『小川島捕鯨の銛モリと剣ケン』  

 

小川島は佐賀県唐津市呼子町の北の沖に位置する離島である。捕鯨の歴史を見ると文禄3年(1594年)熊野灘

から漁夫を雇い「突捕法捕鯨」が始まったと伝えられている。豊臣秀吉の時代である。

 

江戸時代に入り、寛文1年(1662年)深澤家も捕鯨に関わり「緑高窓因居士」碑を建立している。

正徳1年(1711年)初代中尾甚六、突捕法で捕鯨を始めると伝えられている。

正徳4年(1714年)鉾組元祖松尾好太夫、龍昌院に「鯨鯢供養塔」を建立した。

 

享保年間(171636)頃から「網掛突取捕鯨」が導入されたと考えられる。呼子・名護屋・加部島に納屋場が

おかれていたが小川島に集約された。

延享5年(1748年)中川与四兵衛重次、呼子の君塚に「鯨鯢供養塔」を建立。

安永2年(1773年)木崎攸軒『肥前国産物図考』第四巻を著す。「小児の弄鯨一件の巻」は「勇魚取絵詞」や

「小川島鯨鯢合戦」にも影響を 与えております。

 

文化6年(1809年)小川島で68頭の鯨豊漁の記録が残されている。

寛政8年(1796年)生島仁左衛門『小川島捕鯨絵巻』を著す。五島福江領・唐津領小川島など九州における鯨組

の様子、鯨解体図・納屋場などを描くとともに、「鯨組定法書」を記す。 生島絵巻(上下)ともいわれる。

 

天保11年(1840年)豊秋亭里遊撰『小川島鯨鯢合戦』を著す。呼子地方の小川島という鯨組の捕鯨の仕事前の

段取りから仕舞いまでを描いたものであるが合戦という言葉が使われ鯨と 漁師を敵と味方に見立て戦況を伝える

形で物語のように表現 している。

 

明治11年(1878年)小川島捕鯨組合資で発足、捕鯨組織はかわりますが大正・昭和と続き、昭和24年(1949年)

に小川島の沿岸捕鯨は幕を閉じました。

 

銛で鯨を突いて獲る「突捕法捕鯨」、鯨を網に絡め動きを止めて銛や剣で突き捕る「網掛突捕捕鯨」という

古式捕鯨時代の漁法に用いられた銛と剣です。

 

小川島で捕獲した鯨はセミクジラ・ザトウクジラ・ナガスクジラなどでした。

現在の九州北部の佐賀県・長崎県(多くの島)・山口県付近で行われた古式捕鯨を「西海捕鯨」と云っております。

江戸から明治時代に使われた銛や剣などを勇魚文庫で見せて貰いましたのでご紹介します。

(資料:捕鯨史年表(資料:呼子鯨組))

 

 

       

 

「銛と剣と包丁」勇魚文庫所蔵

 

       

 

⇑ 「銛と剣と包丁」

 

 

 

              「萬銛:よろずもり」

 

    

 

                     ⇑ 「萬銛:よろずもり」

 

西海地方の古式捕鯨では、銛は「早銛:はやもり」と「萬銛:よろずもり」の2種類が使われました。鯨の体内で折れず曲がり、

抜けにくい生鉄製でした。

 

早銛は網の前でしりごみする鯨を脅かして網に通り込ませたり、また親子鯨の子鯨に打ち込むのが主な役目の銛である。鯨を追う

ための銛、飛距離およそ13b程度といわれている。

長さ2尺(約60a)重さ8090匁(約300c)〜100匁(約400c)位の軽い銛、約3.5bの樫の荒木の柄をつけて勢子舟1艘

に2本又は5本備えていました。

 

