| 『くじらさんの詩』 | |||||||||
| 1 | 長崎 | 長崎くんち奉納「鯨の潮吹き」“いさみ唄”・“祝い唄” | |||||||
| 祝い唄 | @ 前日の唄(十月七日) | ||||||||
| まつり | (オオ 背美よ 背美よ) | ||||||||
| 祝い芽出度やー 祝い芽出度 アヤアー (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| アー エイー ヨー オー オオ 若松さまアーヨー | |||||||||
| 枝も栄える 枝も栄える (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ 葉も茂る | |||||||||
| 檀那百まで 檀那百まで (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ わしゃ九十九まで | |||||||||
| ともに白髪の ともに白髪の (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ はえるまで | |||||||||
| (デーカイタ デカイタ) | |||||||||
| (明日も大きな 大背美よ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ ヨイサ) | |||||||||
| A 後日の唄 (十月九日) | |||||||||
| (オオ 背美よ 背美よ) | |||||||||
| 背美は曳きくる 背美は曳きくる (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ 羽差は勇む | |||||||||
| 納屋の手代衆は 納屋の手代衆は (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ 金はかる | |||||||||
| つつじ椿は つつじ椿は (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ 野山を照らす | |||||||||
| 背美の子持は 背美の子持は (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ 納屋照らす | |||||||||
| (デーカイタ デカイタ) | |||||||||
| (明日も大きな 大背美よ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ | |||||||||
| ヨイサ ヨッシリ ヨイサ) | |||||||||
| B 簡略型の唄 庭先廻り・各場所への挨拶廻りで簡単な短縮型の唄が | |||||||||
| 詠われる。(簡略型というのは筆者の命名) | |||||||||
| (オオ 背美よ 背美よ) | |||||||||
| 祝い芽出度やー 祝い芽出度 アヤアー (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ 若松さまアーヨー | |||||||||
| 枝も栄える 枝も栄える (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ 葉も茂る | |||||||||
| (オオ 背美よ 背美よ) | |||||||||
| 背美は曳きくる 背美は曳きくる (ヨイヤサー ヨイヤサー) | |||||||||
| ハアエイーヨーオー オオ 羽差は勇む | |||||||||
| (デーカイタ デカイタ) | |||||||||
| (明日も大きな 大背美よ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ ヨイサ ヨッシリ | |||||||||
| ヨイサ ヨッシリ ヨイサ) | |||||||||
| 「鯨の汐吹き」:鯨の鼻孔からの呼吸、鼻から吐き出し白く高くあがる「鼻息」、鯨種が分かる。 | |||||||||
| 「背美よ」:セミクジラのこと、古式捕鯨で動きが遅く死んでも浮くのでとり易く脂も多くとれた。 | |||||||||
| 「羽差」・はざし:鯨を銛で付いて捕る頭領、力士のようで尊敬された。 | |||||||||
| 「納屋」:捕鯨基地、事務所、宿舎、解体場、あらゆる加工場、倉庫、船つき場、道具場など | |||||||||
| の総称 | |||||||||
| 「子持ち」:子ずれの鯨。子も取れ、親も子から離れず捕れるのでとり易く当時は喜ばれた。 | |||||||||
| 「子持ち鯨は夢にも見るな」という謂れもある。子を守るために親が暴れ危険なため大事故 | |||||||||
| になったこともあった。明治11年の太地の「大背美流れ」は100人以上が亡くなった。 | |||||||||
| 長崎くんち(ながさきくんち)、長崎おくんちは、長崎県長崎市の諏訪神社の祭礼 | |||||||||
| である。10月7日から9日までの3日間催される。国の重要無形民俗文化財に指定 | |||||||||
| されている(昭和54年指定、指定名称は「長崎くんちの奉納踊」) | |||||||||
| (資料:ウィキペディア(Wikipedia)) | |||||||||
| (資料:http://www.catv296.ne.jp/~whale/nagasaki-siohuki-yorozuya.html) | |||||||||
| 2 | 長崎平戸 | 「勇魚節」 | |||||||
| 歌 | 月は傾く 平戸の沖で | ||||||||
| 勇魚取る子の 櫓の速さ | |||||||||
| エンヤラヤノヤー エンヤラヤノ | |||||||||
| エンヤラヤノ エンヤラホイノサ | |||||||||
| 「平戸節」(イサナ節)(歌) | |||||||||
| 1.月はかたむく 平戸の瀬戸に | |||||||||
| 鯨とる船 このろのはやさ | |||||||||
| エンヤラヤノヤーエンヤラヤノ | |||||||||
| エンヤラヤノ エンヤラヤノヤー | |||||||||
| (以下省略 4番まで) | |||||||||
| 「勇魚」:鯨のこと。 | |||||||||
