くじらさんの詩ウタ(令和レイワ元年ガンネン追補ツイホ)
 北海道 ■「アイヌの鯨祭のうた」 北海道  ■「アイヌの鯨クジラ祭マツ唄ウタ」
浜へ鯨があがってきた フンボ エー フンベ・ヤンナ(フンボエ)、
行ってみようよ フンボ エー ベシタ・ヤンナ(フンボエ)、
浜へ大きな鯨が 白身の肉をどっさり背負って イン・カノ・ウタル(フンボエ)、
上ってきた フンボ エー サパ・イン・カル(フンボエ)。
行ってみようよ フンボ エー  (注チュウ)フンベは 鯨
海岸に打ち上げられる鯨は「寄り鯨」と呼ばれ、
丁寧にまつられてから貴重な食糧と された
(注チュウ)クジラさんの無形文化遺産 鳴き声は寄り鯨をいつも最初に発見するカラス。
http://www.catv296.ne.jp/~whale/sekai-isan-mukei.html その声を聞いて、「鯨が浜に上がったよ。
千葉・勝山カツヤマ ■「勝山の鯨唄」 (勝山カツヤマ組クミ)  目のよい人たち、岬で見てきておくれ」と言いあう場面
やれ目出度のう うれしめでたの  http://www2s.biglobe.ne.jp/~koyukai/zupopo.html
ヤレ若松よナアエヤ ヤレ若松よナアエヤ
アア枝も栄える葉もしげる サア突いたしょ突いたかしょ  『クジラを演じる者が着物を頭からすっぽりかぶり横たわる。
ホイ槌鯨のこもつは 突いたかしょ そこへ盲目の老婆を演じる人が杖をつきながら登場する。
  今度突いたも(は) ヤレ勝山組よナアヤレ そしてクジラにつまずく。
  ヤレ勝山組よナアヤレ アア親もとるとる子もとるよ 老婆は何につまずいたか、手探りでその正体を知ろうとする。
サア突いたしょ突いたかしょ 沖のかごめに そしてその正体がクジラである事に気付き大声で部落の人たちに知らせる。
ヤレもの問えばナアヤレ ヤレもの問えばナアヤレ そこで部落のアイヌ達は背負い袋を持ってクジラの歌を歌いながら集まってくる。
アアつちは来る来る 明日も来る そしてクジラの肉を切り分けて背負い袋に入れる動作をする。
誰がさしたよ ヤレ枕箱ナアヤレ ヤレ枕箱ナアヤレ カラス演じるの人達もお相伴に預かろうと集まってくるがアイヌ達に追い払われる。
アア夜中夜中に目をさます (後略) カラスはアイヌ達が去った後、残った肉をついばみ飛び去る。
  後には抜け殻の着物だけが残される・・・。』
(注チュウ)鯨唄にある「祝いめでたの〜若松様よ♪」の若松様とは誰・ナニのこと ? http://midomidotacnet.blog.fc2.com/blog-entry-76.html
http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujira-iwaiuta.html
千葉・勝山カツヤマ ■「勝山の槌鯨」 [勝山カツヤマの刃刺ハザシ踊オドリ唄ウタ」(内宿ウチジュク組クミ) ■「勝山カツヤマの刃刺ハザシ踊オドリ唄ウタ」(西海サイカイの鯨クジラ唄ウタ:野本ノモト政セイ宏著ヒロシチョP34)
うれし目出度の若松さまよナア (此時船中一同に)ヤアレ 若松さまよナア 「今度コンド突ツいたは、 中ナカ宿シュク舟フネよ。・・・・(内ウチ宿シュクか?)
インヤ枝も栄ゆる葉も茂る (一同のはやし)サアツイタカシヤウ 親オヤも子供コドモも児コ(コクジラ)も捕トるよ。
槌の子持ちをツイタカショ 沖の中へと やれ早ハヤやのぼり、
   今度ついたも内宿組よナア 親もとる子もとるよ 上ノボり下クダりの槌ツチ(ツチクジラ)を待マつ。
   長いかたなをからでも指すかそなたなるまいからかない 沖オキの鴎カモメに槌ツチはと問トえば、
   おもしろいものヤアレ 笛の音ワナ さすが都の竹の根よ 槌ツチは来キるくる、克コク(コクジラ)も来クる、
   知らで硯のヤアレ そばに寝てナア 身おば染たよ墨染に 突ツいたか突ツいたかショ。
沖の渡(と)中にヤアレ や立て上り下りの船をまつ 槌ツチの子持コモちを突ツいたかショ。」
淀の川瀬のヤアレ 水車ナア たれをまつやらくると
何をなひくよ河端柳ナア 水の出ばなおなびきぞよ (注チュウ)大オオ組クミ・新シン組クミ・岩井イワイ袋ブクロ組グミの3組クミそれぞれ17,16,24隻セキ
何とさしたよヤアレ まくら箱ナア 夜中に眼をさます 計ケイ57隻セキの編成ヘンセイと記載キサイされている。
   こんど御ざらば持て来てたもれナア 伊豆の御山のなぎの葉を
   ヤレおしこんだ 加知山浦へおしこんだ つちんぼのお金をかますにとりこんで
   おどらば拍子面白や三国一じゃ つち(槌鯨)をとりつんまいた(捕りしこと)
(注チュウ)三国一サンゴクイチは世界一セカイイチ
千葉・勝山カツヤマ ■「勝山の土鯨」 千葉 (注チュウ)ここに5件ケンの「勝山カツヤマの鯨クジラ唄ウタ」があるが少スコしずつ
突いたかしょ突いたかしょ 土(ツチクジラ)のこまつ(子持コモち)や突いたかしょ  違チガいが見ミられる。時トキの流ナガれで色々イロイロと変化ヘンカがあるのが
嬉し目出度のヤレ若松様よナエヤ ヤーレ若松ヨナーエ 枝も栄える葉も繁る 「民謡」の特徴トクチョウでしょう。
アレヤー 突いたかしょ突いたかしょ ホイ土のこまつよ突いたかしょ (注チュウ)YouTube「2015安房勝山鯨唄 REDA舞神楽」
今度突いたも勝山組よ 親も捕る捕る子も捕ろよ では大オオきな鯨クジラが出デてきます。楽タノしく見ミることができます。
沖の鴎にヤレもの問えば 土も来る来るやすも来る 千葉チバ船橋フナバシ市シのグループだそうです。
千葉・岩井イワイ袋ブクロ ■「岩井袋の槌鯨」 千葉
咲て見事な岩山つつじ 植て咲かせてさまにやる
おしま原からよせてくるつちを 二十余隻秦士かさしてとる
をまい百までわしゃ九十九まで 友に白髪のはいるまで
船が新造で櫓かいが新木沖のつちんぼかよりかかる
   中をいわいて門に立つ これも酒屋の杉はやし
   お前十七はしゃ寅の年 詣る薬師も寅薬師
お山づでんどいをなる神は ここわくわばら四方まさる
沖の瀬の七瀬あはび 海士がとらねば瀬てくちる
   傘をわすれた駿河の茶屋へ 空がくもりておもい出す
   沖の渡中の三本竹 しほにもまれて葉がよれる 
(注チュウ)ずでんどんは雷カミナリの音オトか
静岡 ■「突ン棒」  ■〈鯨突唄〉がネット情報ジョウホウにありました。
何と咲いたよ エー枕箱 ゝ 目覚めに目を覚ます 「りゅうそうもやいでェー波勝の沖で つちをついたとまねを出す 
サー突いたかじょう ゝ チョイとツチの子持を突いたかじょう サアツイタカジャウ ツイタカジャウ 
土肥の地組で エー追せておいて ゝ 戸田の嵐を吹いて通る  ホリャつちのこもちをツイタカジャウ
サー突いたかじょう ゝ ホイ ツチの子持を突いたかじょう 今度ついたのはェーやそべいが組か四郎左が組か 
(中略) 親もとるとる子もとると サアツイタカジャウ ツイタカジャウ 
イエエンゆごとしんみず何から先よ アエーンエーンサッサ ホリャつちのこもちをツイタカジャウ
まくら咲いて誠に鯨突く エー目出度のヤァ 土肥の地組でェー追わせておいて 戸田の嵐で吹いてとると