萬銛(万銛)は鯨銛のなかで一番大きな銛です。これも折れずに曲がる生鉄製。萬銛は、鯨が網に突っ込んだ後に打つ主要な銛で、

鯨の逃走・沈下を防ぎ、船を曳かせて鯨を疲労させるのが目的の銛でした。

 銛の長さ4尺(1.2b)、重さ1貫目(3.75`)、柄は樫か椿などの堅い木を使って9尺(3b弱)ほどのものを付け、これを

5〜10本ほど備え置いたという。

 

(参考資料)

「西海のくじら捕り」

「肥前唐津捕鯨図説」

「鯨魚覧笑録」長さ4尺、重さ1貫目、柄は樫・椿・ゆず、柄は9尺、廻り7寸〜8寸の丸太。

「勇魚取絵詞」長さ3尺8寸、重さ1貫500目、柄は丸木長8尺

 

        

 

 左右非対称の銛

 

         

 

            ⇑ 真ん中に「川」の印が付けられている。「小川島」の「川」のことか

 

早期の「萬(万)銛」には大小2種類があった。「大ヨロズモリ」、「小ヨロズモリ」、「五百匁ヨロズ」などの呼び名があり、「大森」

・「大銛」・「大萬銛」・「大萬森」などの呼び・書き方が見られます。

重さでは紀州は500800匁、土州は1200匁、西海は9501500匁との資料があり、紀州は軽い銛、土州(土佐)はやや重い銛、

西海は重い銛を使用していたという。

  

銛の全体名称は、(銛先)−(腰:クキ)−(鐶)−(ハダ)−(鉤)の順で 

鉄の銛先部は左右非対称 

 腰:クキと呼ばれる鉄棒の部分

 鐶:後方にリングをつける穴が山形に付けられ金属の環がはまりロープ(矢縄)を通せる。

 ハダ:棒の後方部分を平らにして釘の穴が2か所あり柄の棒をつけ釘と綱で固定する

 鉤:鉄最後部は鉤状返しが付いている。網が返しに掛かるようになっている。

 

紀州太地では:西海域に比べ銛の種類・呼び名が多い。早銛、指添銛、下タヤ早銛、角銛、中銛、柱銛、万銛、鼻銛、手形銛、この他

に大中小三種の剣が使用された。他の写本では下タヤ早銛、鼻銛が消えて錨銛が加えられている。

捕獲の段階によって種々の銛が使われ呼び名もそれらに因んでつけられていた。

 

これに比べ西海域では「西海鯨鯢記」によれば18世紀初頭に西海で知られていた色々の名称の銛が紹介されている。チョッキリモリ

・太郎剣(銛)・テンチウモリ・ハヤノモリ、大森(銛)・大萬銛などがあるが前三つの銛は享保の頃には使われなくなったと記載

されている。

銛の基本的な構造・呼び名と書き方の統一・使用普遍化による呼び名の廃れ、離頭銛から固定銛に移行したこと、左右対称形から

左右非対称形への移行等により姿を消したのかも分からない。

 

チョッキリモリ:「銛頭の返しが左右対称形で銛頭の根元が円錐空洞になっていて長い柄を差し込めるようになっている。突いた後は綱

が付いた銛頭だけが鯨体内に残るようにした離頭銛である」

太郎剣(銛):「銛頭を柄に固定した左右対称型固定銛。銛頭の返し(返り)が左右対称で銛を抜けにくくした銛と考えられる」

テンチウモリ:「銛頭の返しが左右非対称で、軟鉄で作られ引く力がかかった時に力が一方にかかり、鉄部が曲がり鯨にくい込み抜けに

くくした銛である」

 

西海域では紀州太地に比べ種類が少なく早銛、萬銛の2種のみであった。 なお、致命傷を与える剣も大小の2種類であったが

江戸後期から明治期にかけて1種になっている。

 

     

                  ⇑ 銛のハダと鐶の部分

 ハダ:棒の後方部分を平らにして釘の穴が2か所あり柄の棒をつけ釘と綱で固定する

鐶:中間後方にリングをつける穴が山形に付けられ金属の環がはまりロープ(矢縄)を通せる。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