| (資料:「歌で巡る長崎」 | |||||||||
| 3 | 長崎 | 「長崎ばやし」 長崎民謡保存会:作詞 市川昭介:作曲 | |||||||
| 歌 | 都はるみ:歌 (昭和46年) | ||||||||
| 1. わたしゃ天領 長崎むすめ | |||||||||
| べつ甲サンゴに なびきゃせぬ | |||||||||
| なびきゃせぬ | |||||||||
| ※ハイヨ ハイヨ | |||||||||
| 2. 腕も鳴滝 あじさい屋敷 | |||||||||
| 恋のおたくさ 濡れて咲く | |||||||||
| 濡れて咲く | |||||||||
| 3.鯨汐吹きや 龍が鳴きたてる | |||||||||
| クンチ三が日 人の波 人の波 | |||||||||
| 4〜8.(略) | |||||||||
| 「鯨の汐吹」とは鯨の呼吸。頭上の鼻で息を吐き時に鼻孔から高く上がる息のこと。 | |||||||||
| ハクジラは鼻孔は一つ、ヒゲクジラは鼻孔は二つです。鼻孔は頭部にあります。 | |||||||||
| ここに出る「鯨汐吹き」は山車の長崎くんち奉納「鯨の潮吹き」のこと。鯨形の山車が | |||||||||
| ポンプで潮を吹くようにされている。多くの鯨玩具、年賀切手、絵画、版画などがある。 | |||||||||
| 龍踊が有名、 鯨は7年に一度の出番になっている。 (資料:「歌で巡る長崎」) | |||||||||
| (長崎県の歌謡史)宮川密義著 長崎新聞社発行) | |||||||||
| 4 | 長崎 | 「凧(はた)あげ音頭」 出島ひろし:作詞 深町一郎: | |||||||
| 歌 | 作曲 市川勝海:歌(昭和54年) | ||||||||
| 1.春は長崎 金比羅山で | |||||||||
| みなと潮風 そよつと受けて | |||||||||
| 凧(はた)が舞います 絡みます | |||||||||
| 紺に白地の 鯨ん皮と | |||||||||
| 赤白青の タンゴ縞 | |||||||||
| ビードロ光って ヨイヤー | |||||||||
| ヨイヨイヨイヨイ ヨーイヤサー | |||||||||
| 日和(ひより)よかばい 南風(はやんかぜ)出たばい | |||||||||
| あんた いっちょ出て | |||||||||
| 腕見せて みんね | |||||||||
| 2.3.(略)(注)長崎では凧を「ハタ」といいます。 | |||||||||
| 「凧(はた)」:たこ揚げの凧のこと | |||||||||
| (資料:「歌で巡る長崎」 | |||||||||
| (長崎県の歌謡史)宮川密義著 長崎新聞社発行) | |||||||||
| 5 | 千葉県南房総市 | [和田浦音頭] 作詞安田耕一:作曲 小村 三千三 | |||||||
| 音頭 | |||||||||
| 1.磯の波にも 春風吹いて | |||||||||
| 海女が鮑を とるころは | |||||||||
| 山の桜は 山の桜は 花ざかり ソレ | |||||||||
| 和田浦よいよい よいところ | |||||||||
| 春は鰯の 大漁時 | |||||||||
| テモサッテモ よいところ | |||||||||
| 2.鯨船かや 大漁旗あげて | |||||||||
| 波をけたてて やってくる | |||||||||
| 浦じゃ大漁の 浦じゃ大漁のわ | |||||||||
| 声が湧く ソレ | |||||||||
| 和田浦よいよい よいところ | |||||||||
| 夏の浜には 恋が咲く | |||||||||
| テモサッテモ よいところ | |||||||||
| 3.(略) | |||||||||
| 4.(略) | |||||||||
| 5.購は日の出だ 真赤にそめて | |||||||||
| 鰤は豊富だ 旗たてろ | |||||||||
| 船のへさきに 船のへさきに | |||||||||
| 波おどる ソレ | |||||||||
| 和田浦よいよい よいところ | |||||||||
| 沖じゃ閏の うれし鳴き | |||||||||
| テモサッテモ よいところ | |||||||||
| 「鯨船」:沿岸の小型捕鯨船のこと、現在もツチクジラ漁が行われている。 | |||||||||
| 和田浦で夏場に、鯨の解体を見ることができる。 | |||||||||
| Copyright (C) 2008 南房総市. All Rights Reserved. | |||||||||
| 現在、ネットにも掲載されていない。 | |||||||||
| 「勇魚の浜に」 | 「勇魚の浜に」 東京 川村純子 (旧姓庄司・和田出身) | ||||||||
| 短歌 | |||||||||
| 鯨今朝三ツ獲れたりと電話あり浜の活気が身内伝わる | |||||||||
| 勝山の醍醐新兵衛三百年の房総捕鯨を兄は受けつぐ | |||||||||
| 赤銅の八人の男子エンヤコラとろくろ廻して勇魚は上る | |||||||||
| 弁慶の薙刀ほどの太刀を振り解体始まる勇魚の浜に | |||||||||
| 安房の浜勇魚獲(あが)れば日の昇り海の男の歓喜が興る | |||||||||
| 牛を喰い鶏をほゝばりて碧き目は勇魚獲りをば野蛮というか | |||||||||
| 吾妹八十年一月号より | |||||||||
| (資料:くろしお文化 10 黒汐資料館) | |||||||||
| 6 | 高知 | 「よさこい節」 (「土佐節」) (高知) | |||||||
| 歌 | |||||||||
| 土佐の高知の 播磨屋橋で | |||||||||
| 坊さんかんざし 買うをみた ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸をあけて | |||||||||
| 月の名所は 桂浜 ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 土佐はよい国 南をうけて | |||||||||
| さつまおろしが そよそよと ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 土佐の名物 珊瑚に鯨 | |||||||||