いわか枝もオーンヤラーン   サアツイタカジャウ ツイタカジャウ 
ホリャつちのこもちをツイタカジャウ」
資料シリョウ:https://www.shiz-bunka.com/pages/child_detail004
ふじのくに文化情報
〈つち〉は、ツチクジラのこと。
〈まね〉は、船上で揚げる信号旗のこと。
三重ミエ ■「鯨取船明神丸の唄」 三重  
[流し唄]
(前唄)
エェーヘェーヘェーヘェーエェーエ―― イヘーエ――ヘェー
エェーイ――ヘェー エ――ヘエーヘー
エ――サ――アー サーヨォシテーヨォシテ
(本唄)
今年ゃ世が良て穂に穂が咲いた
アー 枡はさて置いて箕で計る ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
吹けよ西風上がれよヒシコ
アー 上がりゃ四日市の浜で捕る ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
吉田通れば二階から招く
アー しかも鹿子の振袖じゃ ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
躑躅(つつじ)椿は山坂照らす
アー 鰯ゃ四日市の浜を照らす ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
沖のカモメに潮時問えば
アー 私ゃ発つ鳥波に問え ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
太鼓叩きはどなたで御座る
アー あれは富田の清助じゃ ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
宮の熱田のならずの梅は
アー 花は咲いても 実はならず ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
宮の熱田の二十五丁橋は
アー 誰が掛けたか知らぬ間に ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
鳥羽はよいとこ朝日をうけて
アー 七つ下がれば女郎がでる ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
鳥羽のセンスイ錨はいらぬ
アー 三味や太鼓で船つなぐ ヤッサ 治まる御代ヤトーセ
〜以下略〜
[役唄]
安芸の宮島 廻れば七里
アァ 浦は七浦 ノホホイホイ 七恵比寿 お目出度や
[突唄]
沖のカモメに 鯨はと問えば
サァ 鯨が来る来る ノホホイホイ 後へ来る お目出度
ヤッソレー
イヤッサー ソレジャイナーエー
イヤッサー ヨイトコショーエー
[役唄]
お諏訪前で 鯨を突いた
サァ これもお諏訪の ノホホイホイ 御利生かや お目出度や (資料シリョウ:Wikipedia)
[役唄]
うれし目出度の 若松さまは
アァ 枝も栄えて ノホホイホイ 葉も茂る お目出度や
[役唄]
うれし目出度で 詣れば渡る
アァ 伊勢の大淀の ノホホイホイ 宇治橋や お目出度や
[梶直し唄]
これで妻子も諸共に
ア− 珠を持って 遊べ ヤッサ それじゃ 治まのぉー
アー エートー  シャーントーセイ
ソレジャー ヤーサ シャーントーセイ 
[梶直し後唄]
弥栄(いやさか) 子孫の家の ホーイノホーイ
アァソーレイ
[梶直し後唄]
伊勢の間の山を通ればヨォ
ア− お杉やお玉  ヤッサ 治まる御代ヤトーセ 
南納屋町 鯨船 明神丸 船唄 <昭和32年収録>
http://www.catv296.ne.jp/~whale/katuo-iwasi-kujira-naniterasu.html
大阪オオサカ・堺サカイ ■「堺出島浜くじら音頭」(鯨踊り音頭) 大阪   
波の花咲く(コラセ) かすみの海でさ 沖で鯨が しおを吹く(マカセ) (注チュウ)小高コダカは「古座コザ」、たいじは「太地タイジ」、宮崎ミヤザキは「三輪ミワ崎ザキ」
沖に見えるが(コラセ) 鯨の船か 小高か たいじか 宮崎か(マカセ) との解釈カイシャクもある。
(歴史と文化探訪:日本人とくじら・小松正之著)
大阪オオサカ・堺サカイ ■「くじら音頭」 (堺出島浜伝承唄) 
堺住吉(コラセ) 三社か四社かさ 表三社で 裏と四社(マカセ)
四社の前でと(コラセ) 扇をひろめ(ママ) 扇めでたや 末はんじょう(マカセ)
鯨とろとて(コラセ)綱まですいて くじら熊野へ みなかえる(マカセ)
出島浜にて(コラセ) 鯨がとれて 今はうれしや 宮詣り(マカセ)
堺あんりゅう町(コラセ) 浪花の松は 天に押されて 地で開く(マカセ)
沖に見えるは(コラセ) 鯨の船か 小高か たいじか宮崎か(マカセ) (注チュウ)小高コダカは「古座コザ」、たいじは「太地タイジ」、宮崎ミヤザキは「三輪ミワ崎ザキ」
前のろくろは(コラセ) かがすをはえて 鯨まくまで ひまがいる(マカセ) との解釈カイシャクもある。
目出度目出度の(コラセ) 若松さまよ 枝も栄えて 葉も茂る(マカセ) (歴史と文化探訪:日本人とくじら・小松正之著)
あきの宮島(コラセ) まわれば七里 浦は七浦 七えびす(マカセ)
http://www.catv296.ne.jp/~whale/goods-in-nagato1.files/image055.png
沖のかもめに(コラセ)潮時とえば 私や立つ鳥 波にとえ(マカセ)
沖のとなかの(コラセ) 三本竹よ うまづ(ママ)竹かや 子が出来ず(マカセ)
うまずだけでは(コラセ) わしやなけれど 潮にもまれて 子がさかぬ(マカセ)
とろりとろりと(コラセ) 船漕ぎ立てて 春は詣ろや 伊勢さまに(マカセ)
堺住吉 名所がござる(コラセ) 角(かく)の鳥居に それ橋か(マカセ)
和歌の浦には(コラセ) 名所がござる 一にごんげん 二に玉つ島(マカセ)
つつじ椿は 野山を照らす(コラセ) せみの子持ちは 村照らす(マカセ)
さがみ(相模)横山(コラセ) てるての媛は つまの小栗と 二度添える(マカセ)
播州高砂(コラセ) 尾上の松は 枝も栄えて 葉も茂る(マカセ)
ひい(比井)のからこ(唐子)の(コラセ) 中手(かて)の磯は 根からはえたか 浮島か(マカセ)
沖に見えるは(コラセ) 鯨の山か こざかたいぢか みやざきか(マカセ)
沖に見えるは(コラセ) 鯨の山か 陸へのぼせば 黄金山(マカセ)
堺出島の(コラセ) 船持(神社)さまは 出船入船 お守りなさる(コラセ)
竹になりたや(コラセ) お江戸の竹に お江戸御番所の とゆ竹に(マカセ)
えびす大黒(コラセ) いずみの国のさ 西と東の 守り神(マカセ)
浪の花咲く(コラセ) かすみの海で 沖で鯨が 潮を吹く(マカセ)
  [鯨のもりつきのかけ声。歌詞五番ごとに入れていく]
   一国二国三国一の大せみ
   取りすまして よいよーい よや よや やあやあやー
   やよせ やよせ やれつけや 
      <鎌苅一身『堺出島浜・鯨まつり−堺泉州三大奇祭−』
           (『堺泉州19号』堺泉州出版会)>
[かつお・いわし・くじらは何照らす!]
