『くじらさんの詩ウタ』
1 長崎ナガサキ 長崎くんち奉納「鯨の潮吹き」“いさみ唄”・“祝い唄”
祝イワい唄ウタ �@ 前日の唄(十月七日)
まつり (オオ 背美よ 背美よ)
祝い芽出度やー 祝い芽出度 アヤアー (ヨイヤサー ヨイヤサー)
            アー エイー ヨー オー オオ 若松さまアーヨー    
枝も栄える 枝も栄える (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
                   ハアエイーヨーオー オオ 葉も茂る
檀那百まで 檀那百まで (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
              ハアエイーヨーオー オオ わしゃ九十九まで
ともに白髪の ともに白髪の (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
                 ハアエイーヨーオー オオ はえるまで
(デーカイタ デカイタ)
(明日も大きな 大背美よ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ ヨイサ)
�A  後日の唄 (十月九日)
(オオ 背美よ 背美よ)
背美は曳きくる 背美は曳きくる (ヨイヤサー ヨイヤサー)
                ハアエイーヨーオー オオ 羽差は勇む
納屋の手代衆は 納屋の手代衆は (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
                 ハアエイーヨーオー オオ 金はかる
つつじ椿は つつじ椿は     (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
                ハアエイーヨーオー オオ 野山を照らす
背美の子持は 背美の子持は   (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
                 ハアエイーヨーオー オオ 納屋照らす
(デーカイタ デカイタ)
(明日も大きな 大背美よ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ 
                           ヨイサ ヨッシリ ヨイサ)
�B 簡略型の唄 庭先廻り・各場所への挨拶廻りで簡単な短縮型の唄が
   詠われる。(簡略型というのは筆者の命名)
(オオ 背美よ 背美よ)
祝い芽出度やー 祝い芽出度 アヤアー (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
ハアエイーヨーオー オオ 若松さまアーヨー    
枝も栄える 枝も栄える (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
ハアエイーヨーオー オオ 葉も茂る
(オオ 背美よ 背美よ)
背美は曳きくる 背美は曳きくる (ヨイヤサー ヨイヤサー) 
ハアエイーヨーオー オオ 羽差は勇む
(デーカイタ デカイタ)
(明日も大きな 大背美よ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ
                           ヨイサ ヨッシリ ヨイサ)
「鯨クジラの汐吹シオフキき」:鯨クジラの鼻ハナ孔アナからの呼吸コキュウ、鼻ハナから吐ハき出ダし白シロく高タカくあがる「鼻ハナ息イキ」、鯨ゲイ種シュが分ワかる。
「背美セミよ」:セミクジラのこと、古式コシキ捕鯨ホゲイで動ウゴきが遅オソく死シんでも浮ウくのでとり易ヤスく脂アブラも多オオくとれた。
「羽ハネ差サ」・はざし:鯨クジラを銛モリで付ツいて捕トる頭領トウリョウ、力士リキシのようで尊敬ソンケイされた。
「納屋ナヤ」:捕ホ鯨ゲイ基地キチ、事務ジム所ショ、宿舎シュクシャ、解体カイタイ場バ、あらゆる加工カコウ場バ、倉庫ソウコ、船センつき場ジョウ、道具ドウグ場バなど
     の総称
「子持コモち」:子コずれの鯨クジラ。子コも取トれ、親オヤも子コから離ハナれず捕トれるのでとり易ヤスく当時トウジは喜ヨロコばれた。
 「子持コモち鯨クジラは夢ユメにも見ミるな」という謂イワれもある。子コを守マモるために親オヤが暴アバれ危険キケンなため大事故ダイジコ
 になったこともあった。明治メイジ11年ネンの太地タイジの「大オオ背美セミ流ナガれ」は100人ニン以上イジョウが亡ナくなった。
長崎くんち(ながさきくんち)、長崎おくんちは、長崎県長崎市の諏訪神社の祭礼
である。10月7日から9日までの3日間催される。国の重要無形民俗文化財に指定
されている(昭和54年指定、指定名称は「長崎くんちの奉納踊」)
                                                     (資料:ウィキペディア(Wikipedia))
(資料シリョウ:http://www.catv296.ne.jp/~whale/nagasaki-siohuki-yorozuya.html)
2 長崎ナガサキ平戸ヒラド  「勇魚節」
歌ウタ 月は傾く 平戸の沖で
勇魚取る子の 櫓の速さ
エンヤラヤノヤー エンヤラヤノ
エンヤラヤノ エンヤラホイノサ
「平戸節」(イサナ節)(歌)
1.月はかたむく 平戸の瀬戸に  
鯨とる船 このろのはやさ 
エンヤラヤノヤーエンヤラヤノ
エンヤラヤノ エンヤラヤノヤー
(以下省略 4番まで)
「勇魚イサナ」:鯨クジラのこと。
(資料:「歌で巡る長崎」
3 長崎ナガサキ  「長崎ばやし」 長崎民謡保存会:作詞 市川昭介:作曲 
歌ウタ  都はるみ:歌 (昭和46年)
1. わたしゃ天領 長崎むすめ
べつ甲サンゴに なびきゃせぬ
なびきゃせぬ
  ※ハイヨ ハイヨ
2. 腕も鳴滝 あじさい屋敷             
恋のおたくさ 濡れて咲く
濡れて咲く
3.鯨汐吹きや 龍が鳴きたてる
クンチ三が日 人の波 人の波
 4〜8.(略)
「鯨クジラの汐吹シオフキ」とは鯨クジラの呼吸コキュウ。頭上ズジョウの鼻ハナで息イキを吐ハき時トキに鼻ハナ孔アナから高タカく上アがる息イキのこと。
ハクジラは鼻ハナ孔アナは一ヒトつ、ヒゲクジラは鼻孔ビコウは二フタつです。鼻孔ビコウは頭部トウブにあります。
ここに出デる「鯨汐吹き」は山車ダシの長崎くんち奉納「鯨の潮吹き」のこと。鯨クジラ形カタの山車ダシが
ポンプで潮を吹フくようにされている。多オオくの鯨クジラ玩具ガング、年賀ネンガ切手キッテ、絵画カイガ、版画ハンガなどがある。
龍踊ジャオドリが有名ユウメイ、 鯨クジラは7年ネンに一度イチドの出番デバンになっている。  (資料:「歌で巡る長崎」)          
(長崎県の歌謡史)宮川密義著 長崎新聞社発行)
4 長崎ナガサキ 「凧(はた)あげ音頭」 出島ひろし:作詞 深町一郎:
歌ウタ 作曲 市川勝海:歌(昭和54年)
1.春は長崎 金比羅山で
みなと潮風 そよつと受けて 
凧(はた)が舞います 絡みます
紺に白地の 鯨ん皮と
赤白青の タンゴ縞
ビードロ光って ヨイヤー
ヨイヨイヨイヨイ ヨーイヤサー
日和(ひより)よかばい 南風(はやんかぜ)出たばい
あんた いっちょ出て
腕見せて みんね
2.3.(略)(注)長崎では凧を「ハタ」といいます。
「凧(はた)」:たこ揚アげの凧タコのこと
(資料:「歌で巡る長崎」
(長崎県の歌謡史)宮川密義著 長崎新聞社発行)
5 千葉チバ県ケン南ミナミ房総ボウソウ市シ [和田浦音頭] 作詞安田耕一:作曲 小村 三千三
音頭オンド
1.磯の波にも 春風吹いて
  海女が鮑を とるころは
  山の桜は 山の桜は 花ざかり ソレ
  和田浦よいよい よいところ
  春は鰯の 大漁時
   テモサッテモ よいところ
2.鯨船かや 大漁旗あげて
  波をけたてて やってくる
  浦じゃ大漁の 浦じゃ大漁のわ
   声が湧く  ソレ
  和田浦よいよい よいところ
  夏の浜には 恋が咲く
   テモサッテモ よいところ
3.(略リャク)
4.(略)
5.購は日の出だ 真赤にそめて
  鰤は豊富だ 旗たてろ
  船のへさきに 船のへさきに
            波おどる  ソレ
  和田浦よいよい よいところ
  沖じゃ閏の うれし鳴き