| 紙に生糸に 鰹節 ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| はらみの廻し打ち 日暮れに帰る | |||||||||
| 帆傘船年に 二度取る米もある ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 土佐の高知の 播磨屋橋で | |||||||||
| 坊さんかんざし 買いよった ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 坊さんかんざし 買いそなことよ | |||||||||
| 瞽女さん眼鏡を 買いよった ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 土佐はよい国 南をうけて | |||||||||
| 薩摩おろしが そよそよと ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 夜さ来い晩に来い 言わんすけれど | |||||||||
| 行って見りゃ真実 こいじゃない ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 見ませ見せましょ 裏戸を明けて | |||||||||
| 月の名所は 桂浜 ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| 言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ | |||||||||
| しお吹く魚が 泳ぎよる ヨサコイヨサコイ | |||||||||
| (資料:http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den149.htm) | |||||||||
| 部隊歌 | 南国土佐を後にして(歩兵第236連隊の歌) | ||||||||
| 作詞・作曲:不詳(女学生の慰問袋に入っていた歌とのこと) | |||||||||
| 南国土佐を後にして 中支へ来てから幾歳ぞ | |||||||||
| 思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を | |||||||||
| 土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うをみた | |||||||||
| よさこい よさこい | |||||||||
| 月の浜辺で焚き火をかこみ しばしの娯楽のひとときを | |||||||||
| わたしも自慢の声張りあげて 歌うよ土佐のよさこい節を | |||||||||
| みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜 | |||||||||
| よさこい よさこい | |||||||||
| 国の父さん室戸の沖で 鯨釣ったと言うたより | |||||||||
| わたしも負けずに励んだあとで 歌うよ土佐のよさこい節を | |||||||||
| 言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 塩吹く魚が泳ぎよる | |||||||||
| よさこい よさこい | |||||||||
| 戦後、「中支」を「都」に変え、1953年〜1954年頃に丘京子が、1955年に | |||||||||
| 民謡歌手の鈴木三重子がレコードに吹き込んだ。そして1959年には | |||||||||
| ペギー葉山が歌い大ヒットした。 | |||||||||
| (参考) | |||||||||
| 第40師団 | |||||||||
| 創設 | 1939年(昭和14年)6月30日 | ||||||||
| 廃止 | 1945年(昭和20年) | ||||||||
| 所属政体 | Flag of Japan.svg大日本帝国 | ||||||||
| 所属組織 | 大日本帝国陸軍 | ||||||||
| 部隊編制単位 | 師団 | ||||||||
| 兵種/任務/特性 | 歩兵 | ||||||||
| 所在地 | 中支-華南 | ||||||||
| 編成地 | 善通寺 | ||||||||
| 通称号/略称 | 鯨 | ||||||||
| 補充担任 | 第11師管・善通寺師管・善通寺師管区 | ||||||||
| 最終上級単位 | 支那派遣軍 | ||||||||
| 最終位置 | 江西省 南昌 | ||||||||
| 主な戦歴 | 日中-太平洋戦争 | ||||||||
| (大陸打通作戦) (資料:ウィキペディア(Wikipedia)) | |||||||||
| 7 | 柳ジョージ | 柳ジョージ、山内容堂の歌「酔って候」 | |||||||
| 酔って候 | |||||||||
| 『土佐の鯨は大虎で 腕と度胸の男伊達(おとこだて) | |||||||||
| いつでも酔って候(そうろう) | |||||||||
| 酒と女が大好きで 粋な歌も雪見詩(ゆきみうた) | |||||||||
| いつでも酔って候 | |||||||||
| 鯨海酔候(げいかいすいこう)無頼酒 | |||||||||
| 鯨海酔候 噂の容堂 | |||||||||
| 二升入りの瓢箪(ひょうたん)で 公家を脅かす無頼酒 | |||||||||
| 粋な酔って候 | |||||||||
| 歯が疼き目も眩み 耳鳴りしようとも | |||||||||
| いつでも酔って候 | |||||||||
| 鯨海酔候 無頼酒 | |||||||||
| 鯨海酔候 噂の容堂 | |||||||||
| 新橋 両国 柳橋 夜の明けるまで飲み続け | |||||||||
| 粋な酔って候』 | |||||||||
| 柳 ジョージ(やなぎ ジョージ、、1948年1月30日 - 2011年10月10日)は、 | |||||||||
| 日本のミュージシャン。本名、柳 譲治(やなぎ じょうじ)[1]。神奈川県 | |||||||||
| 横浜市南区出身[2]。横浜市立蒔田中学校、日本大学藤沢高等学校、 | |||||||||
| 日本大学法学部卒業。妻は元女優の浅野真弓。(資料:Wikipedia) | |||||||||