http://www.catv296.ne.jp/~whale/katuo-iwasi-kujira-naniterasu.html
高知コウチ・土佐トサ ■「鯨舟の歌」 高知 <大宴ダイエン の説明セツメイ>
三国一ぢゃ 子持取りすました   船フナ下オロし 初ハツ漁ギョ 初詣ハツモウデ 1月ガツ二日フツカ乗ノ初ハツ式シキ 孕ハラ児コ持モの捕獲ホカク 
でかしたでかした 明日はでかした   背美鯨の捕獲 大漁祝
大きな大背美を捕った
   嬉し目出度の思ふこたかな 上記ジョウキ大宴ダイエンに於オいては総スベての幹部カンブを一堂イチドウに会カイして行オコナうのであす。
   いやとったりや ともさで 上席ジョウセキを占ウラナむるは役職員ヤクショクインであって、次ツいで、白シロ船フネ、赤アカ船フネ、納屋ナヤ船ブネ、
   末は鶴亀 五葉松 樽番船の羽ハネ指ユビそれに続ツヅいて山見ヤマミ頭カシラ、解剖カイボウ頭カシラ、其ソ他タ勢イキオ子コ船フネ、網アミ船ブネ
重ね取りよする 浮津浦組よ 等トウの羽ハ指サシ全員ゼンイン、及オヨび各カク役ヤク々の首脳シュノウ者シャが既定キテイの順位ジュンイによって首シュ席セキ
いやとったりや ともさで します。
親も取りそへ 子もそへて 総裁ソウサイ、先マず盃サカズキを採トり、白シロ船フネ沖オキ配ハイに差サします。白シロ船フネは之コレを赤アカ船ブネに、
   今日も背美取る 明日も取る 以下イカ順ジュン位イに亘ワタるのです。
   いやとったりや ともさで 後アト各々オノオノ自由ジユウに献酬ケンシュウに移ウツります。酌シャク取トりは壮年ソウネンの男子ダンシばかりで
   明後日は旦那で 金かける あって決ケッして婦女フジョは交マジえません。
三国一ぢゃ 子持取りすました 宴ウタゲ酣タケナワなるに至イタれば、総裁ソウサイは五ゴ合ア入イ、七合ナナゴウ入イ、一升イッショウ入イの大オオ盃サカズキを
でかしたでかした 明日はでかした 賜タマう。白シロ船フネ沖オキ配ハイは酒席シュセキの高潮コウチョウに達タッした時刻ジコクを見計ミハカラい、太鼓タイコ方ガタ
大きな大背美を捕った に命令します。
   いや組の栄は 久方の子持連魚を 太鼓タイコ方ガタは鞭ムチを以モッて三回サンカイ打ウつ。それを合図アイズに全員ゼンイン座ザを直ナオし、
   日々に来て 押し寄せて 寄せて 酌取りは別ベツ室シツに下サガれば白シロ船フネ沖オキ配ハイの音頭オンドにつれて次ツギに掲ケイぐる
   突き取るはざしかこ 何時迄も何時迄も 如き歌を唄います。
   旦那栄える 浦屋もにぎはうかな浮津浦  (以下略)
或アルイは一斉イッセイに双ソウ肌ハダを脱ヌぎ、或アルイは双フタ手テを挙アげて相和アイワし誠マコトに勇壮ユウソウに
高知コウチ・土佐トサ ■「鯨舟の唄」 高知  して且カつ古フル雅ミヤビの趣オモムキがあります。歌ウタい終オわれば全員ゼンイン一斉イッセイに退席タイセキ
三国一じゃ子持ち捕り済ました アでかしたでかした して一人ヒトリも残留ザンリュウするものがありません。
ソリャ明日はでかした ア大きな大背美をとった だが一歩イッポ門外モンガイに出デれば此シ所ショ彼カレ所ショに酔ヨって倒タオれる者モノが夥しい。
ソリャオン和歌の ア大浦から アヨーイ ア焦がれて来 ソリァ来たか 然シカし古来コライ捕鯨ホゲイ邸テイ内に於オイて倒タオれる者モノは一人ヒトリもいないということ
アソレモエーンエーンエーンエー アヨーイ です。これを以モってしても如何イカに規律キリツが厳重ゲンジュウであったかを推知スイチ
ア様は嬉しゅや アヨーイ アもろ共に 嬉し目出度の ア若松様よナー する事コトができましょう。
ア枝もヨー ソリャ 栄える ア葉も茂る この宴席エンセキに於オイては流行リュウコウ唄ウタは一切イッサイ🈮ラわないきまりでした。
ソーリャ枝もナーヨーシ ア枝もヨー ソリャ 栄える ア葉も茂る (資料シリョウ:勇魚イサナ捕ト唄ウタ 編集ヘンシュウ立石タテイシ陽一ヨウイチ)
イヤ旦那様の鯨舟 ソリァ浮津の甚五郎が造りたや http://www.catv296.ne.jp/~whale/iwaiutanimiru-kakutiiki-kannren-zenbu.html
突き候背美のソリァ 子持ち突き候エ 「室戸:鯨船の歌 捕鯨唄(三国)」
イア旦那様の神楽さん ソリァ如何なる日を見て据えたやら をご覧ランください
捲き候背美のソリァ 子持ち捲き候エ
イア旦那様の油納屋 ソリァ如何なる日を見て建てたやら ■「ヲカン節セツ」
練り候背美のソリァ 子持ち練り候エ 嬉ウレし目出度メデタの若松様ワカマツサマは枝エダも栄サカえる葉ハも茂シゲる
イヤ鉢巻鉢巻 茜鉢巻ゃ浮津浦組よナー ソリャ 続ツヅけ続ツヅけよ末スエまで続ツヅけ末スエは鶴亀ツルカメ五葉ゴヨウの松マツ
親も獲り添え ア子も添えてオモシロイ ソリャヨーカロ 今日キョウも捕トる捕トるいよ明日アスも取トる
ソリャ大背美は 舟に寄りかかる寄りかかる 明後日ミョウゴニチ(あさちゃ)旦那ダンナで金カネ掛カける
ヤあわの中のひよどり エイヤシャリシャリシャリソリァ 明日アスはよいぞえ沖オキまでじゃ
一国二国三国一じゃ子持ち捕り済ました やらぬ前マエの網代アジロでもやい捕トる
ア三国一じゃ子持ち捕り済ました
高知コウチ・土佐トサ ■「三国」 高知  ■「ヘッコラショ節セツ」
三国一ぢゃ子持獲りょすました 布ヌノに火ヒが立タつ上ウエみ山ヤマにゃ招マネく
でかしたさア でかしたさア 前マエの網代アジロでもやい捕トる ヘッコラショクワシチョケナアー
あすはでかした大けな大たろ大獲りぢゃ 前マエのろくろに綱ツナくりはえて
祝えごりょしょにまず背美獲ろや 大オオ背美セミ巻マくのにゃ暇ヒマもない ヘッコラショクワシチョケナアー
これも祝いのごりょしょかぇ 熊野クマノ御ゴ岬ミサキを急イソげよ大オオ背美セミ
重ね獲りょする津呂浦の組は 土佐トサの室戸ムロトで突ツき留トドまる  ヘッコラショクワシチョケナアー
親も獲りそえ子もそえて 山ヤマが見ミえたぞ捕鯨ホゲイの前マエで
前の轆轤(ろくろ)へカガスをはえて あれは鯨クジラじゃ山ヤマじゃない   ヘッコラショクワシチョケナアー
子持ょ巻くのにひまがない 泣ナくな別ワカれにゃまだ夜ヨは早ハヤい
そりゃまた一ぢゃ子持獲りょすました 出デ船フネ合図アイズにゃ鶏トリがなく     ヘッコラショクワシチョケナアー
でかしたさアでかしたさア
あすは大けな大たろ大獲りぢゃ
高知コウチ・土佐トサ ■「和歌」 高知 ■「組の栄え」 高知 
そりゃアわかへくる時ゃえりかけござれ 組の栄えはひらかたの
わかの女郎すはえりにつく 子持つれ魚(いお)日々にきて 押寄せて
亀が舞する鶴たつ島に かけて突き獲る羽差舟子
お宮詣りの下戸(げこ)の祝(しゅく) 右は彼の津呂組それまた一ぢゃ
たけになりたやお山のたけに 子持獲りょすました
旦那栄えるしるしなり 明日はでかしたでかしたさア
大きな大たろ大獲りぢゃ 
 
山ヤマ口クチ 長門市ナガトシ 通カヨイ ■今年コトシは幸コウせ 無形ムケイ民俗ミンゾク文化財ブンカザイ 通カヨ鯨クジラ唄ウタ
今年コトシは幸シアワせ サア 思オモうこんこうたあ叶カノウうた  通カヨイ浦ウラ沿岸エンガンでは古フルくから鯨クジラ捕トりが行オコナわれていたが、延宝エンポウ年間ネンカン(1673〜80)
                  アアヨイヤサー に通カヨイ浦ウラ住民ジュウミンで組織ソシキした「鯨クジラ突ツ組クミ」が創業ソウギョウして以来イライ、萩ハギ藩ハンの積極的セッキョクテキな保護ホゴ