   テモサッテモ よいところ
「鯨クジラ船ブネ」:沿岸エンガンの小型コガタ捕鯨船ホゲイセンのこと、現在ゲンザイもツチクジラ漁リョウが行オコナわれている。
 和田浦ワダウラで夏場ナツバに、鯨の解体を見ることができる。
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現在ゲンザイ、ネットにも掲載ケイサイされていない。
「勇魚イサナの浜ハマに」  「勇魚イサナの浜ハマに」  東京 川村純子  (旧姓庄司・和田出身)
短歌タンカ
鯨クジラ今朝ケサ三ミッツ獲トれたりと電話デンワあり浜ハマの活気カッキが身内ミウチ伝ツタわる
勝山カツヤマの醍醐ダイゴ新兵衛シンベエ三百年サンビャクネンの房総ボウソウ捕ホ鯨ゲイを兄アニは受ウけつぐ
赤銅セキドウの八人ハチニンの男子ダンシエンヤコラとろくろ廻マワして勇魚イサナは上アガる
弁慶ベンケイの薙刀ナギナタほどの太刀タチを振フり解体カイタイ始ハジまる勇魚イサナの浜ハマに
安房アワの浜ハマ勇魚イサナ獲ト(あが)れば日ヒの昇ノボり海ウミの男オトコの歓喜カンキが興オコる
牛ウシを喰クい鶏ニワトリをほゝばりて碧アオき目メは勇魚イサナ獲トりをば野蛮ヤバンというか
吾ワレ妹イモウト八十年ハチジュウネン一月イチガツ号ゴウより
(資料シリョウ:くろしお文化ブンカ 10 黒クロ汐シオ資料館シリョウカン)
6 高知コウチ 「よさこい節」 (「土佐節」) (高知)
歌ウタ
土佐の高知の 播磨屋橋で
坊さんかんざし 買うをみた ヨサコイヨサコイ
   御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸をあけて
   月の名所は 桂浜 ヨサコイヨサコイ
土佐はよい国 南をうけて
さつまおろしが そよそよと ヨサコイヨサコイ
   土佐の名物 珊瑚に鯨 
   紙に生糸に 鰹節 ヨサコイヨサコイ 
はらみの廻し打ち 日暮れに帰る
帆傘船年に 二度取る米もある ヨサコイヨサコイ 
土佐の高知の 播磨屋橋で
坊さんかんざし 買いよった ヨサコイヨサコイ
   坊さんかんざし 買いそなことよ 
   瞽女さん眼鏡を 買いよった ヨサコイヨサコイ
土佐はよい国 南をうけて 
薩摩おろしが そよそよと ヨサコイヨサコイ
   夜さ来い晩に来い 言わんすけれど 
   行って見りゃ真実 こいじゃない ヨサコイヨサコイ
見ませ見せましょ 裏戸を明けて 
月の名所は 桂浜 ヨサコイヨサコイ
   言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 
   しお吹く魚が 泳ぎよる ヨサコイヨサコイ
(資料シリョウ:http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den149.htm)
部隊歌 南国土佐を後にして(歩兵第236連隊の歌)
作詞・作曲:不詳(女学生の慰問袋に入っていた歌とのこと)
南国土佐を後にして 中支へ来てから幾歳ぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うをみた
よさこい よさこい
月の浜辺で焚き火をかこみ しばしの娯楽のひとときを
わたしも自慢の声張りあげて 歌うよ土佐のよさこい節を
みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜
よさこい よさこい
国の父さん室戸の沖で 鯨釣ったと言うたより
わたしも負けずに励んだあとで 歌うよ土佐のよさこい節を
言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 塩吹く魚が泳ぎよる
よさこい よさこい
戦後、「中支」を「都」に変え、1953年〜1954年頃に丘京子が、1955年に
民謡歌手の鈴木三重子がレコードに吹き込んだ。そして1959年には 
ペギー葉山が歌い大ヒットした。
(参考サンコウ)
第40師団
創設 1939年(昭和14年)6月30日
廃止 1945年(昭和20年)
所属政体 Flag of Japan.svg大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務/特性 歩兵
所在地 中支-華南
編成地 善通寺
通称号/略称 鯨
補充担任 第11師管・善通寺師管・善通寺師管区
最終上級単位 支那派遣軍
最終位置 江西省 南昌
主な戦歴 日中-太平洋戦争
(大陸打通作戦)   (資料:ウィキペディア(Wikipedia))
7 柳ジョージ 柳ジョージ、山内容堂の歌「酔って候」 
酔って候
『土佐の鯨は大虎で 腕と度胸の男伊達(おとこだて)
いつでも酔って候(そうろう)
酒と女が大好きで 粋な歌も雪見詩(ゆきみうた)
いつでも酔って候
鯨海酔候(げいかいすいこう)無頼酒
鯨海酔候 噂の容堂
二升入りの瓢箪(ひょうたん)で 公家を脅かす無頼酒
粋な酔って候
歯が疼き目も眩み 耳鳴りしようとも
いつでも酔って候
鯨海酔候 無頼酒
鯨海酔候 噂の容堂
新橋 両国 柳橋 夜の明けるまで飲み続け
粋な酔って候』
柳 ジョージ(やなぎ ジョージ、、1948年1月30日 - 2011年10月10日)は、
日本のミュージシャン。本名、柳 譲治(やなぎ じょうじ)[1]。神奈川県
横浜市南区出身[2]。横浜市立蒔田中学校、日本大学藤沢高等学校、 
日本大学法学部卒業。妻は元女優の浅野真弓。(資料:Wikipedia)
‐[1948-] 横浜出身の歌手 柳ジョージ「鯨海酔候(ゲイカイスイコウ)」を
自称する第15代土佐藩主 山内容堂の歌「酔って候」の歌詞‐
「酔鯨スイゲイ:すいげい」という高知コウチの日本酒ニホンシュが有名ユウメイ、ラベルに鯨クジラの尻尾シッポデザインもある。美味ビミ。
8 流れ節  不詳 「流れ節」  下関水産大学校の唄。「鯨潮吹く南氷洋」。
1.流れ流れて下関の街  新地歩きは軟派でも 
  心にゃ硬派の血が通う  おいら蛮カラ水大生
  あぁ  せつなき我が心
2.生まれ育ちにゃ地の臭い  しみちゃいるけど死ぬとこは
  鯨潮吹く南氷洋  おいら蛮カラ水大生
  あぁ  せつなき我が心
3.俺が死んだらその時は  母よ嘆くなタバコでも
  線香の代わりにあげとくれ  おいら蛮カラ水大生
  あぁ  せつなき我が心
「水産大学校」(すいさんだいがっこう)は、山口県下関市永田本町二丁目7番1号
(吉見地区)に本部を置く日本の省庁大学校である。1963年(昭和38年)に
設置された。大学校の略称は水大校又は水大。
9 金子みすゞ   金子カネコみすゞ  :山口県長門市仙崎(せんざき)出身の詩人
鯨捕り 『鯨捕り』
詩シ
海ウミの鳴ナルる夜ヨルは冬フユの夜ヨルは,
栗クリを焼ヤき焼ヤき聴キきました。
むかし、むかしの鯨クジラ捕トり、
ここのこの海ウミ、紫ムラサキ津ツが浦ウラ。
海ウミは荒海アラウミ、 時ジ季キは冬フユ、
風カゼに狂クルうは雪ユキの花ハナ、
雪ユキと飛トび交カう銛モリの縄ナワ。
岩イワも礫レキ(こいし)むらさきの、
常ツネは水ミズさえむらさきの、
岸キシさえ朱アケに染ソむという。
厚いどてらの重ね着で、
舟フネの舳ヘサキ(みよし)に見ミて立タって
鯨弱ればたちまちに、
ぱつと脱ぎすて素つ裸、
さかまく波にをどり込む、
むかし、むかしの漁夫(れうし)たち−
きいてる胸も
おどります。
いまは鯨クジラはもう寄ヨらぬ、
浦ウラは貧乏ビンボウになりました。
海ウミは鳴ナります。
冬フユの夜ヨルを、
おはなしすむと、
気キがつくとー
鯨法会 『鯨法会』詩。金子カネコみすゞ
詩シ
鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁師が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年
(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した
日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を
綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』
『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の 
中の巨星」と賞賛された。
山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)の生まれ。郡立大津高等女学校