| ‐[1948-] 横浜出身の歌手 柳ジョージ「鯨海酔候」を | |||||||||
| 自称する第15代土佐藩主 山内容堂の歌「酔って候」の歌詞‐ | |||||||||
| 「酔鯨:すいげい」という高知の日本酒が有名、ラベルに鯨の尻尾デザインもある。美味。 | |||||||||
| 8 | 流れ節 不詳 | 「流れ節」 下関水産大学校の唄。「鯨潮吹く南氷洋」。 | |||||||
| 1.流れ流れて下関の街 新地歩きは軟派でも | |||||||||
| 心にゃ硬派の血が通う おいら蛮カラ水大生 | |||||||||
| あぁ せつなき我が心 | |||||||||
| 2.生まれ育ちにゃ地の臭い しみちゃいるけど死ぬとこは | |||||||||
| 鯨潮吹く南氷洋 おいら蛮カラ水大生 | |||||||||
| あぁ せつなき我が心 | |||||||||
| 3.俺が死んだらその時は 母よ嘆くなタバコでも | |||||||||
| 線香の代わりにあげとくれ おいら蛮カラ水大生 | |||||||||
| あぁ せつなき我が心 | |||||||||
| 「水産大学校」(すいさんだいがっこう)は、山口県下関市永田本町二丁目7番1号 | |||||||||
| (吉見地区)に本部を置く日本の省庁大学校である。1963年(昭和38年)に | |||||||||
| 設置された。大学校の略称は水大校又は水大。 | |||||||||
| 9 | 金子みすゞ | 金子みすゞ :山口県長門市仙崎(せんざき)出身の詩人 | |||||||
| 鯨捕り | 『鯨捕り』 | ||||||||
| 詩 | |||||||||
| 海の鳴る夜は冬の夜は, | |||||||||
| 栗を焼き焼き聴きました。 | |||||||||
| むかし、むかしの鯨捕り、 | |||||||||
| ここのこの海、紫津が浦。 | |||||||||
| 海は荒海、 時季は冬、 | |||||||||
| 風に狂うは雪の花、 | |||||||||
| 雪と飛び交う銛の縄。 | |||||||||
| 岩も礫(こいし)むらさきの、 | |||||||||
| 常は水さえむらさきの、 | |||||||||
| 岸さえ朱に染むという。 | |||||||||
| 厚いどてらの重ね着で、 | |||||||||
| 舟の舳(みよし)に見て立って | |||||||||
| 鯨弱ればたちまちに、 | |||||||||
| ぱつと脱ぎすて素つ裸、 | |||||||||
| さかまく波にをどり込む、 | |||||||||
| むかし、むかしの漁夫(れうし)たち− | |||||||||
| きいてる胸も | |||||||||
| おどります。 | |||||||||
| いまは鯨はもう寄らぬ、 | |||||||||
| 浦は貧乏になりました。 | |||||||||
| 海は鳴ります。 | |||||||||
| 冬の夜を、 | |||||||||
| おはなしすむと、 | |||||||||
| 気がつくとー | |||||||||
| 鯨法会 | 『鯨法会』詩。金子みすゞ | ||||||||
| 詩 | |||||||||
| 鯨法会は春のくれ、 | |||||||||
| 海に飛魚採れるころ。 | |||||||||
| 浜のお寺で鳴る鐘が、 | |||||||||
| ゆれて水面をわたるとき、 | |||||||||
| 村の漁師が羽織着て、 | |||||||||
| 浜のお寺へいそぐとき、 | |||||||||
| 沖で鯨の子がひとり、 | |||||||||
| その鳴る鐘をききながら、 | |||||||||
| 死んだ父さま、母さまを、 | |||||||||
| こいし、こいしと泣いてます。 | |||||||||
| 海のおもてを、鐘の音は、 | |||||||||
| 海のどこまで、ひびくやら。 | |||||||||
| 金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年 | |||||||||
| (昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した | |||||||||
| 日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。 大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を |
|||||||||
| 綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』 | |||||||||
| 『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の | |||||||||
| 中の巨星」と賞賛された。 | |||||||||
| 山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)の生まれ。郡立大津高等女学校 | |||||||||
| (現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業。結婚するも不仲、夫に悪い病気 | |||||||||
| をうつされ娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、 | |||||||||
| 享年28〈数え年〉、26年の短い生涯を閉じた。法名は釈妙春信尼。 | |||||||||
| 数回テレビドラマなどになった。(資料:Wikipedia) | |||||||||
| 10 | 穂積 重遠 | 第十四回紀念祭寮歌 《 都の空 》 | |||||||
| 都の空 | 穂積 重遠・作詞 鈴木 充形・作曲 | ||||||||
| 寮歌 | |||||||||
| 1.都の空に東風吹きて 春の呼吸いぶきをもたらせば | |||||||||
| 東臺花の雲深み 墨堤花の雨灑ぐ | |||||||||
| 2.さはれ皆人心せよ 春は都にたちぬれど | |||||||||
| シベリア未だ冬にして 猛鷲獨り羽を搏つ | |||||||||
| 3.東臺の花それならで 戦雲迷ふ黄海に | |||||||||