末スエはつる亀カメ 五葉ゴヨウの松マツ のもとで藩政ハンセイ時代ジダイを通ツウじて、瀬戸崎セトザキ、川尻カワジリ浦ウラとともに、長州藩チョウシュウハン捕鯨ホゲイの基地キチ
さても御ゴ利生リショウなサアー住吉スミヨシ様サマよ として繁栄ハンエイした。
                      サアヨイヤサ 通カヨイ鯨クジラ唄ウタは、明治メイジ以後イゴも幾多イクタの変遷ヘンセンを見ミながら明治メイジ40年ネン(1909)まで存続ソンゾク
氏子ウジコ栄サカえるめでたさよ したが、通カヨイ浦ウラ漁民ギョミンは、自分達ジブンタチ先祖センゾの栄光エイコウと歴史レキシを秘ヒめたこの鯨クジラ唄ウタに誇ホコり
竹タケになりたや サア 薬師ヤクシの竹タケに を以モッて現在ゲンザイまでも歌ウタい継ツぎ、地区チク住民ジュウミンの中ナカに深フカく根ネを下オろしている。
うらはひご竹タケ サア 根ネはダン だいの竹タケ 鯨クジラ唄ウタは、捕鯨ホゲイ期キの納屋ナヤ場バ作業サギョウや宴席エンセキで唄ウタわれた労働ロウドウ歌ウタであり
ソリャソリャ いちじゃいの 祝イワイい唄ウタであった。
またいちじゃいの
中ナカは栄サカえる しるし竹タケ 藩政ハンセイ期キには正月ショウガツ元旦ガンタンに住吉スミヨシ神社ジンジャ拝殿ハイデンで歌ウタい初ソめる儀式ギシキ歌ウタでもあったが
             ヨカホーエ 現在ゲンザイでは、もっぱら祝儀シュウギ歌ウタとして、結婚式ケッコンシキや上棟式ジョウトウシキ、船フネおろし等ナドの宴席エンセキで
歌ウタわれる習慣シュウカンとなり、しかも、その場合バアイ、一座イチザの長老チョウロウがまず歌ウタってから
山ヤマ口クチ 長門市ナガトシ 通カヨイ ■「あの盃サカズキに」 他タの者モノが歌ウタうというほどの格式カクシキを持モっている。
あの盃サカズキに花ハナが咲サく 花ハナもや 歌ウタう態様タイヨウは、鯨クジラ太鼓タイコ(締シ太鼓タイコ)二基ニキを中心チュウシンに円座エンザをつくり、頭アタマに赤アカい
こがねの花ハナが七重ナナエ咲サく 花ハナもや 鉢巻をしめ、両手リョウテをする合アわせながら、合掌ガッショウする形カタチで歌ウタう。
しの田タの水ミズは声コエの酒サケのばや 歌詞カシも多様タヨウで西海サイカイ方面ホウメンの方言ホウゲンも混入コンニュウしていて、交流コウリュウの一端イッタンが
さいとりさせばよいよあしさしなべ うかがわれる。
我ワ君キミ様サマのお組クミの船フネは
えにたてて 祝イワえ目出度メデタ(大オオ唄ウタ一番イチバン)
波風ナミカゼ静シズかに 船フネをとおり候ソウロウよ さても見事ミゴトな(大オオ唄ウタ二番ニバン)
                 ヨカホエ 夢ユメを見ミようよ(大オオ唄ウタ三番サンバン)
今年コトシは幸コウせ
■みしま鯨クジラ 朝アサのめざめ
みしま鯨クジラ誰ダレがかけそめた あの盃サカズキに
組クミの親爺オヤジがかけそめた (以上イジョウ資料シリョウ:勇魚イサナ捕ト唄ウタ 収集シュウシュウ・編集ヘンシュウ 立石タテイシ陽一ヨウイチ)
水ミズが呑ノみたやおさんの手テから
顔カオのえくぼのたまり水ミズ
帯オビになりたやおさんの帯オビに
ひるは細ホソ帯オビ(ほそこし)じゅるりと〆て
夜ヨルはとかれて添寝ソイネする ヨカホエ
佐賀サガ 呼子ヨブコ ■「鯨納屋石搗歌(くじらなやいしつきうた)」 佐賀 <呼子ヨブコ捕鯨ホゲイの歴史レキシ>
松に花さく萬代かけて  文禄ブンロク年間ネンカン(1592〜95)に当時トウジの唐津カラツ藩主ハンシュ・寺沢テラサワ志摩シマ守カミが
上下万みん五常の道を 紀州キシュウ・熊クマ野ノ灘ナダから漁夫ギョフを雇ヤトって突ツき取トり法ホウの捕鯨ホゲイを行オコナわせた
まもるめぐみで幾久しくも ことから始ハジまり、江戸期エドキに隆盛リュウセイを極キワめたといわれる西海サイカイ地方チホウ
つヾくつくしの名も立なみの の捕鯨ホゲイ。嘉永カエイ六年ロクネン(1853年ネン)浦賀ウラガへのペリー来航ライコウに象徴ショウチョウ
松浦がたとやひれふる山に  されるように、当時トウジは外国ガイコクの捕鯨ホゲイ船センが日本ニホン海カイ、近海キンカイで
残るくもりのはれ行方ハ  さかんに操業ソウギョウを始ハジめており、日本ニホン各地カクチの鯨クジラ組クミは大オオきな
虹のまつ原其かたわらに  打撃ダゲキをこうむることになる。加クワえて、明治メイジ四年ヨネンの廃藩置県ハイハンチケン
しづが里とて賑ふ町に でそれまで鯨クジラ組グミが受ウけていた藩ハンの庇護ヒゴがなくなると、
萬はかりし桝屋といふて  資本シホン力リョクを持モたない個人コジン経営ケイエイの鯨クジラ組クミはいっきに衰退スイタイへと
数代栄華のえだ葉もさかへ 追いやられた。
質屋酒やに寿命を延す  小川オガワ島ジマを捕鯨ホゲイ拠点キョテンとし、呼子ヨブコに居宅キョタクを構カマえて八代ハチダイに
薬し辺々売広まりて わたり操業ソウギョウ、鯨クジラ大尽ダイジンの名ナをほしいままににした中尾ナカオ組クミ
諸事の小ま物おみせがあまた の八代目ハチダイメ中尾ナカオ甚六ジンロク(中尾家ナカオケは代々ダイダイ甚六ジンロクを襲名シュウメイ)は明治メイジ七年ナナネン
物のうりかひ出入もあまた の佐賀県サガケン庁チョウに捕鯨ホゲイ免許メンキョ申請シンセイを行オコナって、小川オガワ島ジマの人々ヒトビトと
心廣川利兵衛さんな    共同キョウドウで捕鯨ホゲイに当アたろうとしたが、ついに体制タイセイを立タて直ナオす
何に不足もなさおりからに ことはできず、正徳ショウトク年ネン間カン(1711〜15)依頼イライの鯨クジラ組グミの
君の御用て筑前の守    歴史レキシを閉トじることとなる。
兼て長崎御預りで (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
諸士のおともで唐おらんだと
立に行きの御とまりじく ■千セン越コシ祝イワイ唄ウタ
三のちゃやともなる家がらの アーヨイヤサー
数年御宿のこんいと成て 御ゴ利生リショウ御オン利リで明日アスから
あひの名物玉嶋川の    大オオ群グン(がち)獲トろうよ
清きながれのわたしばなれど これも氏神ウジガミさんの大ダイ御ゴ利生リショウかな
汐のみちひにふねふつがふと アーヨイヤサー
桝屋一ッ手のちぞふのはしを 氏神ウジガミ御ゴ利生リショウで明日アスから
かけて近来御通りあれバ 大オオ群グン(がち)獲トろうよ
上下揃ておんよろこびの これも恵比寿エビスさんの大御利生かな 
桝屋気どくの御ほうびとして アーヨイヤサー   (注:恵比寿 恵美須の違いあり)
今度ちくぜんかねざき沖に  恵美須エビス御ゴ利生リショウで明日アシタから
うをの道筋かじめの嶋へ   大群(がち)獲ろうよ
なやのしぐみを下さる比ハ  これも恵比寿さんの大御利生かな
天保十一子の初春に     アーヨイヤサー
福を道行大こく天の 稲荷イナリ御ゴ利生リショウで明日アシタから
あたえ成かやこわありがたや 大群(がち)獲ろうよ
うんき桝やの利兵衛さんな  これも旦那ダンナさんの御ゴ利生リショウかな
時にあふぎの末廣川と アーヨイヤサー
成てあをがんかなめが大事
徳者中まにはなされけれバ  山見ヤマミ御ゴ利生リショウで明日アシタから
我も我も打祝で 大群(がち)獲ろうよ
鶴のすごもる一本杉屋    これも旦那ダンナさんの大ダイ御ゴ利生リショウかな
かじめ仕出の咄のねつに   旦那ダンナ御ゴ利生リショウで明日アシタから
