白隠禅師

白隠禅師の山門額『金嶺山』

 白隠禅師の佐倉来訪時に揮毫いただいたと伝わります。

白隠慧鶴禅師 はくいんえかくぜんじ (1685~1766)

『 駿河には 過ぎたるものが 二つある 富士のお山に 原の白隠 』

と歌われた臨済宗中興の祖と称される高僧です。

白隠禅師の佐倉来訪について

佐倉城主と関わりの深い臨済宗寺院の住持との師弟関係から考察します。

堀田正盛(前の堀田家)

弟の菩提寺「宗円寺」を松本より佐倉に移転

「宗円寺」住持

活堂和尚

運嶽和尚:伊豆禅海寺より

鉄髄和尚:至道無難禅師の弟子
 すなわち白隠禅師の師である正受老人(道鏡慧端禅師)の弟弟子

戸田忠昌

戸田家菩提寺「英巌寺」は新潟高田在

「英巌寺」住持

生鉄和尚:運嶽和尚の弟子、白隠禅師24才の時に修行につく

仏燈和尚:運嶽和尚の弟子

稲葉正往

稲葉家菩提寺「養源寺」は越後高田より佐倉に移転

「養源寺」住持

提河和尚

※ 白隠禅師の自伝『壁生草』で至道無難禅師のすぐれた弟子として正受老人・鉄髄和尚・頂門和尚の名をあげています。
※ ことから、白隠禅師の佐倉への来訪目的は正受老人や生鉄和尚の教えの源流を訪ねることにあったのではないでしょうか。