| 群がる鯨鯢(げいげい)叱咤して たけぶますらを思はずや | |||||||||
| 4.隅田の花とまがふべく 矢彈雨降る満州の | |||||||||
| 残のこんの雪を踏みしだき 進むみいくさ忍ばずや | |||||||||
| 5.〜10.(略) (明治三十七年北寮) | |||||||||
| 「鯨鯢(げいげい)」:「鯨」は雄のクジラ、「鯢」は雌のクジラ | |||||||||
| @ クジラの雄と雌。クジラ。また、小魚を食いつくす大魚のたとえ。 | |||||||||
| A 大悪人。悪党の首領。 (資料:大辞林 第三版) | |||||||||
| 穂積 重遠(ほづみ しげとお、1883年4月11日 - 1951年7月29日)は、 | |||||||||
| 東京府出身の法学者。専門は民法。東京帝国大学教授・法学部長、 | |||||||||
| 最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれる。東宮大夫兼東宮侍従長。 | |||||||||
| 男爵。勲一等旭日大綬章。(資料:Wikipedia) | |||||||||
| 11 | 門倉詇 | 「くじらの歌(二部合唱)」 作曲:熊谷健一 作詞:門倉詇/谷川健 | |||||||
| /谷川健 | |||||||||
| くじらの歌 | 氷山の海から 夕焼けの海から | ||||||||
| くじらがとびあがり | |||||||||
| 夕日をしっぽではねかえす | |||||||||
| ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん | |||||||||
| ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん | |||||||||
| あれは 海のわれるおと | |||||||||
| あれは くじらのてまり歌 | |||||||||
| 南極の海では まっ白なうみでは | |||||||||
| くじらはすみあきて | |||||||||
| せなかのしおを吹き上げる | |||||||||
| ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん | |||||||||
| ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん | |||||||||
| あれは 空にはねかえる | |||||||||
| あれは くじらのあくびです | |||||||||
| 赤道をこえて 北をめざして | |||||||||
| くじらは旅をする | |||||||||
| 黒潮うねる やしの島 | |||||||||
| ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん | |||||||||
| ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん | |||||||||
| あれは 南十字星 | |||||||||
| あれは くじらの マーチです | |||||||||
| ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん | |||||||||
| ぴぴーん ぽん ぴぴーん ぽん | |||||||||
| あれは 南十字星 | |||||||||
| あれは くじらの マーチです | |||||||||
| マーチです | |||||||||
| ●作曲者の熊谷賢一はマンドリンで有名らしい。合唱曲では「大地の歌」 | |||||||||
| (谷川が作詞)が有名。門倉の作詞では「ぼくらは地球をたべている」など。 | |||||||||
| ●作詞者の谷川健は「大地の歌」ばかりが有名。あとは「ポプラの歌」など。 | |||||||||
| ●作詞者、門倉詇(門倉さとし)は詩人。合唱曲「たんぽぽ」が有名。 | |||||||||
| 校歌なども作詞。子ども世界特別賞などを受賞。2009年12月1日に75歳で | |||||||||
| 亡くなるまでお仕事をされていたようなので、新聞、作曲家や合唱団の | |||||||||
| ブログ等にも多く名前が載っているがWikipediaには記事無し。 | |||||||||
| ※演奏会パンフレット等複数で「門倉訣」の記載あり。 | |||||||||
| ※参考:「門倉詇著作目録」「門倉さとし - あのひと検索スパイシー」 | |||||||||
| 【Amazon.co.jp:「門倉さとし」詩集/楽譜】 | |||||||||
| (上記資料:http://tinklepopo.blogspot.com/2013/05/65.html) | |||||||||
| 12 | 新美 南吉 | 「島〈 B〉」 新美 南吉 | |||||||
| 島〈 B〉 | |||||||||
| 詩7 | 島で、或あさ、 鯨がとれた。 | ||||||||
| どこの家でも、 鯨を食べた。 | |||||||||
| 鬚は、呻りに、 売られていった。 | |||||||||
| りらら、鯨油は、 ランプで燃えた。 | |||||||||
| 鯨の話が、 どこでもされた。 | |||||||||
| 島は、小さな、 まずしい村だ。 | |||||||||
| (註。鯨の鬚は、凧の呻りに用ゐられます。) | |||||||||
| 「鬚:ひげ」とは、歯がないヒゲクジラの上顎にある数百枚のヒゲ板のこと、大量の小さい | |||||||||
| 餌をまとめて一気に濾し取り食べる歯の代わりをするものです。こうして大きい鯨になった | |||||||||
| 訳です。鯨には84種くらいの種類があり、ハクジラも多くの歯を持つ種、数本の歯を持つ | |||||||||
| ものなど餌の種類や食べ方、棲む場所などですごく不思議な哺乳類。 | |||||||||
| (資料:新美南吉の詩集より。南吉の詩は童話に勝るとも劣らず魅力的。 ) | |||||||||
| 新美 南吉(1913年7月30日 - 1943年3月22日)は、日本の児童文学作家。 | |||||||||