(現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業。結婚ケッコンするも不仲、夫オットに悪ワルい病気ビョウキ
をうつされ娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、 
享年28〈数え年〉、26年の短い生涯を閉じた。法名は釈妙春信尼。
数回スウカイテレビドラマなどになった。(資料:Wikipedia)
10 穂積 重遠 第十四回紀念祭寮歌 《 都の空 》
 都の空 穂積 重遠・作詞  鈴木 充形・作曲
寮歌リョウカ
1.都の空に東風吹きて 春の呼吸いぶきをもたらせば
東臺花の雲深み 墨堤花の雨灑ぐ
2.さはれ皆人心せよ 春は都にたちぬれど
シベリア未だ冬にして 猛鷲獨り羽を搏つ
3.東臺の花それならで 戦雲迷ふ黄海に
群がる鯨鯢(げいげい)叱咤して たけぶますらを思はずや
4.隅田の花とまがふべく 矢彈雨降る満州の
残のこんの雪を踏みしだき 進むみいくさ忍ばずや
5.〜10.(略リャク)       (明治三十七年北寮)
「鯨鯢(げいげい)」:「鯨」は雄のクジラ、「鯢」は雌のクジラ 
�@ クジラの雄と雌。クジラ。また、小魚を食いつくす大魚のたとえ。 
�A 大悪人。悪党の首領。  (資料シリョウ:大辞林 第三版)
穂積 重遠(ほづみ しげとお、1883年4月11日 - 1951年7月29日)は、
東京府出身の法学者。専門は民法。東京帝国大学教授・法学部長、
最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれる。東宮大夫兼東宮侍従長。
男爵。勲一等旭日大綬章。(資料:Wikipedia)
11 門倉詇 「くじらの歌(二部合唱)」   作曲:熊谷健一 作詞:門倉詇/谷川健
/谷川健
くじらの歌 氷山の海から 夕焼けの海から
くじらがとびあがり
夕日をしっぽではねかえす
ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん
ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん
あれは 海のわれるおと
あれは くじらのてまり歌
南極の海では まっ白なうみでは
くじらはすみあきて
せなかのしおを吹き上げる
ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん
ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん
あれは 空にはねかえる
あれは くじらのあくびです
赤道をこえて 北をめざして
くじらは旅をする
黒潮うねる やしの島
ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん
ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん
あれは 南十字星
あれは くじらの マーチです
ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん
ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん
あれは 南十字星
あれは くじらの マーチです
マーチです
●作曲者の熊谷賢一はマンドリンで有名らしい。合唱曲では「大地の歌」
(谷川が作詞)が有名。門倉の作詞では「ぼくらは地球をたべている」など。
●作詞者の谷川健は「大地の歌」ばかりが有名。あとは「ポプラの歌」など。
●作詞者、門倉詇(門倉さとし)は詩人。合唱曲「たんぽぽ」が有名。
校歌なども作詞。子ども世界特別賞などを受賞。2009年12月1日に75歳で
亡くなるまでお仕事をされていたようなので、新聞、作曲家や合唱団の
ブログ等にも多く名前が載っているがWikipediaには記事無し。
※演奏会パンフレット等複数で「門倉訣」の記載あり。
※参考:「門倉詇著作目録」「門倉さとし - あのひと検索スパイシー」
【Amazon.co.jp:「門倉さとし」詩集/楽譜】
(上記ジョウキ資料シリョウ:http://tinklepopo.blogspot.com/2013/05/65.html)
12 新美 南吉 「島〈 B〉」 新美 南吉
島〈 B〉
詩シ7 島で、或あさ、 鯨がとれた。
どこの家でも、 鯨を食べた。
鬚は、呻りに、 売られていった。
りらら、鯨油は、 ランプで燃えた。
鯨の話が、 どこでもされた。
島は、小さな、 まずしい村だ。
(註。鯨の鬚は、凧の呻りに用ゐられます。)
「鬚ヒゲ:ひげ」とは、歯ハがないヒゲクジラの上ウエ顎アゴにある数百枚スウヒャクマイのヒゲ板イタのこと、大量タイリョウの小チイさい
餌をまとめて一気イッキに濾コし取トり食タべる歯ハの代カわりをするものです。こうして大オオきい鯨クジラになった
訳ワケです。鯨クジラには84種シュくらいの種類シュルイがあり、ハクジラも多オオくの歯ハを持モつ種シュ、数本スウホンの歯ハを持モつ
ものなど餌エサの種類シュルイや食タべ方カタ、棲スむ場所バショなどですごく不思議フシギな哺乳類ホニュウルイ。
(資料シリョウ:新美南吉の詩集より。南吉の詩は童話に勝るとも劣らず魅力的。 )
新美 南吉(1913年7月30日 - 1943年3月22日)は、日本の児童文学作家。
本名は新美正八(旧姓:渡邊)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の
一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。
結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、
短歌、俳句や戯曲も残した。(資料:Wikipedia)
13 丸山 薫 「鯨クジラを見ミる」 作サク・丸山マルヤマ 薫カオル
鯨を見る
詩シ 太平洋タイヘイヨウで鯨クジラを見ミたよ
鯨クジラは灰色ハイイロの背セを朝日アサヒに染ソめて
大オオきく 右舷ウゲンの波間ナミマを泳オヨいでいたよ
アレヨとさわぐいとまもなく
さかさになって沈シズんでいつたよ
しばらくすると反対ハンタイ側ガワに
ゆつくり浮ウかびあがつたよ
慌アワててみんなその方ホウへ行イつたよ
だが こんどもおれ達タチの見ミている前マエで
尾オを逆立サカダてて沈シズんでしまつたよ
沈シズんだと思オモった鯨クジラはすぐに
右舷ウゲンの近チカくに浮ウかんできたよ
そこで あれ達タチもそつちへ戻モドつたが
なぜか ふいにまた沈シズんだよ
そして 左舷サゲンの遠トオくに浮ウかび上アがつたよ
鯨クジラはいくども沈シズんでは浮ウかんだよ
その都度ツド 重オモい飛沫ヒマツがあがつて
海ウミは大砲タイホウのように鳴ナつたよ
ゆさゆさ潮シオが打ウちよせてきて
みんなは甲板コウハンを右往左往ウオウサオウしたよ
とうとう おれ達タチは笑ワラい出ダしたよ
この大洋タイヨウ生イき残ノコりの先生センセイの
なにがなんだかわからない仕草シグサに
夢ユメみたいな海ウミの廣ヒロさと底ソコなしの深フカさに
みんな腹ハラを抱カカえて笑ワラい出ダしたよ
(資料シリョウ:季刊キカン ダジアン 特集トクシュウくじら)
丸山 薫(まるやま かおる、1899年(明治32年)6月8日 - 1974年(昭和49年)
10月21日)は、日本の詩人。男性。
船員を志しながらそれを絶たれたことから、船や海、異国にまつわる詩には彼独自
の世界が見られる。(資料:Wikipedia)
14 蜀山人 蜀山人ショクサンジンの詩ウタ 鯨クジラという字ジになぞらえて都ミヤコの京キョウを安房アワの勝山カツヤマの賑ニギわいに詠ヨんだ歌ウタ。
狂歌キョウカ 大田南畝(1749-1823)
房総ボウソウ勝山カツヤマ
 「いさなとる 安房アワの浜辺ハマベは魚ウオ扁ヘンに 
             京という字の 都なるらん」
賑わう勝山の浜を「京」のようだと「鯨」の字になぞらえて詠んだ狂歌です。 
(江戸時代の文人・狂歌師・大田蜀山人:1805年に勝山を訪れた)
  「魚偏に 江の字くじらと 書かせたい」 
江戸時代の 古川柳。くじらの漢字「鯨」は「魚」偏に「京」、
この字を賑やかな江戸の「江」に替えてはといっております。
(資料シリョウ:http://www.catv296.ne.jp/~whale/haka-toukyou.html)