すヾもなまりもみな打とけて 大群(がち)獲ろうよ
和合はなしのおふなや小なや これも若ワカ衆シュウの大ダイ御ゴ利生リショウかな
受つなかしつ質屋の出合 しぢゃいなーンマ しじゃいな
なれど新きのしだしの事で  祝イワうて今年コトシも幸シアワせよかろうよ
金も諸方に銀仕を見立 ヨヨーイ ヨヨーイ ヨヨーイ ヨーヨヨーイ
思ひ思ひに手くばりなさる (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
時にしたつる船材木ハ
日向仕出しの五そふのうわに ■ろくろ巻マき唄ウタ
虹の浜べにみな買上て ヤーレ巻マいた ヤーレ巻マいた
私領御料の木引をあつめ 糸屋イトヤの姉ネエさん ヤーレ巻マいた
我も我も夜ハ日に次で 巻マいてとるのが 糸屋イトヤの姉アネさん
引やはまさき手くりの伝へ (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
四十八うらの船大工しに
わけて願もいそぎの事で ■ろこぎ唄ウタ
呼子名古屋にかた嶋掛て   アー押オせや押オせ押せ船頭センドウさんもかこもよ
くみになれたるえり人斗り  押オせば都ミヤコが ノーヤレコノ 近チカくなるよ
よせもよせたる三百余り   アー早ハヤく直ナオさなきゃ 市場イチバがしまるよ
ひごそかひあげ上ずにかけて 市場イチバしまればノーヤレコノ誰ダレ頼タヨるよ
もっそかけあみ引船のつな  (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
くじらまきどふつり掛かがす
かじわもり早けん打上る   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小だま小だまがあらいそなみの
音にまさりてさも賑かに
つくりならぶるうらはま伝へ
いろは印の新ぞふ受て   
萬小道具早つみ込みて
船のおやじは水主船頭を   (左ヒダリから続ツヅく)
見立見立てわけ渡しけり
国のならいで物やわらかに
風をまてどもおりあしけれパ くじらあいさつこちやたいがたく
雨天つヾいて出船もならす 付つまわしつ取物類を
おなじ所にまむしの神や ゆだんさんすなかんだら心  
すわのみやなる神主様へ   しめつゆるめつ嶋役人ハ
右の次方をかたられけれバ 廣き所に屋敷を見立
ちかく川上鏡にたしま    渡し玉へバ地わりをいたす
唐津明神うきだけ山へ    むねも落付石搗おんど    
気勢(お)いかへれバあらたなことハ 伊勢ハ津で持津ハ伊勢でもつ 
そらにくまなき日ハ清(すが)々と 古歌をまなんでかりほのいほの
四海浪風おさまる冬の 苫のあら吹露霜よけて
中の月末日をあらたまの 住しかりがね田毎の月も   
こよみひらけバ其日も天しや 見ずに汐吹くじらをにらむ
よろずよしよし船押出す 船は白嶋山家のみ崎
白ほまきあげせみ口しめて 思ひ思ひにかじめの嶋へ   
四十八そふおい手にまかせ  かよふ千鳥の声山からも
鳥もおそるゝげん海なだを  ざいを振立ふり込方え    
風にならんで行勢ひハ 右も左りも早追船の     
むかし源平船いくさより 浪の龍田はもみじがてらす  
まして気づよく乗り出しけり 蝉の子持はかじめをてらす  
浪の高嶋打こし見れパ    次の長すハざ頭の手引    
神集嶋とやさよひめ嶋    沖のかもめか親鳥こ鳥    
いわれ咄しぞあら面白や   続く大雨とのがたまでも
けやの大戸ハはひして通る  なやのしかふを見物せんと
みさきかわれバ心もゆるみ  思ひ思ひに大樽小樽     
船にそなえし御酒ひろめんと つめる油が千丁余り
たんなたんなはなだ酒出て せじる火の手が雲井を照   
さへつおきへつ呑相の嶋   富士や朝間のけぶりも今ハ  
木でも竹でも引のこの嶋   およぱざけり心の内ハ    
はるかへだてゝかのだざいふや 日本取てもとよとみ公ハ   
玉の箱崎心で拝す       武士の名正三国一と     
次に古(いに)しへ神代のむかし 角力附でも大関成が     
いこくたひじのなされし時の  それにまさりて日本のくじら
一千の御宝ひみつの玉を 取てたらぬとせけんのうわさ
おさめおかれし此鹿の嶋    深山からすも鵜のまねすれバ
今にいたりて龍神祭り 水におぽるゝ古人の言葉
残し置れし船物語り 仇にこぽすな廣川の水
風がよけれバほどまぢかくも せくなせきゃるな浮世ハ車
船の掛りもよき地の嶋へ    まわり大がね千万両も
ついていろはの印を立る    のぞみますやがすき八合で
水主も船頭も心のいかり    わたり兼ても心にとかき
とんとおろして問屋に上り 引てかん定大つもごりの   
旦那旦那に附船頭や 明て目出たきみ箱に玉の
親父手付に水主はさしまで   三つの朝日もかヾやくよふに
思ひ思ひの地走の末に     今年ばかりかまた来年も
うちのよめかゝ隣のむすめ もふけ重ねてほふらひ山と  
客にむかふてようこらさった 庭に鶴亀まいあそびける 
(右ミギへ)
長崎ナガサキ・壱岐イキ:勝本カツモト ■「納屋手歌」(なやてうた) 長崎  田浦タウラ鯨クジラ組グミ納屋ナヤ手テ歌ウタ  
夫組(そのくみ)は 冬組春浦(ふゆぐみはるうら) 勢美(せみ)座頭(ざとう) (注チュウ)鯨クジラ組グミの捕鯨ホゲイ基地キチを含フクめた詳細ショウサイが述ノべられている。
長須(ながす)児鯨(こくじら)花出しや
子持連魚(こもちれんぎょ)白長須(しろながす) <田浦タウラ鯨クジラ組グミ納屋ナヤ手テ歌ウタの内容ナイヨウ>
勢子持(せこもち)に立羽立(たちはたつ)        (注チュウ:狭子持の資料もある) 鯨ゲイ種シュと漁期ギョキ、大小ダイショウ区分クブン、鯨クジラの部位ブイ、すべて活用カツヨウ
七尋物(ななひろもの)に雑物(ざつぶつ)や 扨(さて)名所は数多し(注チュウ;扱名所の資料もある) 鯨クジラ組グミ事務ジム所ショの担当タントウ部署ブショ、仕事シゴト内容ナイヨウ、泥棒ドロボウ見張ミハりまで、
觜(はし)囀(さえずり)に山臚(さんりょ?) 船フネ毎ゴトの乗組員ノリクミインの役割ヤクワリ、山見ヤマミという鯨クジラ発見ハッケン場所バショ、
衣(ころも)黒皮(くろかわ)敷(しき)胴身(どうみ) 捕鯨ホゲイの銛モリの種類シュルイ、漁リョウの模様モヨウ、銛モリの順番ジュンバン、手柄テガラまで
赤身(あかみ)臓(はらわた)骨(ほね)筋(すじ)髭(ひげ)や 鯨クジラの曳航エイコウ、その模様モヨウ、
立羽(たっぱ)尾刷毛(おばいけ)とう[*革ヘンに「堂」]握(にぎ)り 解剖カイボウ浜ハマの状況ジョウキョウ、事務ジム所ショ、工場コウジョウ、倉庫ソウコ 加工カコウ工程コウテイ、道具ドウグ工場コウジョウ
唯輪(?)たけりに貝(かい)の元(もと)から肝(きも)までも捨(すて)りなし 船フネの道具ドウグ・用具ヨウグ類ルイの説明セツメイ、働ハタラく人々ヒトビトの内容ナイヨウ
旦那(だんな)手代(てだい)に別当役(べっとうやく) 賑ニギやかさなどが唄ウタいこまれている。
帳役(ちょうやく)若衆見習(わかしゅうみならい)は
勘太郎(かんたろう)追(おい)を最初也(さいしょなり)
親父(おやじ)役人(やくにん)惣支配(そうしはい)
勢子(せこ)の羽指(はざし)に持双(もっそう)や 流し沖番水主(かこ)の者
舳押双海(へおしそうかい)行列は 山見(やまみ)注進(ちゅうしん)天秤(てんびん)と