| 本名は新美正八(旧姓:渡邊)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の | |||||||||
| 一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。 | |||||||||
| 結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、 | |||||||||
| 短歌、俳句や戯曲も残した。(資料:Wikipedia) | |||||||||
| 13 | 丸山 薫 | 「鯨を見る」 作・丸山 薫 | |||||||
| 鯨を見る | |||||||||
| 詩 | 太平洋で鯨を見たよ | ||||||||
| 鯨は灰色の背を朝日に染めて | |||||||||
| 大きく 右舷の波間を泳いでいたよ | |||||||||
| アレヨとさわぐいとまもなく | |||||||||
| さかさになって沈んでいつたよ | |||||||||
| しばらくすると反対側に | |||||||||
| ゆつくり浮かびあがつたよ | |||||||||
| 慌ててみんなその方へ行つたよ | |||||||||
| だが こんどもおれ達の見ている前で | |||||||||
| 尾を逆立てて沈んでしまつたよ | |||||||||
| 沈んだと思った鯨はすぐに | |||||||||
| 右舷の近くに浮かんできたよ | |||||||||
| そこで あれ達もそつちへ戻つたが | |||||||||
| なぜか ふいにまた沈んだよ | |||||||||
| そして 左舷の遠くに浮かび上がつたよ | |||||||||
| 鯨はいくども沈んでは浮かんだよ | |||||||||
| その都度 重い飛沫があがつて | |||||||||
| 海は大砲のように鳴つたよ | |||||||||
| ゆさゆさ潮が打ちよせてきて | |||||||||
| みんなは甲板を右往左往したよ | |||||||||
| とうとう おれ達は笑い出したよ | |||||||||
| この大洋生き残りの先生の | |||||||||
| なにがなんだかわからない仕草に | |||||||||
| 夢みたいな海の廣さと底なしの深さに | |||||||||
| みんな腹を抱えて笑い出したよ | |||||||||
| (資料:季刊 ダジアン 特集くじら) | |||||||||
| 丸山 薫(まるやま かおる、1899年(明治32年)6月8日 - 1974年(昭和49年) | |||||||||
| 10月21日)は、日本の詩人。男性。 | |||||||||
| 船員を志しながらそれを絶たれたことから、船や海、異国にまつわる詩には彼独自 | |||||||||
| の世界が見られる。(資料:Wikipedia) | |||||||||
| 14 | 蜀山人 | 蜀山人の詩 鯨という字になぞらえて都の京を安房の勝山の賑わいに詠んだ歌。 | |||||||
| 狂歌 | 大田南畝(1749-1823) | ||||||||
| 房総勝山 | |||||||||
| 「いさなとる 安房の浜辺は魚扁に | |||||||||
| 京という字の 都なるらん」 | |||||||||
| 賑わう勝山の浜を「京」のようだと「鯨」の字になぞらえて詠んだ狂歌です。 | |||||||||
| (江戸時代の文人・狂歌師・大田蜀山人:1805年に勝山を訪れた) | |||||||||
| 「魚偏に 江の字くじらと 書かせたい」 | |||||||||
| 江戸時代の 古川柳。くじらの漢字「鯨」は「魚」偏に「京」、 | |||||||||
| この字を賑やかな江戸の「江」に替えてはといっております。 | |||||||||
| (資料:http://www.catv296.ne.jp/~whale/haka-toukyou.html) | |||||||||
| いさな:イサナ、勇魚、鯨魚、鯨名、伊佐魚、伊佐那、不知魚、伊佐儺、伊沙那、 | |||||||||
| 伊佐難、異舎儺(いさな)、伊佐、イサナ、イサなどと書かれていた。 | |||||||||
| 「勇魚取り」は「海」にかかる枕詞として使われていた。 | |||||||||
| 大田 南畝(おおた なんぽ、寛延2年3月3日(1749年4月19日) - 文政6年4月6日 | |||||||||
| (1823年5月16日))は、天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 | |||||||||
| 別号、蜀山人(しょくさんじん) | |||||||||
| 文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、、 | |||||||||
| 漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られる。(資料:Wikipedia) | |||||||||
| 15 | 寛政の鯨事件 | 「品川の沖に とまりしせみくじら | |||||||
| 狂歌 | 皆みんみん 飛んでくるなり」 | ||||||||
| 「品川の沖にとまりしせみ鯨(くじら)みなみんみんと飛んで来るなり」は | |||||||||
| セミクジラと昆虫のセミの鳴き声、「見ん見ん」とする人々をかけた狂歌と云われる。 | |||||||||
| 1798(寛政10)年に漁師が捕らえたクジラは浜御殿で将軍家斉(いえなり)の | |||||||||
| 上覧に供された。 | |||||||||
| 「背美鯨」:「セミクジラ」とは背びれがなく背中が美しい、水面に浮かんで背中を乾かす | |||||||||
| 習性から背乾鯨(セビクジラ)が語源。 | |||||||||
| 英名はRight Whale。Right(本当の)捕り易い鯨。捕鯨に適した鯨。 | |||||||||
| 遊泳速度が遅く、死ぬと水面に浮き、油とヒゲ板の両方が沢山とれるため。 | |||||||||
| 谷 素外 | 「江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨 」 | ||||||||
| 俳句4 | 当時の俳人 谷 素外 | ||||||||