いさな:イサナ、勇魚、鯨魚、鯨名、伊佐魚、伊佐那、不知魚、伊佐儺、伊沙那、
伊佐難、異舎儺(いさな)、伊佐、イサナ、イサなどと書カかれていた。
「勇魚イサナ取トり」は「海ウミ」にかかる枕詞マクラコトバとして使ツカわれていた。
大田 南畝(おおた なんぽ、寛延2年3月3日(1749年4月19日) - 文政6年4月6日
(1823年5月16日))は、天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 
別号、蜀山人(しょくさんじん)
文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、、
漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られる。(資料:Wikipedia)
15 寛政カンセイの鯨クジラ事件ジケン  「品川シナガワの沖オキに とまりしせみくじら
狂歌キョウカ         皆ミナみんみん 飛トんでくるなり」
「品川の沖にとまりしせみ鯨(くじら)みなみんみんと飛んで来るなり」は
セミクジラと昆虫コンチュウのセミの鳴ナき声ゴエ、「見ん見ん」とする人々をかけた狂歌と云イわれる。
1798(寛政10)年に漁師が捕らえたクジラは浜御殿で将軍家斉(いえなり)の
上覧に供された。
「背美鯨クジラ」:「セミクジラ」とは背セびれがなく背中が美しい、水面に浮かんで背中を乾かす
習性から背乾鯨(セビクジラ)が語源ゴゲン。
英名はRight Whale。Right(本当の)捕り易い鯨。捕鯨に適した鯨。
遊泳速度が遅く、死ぬと水面に浮き、油とヒゲ板の両方が沢山とれるため。
谷タニ 素ス外ガイ  「江戸に鳴る  冥加やたかし    なつ鯨 」  
俳句ハイク4                    当時の俳人 谷 素外 
狂歌キョウカ  「うちよする 浪は御浜の おにはぞと くじらは潮を ふくはうち海」
      鬼は外、福は内!!!!!を含フクませた狂歌キョウカ。
このクジラの種類シュルイは肌の斑点模様や腹の畝に見える筋・大きさ・背びれがある
ことから種類は「セミクジラ」ではなくて「シロナガスクジラ」ではないかといわれて
おります。「セミクジラ」には背びれ、腹部の線「ウネ:畝」はありません。
狂歌の「みんみん」「セミ」「セミクジラ」とが違ってきますが、鯨種不明時のご愛嬌か
クジラを見る機会が少なく、「寛政の鯨」事件と云われた時代です。
昔の鯨絵・話・詩(ウタ)は間違いが多く鵜呑みにはできません。
寛政の鯨騒動は「享保の象」「文化のらくだ」と共に江戸動物三大事件として語り
継がれています。
谷素外とは? 谷 素外(たに そがい、1717年(享保2年) - 1809年(文化6年))は、
日本の江戸時代の文人・俳人。談林派七世。号は一陽井。
(資料シリョウ:http://www.catv296.ne.jp/~whale/haka-toukyou.html)
16 不詳フショウ 「鯨鯢浮かぶ」  明治四十四年 開校第十周年記念寮歌
寮歌リョウカ 作詞 不 詳        第七高等学校造士館 校歌集 
作曲 不 詳
一、
  鯨鯢浮ぶ黒潮の     (下記注:鯨鯢は雄鯨と雌鯨のこと。大きくて恐い例え)
  岸洗ふ國花薫る
  日出づる國の光榮や
  六千萬の民若し
  落日赤きアンデス山
  椰子線なる多鳥海
  日本男兒が活躍の
  想ひは久し二千年
二、
  天孫こゝに建国の
  跡も尊し高千穂の
  峯まとふ雲朱に燃えて
  新しき世の丈夫が
  負うて立つべき大使命
  さとすに似たる夕照に
  萬里の波濤茫々の
  眺め涯なき太平洋
三、
  あゝ南の國の空
  今宵月澄む秋にして
  すぎし十歳の追憶や
  希望に滿ちし自治の寮
  鶴嶺の影白熱の
  鐵火燦爛經世の
  利劍鍛へてたゆまぎる
  健兒百餘の意氣高し
(資料シリョウ:第七高等学校造士館 校歌集)
(第七高等学校は現ゲン鹿児島カゴシマ大学ダイガク)
17 余田弦彦 「豪気節」
豪気節
寮歌リョウカ 豪気節は、旧制高知高校第1回生、余田弦彦(よだつるひこ)の作詩。
豪気節は、一ツトセ・・・から始まり、十トセ・・・まであります。
3つ、4つ例を示すと、
 「一ツトセ、一人のあの娘が恋しけりゃ、潮吹く鯨で気をはらせ、
                             そいつ豪気だね」
 「二ツトセ、故郷忘れょか若き身に、桂の浜に星が飛ぶ、
                             そいつ豪気だね」
 ・
 ・
 「九ツトセ、この浜よする大涛は、カリフォルニヤの岸を打つ、
                              そいつ豪気だね」
 「十トセ、時は永劫じゃ常夏の、土佐の高校の胸の意気、
                              そいつ豪気だね」
で、各フレーズに、「・・・そいつ豪気だね。」が入ります。
余田弦彦は、熱血の詩人で、高知に多くの逸話と寮歌を残したが、
京大法学部在学中に、惜しくも病死した。
彼の歌の中で一番愛唱され、日本中に有名になったのが、この豪気節です。
(資料シリョウ:http://moromoro.my.coocan.jp/2011_H23/799_katsurahama1/katsurahama1.html)
18 土井晩翠  松本高等学校々歌 
校歌コウカ 作詞 土井晩翠 
作曲 山田耕作 
【一】 
千山萬岳高きを競ひ 
峙つ信州日本の屋上 
一、寰あまねく霊気を湛へ 
民族勝りて直ぐなるところ 
我が校教への聖歌を点ず 
【二】 
嗚呼友たゆまず急がず学び 
一歩を進めて一歩を据ゑよ 
四海に漲る文化の潮に 
貢献おのおの其の分ありて 
意義ある人生無窮に継がむ 
【三】 
仰ぐは高山慕ふは理想 
細流次第に其の水寄せて 
鯨鯢浮くべき波浪を湧かす  (下記注:鯨鯢は雄鯨と雌鯨のこと。大きくて恐い例え)
自然の啓示を心にしめて 
希望は輝やく丈夫の未来 
【四】 (略リャク)
(現在ゲンザイは信州シンシュウ大学ダイガク)
資料シリョウ:(http://shindaishiseiryo.web.fc2.com/ryouka.html#matsukou)
19 土井晩翠 「天地有情」  土井晩翠
天地有情 『星落秋風五丈原』 
詩シ (一)
祁山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか
丞相病篤かりき
(二)省略
(三)省略
(四)
六たび祁山の嶺の上 
風雲動き旗かへり
天地もどよむ漢の軍 
偏師節度を誤れる
街亭の敗何かある
鯨鯢吼えて波怒り   (下記カキ注チュウ:鯨鯢ゲイゲイは雄オス鯨クジラと雌メス鯨クジラのこと。大オオきくて恐コワい例タトえ)
あらし狂うて草伏せば 
王師十万秋高く 
武都陰平を平げて 
立てり渭南の岸の上
 (五) 
君恩酬ふ身の一死 
今更我を惜しまねど 
行末いかに漢の運
過ぎしを忍び後計る
無限の思い無限の情 
南成都の空いづこ 
玉壘今は秋更けて 
錦江の水痩せぬべく
 鉄馬あらしに嘶きて 
剣関の雲睡るべく 
(六)省略
げいげい【鯨鯢】とは
〔古くは「けいげい」。「鯨」は雄のクジラ、「鯢」は雌のクジラ〕
�@ クジラのおすとめす。クジラの総称。小魚を食いつくす猛悪な大魚のたとえにも用いる
�A 弱いものをひと呑みするような大悪人のたとえ。悪徒の首領。巨賊。
�Bげいげいのあぎとにかく【鯨鯢の顎にかく】クジラに食われるような事態になる。
  海で危険な目にあう。(資料シリョウ:デジタル大辞泉)
「鯨鯢(けいげい)と呼ばれた男」 大宰府に流された菅原道真(平安朝の副首相)は
怪魚「鯨鯢」(小魚 を捕らえて喰うところから首悪の意味)といわ れていた。
土井 晩翠(どい ばんすい、1871年12月5日〈明治4年旧暦10月23日〉 -
 1952年10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。
本来姓は「つちい」だったが、1932年(昭和7年)に改称した(資料:Wikipedia)
 (資料シリョウ:    https://blogs.yahoo.co.jp/mitosya/33214849.html)
20 濱 扶嗣子 「勇魚イサナ取トリ:いさなとり」  濱ハマ 扶フ嗣シ子コ  俳句ハイク (太地タイジ出身シュッシン)
俳句ハイク