麾(き)の模様に 依(より)そかし          (注チュウ:「勢子(せこ)が「責子」の字もある)。
手柄仕勝(てがらしがち)の羽矢(はや)万(よろず) 一・二の銛(もり)は大事なり
剣切(けんきり)手形(てがた)仕課して 頭漕(とうそう)より浜(はま)までは
誠(まこと)に勇ミ敷(いさみしき)働(はたらき)なり 浜は大納屋(おおなや)西東
勘定(かんじょう)樽屋(たるや)道具納屋(どうぐなや)                                      轆轤ロクロ:ろくろ
鍛冶屋(かじや)大工(だいく)に釜懸(かまがかり)                                      神樂さん
大切(おおぎり)小切(こぎり)煎粕(いりかす)や
魚切部屋(うおきりべや)の飯焚(めしたき)や <田浦タウラ鯨クジラ組グミ納屋ナヤ手テ歌ウタの一文イチブン>
田島(たじま)の納屋(なや)の前細工(まえざいく) 江戸エド時代ジダイの勝本カツモトにとって忘ワスれることのできないことは、四代ヨンダイ
小取(こどり)日雇(ひやとい)に立番(たちばん)や 土肥ドイ市兵衛イチベエに代表ダイヒョウされる捕鯨ホゲイ集団シュウダン「鯨クジラ組グミ」の繁栄ハンエイである。
夜廻(よまわり)不寝(ねず)の大鼓番(たいこばん) 鯨組の作業サギョウ場バは田タノ浦ウラに設モウけられ、約ヤク千人センニンの男女ダンジョが働ハタラくという
轆轤場(ろくろば)虎落(もがり)内札(?)は 坪場(つぼば)魚棚(うおたな)苫塵(とまちり)や 日本ニッポン産業サンギョウ史上シジョウ特筆トクヒツされる工場制コウジョウセイ手工業シュコウギョウの誕生タンジョウをみた。
呉竹杭(くれたけくい)に縄筵(なわむしろ) 船は碇(いかり)帆(ほ)梶(かじ)柱(はしら) 鯨組の経営者ケイエイシャに土肥ドイ・長チョウ取トリ・原田ハラダの名ナがあるが、殊コトに土肥ドイ一族イチゾク
持双柱(もっそうはしら)八挺櫓(はっちょうろ) の繁栄ハンエイはめざましく日本ニッポン有数ユウスウの大富豪ダイフゴウとなり、当時トウジの隆盛リュウセイを
手柄褒美(てがらほうび)の羽指歌(はざしうた) しのばせる遺構イコウを今日コンニチにのこしている。
関東胡麻(かんとうごま)の誥出し(たけだし?)  田浦タウラ  旧名キュウメイ 浜田ハマダ
道具(どうぐ)浜売(はまうり)仕替物(しかえもの) 実に蓬莱(ほうらい)の山そかし 此コ浦ウラ、年々ネンネン冬フユより春ハルに至イタりて、鯨クジラ組グミを出ダして賑ニギハしき所トコロなり。
(資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
長崎ナガサキ・対馬ツシマ ■「廻の鯨組唄」 長崎  「廻の鯨組唄」
麦は穂が出る 鯨組はもどる 下県郡シモアガタグン豊玉トヨタマ町マチ廻マワリは、対馬ツシマを代表ダイヒョウする鯨クジラ組グミ居キョ浦ウラで、鯨クジラ長者チョウジャ
なにを頼りに 麦とりいれよか 亀谷カメタニ卯ウ右衛門ウエモンをたたえた鯨クジラ唄ウタが伝ツタえられています。
亀谷さんのくらしをやれ (西海サイカイの鯨クジラ唄ウタ:野本ノモト政セイ宏ヒロシ)
乞食非人に まさつたくらし 「瀬田セタの鯨クジラ組グミ唄ウタ」 (別称ベッショウ  うちかけ踊オドリり唄ウタ)
そこでお上に願いをあげて 上県カミアガタ郡グン上県町カミアガタチョウには、鯨クジラ組グミの居キョ浦ウラとして伊奈イナ浦ウラ(茂シゲル江エ浦ウラ)や
願いかのうて 鯨組をなさる 鹿見浦の二ニカ所ショがあげられ、この居浦に近チカい瀬田セタには、
春になったら廻にござる 盆踊ボンオドりの唄ウタとして、唄ウタわれている。(西海の鯨唄:野本政宏)
廻りや花よと納屋うちかけて
亀谷さんのすまいを見やれ
金の屏風に 金襴(きんらん)まくら 下記カキをご覧ランください
金のたらいで ちょうずをなさる http://www.catv296.ne.jp/~whale/iwaiutanimiru-kakutiiki-kannren-zenbu.html
金の茶碗で 御飯をあがる
そこで一の別当さん手許につれて
あがる山見は寺崎山見
三里眼鏡で四方を見れば
はるかの沖には子持ちが見ゆる
それを見るより苫つりあげて
三六隻皆漕ぎいでて
池田もたれに網うちはりて
みとは三重がわ そのわきや二重
そこで子持がみとうちかぶる
一にけんぎり 二にはやたてて
刃刺しやとびこみ 胴なわいれて
新造もっそに早からみっけ
さあさ漕ぎやれ寺崎さして
そこで別当さんが語り出す
廻 唐州が皆あつまりて
からすみたよな かんだらなさる
そこで別当さんが語り出す
打つな叩くなちょうちゃくするな
人をのろえば 鯨がとれぬ 
長崎ナガサキ 壱岐イキ あしべ ■「伊勢イセ参宮サングウ祝イワ」 壱岐イキあしべ はざし唄ウタ
伊勢イセにゃ七度ナナド 熊野クマノに三度サンド 「はざし唄ウタ」は玄海ゲンカイに浮ウかぶ壱岐イキ島シマの一イチ地方チホウ(芦辺アシベ町マチ・諸モロ吉キチ・棚タナ江エ地区チク)
   愛宕アタゴさまには 月ツキ参マイる に伝ツタわる古謡コヨウである。
その昔ムカシ、紀州キシュウ熊野クマノあたりで捕鯨ホゲイ唄ウタとして唄ウタわれていたというが、
■「誕生タンジョウ祝イワイ」 江戸時代、芦辺町アシベチョウの棚タナ江エ地区チクの捕鯨ホゲイ基地キチで多オオくの若者ワカモノが唄ウタい
野ノにも山ヤマにも 継ツいだものといわれている。
     子コはもちおきゃれ 現在ゲンザイでは芦辺町アシベチョウ諸モロ吉キチ地区チクを中心チュウシンに、新築シンチク、結婚ケッコン、誕生タンジョウ等ナド慶祝ケイシュクの度タビに、
          万マンの蔵クラより子コは宝タカラ 謡ウタイとともに唄ウタい継ツがれている。
■「結婚祝ケッコンイワイ」 はざし唄ウタ 祝イワい目出度メデタ
次郎ジロウじょ太郎タロウじょと見合ミアった仲ナカは 思オモうこと叶カナう
    仲ナカの良ヨいこと人ヒト知シらぬ 伊勢イセ参宮サングウ祝イワ
  続ツヅけ続ツヅけよ末スエまで続ツヅけ 建築ケンチク祝イワ
    ましてこの先サキなお続ツヅけ 誕生祝
結婚ケッコン祝イワイ
■「万座マンザの祝イワイ」 万座マンザの祝イワ
今年コンネンヤ仕合シアワせ金カネとる年トシよ 中歌ナカウタ(さす盃サカズキに花ハナが咲サく・・・・・)
    今年コトシとらねばいつとるな 中歌ナカウタ(門モンにぞさ祝イワうよな・・・・・・)
鶴ツルが舞マいますこの家イエの上ウエに 新造シンゾウ祝イワイ
    ご家イエ繁昌ハンジョウと舞マい遊アソぶ 明日アスはよい凪ナギ
(神社ジンジャ参拝サンパイ下シモ講コウ祝イワイ) 中歌ナカウタ(さても見事ミゴトなお主シュさまの祝イワ・・・・・)
神カミに参マイらばご利リ勝カツがぞざる 夢ユメ目出度メデタ
    ご寿命ジュミョウ永ナガかれ」世ヨもよかれ 津ツ茂シゲ里サト
(誕生タンジョウ祝イワイにも唄ウタう) 年トシの始ハジめ
大オオ主ヌシご勝カツ楽ラク天赦テンシャの生ウまれ おこもり
   ご寿命ジュミョウ永エイかれ世ヨもよかれ (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
庭ニワにゃ米コメ搗ツく座敷ザシキで碁ゴ打ウつ 上記ジョウキ赤字アカジは下記カキ「鯨唄に見る地域の関連は?」に歌詞カシ掲載ケイサイ
   二階ニカイ座敷ザシキで 金カネ計ハカる http://www.catv296.ne.jp/~whale/iwaiutanimiru-kakutiiki-kannren-zenbu.html