| 狂歌 | 「うちよする 浪は御浜の おにはぞと くじらは潮を ふくはうち海」 | ||||||||
| 鬼は外、福は内!!!!!を含ませた狂歌。 | |||||||||
| このクジラの種類は肌の斑点模様や腹の畝に見える筋・大きさ・背びれがある | |||||||||
| ことから種類は「セミクジラ」ではなくて「シロナガスクジラ」ではないかといわれて | |||||||||
| おります。「セミクジラ」には背びれ、腹部の線「ウネ:畝」はありません。 | |||||||||
| 狂歌の「みんみん」「セミ」「セミクジラ」とが違ってきますが、鯨種不明時のご愛嬌か | |||||||||
| クジラを見る機会が少なく、「寛政の鯨」事件と云われた時代です。 | |||||||||
| 昔の鯨絵・話・詩(ウタ)は間違いが多く鵜呑みにはできません。 | |||||||||
| 寛政の鯨騒動は「享保の象」「文化のらくだ」と共に江戸動物三大事件として語り | |||||||||
| 継がれています。 | |||||||||
| 谷素外とは? 谷 素外(たに そがい、1717年(享保2年) - 1809年(文化6年))は、 | |||||||||
| 日本の江戸時代の文人・俳人。談林派七世。号は一陽井。 | |||||||||
| (資料:http://www.catv296.ne.jp/~whale/haka-toukyou.html) | |||||||||
| 16 | 不詳 | 「鯨鯢浮かぶ」 明治四十四年 開校第十周年記念寮歌 | |||||||
| 寮歌 | 作詞 不 詳 第七高等学校造士館 校歌集 | ||||||||
| 作曲 不 詳 | |||||||||
| 一、 | |||||||||
| 鯨鯢浮ぶ黒潮の (下記注:鯨鯢は雄鯨と雌鯨のこと。大きくて恐い例え) | |||||||||
| 岸洗ふ國花薫る | |||||||||
| 日出づる國の光榮や | |||||||||
| 六千萬の民若し | |||||||||
| 落日赤きアンデス山 | |||||||||
| 椰子線なる多鳥海 | |||||||||
| 日本男兒が活躍の | |||||||||
| 想ひは久し二千年 | |||||||||
| 二、 | |||||||||
| 天孫こゝに建国の | |||||||||
| 跡も尊し高千穂の | |||||||||
| 峯まとふ雲朱に燃えて | |||||||||
| 新しき世の丈夫が | |||||||||
| 負うて立つべき大使命 | |||||||||
| さとすに似たる夕照に | |||||||||
| 萬里の波濤茫々の | |||||||||
| 眺め涯なき太平洋 | |||||||||
| 三、 | |||||||||
| あゝ南の國の空 | |||||||||
| 今宵月澄む秋にして | |||||||||
| すぎし十歳の追憶や | |||||||||
| 希望に滿ちし自治の寮 | |||||||||
| 鶴嶺の影白熱の | |||||||||
| 鐵火燦爛經世の | |||||||||
| 利劍鍛へてたゆまぎる | |||||||||
| 健兒百餘の意氣高し | |||||||||
| (資料:第七高等学校造士館 校歌集) | |||||||||
| (第七高等学校は現鹿児島大学) | |||||||||
| 17 | 余田弦彦 | 「豪気節」 | |||||||
| 豪気節 | |||||||||
| 寮歌 | 豪気節は、旧制高知高校第1回生、余田弦彦(よだつるひこ)の作詩。 | ||||||||
| 豪気節は、一ツトセ・・・から始まり、十トセ・・・まであります。 | |||||||||
| 3つ、4つ例を示すと、 | |||||||||
| 「一ツトセ、一人のあの娘が恋しけりゃ、潮吹く鯨で気をはらせ、 | |||||||||
| そいつ豪気だね」 | |||||||||
| 「二ツトセ、故郷忘れょか若き身に、桂の浜に星が飛ぶ、 | |||||||||
| そいつ豪気だね」 | |||||||||
| ・ | |||||||||
| ・ | |||||||||
| 「九ツトセ、この浜よする大涛は、カリフォルニヤの岸を打つ、 | |||||||||
| そいつ豪気だね」 | |||||||||
| 「十トセ、時は永劫じゃ常夏の、土佐の高校の胸の意気、 | |||||||||
| そいつ豪気だね」 | |||||||||
| で、各フレーズに、「・・・そいつ豪気だね。」が入ります。 | |||||||||
| 余田弦彦は、熱血の詩人で、高知に多くの逸話と寮歌を残したが、 | |||||||||
| 京大法学部在学中に、惜しくも病死した。 | |||||||||
| 彼の歌の中で一番愛唱され、日本中に有名になったのが、この豪気節です。 | |||||||||
| (資料:http://moromoro.my.coocan.jp/2011_H23/799_katsurahama1/katsurahama1.html) | |||||||||
| 18 | 土井晩翠 | 松本高等学校々歌 | |||||||
| 校歌 | 作詞 土井晩翠 | ||||||||
| 作曲 山田耕作 | |||||||||
| 【一】 | |||||||||
| 千山萬岳高きを競ひ | |||||||||
| 峙つ信州日本の屋上 | |||||||||
| 一、寰あまねく霊気を湛へ | |||||||||
| 民族勝りて直ぐなるところ | |||||||||
| 我が校教への聖歌を点ず | |||||||||
| 【二】 | |||||||||
| 嗚呼友たゆまず急がず学び | |||||||||
| 一歩を進めて一歩を据ゑよ | |||||||||
| 四海に漲る文化の潮に | |||||||||
| 貢献おのおの其の分ありて | |||||||||
| 意義ある人生無窮に継がむ | |||||||||
| 【三】 | |||||||||
| 仰ぐは高山慕ふは理想 | |||||||||
| 細流次第に其の水寄せて | |||||||||
| 鯨鯢浮くべき波浪を湧かす (下記注:鯨鯢は雄鯨と雌鯨のこと。大きくて恐い例え) | |||||||||
| 自然の啓示を心にしめて | |||||||||
| 希望は輝やく丈夫の未来 | |||||||||