ほもとけば古文書コブンショ語カタる捕鯨ホゲイの史シ
土地トチ人ビトの生計セイケイ(たつき)を支ササふ勇魚イサナ取トリ
鶴丸ツルマルの家紋カモンの映エイゆる鯨クジラ船ブネ
勇魚イサナ取トリたぎる情熱ジョウネツ浪ナミを蹴ケる
食卓ショクタクに鯨クジラのおばき姑シュウトの味アジ
捕鯨ホゲイ史シにその名ナ留トドめし祖ソを誇ホコる
天晴アッパレ(あっぱれ)や世界セカイに誇ホコる勇魚イサナ取トリ
菩提寺ボダイジに黙モクし見守ミマモる捕鯨ホゲイの祖ソ
轟トドロける鯨クジラ太鼓タイコや太地タイジ浦ウラ
名ナにし負オう捕鯨ホゲイの町マチに栄サカあれ
「勇魚」は鯨クジラの古フル名ナ。
「鶴丸ツルマル」は太地タイジ角カク右衛門ウエモン家ケの表ヒョウ紋モン、裏ウラ紋モンは「井イ桁ケタ」。
「おばき」は鯨肉ゲイニクの一種イッシュ。「姑シュウト(はは)の味アジ」の意イは、姑シュウトの出身地シュッシンチが太地タイジ町マチにため。
「祖ソ」とは実家ジッカの太地タイジ家ケの祖先ソセンの意イ。
「名ナにし負オふ」は「有名ユウメイな」の意イ。    
(資料シリョウ:熊野クマノ誌シ 第ダイ五十六ゴジュウロク号ゴウ 捕鯨ホゲイ特集トクシュウ 熊野クマノ地方紙チホウシ研究会ケンキュウカイ・新宮市シングウシ立リツ図書館トショカン)
21 不詳フショウ 「捕鯨船ホゲイセン」  初等科音楽 三 昭和十八年
捕鯨船
唱歌ショウカ 1.すはこそ物モノ、のがすな撃ウてと、
すつくと立タつた砲手ホウシュの姿スガタ。
ねらひははるか、潮シオ吹フく鯨クジラ。
うねる大波オオナミ、あふむくへさき。
2.矢ヤよりも速ハヤく飛トび行ユくもりが、
はつしと立タてば、しぶきをあげて、
網ツナも切キれよと逃ニげ行ユく鯨クジラ。
船フネはゆれゆれ、白波シラナミをどる。
3.怒涛ドトウをけつて、おひ撃ウつ鯨クジラ。
高鳴タカナる血潮チシオ、とどろく凱歌ガイカ。
氷山ヒョウザン浮ウかぶ南極海ナンキョクカイの
風カゼに日ヒの丸マルはたはたゆれる。
(資料シリョウ:青春セイシュン抒情ジョジョウ歌集カシュウ 別冊ベッサツ太陽タイヨウ)
22 キンダ― キンダ―ブック うた・さとうよしみ
童謡ドウヨウ
 うみには
 さかなが
 いくひき いるか。
   一イチ 二ニ
    三サン 四ヨン
      五ゴ 六ロク
 うみには
 くじらが
 いくとう いるか。
   一イチ 二ニ
    三サン 四ヨン
      五ゴ 六ロク
(資料シリョウ:キンダーブック 第ダイ8集シュウ7月ガツ号ゴウ たのしいふねのたび)
23 柿本人麻呂 「柿本朝臣人麻呂、石見国より妻に別れて上り来る時の歌二首併せて短歌」
万葉集マンヨウシュウ (長歌チョウカ)
長歌チョウカ・短歌タンカ 石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 
潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも
鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和田津(にきたつ)の 荒磯の上に 
か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振(あさはふ)る 風こそ寄らめ 
夕羽振(ゆふはふ)る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 
玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 
八十隈(やそくま)毎に 万度(よろづたび) かへり見すれど いや遠(とほ)に 
里は放(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草の思ひ萎(しな)えて
偲ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡けこの山 
  (巻二131、「一云」は略す。)
 「鯨魚(いさな)取り」は 海にかかる枕詞マクラコトバです。
いさなとり 近江オウミの海ウミを 沖オキさけて 漕コぎ来クる舟フネ ・・・・・(巻カン二ニの153)
いさなとり 浜辺ハマベを清スみ うちなびき 生セイふる 玉藻タマモに ・・・・・(巻カン六ロクの931)
(短歌タンカ)
昨日サクジツこそ船出フナデはせしかいさなとり 
         ひぢきの灘を今日見つるかも (巻カン十七ジュウナナ)作者サクシャ不詳フショウ 短歌タンカ
 (資料シリョウ:くjら百話ヒャクワ 中原ナカハラ雅夫マサオ著チョ)
柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年
(724年)3月18日[1])は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。
後世、山部赤人と共に歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の
一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。 (資料:Wikipedia)
(資料シリョウ:http://souenn32.hatenablog.jp/entry/20170828/1503864570)
24 時雨音羽 「鉾をおさめて」作詞:時雨音羽  、作曲:中山晋平 歌:藤原 義江
鉾をおさめて -1928
歌ウタ 1.鉾をおさめて 日の丸上げて
  胸をドンと打ちゃ 夜あけの風が
  そよろ そよろと 身に沁みわたる
2.灘の生酒に 肴は鯨
  樽を叩いて 故郷の唄に
  ゆらり ゆらりと 陽は舞いあがる
3.金の扇の 波 波 波に
  縄のたすきで 故郷のおどり
  男 男の 血はわきあがる
4.エンヤッサ エンヤッサ
  ヤンレッサ ヤンレッサ
  おどりつかれて 島かと見れば
  母へ 港へ みやげの鯨
(資料シリョウ:http://www.utagoekissa.com/hokowoosamete.html)
25 時雨音羽 「出船の港」作詞:時雨 音羽 作曲サッキョク:中山 晋平 歌ウタ:藤原 義江
出船の港
歌ウタ ドンとドンとドンと 波のり越して(注)
一挺(ちょう)二挺三挺 八挺櫓(ろ)で飛ばしゃ
サッとあがった 鯨(くじら)の汐(しお)の
汐のあちらで 朝日はおどる
エッサエッサエッサ 押し切る腕は
見事黒がね その黒がねを
波はためそと ドンと突きあたる
ドンとドンとドンと ドンと突きあたる
風に帆綱(ほづな)を キリリと締(し)めて
梶(かじ)を廻(まわ)せば 舳先(へさき)はおどる
おどる舳先に 身を投げかけりゃ
夢は出船の 港へ戻る
藤原 義江(ふじわら よしえ、1898年(明治31年)12月5日 - 1976年(昭和51年)
    3月22 日)は、日本の男性オペラ歌手、声楽家(テノール(テナー))。
時雨 音羽(しぐれ おとは、1899年(明治32年)3月19日 - 1980年(昭和55年)
7月25日)は、昭和期の作詞家。出生時の戸籍上の名前は池野 音吉(いけの
 おときち)であるが、1961年(昭和44年)に筆名を本名に改名したため、没年時の 
本名も時雨音羽である。「君恋し」、「浪花小唄」とヒット曲を書き、レコード界草創期
の流行歌作詞家となった (資料:Wikipedia)
(資料シリョウ:http://www.utagoekissa.com/hokowoosamete.html)
26 頼山陽  「漢詩カンシ」  頼山陽ライサンヨウ  文政ブンセイ元年ガンネン(1818) 下関シモノセキに来キた。
漢詩カンシ
六連島ムツレジマ望ボウ五洲ゴシュウ波ナミ
紫ムラサキ石イシ山通玄海ゲンカイ霞カスミ
誤アヤマ愛アイ児ジ郎ロウ好コウ身ミ手テ
捕ト鰌ドジョウ平戸ヒラド不帰フキ家ケ
(六連島ムツレジマは五洲ゴシュウの波ナミ 紫ムラサキ山石ヤマイシは通ツウず玄海ゲンカイの霞カスミ 誤アヤマって愛アイす児ジ郎ロウの好コウ身ミ手テ
 鰌ドジョウを平戸ヒラドに捕トラえ家イエに帰カエらず)
六連島ムツレジマは下関シモノセキ沖オキに浮ウかぶ島シマ。
紫石山は赤間アカマ神宮ジングウの裏山ウラヤマ、紅ベニ石山イシヤマという
五洲ゴシュウは長崎県ナガサキケンの五島ゴトウ
鰌ドジョウは鯨クジラのこと
頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日