■中歌ナカウタ ■年トシの始ハジめ
門モンにぞさ祝イワうよな 祝イワう門カドには福フクきたる 年トシの始ハジめの門カドの松マツ ハイヨ
    天テンの金キン箱バコおふさをつけて 歳トシはふりての前マエ目メ浦ウラ ハイヨー
    ござるお客キャクは福フクの神カミ   アイヤー さざねいおまの松マツ風カゼよ ハイヨー
鶴ツルは千年センネン歳トシふりて
■中歌ナカウタ 年トシはふりての若ワカの浦ウラ ハイヨー
さても見事ミゴトなお主シュ様サマの祝イワイ さざねいおまの松マツ風カゼよ ハイヨー
これも祝イワイのご利リ勝カツかな ごりしょかな それになかばん寄ヨりくる大オオ背美セミさまよ
今年コトシやごりしょうかな これも祝イワイのご利リ勝カツかな せぐみよな ハイヨ
こよや祝イワえて明日アスは金キンをとろよ せんせん ハーイヨナ
これも祝のご利勝かな 朝アサがけとろそりゃ重カサねどりしよう前マエ目メ浦ウラ ハイヨ
これの柱ハシラに綱ツナくりかけて それに柵サク江エに寄ヨりくる大オオ背美セミ様サマよ
お金カネまくのにゃひまもない せぐみよな ハイヨ せんせん ハイヨナ
祝イワえて 大金タイキンや おお取トりしょ 朝アサがけとろそりゃ重カサねどりしよう前マエ目メ浦ウラ ハイヨ
旦那ダンナよろこぶ顔カオみたい
■夢ユメ目出度メデタ 祝イワえて大金タイキンやおお取トりしよう ハイヤオイ
夢ユメをみよう目メ出デたい夢ユメば
大金タイキン枕マクラに黄金コガネをまえに ■ おこもり
旦那ダンナ盃サカズキ飲ノむと見ミた こもりこもろば 氏神様ウジガミサマに
旦那ダンナたてたる茜アカネ鉢巻ハチマや誰ダレじゃ       氏ウジ栄サカえて 宮ミヤ繁盛ハンジョウ
誰ダレじゃござらぬこの家イエの若ワカい衆シュウ
お金カネとりに来キたえ 黄金コガネをかけに
山ヤマのだしから潮シオ吹フきまでも
もしもこの子コが五ゴ尋ヒロあれば
おなをあげます千セン樽タルものと
親オヤにゃ千セン樽タル 子コにゃ五百ゴヒャク
長崎ナガサキ 小コ値ネ賀ガ ■座ザ付ツキ 小値賀オヂカ祝イワいうた
ハ祝イワい目出度メデタのサヨイヤサ 小値賀は小田組オダグミ、生月イキツキ益富組マストミグミの捕鯨ホゲイの網代アジロとして栄サカえた地チである。
若松ワカマツヨサヨ様サマヨサヤノ ヨサデヨイヤサ枝エダも 鯨クジラとりうたとしての直接的チョクセツテキな文言ブンゲンはないが、明アキらかに魚サカナとりうたの
常ツネに思オモたりや サヨイヤサ 形式で祝イワいうたとして唄ウタい継ツがれている。
叶カノウたじゃヨナヨないか (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
サヤノヨサデヨイヤサこれも
竹タケになりたや サヨイヤサ 座ザ付ツキ
お山ヤマのヨナヨ竹タケにや サヤノヨサデ 結婚ケッコン祝イワイ唄ウタ
ヨイヤサおてす 初ハツのぼり祝イワイ唄ウタ
三国一サンゴクイチじゃお祝イワい上アげすまそうよ ハイヤオイ 家イエ建タ祝イワイ唄ウタ
祝イワい目出度メデタの若松様ワカマツサマヨナ
枝エダも栄サカえる葉ハも茂シゲる栄サカえる葉ハも茂シゲる ヨイヤサ ■結婚ケッコン祝イワイ唄ウタ
葉ハも茂シゲるヤ葉ハも茂シゲるヤ 今日キョウは吉日キチジツ日柄ヒガラもよいがヤ
枝エダも栄サカえ葉ハも茂シゲるヨイヤサ おてす祝イワイは 天テン社シャ日ビ サヨイヤサ
常ツネに思オモたりゃ叶カノウたじゃないか 鶴ツルと亀カメとは祝イワいのものぞや
これもあなたのごれしょうかな サヨイヤサ 亀カメがはやして鶴ツルが舞マう サヨイヤサ
ごれしょうかなヤごれしょうかなヤ もろたもろたよ扇子センスばもろたや
これもあなたのごれしょうかな サヨイヤサ 末スエは広ヒロがる目出度メデタいな
  よかれよかれよこれより先サキはヤ そりゃいちじゃいな(そのいちじゃいんさ)
  ましてこの先サキやなおよかれ サヨイヤサ 末スエは広ヒロがる目出度メデタさや ハイヤオイ
  なおよかれヤなおよかれヤ
  ましてこの先やなおよかれ ■初ハツのぼり祝イワイ唄ウタ
祝イワ目出度メデタの若松ワカマツ様サマよ
それいちじゃいな(そのいちじゃいな) 枝エダも栄サカえる葉ハも茂シゲる サヨイヤサ
ましてこの先やなおよかれ ハイヤオイ 潮シオの満ミ干ヒに生ウまれたこの子コ
  神カミに参マイればごれしょがござるヤ ご寿命ジュミョウ長ナガかれ世ヨもよかれ サヨイヤサ
  これもあなたのごれしょうかな 松マツの緑ミドリにこの子コば据スえて
  朝アサな夕ユウなの信仰心シンコウシンは この子コ末代マツダイ世ヨは一度イチド
  悪事アクジ災難サイナン逃ニげるよに そりゃいちじゃいな(そのいちじゃいな)
  頼タノみあげます これより先サキは この子コ末代マツダイ世ヨは一度イチド ハイヤオイ
  諸事ショジも万事バンジも頼タノみます
それいちじゃいな(そのいちじゃいな) ■家イエ建タ祝イワイ唄ウタ
諸事も万事も頼みます ハイヤオイ 今日キョウは吉日キチジツ日柄ヒガラもよいが
そろたそろたよお座中ザチュウがそろたや おてす祝イワイは 天テン社シャ日ビ サヨイヤサ
秋アキの出穂イズホよりまたそろた お亭主テイシュ作事サクジは見事ミゴトな作事サクジ
  これもこもらば氏神様ウジガミサマに 大工ダイク手柄テガラか金キム宝タカラ サヨイヤサ
  悪事災難逃げるよに 鶴ツルが舞マいますこの家イエの上ウエに
  神カミの恵メグみか 仏ホトケのけしょか この家イエ繁シゲルると舞マイさがる
  または天テン社シャの見定ミサダめか そりゃいちじゃいな(そのいちじゃいんさ)
そりゃお座中ザチュウがいちじゃいな この家イエ繁シゲルると舞マイさがる ハイヤオイ
・・・・様サマのお恵メグみありぞかし ハイヤオイ
   祝イワイてくだされお座中ザチュウがおかた 祝イワい目出度メデタの若松ワカマツ様サマよ
   祝イワう門カドにぞ 福フク来キタる 枝エダも栄サカえる葉ハも茂シゲる サヨイヤサ
   今年コトシやよい年トシ 穂ホに穂ホが咲サくぞ この家イエお庭ニワに水川ミズカワ掘ホりて
   今年コトシとらいでいつとろか 水ミズは湧ワかえで金キンが湧ワく サヨイヤサ
   辛抱シンボウする木キにゃ金カネがなる 庭ニワにゃ米コメ搗ツく中ナカの間カンじゃ棋キ打ウつ
それいちじゃいな(そのいちじゃいな) 二階ニカイ座敷ザシキで金カネ計ハカる
辛抱する木にゃ金がなる ハイヤオイ そりゃいちじゃいな(そのいちじゃいんさ)
   あたご岳タケから野山ノヤマを見ミれば 二階ニカイ座敷ザシキで金カネ計ハカる ハイヤオイ
   野山ノヤマ五作ゴサクで目メを覚サます
   作ツクればできます 野山ノヤマの五作ゴサク
http://www.kabuki-za.com/syoku/2/img/134/main134.jpg
   三サン升マス蒔マきには五ゴ俵ヒョウござる
   御オン岳タケ社シャにろくろばすえて
   野山五作は蒔マき寄ヨせる
それいちじゃいな(そのいちじゃいな)
今年コトシとらいで いつとっか ハイヤオイ
   飲ノめや大黒ダイコク歌ウタえば恵比寿エビス
   中ナカの酌シャクとりゃ 福フクの神カミ
   つつじ椿ツバキは野山ノヤマを照テらす
   これの座敷ザシキは天テン照テらす
   扇オウギの要カナメにお客様キャクサマ据スえて
   末スエは広ヒロがる目出度メデタいな
そりゃお座中ザチュウがいちじゃいな(そのいちじゃいな)