                小川島捕鯨の剣』

 

 

 

  海域(小川島捕鯨)で使われていた「剣:けん」

鯨に致命傷を与える大きい槍状の木の柄が付いた剣であった。(勇魚文庫所蔵)

 

 

 

  長さ・幅から見て「剣」    全長:86.5a 刃の長さ:56a 幅9.5a

 

西海:剣には大小があったが江戸後期には、生月島の益富組では1900目(約7キロ)長さ3尺(90a)、約3.6bの柄が

付いていた剣一種のみを使っていたとある。

西海では網掛け漁法では剣は1種類になり、勢子船・持双船に各1本積んでいたと記述。

 

(資料:「くじら取り系譜」94

「鯨記」の剣の寸法は下記の大小を記載している。(「西海のくじら取り」46

「大剣」は長さ4尺(1.2b)幅3寸5分(11a)重さ2貫5百匁(9.4`)

「小剣」は長さ25寸〜3尺(76a〜90a) 重さ18百匁(6.8キロ)

 

 

  

 

 「小川島捕鯨使用の剣」 全長:86.5a 刃の長さ:56a 幅9.5a (勇魚文庫所蔵)

 

「剣:けん」は鯨に致命傷を与える大きい槍状の木の柄が付いた剣である。(「日本とクジラ」73

多数の剣をゼンザイ(頭から肋骨までの間)に何回も突き刺すと、海水が肺や内臓に侵入し血が噴き出して海水が赤く染まり、鯨は

おぼれ息絶える。

この剣を使うには数人が海中に潜り鯨に接近する必要があり大変危険な仕事であった。(「西海のくじら取り」46

紀州では剣銛・手形・万銛など大銛を打ちこまれ、その矢縄(銛や剣に付けられた綱:ロープ)によりしめつけられ身動きがとりにくく

なった鯨に対し、致命傷を与えるために腕壺:ワキツボを大中小の件を使って刺すもので、大きな柄の短いヤリのようなものと思えば

よい。勢子船に各1本ずつ積み込まれている。(※腕壺:肋骨、肺の一部で急所の一つ、鯨でタライ位の大きさと云われる)

(資料「海と人間1976・4」44

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

                         捕鯨史年表(資料:呼子鯨組)

 

        

 

         捕鯨王国「呼子」をご覧ください! www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/yobuko.html

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…

 

『西海の捕鯨図』

 

  

 

⇑  鯨掛り取たる所 「小児の弄鯨一件の巻」 上村家本 安永2年 1773 “三枚重ねの鯨網”

 

  

 

⇑ 肥前国産物図考(小川島捕鯨)唐津藩士である木崎攸軒入道盛標が安永2(1773)に描いた図説 佐賀県立博物館蔵

 

上の図で白い船体の船は銛を打つ勢子船(せこぶね)である。西海域では追船・殺船ともいう、勢子・加子(かこ)12人、

羽差(はざし)1名がのる。

船の大きさは長さ7尋(12.5b)、幅7尺(約2b)の八丁櫓であった。鯨組は概ね1218艘を使っていた。

また、囲い舟(かこいふね)ともいわれ、鯨史稿には12人水夫、追舟13156人、羽差各1人乗船したとある。

羽差とは船の前方に立って長い銛をもって銛を投げる打つ熟練漁労長のことです。

(資料:西海のくじら捕り)

 

上の図で右端の船体が灰色の船2隻が2張りの網を持っています。このような網を張る網船を西海域では双海船(そうかいせん)

・蒼海船・雙海船とも云った。九州では双海船に多くの網を積載したので曳き船(付き舟)が付き、双海船(網船)を曳き

船足(スピード)が落ちるのを防いだのです。2隻がペアだから双海船です。

雙海船(百石積みの船)6隻 10人〜12人乗り。1隻に網18段(端)宛積んだ。2隻(36段)がペアになり一結(ゆい)

