| 年 | 場所 | 内 容 | 操業海域 | 対象クジラ |
| 慶長1年 | 1606年 | 和田中兵衛頼元 紀州において捕鯨を行なう(突取法) | 紀州 | 主にセミクジラ |
| 延寶5年 | 1674年 | 太地角右衛門頼治網取法を始める | 紀州太地 | 主にセミクジラ |
| 文政・天保・嘉永 | 1818〜53年 | 網取法の最盛期 | - | 主にセミクジラ |
| 嘉永6年 | 1853年 | アメリカのぺルリ提督が浦賀に来航・通商貿易、捕鯨船隊の補給、修理要求<日本の開港はクジラがした> | 日本近海 | 主にマッコウクジラ、セミクジラ |
| 嘉永年間 | 1870年頃 | アメリカ・イギリスの捕鯨船が日本近海で300隻操業・漁場は荒廃し、日本の網取法は衰退した。 | 日本近海 | マッコウクジラ・セミクジラ |
| 明治24年 | 1891年 | ロシアは露国太平洋捕鯨会社設立、韓国近海で操業、鯨肉を長崎に輸出 | 韓国近海 | - |
| 明治27年 | 1894年 | 関澤明清氏アメリカ式捕鯨を行なう。アメリカ・ロシア捕鯨船隊によって漁場は荒廃し成功を見なかった | 日本近海 | - |
| 明治32年 | 1899年 | 捕鯨の日本遠洋漁業会社設立・日本最初のノルウェー式捕鯨船建造(第一長州丸) | - | - |
| 明治32年 | 1899年 | 露国太平洋漁業株式会社所属捕鯨船隊を拿捕 | 日本近海 | - |
| 明治37年 | 1904年 | 日露戦争がおこる。 | - | - |
| 明治41年 | 1908年 | 捕鯨会社12、捕鯨船数28隻に増加 | 日本近海 | - |
| 明治42年 | 1909年 | 捕鯨会社の合併統合 | 日本近海 | - |
| 明治42年 | 1909年 | 鯨漁取締規則制定、捕鯨船数30隻以内に制限 | - | - |
| 昭和9年 | 1934年 | 沿岸捕鯨船席数を25隻以内に制限 | 日本近海 | - |
| 昭和9年 | 1934年 | 日本最初の捕鯨母船南氷洋に出漁(アンタークチック号) | 南氷洋 | - |
| 昭和11年 | 1936年 | 日本最初の捕鯨母船建造(日新丸) | 南氷洋 | - |
| 昭和13年 | 1938年 | 母船式漁業取締規則改正(捕獲鯨の体長制限等)(母船数6隻) | 南氷洋 | - |
| 昭和13年 | 1938年 | 沿岸捕鯨についても捕獲鯨の体長制限される | - | - |
| 昭和15年 | 1940年 | 最初の北洋捕鯨出漁 | 北洋 | - |
| 昭和16年 | 1941年 | 日本軍ハワイ奇襲(太平洋戦争)捕鯨中断 | - | - |
| 昭和20年 | 1945年 | 日本無条件降伏第2次世界大戦終わる | - | - |
| 昭和20年 | 1945年 | 戦後日本沿岸12マイル以内の航行許可 | - | - |
| 昭和20年 | 1945年 | 捕鯨業の許可・小笠原近海の捕鯨許可 | 日本近海・小笠原近海 | - |
| 昭和21年 | 1946年 | 第2次漁区拡張 | - | - |
| 昭和21年 | 1946年 | 南氷洋捕鯨の再開2船団出漁 | 南氷洋 | - |
| 昭和21年 | 1946年 | 小笠原近海の母船式捕鯨 | 小笠原近海 | - |
| 昭和27年 | 1952年 | 北洋母船式捕鯨の再開 | 北洋 | - |
| 昭和57年 | 1982年 | モラトリアム、大型の商業捕鯨全面禁止 | 南氷洋 | - |
| 昭和61年 | 1986年 | 沿岸捕鯨を禁止・沿岸小型捕鯨とイルカ漁業のみが国の管理下に入る。 | 日本近海・小笠原近海 | - |