長崎ナガサキ 壱岐イキ あしべ ■恵美エミ寿コトブキの端唄ハウタ 恵美エミ寿コトブキの端唄ハウタ
瀬セ戸ト浦ウラ たいすさまおもこたサーかのたヨーナー サーヨイヤサー 瀬セ戸ト浦ウラの恵エ美ミ須スには益富マストミ組クミ(生セイ月島ツキシマ)や後ノチの郷ゴウノ浦ウラ組クミの捕鯨ホゲイ基地キチ
末スエは鶴亀ツルカメハー鶴ツルと亀カメとはヨイヤー があり、明治メイジ20年ネン頃コロ4〜5頭トウの鯨クジラが捕トれた。
祝イワイのサーものじゃよナーヨイヤー 鯨クジラ組クミの入口イリグチに勘定カンジョウ納屋ナヤ、大オオ納屋ナヤがあった。網アミ染ソメとモッソウ舟フネに鯨クジラが
鶴ツルが舞マいますヨイヤサーお家イエのサー上ウエにヨーナーヨイヤサー ひかれた印象インショウを老人ロウジンたちは覚オボえているという。
大漁タイリョウ満足マンゾクヨイヤサーヤレ舞マい遊アソぶ 骨ホネ納屋ナヤ、すじ納屋ナヤ、若手ワカテ納屋ナヤもあったという。その後ゴ大オオ敷シキ網アミに代カわって
今年コンネンしや凪ナギ年トシヨイヤサー沖オキにはサーやらぬヨー 今日コンニチにいたっている。
磯イソのもぎわでサーヤレ魚サカナ捕トる  鯨クジラ網アミ  原料ゲンリョウは麻アサ緒チョ、小コ縄ナワになって三サンつうちにし、親指オヤユビ大ダイの綱ツナにして
そこたいすはいちじゃいの  染ソめた。
おなおな幸サチせはよかろうよ ハイヤオイ  郷ゴウノ浦ウラ組クミの舟フネにはそうげ(四ヨン隻セキ)せこふね(二十ニジュウ隻セキ)
イエー祝イワイめでたのサーヨイヤナ  もっそう船フネ(二ニ隻セキ)がいた。
若松ワカマツさまよ サイヤナー  獲トった鯨クジラは持双モッソウ(もっそう)船フネ二隻ニセキの間アイダに持双モッソウ柱ハシラ二ニ本ホンをわたし、
枝エダも栄サカえるヨイヤナ―葉ハも茂シゲるよ  その間アイダにまきつけた。
タレター竹タケになりたいヨイヤサー  陸揚リクアげにはロクロを使ツカった。
お山ヤマの竹タケにヨーたいす栄サカえるヨイヤナーめでたいな (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
ソレ舟フネのサーこぶちにサーヤレ網アミ繰クリりかけてサーヨイヤサー
鰤ブリをとるのにヨサひまもないジャヨイヤサー
それ金カネをまくのにサヨイヤサーひまもない
アージャヨヨーイエヨーサ
とかくたいすは幸サチせじゃよ
そこたいすはーじゃいのいちじゃいの
ぶりのおおかちまくのにひまもない ハイヤーホイ
長崎ナガサキ 宇久ウク ■矢ヤの又マタ手テ節フシ 宇久ウク 飯メシ良リョウ郷ゴウ大オオ唄ウタ
祝イワイ目出度メデタの若松様ワカマツサマよ枝エダも栄サカえる葉ハも繁シゲルる。 数多カズオオくの元モト唄ウタによって成ナり立タっている大オオ歌ウタが郷土キョウドの民謡ミンヨウとして
村ムラの座敷ザシキは祝イワいな座敷ザシキ 潮シオの満ミよに吹フきつける。 継承ケイショウされている。
常ツネの年トシより今年コンネンの年トシは増マして倖シアワせ尚ナオ良ヨかれ 矢ヤの又マタ手テ節フシは、矢ヤ(銛モリ)を使ツカい網アミを入イれて鯨クジラを採トるの意味イミをもち、
今年コンネンが一イチじゃさあ元旦ガンタン祝イワイい済スませた目メ出デたいな その勇壮ユウソウさを祝宴シュクエン最初サイショの歌ウタとしたのであろう。
勘カン多タ節ブシは勧ススめ多オオいの意味イミを持モち、もてなしを受ウけた謝意シャイを表アラワす大オオ歌ウタ
■勘カン多タ節ブシ であり、立タチ語ゴ楽ラクは千秋楽センシュウラクにちなんだものと思オモわれ「つもり」とも言イう。
恋コイしくば尋タズねて御座ゴザれよ此コの村ムラに杉スギの瀬戸セト村ムラ松マツ便タヨり 五郎ゴロウ兵衛ヒョウエ節ブシは「倖シアワせが転コロべ」がなまったものと思オモわれる。
区長様クチョウサマ心ココロ静シズめてよく御座ゴザれ佐渡サドの金山キンザンお手テの内 (資料:勇魚捕唄 編集立石陽一)
高砂タカサゴや老ロウ生セイの松マツに糸イト張ハりて糸イトひかずに黄金コガネ引ヒく
区長様クチョウサマ一イチじゃいな年トシの始ハジめに元旦ガンタン祝イワうてこの先サキ倖シアワせ尚ナオ良ヨかれ
■五郎ゴロウ兵衛ヘエ節フシ ■立タチ語ゴ楽ラク
転コロべ掛カかれや転コロべ掛カかれや倖シアワせが転コロべかかれな掛カかれな 思オモうたこちゃ叶カナた 今年コトシ叶カノウじ何時イツ叶カナう
尺八シャクハチ東ヒガシ風カゼより枕吹ゆてよしょもな二十一五郎兵衛 続ツヅけ続ツヅけよこの先サキ続ツヅけ増マして倖シアワせ尚ナオ続ツヅけ
区長クチョウ村方ムラカタもろはき樽タルよ仲ナカの良ヨいこちゃ人ヒトしらず 世話セワになリたよ区長クチョウさんの世話セワに
村ムラの床トコの間マに小松を植えて松は末代世は一代           増マしてお世話セワになりました
区長様クチョウサマ一イチじゃいな今年コトシの村方ムラカタ仲間ナカマは仲ナカの良ヨさこちゃ 三国一サンゴクイチじゃいな 元旦ガンタン祝イワいに区長クチョウさんお宅タクに
人ヒト知シらず           増マしてお世話セワになりました
     
勇魚イサナ捕ト唄ウタ
まえがき   「勇魚(いさな)捕りうたにおもう」 注チュウ:立派リッパな「勇魚イサナ捕ト唄ウタ」の冊子サッシに左記サキの「まえがき」がありました。
全文ゼンブン掲載ケイサイさせてもらいました。
海鳴ウミナりのように 潮騒シオサイのように
高タカく 低ヒクく五ゴ連レン太鼓タイコが雄叫オタケびあげる
双フタ肌ハダぬいだ羽ハざし衆シュウ
勇魚イサナに打ウった一番イチバン銛モリをかざしかざして踊オドりぬく
水主カコ(かこ)持双モッソウ(もっそう)もあとうけて
双フタ手テすりすり唄ウタうなり
勇魚イサナしとめて祝イワいのうたか
銅鑼ドラ越ゴえ唄ウタに 羽ハざしはおどる
江戸エドのむかしの勇魚イサナとり羽ハざしの意気地イキジが見ミえる
鯨クジラ捕トりに命イノチをかけた海ウミの男オトコの唄ウタがきこえる
納屋ナヤ場バ衆シュウのよろこびの熱気ネッキがみなぎる
黒潮クロシオに勇魚イサナを追オった紀キの國クニ羽ハざしのうた
四国シコク土佐トサ納屋ナヤ場バの骨ホネきりの熱ネツっぽいうた
九州キュウシュウ西国サイコクの海ウミの男オトコの鯨クジラにかける根性コンジョウのうたがきこえる
生月イキツキの「ヨイヤサー」が五ゴ連レン太鼓タイコと漁師リョウシ気質カタギをうたいあげる
海鳴ウミナりのように ときには強ツヨく
潮騒シオサイのように ときには よわく 〵 〵
九州キュウシュウの西海岸ニシカイガンから日本ニッポン海カイをかけのぼり
北前船キタマエブネでつたえられたという「ハイヤ節ブシ」とは
また異コトる伝ツタわり方カタで
各地カクチの特色トクショクある「めでた唄ウタ」となって唄ウタい継ツがれている
口クチから口クチへ身ミぶり手テぶりで伝ツタえられながら
瀬戸内セトウチの海ウミを通トオって日本ニッポン海カイへ出デた
紀キの國クニよりの「羽ハざし唄ウタ」と思オモわれる                 (表紙ヒョウシ)
数多カズオオき海ウミのロマンのひとつである
収集シュウシュウ・編集ヘンシュウ 立石タテイシ陽一ヨウイチ  長崎県ナガサキケン・生月イキツキ町マチ
     
                                 (表紙ヒョウシ)小冊子ショウサッシ
                                                             (表紙ヒョウシ)