(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、
文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、
三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に
影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。贈正四位]。 (資料:Wikipedia)
27 佐藤春夫 「望郷五月歌」   佐藤春夫
望郷五月歌
詩シ 塵まみれなる街路樹に
哀れなる五月(さつき)來にけり
石だたみ都大路を歩みつつ
戀しきや何ぞわが古郷(ふるさと)
あさもよし紀の國の
牟婁ムロの海山ウミヤマ
夏みかんたわわに實り
橘の花さくなべに
とよもして啼くほととぎす
心してな散らしそかのよき花を
朝霧か若かりし日の
わが夢ぞ
(途中トチュウ)省略ショウリャク<五十二行52ギョウという長ナガい詩シ>
通ふべききはにあらねば
目を上げてただに望みて
いそのかみふるき昔をしのびつつ
そぞろにも山を下りぬ
歌まくら塵チリの世ヨをはなれ小島に
立ち騒ぐ波もや見むと
辿り行く荒磯石原(ありそいしはら)
丹塗舟(にぬりぶね)影濃きあたり
若者の憩へるあらば
海の幸鯨(いさな)捕る船の話も聞くべかり
且つは聞け
浦の濱木棉(はまゆふ)幾重なすあたり何處(いづく)と
いざさらば
心ゆく今日のかたみに
荒海の八重の潮路を運ばれて
流れよる千種百種(ちぐさももくさ)
貝がらの數を集めて歌にそへ
贈らばや都の子等に
                (六年五月)
底本:『定本 佐藤春夫全集』 第1巻、臨川書店
( 資料シリョウ:くじら百科ヒャッカ )                              
佐藤春夫の「望郷五月歌」詩碑は和歌山県新宮市新宮1番地 熊野速玉大社境内
にある。
佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)
は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論
・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで
旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。
初代新宮市名誉市民。 (資料:Wikipedia)
(資料シリョウ:http://www.mikumano.info/satoharuo/bokyogogatuka.html)
28 佐藤佐太郎 佐藤サトウ佐太郎サタロウ
詩シ
「燻製クンセイのしたたる鯨クジラの脂身アブラミを
           かみつつゐたり暑アツき日ヒ昏コンれて」  
佐藤 佐太郎(さとう さたろう、1909年(明治42年)11月13日 - 1987年
(昭和62年)8月8日)は、日本の歌人。日本芸術院会員。妻の佐藤志満も歌人。
(資料:Wikipedia)
29 捕鯨の歌  「南氷洋捕鯨の歌」 作詞土岐善麿 作曲 堀内敬三
ニッスイ
社歌シャカ 時は来たれり 菊日和    壮途輝く 黒潮や
赤道遠く希望を乗せて    船団浪を衝きゆくところ
祖国よ今ぞ栄えあれ
踊る巨体に 雲晴れて    意気も鋭く放つ銛
南氷洋のしぶきの中に    歌声高くロープを曳いて
感謝に仰ぐ十字星
運ぶ航路は 三千里     見ずや この肉この油
無限の宝庫開いてここに   日本水産使命は新た
世界の前に誇るべし
日本水産の船団が出港するとき、社歌とともにこの曲を流して士気高揚を計った。
土岐 善麿(とき ぜんまろ、1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年)
4月15日)は、日本の歌人・国語学者。(資料シリョウ:Wikipedia)
30 捕ホ鯨ゲイ隊タイ 「日新丸捕鯨船隊行進曲」 
マルハ日新ニッシン 作詞 押村 悟   作曲 堀口 敬三
社歌シャカ 編曲 飯田 三郎   歌  永田紘次郎・井口小夜子 
いざいざ行かん颯爽(さっそう)と 躍進日本の名において
祖国の意気を示しつつ マストに高き日の丸の
朝日に映ゆる旗風に 波濤万里の海越えて
堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊
いざいざ征かん溌剌(はつらつ)と 海国日本の名において
祖国の誇り示しつつ 吼(ほ)ゆる巨鯨の群れ追いて
南方十字星冴ゆる 怒濤逆巻く極洋を
堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊
いざいざ征かん行かん凛々(りんりん)と 水産日本の名において
祖国の誉れ示しつつ 奮迅(ふんじん)止まぬ熱戦に
オーロラ燃ゆる空の下 挙げよ制覇の鬨(とき)の声
堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊
昭和11年(1936年)
31 酒井早苗 「腹ハラの中ナカに」 作サク:酒井サカイ 早苗サナエ (選者センジャ 新川シンカワ和江カズエ)
腹の中に
詩シ 腹ハラの中ナカにクジラがいる
こいつはむやみに
暴アバれる
あの人ヒトの言葉コトバが
気キに入イらない
あの人ヒトの行オコナいが
気キに入イらない
メクジラたてて
いるけれど
人ヒトの心ココロは変カえられない
変カえられるのは
自分ジブンの心ココロ
もっとひろい海ウミを
泳オヨごうよ
遠トオくまで
見ミえるから
(産経サンケイ新聞シンブン 平成ヘイセイ16年ネン7月ガツ22日ニチ  朝の詩)
面白オモシロいので紹介ショウカイした。
32 高村光太郎 「潮吹く鯨」   高村光太郎
潮吹く鯨
詩シ 金華山キンカザン沖オキの黒潮クロシオに五月ゴガツが来キて
海ウミは急キュウに大オオきくなり
青アオセロファンのテントの様ヨウに明アカるくなった。
きらびやかに流ナガれる波ナミは真昼マヒルの日ヒに瞬マバタき
進路シンロは陸地リクチにいささか寄ヨった。
一度イチド潮シオを吹フいた抹香マッコウ鯨クジラは又マタ深フカくもぐり
巨大キョダイな頭アタマの重量ジュウリョウを水ミズにのせかけ、
塩シオの濃コいなめらかな此コの暖流ダンリュウのうれしさに
今イマは心ココロを放ハナって限カギりなき思オモいに耽タンつた。
イルカでもなくシヤチでもなく
抹香マッコウ鯨クジラで自分ジブンがあるのを
世ヨにも仕合シアワせだと鯨クジラは思オモふ。
ああ現在ゲンザイは争アラソいがたい。
現在ゲンザイ以外イガイは鯨クジラは見ミない。
現在ゲンザイの頂点チョウテンをつねに味アジわい、
鯨クジラは仮定カテイに触フれず形而上ケイジジョウに参入サンニュウしない。
うつうつとねむるのに似ニた思オモいに鯨クジラは酔ヨい、
未知ミチの陸地リクチの近キンよるけはひを、
半ナカばおそれ半ナカばよろこび、
もう一度イチド高タカく浮ウいて五月ゴガツの空ソラへ
息イキ一イッぱいの潮シオを虹ニジと吹フいた。
牡鹿オジカ半島ハントウの鮎川アユカワ港コウに鳴ナる汽笛キテキを
この膨大ボウダイな楽天家ラクテンカは夢ユメにも知シらない。
(資料シリョウ:Flippers)
高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年
(昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。
東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。 
本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。(資料wikpedia)
https://ameblo.jp/syunrei-goto/entry-11934398381.html
33 荒川法勝  「鯨クジラはどこから〜その名ナ竜リュウ涎ヨダレ香コウ〜」 荒川法勝
鯨はどこ
詩シ 病ヤみつかれたクジラのみが
かぐわしい香カオを放ハナす
信シンじられない世界セカイに
このかおりはなんだろう
くずれおちた
けがれた肉体ニクタイをもつ悪霊アクレイのみが
一種イッシュいい難ガタい神秘シンピを伝ツタえることができる
巨キョ鯨クジラの腐フ燗カンした内臓ナイゾウの
ちぎれた腸チョウから
どうしてあの純粋ジュンスイな結晶ケッショウが生ウまれのか?