と云われた。6隻で3結(ゆい:セット)の網を張り鯨の前方中心部は3重になるようにし、横がわは2重、端の方は一重に

なるようにずらして網を張った。

網の大きさは、1段(端・反ともいう)が縦18(33b)22尋(約40b)である。これをつなぎ合わせて18段分

(約720b)が1隻分。1結い2隻分は約1440bとなる。長さ1440bを3結い使用していたことになる。

西海域では108段の網を1漁場で使っていたことになる。

(資料:西海のくじら捕り)(鯨取り絵物語 186

 

鯨を捕獲して浜まで持ち帰る船を「持双船」(もっそうせん・ぶね)と読んだ。2隻の船の間に鯨をはさみむように縛り

他の数隻の船が前方で漕いで引き曳航の補助をした図がある。

 

 

 

 

 西海捕鯨図 江戸時代 勇魚文庫蔵 (部分図)

 

  

 

                     双海船の網張り図  (資料:『鯨魚覧笑録』)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

                     『捕鯨漁具図』

 

 

 

                  『西海鯨鯢記』

   日本で最古の「鯨事典」であり、捕鯨産業の詳細を綴った書籍「捕鯨産業史」。

   平戸の鯨組主の谷村友三が記したこの本が西海図説の先駆的なもの。

 

 

           

 

                 肥前州産物図考 (捕鯨絵巻)

               肥州唐津藩の捕鯨を含めた産業を描いたもの

 

        

         『鯨猟具図』・・・漁具 (資料:日本捕鯨彙考 服部 徹 編纂 『鯨猟具図一』)

 

        

 

(資料)『鯨網』 日本捕鯨彙考 服部 徹 編纂 『鯨猟具図一』

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

『勇魚取繪詞』: [小山田與清著]  天保3[1832]をご覧ください

(資料)所蔵 東京海洋大学附属図書館羽原文庫  

⇓ ⇓ ⇓ ⇓

    生月島の御崎浦で益冨・御崎組の鯨方の捕鯨の様子を描いた図説。

肥前国生月島の 鯨組主、五代目益富又左衛門正弘の鯨漁を中心に 描いている。上巻では生月での

捕鯨・納屋作業の様子が描かれ、下巻では鯨の解体作業・捕鯨道具・納屋道具について描かれている。

「鯨肉調味方」は鯨料理のレシピで、天保3年刊。

 

  http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/digital/isanatoriezu_02/images/small/isanatoriezu_02_0018.jpg  

 

 羽矢銛(早銛)

 

  http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/digital/isanatoriezu_02/images/small/isanatoriezu_02_0017.jpg

 

 萬銛(万銛) 銘は三徳

 

  http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/digital/isanatoriezu_02/images/small/isanatoriezu_02_0016.jpg

 

⇑ 上から(前記の「漁猟具図一」とほぼ同じ)

長柄包丁(ながえほうちょう)・萬銛:万銛(よろずもり)・羽矢銛:早銛(はやもり)・合鑰(あいかぎ)

手形包丁(てがたほうちょう)など。

 

  http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/digital/isanatoriezu_02/images/small/isanatoriezu_02_0019.jpg

 

 剣全図

 

  http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/digital/isanatoriezu_02/images/small/isanatoriezu_02_0020.jpg

 

 手形包丁全図(上)・大切包丁全図(中)

 

詳しくは下記をご覧ください

http://www.catv296.ne.jp/~whale/gyogu-table.html

http://www.catv296.ne.jp/~whale/nipon-mori-rekishi.html

http://www.catv296.ne.jp/~whale/mori-kisyuu-saikai.html

http://www.catv296.ne.jp/~whale/mori-toha-nani.html

http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/flame-main.html

http://www.catv296.ne.jp/~whale/isana-toru-gyogu.HTML

http://www.catv296.ne.jp/~whale/kayoi.html