飾が存在していたことも分かる。斉家文化で銅牌飾や玉器で象嵌の技術が完成したいたのである。

 考古学の論文では銅牌飾は二里頭文化で初めて完成した、象嵌の技術は始めて二里頭文化で銅牌飾と出会った、斉家文化には銅牌飾は無かった、と言うことになっているが、夏王朝の銅牌飾の紋様のルーツは龍とか神面紋ではなく、その紋様のルーツは極めて素朴で即物的な人の顔、または牛の頭部なのである。また、夏王朝の銅牌飾のルーツは斉家文化であると言える。


以上