<りゅうぜんこう>
あのかぐわしい雰囲気フンイキは
どこからくるのであろう
病ヤみつかれた鯨クジラのみが
そのことを知シっている
どうしてあんなうなり声ゴエを出ダすのか
あくと油アブラでどろどろと
悪臭アクシュウをはなす
世紀セイキの海ウミから
苦痛クツウのうねりの波ナミが
昂奮コウフンしてさか巻マキき
百ヒャクの太陽タイヨウが焼ヤきつくされ
海ウミはもえるように疼ウズく
うずいた鯨クジラの体カラダは膨フクれあがり
肉体ニクタイはささった千センの銛モリから
皮膚ヒフは破ヤブれ
黒クロずんだ血チが流ナガれ
海ウミという海ウミに広ヒロがっていく
そのとき すべての海ウミという海ウミが
香料コウリョウの液体エキタイとなり
花々ハナバナのにおいのように
太古タイコの神話シンワの光彩コウサイをあつめ
いちめんの香カオりを
はなつことだろう
龍涎香(りゅうぜんこう)あるいはアンバーグリス(英: Ambergris)は、
マッコウクジラの腸内に発生する結石であり、香料の一種である。高価コウカであった。
龍涎香という呼び名は 良い香りと他の自然物には無い色と形から『龍のよだれが
固まったもの』であると中国で考えられたためである。現在ゲンザイは合成ゴウセイして作ツクられる。
(資料シリョウ:Flippers)
荒川 法勝(あらかわ のりかつ/ほうしょう、1921年9月7日-1998年5月6日)は、
作家・詩人、文芸評論家。 
岩手県下閉伊郡崎山村(現・宮古市)出身。慶応義塾大学文学部哲学科卒。
(資料wikpedia)
34 北原キタハラ白秋ハクシュウ 「唐津小唄」 玄界灘ゲンカイナダの一部イチブ、多オオくの島シマがあり好漁場コウギョジョウであった。現在ゲンザイイカが有名ユウメイ
唐津小唄
小唄コウタ お鼻高島、姫島にくや、ホノトネ、
どうせ手管にゃ加唐島。
   「唐津、唐船、とんとの昔、
    今はおいさの山ばやし。
      チャントナ、チャントナ。」
   *
さかな鳥島、また加唐島、ホノトネ、
今日もひぼしか、烏帽子島。
   「唐津、唐船、とんとの昔、
    今はおいさの山ばやし。
      チャントナ、チャントナ。」
   *
鯨潮ふく、舟子は勇む、ホノトネ、
冬は荒海、神集島。
   「唐津、唐船、とんとの昔、
    今はおいさの山ばやし。
      チャントナ、チャントナ。」
   *
片手漕ぎ漕ぎ、日傘をさして、ホノトネ、
いつまた逢ふやら殿の浦。
   「唐津、唐船、とんとの昔、
    今はおいさの山ばやし。
      チャントナ、チャントナ。」
   *
恋し夫恋ひ、佐用姫さまよ、ホノトネ、
なんのわたしも望夫石。
    「唐津、唐船、とんとの昔、
    今はおいさの山ばやし。
      チャントナ、チャントナ。」
   *
肌はけいらん、にほひはおこし、ホノトネ、
宵は呼子の松浦漬。
     「唐津、唐船、とんとの昔、
    今はおいさの山ばやし。
      チャントナ、チャントナ。」
   *
(大部分省略した)
松浦漬(まつうらづけ)は、佐賀県の郷土料理である。 
鯨の上顎付近の軟骨であるかぶら骨を刻み、水にさらして脂を抜いたのちに
酒粕に漬けた、唐津市呼子名産の珍味。有限会社松浦漬本舗で製造されており、
同社サイトによると、平凡社の百科事典作成の際に日本珍味五種の一つとして
挙げられたという。
場所バショは佐賀県サガケン唐津市カラツシ、江戸エド・明治メイジ・大正タイショウ・昭和ショウワまで捕鯨ホゲイが行オコナわれていた。
呼子ヨブコ・小川島オガワシマの古式コシキ捕鯨ホゲイが有名ユウメイである。
松浦マツウラ漬ヅは鯨クジラの上ウエ顎アゴの軟骨ナンコツで作ツクられ酒サケの粕カスにつけ美味ビミ絶品ゼッピンである。玄海ゲンカイ漬ヅもある。
北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)
11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉( りゅうきち)。 
詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野でも傑作
を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、
活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を
代表する詩人である。(資料wikpedia)
35 北原キタハラ白秋ハクシュウ 「松浦潟 新曲」
松浦潟 新曲
詩シ 一、 松浦潟、誰を待つ身か、忍ぶ身か、
    何に領巾(ひれ)ふる、佐用姫か、
            わたしゃチラリと一と目でも、
            虹の松原、たよたよと、
            エエコノ、わたした橋ぢやえ。
二、 舞鶴の、羽に身を借る、夏の空、
    雲の浮岳(うきだけ)、松浦川、
            わたしゃチラリと一と目でも、
            波の高島、末かけて、
            エエコノ、涼しい晴ぢやえ。
三、 玄海の、島は烏帽子(ゑぼし)に、沖の島、
    鯨潮ふく、小川島、
            わたしゃチラリと一と目でも、
            せめて姫島、小呂(をろ)の島、
            エエコノ、夜あけの霧ぢやえ。
四、 七つ釜、岩は六角、玄武岩(いは)、
    右は立神、潮の花、
            わたしゃチラリと一と目でも、
            股でのぞいてはらはらと、
            エエコノ、呼子の沖ぢやえ。
五、 つはものの、夢も名護屋の、麦の秋、
    帆かけた船か、遠凪(とほなぎ)か、
            わたしゃチラリと一と目でも、
            兎(と)にも、松風、さわさわと、
            エエコノ、鳴らした城ぢやえ。       (昭和5年5月)
松浦佐用姫(まつらさよひめ)は、現在の唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘。
単に佐用姫(さよひめ)とも呼ばれる。弁財天のモデルであり、日本全国にある
同様な伝説の本家である。佐用サヨウ姫ヒメ伝説デンセツもある。
537年、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と佐用姫は恋仲となったが、
ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を
振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、
加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった、という言い伝えがある。
『万葉集』には、この伝説に因んで詠まれた山上憶良の和歌が収録されている。
   (資料シリョウ:ウィキペディア(Wikipedia))
http://www.yoyokaku.com/hakushuu.htm
唐津カラツの名所メイショが謡ウタいこまれています。
上記ジョウキの唐津小唄の場所バショを含フクめた古式コシキ捕鯨ホゲイである。
36 佐藤サトウ 妙タエ 「呼子ヨブコ音頭オンド」 作詞サクシ:佐藤サトウ 妙タエ
唄ウタ
島シマはエー
島シマは鷹タカ島シマ 島は鷹島 加部島カベシマ 小川オガワ島シマ
鯨クジラ汐シオふく 鯨クジラ汐シオ吹フく 松浦マツウラ潟ガタ。
(資料シリョウ:西海サイカイの鯨クジラ唄ウタ:野本ノモト政セイ宏ヒロシ著チョ)
詳細ショウサイは不明フメイ
37 和歌ワカ 光ヒカ神カミ鳴ナりはためける海ウミの面メンに鯨クジラの立タてし汐シオ煙ケムリかも            和田厳足
短歌タンカ 松浦マツラ潟ガタかよふ鯨クジラのあと見ミれば天テン路ミチにけぶる八重ヤエの汐シオ風カゼ        上田秋成
しおけたつなだの荒波アラナミさぐくみてくじら行イく見ミゆ真シン熊野クマノのうみ     海上胤平
瀬セ戸ト小舟コブネ鼓ツヅミならしてさわぐなりくぢら入イりけむ天アマのはしだて      池袋清風
大海タイカイは広ヒロくしありけりむれ鯨クジラ潮シオ高タカ吹フきゆたに遊アソべリ           足槫千亦
打ウちむれて遊アソぶを見ミれば荒海アラウミに住スむ鯨クジラすら心ココロありけり         森 鴎外
海原を鼎 かなえ と湧かしすく立ちて 雌雄抱きあう大鯨かな    森 鴎外   
朝アサ凪ナギの春日ハルヒうららに汐シオ吹フかぬ鯨クジラ浮ウべり眠ネムるにやあらん         森 鴎外
乗ノり越コえむ躍ヤクり越えむのあらそいに海豚イルカ海豚イルカの背セと脊セ打ウつとも    尾上紫舟
海豚イルカの腹ハラ白シロくかがよひ沈シズみゆく海ウミの底ソコひを見ミてゐたりけり       足槫千亦
我ワが船フネの辺ヘン津ツ浪ナミくぐる海豚イルカの腹ハラ波ナミを透スけては青アオく光ヒカるも        川田 順
(以上イジョウ資料シリョウ:Flippers)
38 俳句ハイク 鯨クジラよる浜ハマとよ人ヒトもただならず       紅葉コウヨウ
浦ウラ人ビトや鯨クジラの油アブラ幾日イクニチ汲クむ         碧梧桐ヘキゴトウ
鯨クジラの血チ流ナガれて砂スナに溜タりけり       月ツキ二郎ジロウ
人垣ヒトガキの隙ヒマに見ミえゐる鯨クジラかな       青アオ眼メ子コ
田タの畔アゼを人ヒトの見ミにゆく鯨クジラかな       里サト石イシ
鯨クジラ着チャクきし笛フエ鳴ナりひびき雪ユキの山ヤマ       圭ケイ史
銀ギン漢カン(天アマの川ガワ)の尾オをふりかぶり鯨クジラ割サく   南極ナンキョク
なつかしや山ヤマ人ビトの目メに鯨クジラ売ウ        石イシ鼎カナエ
雪ユキの上ウエに鯨クジラを売ウりて生イきのこる      楸ヒサギ邨ムラ
捕鯨船ホゲイセン嗄カれたる汽笛キテキをならしける     誓子セイシ
勇魚イサナとる船フネ見送ミオクりのテープこれ       青アオ邨
剥ハげてゐる沖オキの汽船キセンは捕鯨ホゲイ船セン       京キョウ童ワラワ
くぢら船フネ見送ミオクってゐる娼婦ショウフかな      波ナミ川カワ
彼カレ去サって又マタ捕ホ鯨ゲイ談ダン聞キき難ガタき        石セキ南ナン
高浪のかげをゆくなり捕鯨船        真琴
沈シズむ日ヒに汐吹シオフキきかくる鯨クジラかな       谺コダマ
          (上記ジョウキ資料:くじら百話 中原雅夫著)
暁アカツキや鯨クジラの吠ホえる霜シモの海ウミ          暁臺
船フナ日記ニッキ鯨クジラを見ミると記キしけり        稲青
暮クれんとす沖オキに鯨クジラを見ミつけたり     月人
貝殻カイガラをつける鯨クジラの尾鰭オビレかな       里石
海ウミ原ハラは鯨クジラにはづむ霰アラレかな        巳琴
十六夜イザヨイや鯨クジラ来キそめし熊野クマノ灘ナダ       蕪村
既スデに得トクし鯨クジラは逃ニげて月ツキひとつ      蕪村ブソン
             (以上資料:Flippers)
青アオ東風コチや海豚イルカのあそぶ沖オキの礁イクリ      蝶衣
眼メを細ホソめ海女アマに甘アマゆる海豚イルカかな     黄鶴亭
海豚イルカ群ム夕日ユウヒさすらう川奈カワナ村ムラ        十四男
             (以上資料:Flippers)
39 俳句
山ヤマおろし一イチ二ニのもりの幟ノボリかな       蕪村ブソン
突ツきとめた鯨クジラや眠ネムる峰ミネの月ツキ        蕪村
手取テドにやせんとのり出ダすくじら舟フネ     蕪村
菜ナの花ハナや鯨クジラも寄ヨらず海ウミ暮クれぬ      蕪村
弥陀ミダ仏ホトケや鯨クジラよる浦ウラに立タ玉タマふ       蕪村
            (上記資料:鯨クジライルカ雑学ザツガクノート 鯨ゲイ者シャ連レン編著ヘンチョ)  
海原ウナバラは鯨クジラにはづむ霰アラレかな         巴ハ琴コト
鯨クジラ売ウ市イチに刀カタナを鼓コ(なら)しけり       蕪村ブソン
鯨クジラとれて茶チャにも酒サケにも油アブラ哉カナ         之コレ房フサ
をのをのと喰ク過スがほや鯨クジラ汁シル         几菫スミレ
船フネ繫ツナぐ裏門ウラモン高タカしはつ鯨クジラ          野ノ坡ツツミ
鯨クジラ舟フネ新島ニイジマ守マモを慰ナグサめつ            召メ波ナミ
           (上記ジョウキ資料シリョウ:くじら百話ヒャクワ 中原ナカハラ雅夫マサオ著チョ)
江戸期エドキ
うどん屋ヤのばゝあ鯨クジラの話ハナシする
さいはてで呼ヨび返カエさるゝ鯨クジラ売ウり
くじら汁ジル喰クい喰クい下シタせはくやしがり
明治メイジ以降イコウ
熊野クマノ灘ナダ鯨クジラのみえる母ハハの背セ(せな)    岸本キシモト水スイ府フ
ウシ喰クった口クチでクジラを可愛カワイがり    坂本サカモトゆたか
          (上記ジョウキ資料シリョウ:西海サイカイの鯨クジラ唄ウタ 野本ノモト政マサ宏ヒロ)
百ヒャク隻セキの舟フネにとりまく鯨クジラ哉ヤ         正岡子規        
お長屋ナガヤの老人ロウジン会カイや鯨クジラ汁シル         正岡子規
解カイ纜トモヅナや亜ア庭ニワの鯨クジラ浮ウき出イでぬ      山口ヤマグチ誓子セイシ
南極ナンキョク地チより捕鯨船ホゲイセン剥ハげて突ツく      山口誓子
煙ケムリ吐ハきみずからかくる捕鯨船ホゲイセン      山口青邨
捕鯨船ホゲイセンかなしき別ワカれ妹イモウトを抱ダき      山口青邨
絵エのごとき捕鯨船ホゲイセン団ダンいま送オクる      山口青邨
勇魚イサナとる船フネ見送ミオクりのテープこれ     山口青邨
鯨クジラ割サく夕空ユウゾラ赤アカく血チにただれ        南極ナンキョク
潮シオ吹フきて鯨クジラ大オオきく沈シズみけり        夜ヨ畔アゼ
鯨ゲイ軆カラダの処理ショリ航跡コウセキを血チに染ソめて      美ミ泉イズミ
打ウち果ハたす構カマえ薙刀ナギナタに鯨クジラ剥ハぐ      秋アキ蘿ツタ
銛モリ綱ツナの一瞬イッシュンたゆみ鯨クジラ仕シ止ヤむ       款冬フユ
あの巨キョ躯に凡オヨそ可愛カワイゆき鯨クジラの目メ     忍シノブ冬フユ
乳房チブサ追オう仔コ鯨クジラのありいとほしむ      木星モクセイ
捕鯨ホゲイ図ズの涛トウにきらきら紙カミ魚ウオ走ハシる    新宮市シングウシ 尾崎オザキ普フ巳ミ
辣ラツ韮ニラ咲サいて鯨クジラ来クる海ウミきらきらす    高知県コウチケン 甲藤カットウ卓雄タクオ
水菜ミズナ煮ニて鯨クジラの海ウミを思オモひおり       橿キョウ原市シ 塩谷シオヤ 俊三シュンゾウ
             (上記資料:鯨クジライルカ雑学ザツガクノート 鯨ゲイ者シャ連レン編著ヘンチョ)  
40 大滝詔子歌集 (イルカ)
短歌タンカ 水槽に閉ぢ込められ居るイルカらを笑顔に見てゐる人間吾も 
囚はれの身にありながら笑みてゐるやうな顔付きイルカと目の合ふ 
目の前に泳ぎ来りて胸内を見透かしたるかイルカの一瞥 
微笑める如くに見ゆる顔なるも笑つてをらぬイルカの眼 
宙に弧を描きてイルカの潜りゆく先に広がる海原は無し 
海原を全速力に泳ぎゐし頃をイルカは覚えをるやも            
やるせなき思ひは募る軍用に兵器としてのイルカもあると
(鯨)
海面に頭を突き出してこの鯨眼は確とカメラ見てゐる
驚きと哀しみ胸に人々は浜に死にたる鯨を囲む 
息をせぬ鯨の上に数本の白き小花の供へてありぬ 
神妙な顔に子供ら近寄りて鯨の死骸にそつと触れをり
 ナイロンの魚網の口に絡まりて鯨は捕食できずにゐたると
 三・一一の漂流瓦礫かもしれず鯨に絡まりゐたる魚網は
嬉しくてたまらないよといふやうに鯨はジャンプす大海原に 
ヤッホーと叫びをるやも大鯨力の限りジャンプをしつつ 
ジャンプする鯨を嬉しがつてると見るは人間側の勝手か 
        (資料シリョウ:大滝詔子 短歌とコラム  怯むことなく)