| 【四】 (略) | |||||||||
| (現在は信州大学) | |||||||||
| 資料:(http://shindaishiseiryo.web.fc2.com/ryouka.html#matsukou) | |||||||||
| 19 | 土井晩翠 | 「天地有情」 土井晩翠 | |||||||
| 天地有情 | 『星落秋風五丈原』 | ||||||||
| 詩 | (一) | ||||||||
| 祁山悲秋の風更けて | |||||||||
| 陣雲暗し五丈原 | |||||||||
| 零露の文は繁くして | |||||||||
| 草枯れ馬は肥ゆれども | |||||||||
| 蜀軍の旗光無く | |||||||||
| 鼓角の音も今しづか | |||||||||
| 丞相病篤かりき | |||||||||
| (二)省略 | |||||||||
| (三)省略 | |||||||||
| (四) | |||||||||
| 六たび祁山の嶺の上 | |||||||||
| 風雲動き旗かへり | |||||||||
| 天地もどよむ漢の軍 | |||||||||
| 偏師節度を誤れる | |||||||||
| 街亭の敗何かある | |||||||||
| 鯨鯢吼えて波怒り (下記注:鯨鯢は雄鯨と雌鯨のこと。大きくて恐い例え) | |||||||||
| あらし狂うて草伏せば | |||||||||
| 王師十万秋高く | |||||||||
| 武都陰平を平げて | |||||||||
| 立てり渭南の岸の上 | |||||||||
| (五) | |||||||||
| 君恩酬ふ身の一死 | |||||||||
| 今更我を惜しまねど | |||||||||
| 行末いかに漢の運 | |||||||||
| 過ぎしを忍び後計る | |||||||||
| 無限の思い無限の情 | |||||||||
| 南成都の空いづこ | |||||||||
| 玉壘今は秋更けて | |||||||||
| 錦江の水痩せぬべく | |||||||||
| 鉄馬あらしに嘶きて | |||||||||
| 剣関の雲睡るべく | |||||||||
| (六)省略 | |||||||||
| げいげい【鯨鯢】とは | |||||||||
| 〔古くは「けいげい」。「鯨」は雄のクジラ、「鯢」は雌のクジラ〕 | |||||||||
| @ クジラのおすとめす。クジラの総称。小魚を食いつくす猛悪な大魚のたとえにも用いる | |||||||||
| A 弱いものをひと呑みするような大悪人のたとえ。悪徒の首領。巨賊。 | |||||||||
| Bげいげいのあぎとにかく【鯨鯢の顎にかく】クジラに食われるような事態になる。 | |||||||||
| 海で危険な目にあう。(資料:デジタル大辞泉) | |||||||||
| 「鯨鯢(けいげい)と呼ばれた男」 大宰府に流された菅原道真(平安朝の副首相)は | |||||||||
| 怪魚「鯨鯢」(小魚 を捕らえて喰うところから首悪の意味)といわ れていた。 | |||||||||
| 土井 晩翠(どい ばんすい、1871年12月5日〈明治4年旧暦10月23日〉 - | |||||||||
| 1952年10月19日)は、日本の詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。 | |||||||||
| 本来姓は「つちい」だったが、1932年(昭和7年)に改称した(資料:Wikipedia) | |||||||||
| (資料: https://blogs.yahoo.co.jp/mitosya/33214849.html) | |||||||||
| 20 | 濱 扶嗣子 | 「勇魚取:いさなとり」 濱 扶嗣子 俳句 (太地出身) | |||||||
| 俳句 | |||||||||
| ほもとけば古文書語る捕鯨の史 | |||||||||
| 土地人の生計(たつき)を支ふ勇魚取 | |||||||||
| 鶴丸の家紋の映ゆる鯨船 | |||||||||
| 勇魚取たぎる情熱浪を蹴る | |||||||||
| 食卓に鯨のおばき姑の味 | |||||||||
| 捕鯨史にその名留めし祖を誇る | |||||||||
| 天晴(あっぱれ)や世界に誇る勇魚取 | |||||||||
| 菩提寺に黙し見守る捕鯨の祖 | |||||||||
| 轟ける鯨太鼓や太地浦 | |||||||||
| 名にし負う捕鯨の町に栄あれ | |||||||||
| 「勇魚」は鯨の古名。 | |||||||||
| 「鶴丸」は太地角右衛門家の表紋、裏紋は「井桁」。 | |||||||||
| 「おばき」は鯨肉の一種。「姑(はは)の味」の意は、姑の出身地が太地町にため。 | |||||||||
| 「祖」とは実家の太地家の祖先の意。 | |||||||||
| 「名にし負ふ」は「有名な」の意。 | |||||||||
| (資料:熊野誌 第五十六号 捕鯨特集 熊野地方紙研究会・新宮市立図書館) | |||||||||
| 21 | 不詳 | 「捕鯨船」 初等科音楽 三 昭和十八年 | |||||||
| 捕鯨船 | |||||||||
| 唱歌 | 1.すはこそ物、のがすな撃てと、 | ||||||||
| すつくと立つた砲手の姿。 | |||||||||
| ねらひははるか、潮吹く鯨。 | |||||||||
| うねる大波、あふむくへさき。 | |||||||||
| 2.矢よりも速く飛び行くもりが、 | |||||||||
| はつしと立てば、しぶきをあげて、 | |||||||||
| 網も切れよと逃げ行く鯨。 | |||||||||
| 船はゆれゆれ、白波をどる。 | |||||||||
| 3.怒涛をけつて、おひ撃つ鯨。 | |||||||||
| 高鳴る血潮、とどろく凱歌。 | |||||||||
| 氷山浮かぶ南極海の | |||||||||
| 風に日の丸はたはたゆれる。 | |||||||||
| (資料:青春抒情歌集 別冊太陽) | |||||||||
| 22 | キンダ― | キンダ―ブック うた・さとうよしみ | |||||||
| 童謡 | |||||||||
| うみには | |||||||||
| さかなが | |||||||||
| いくひき いるか。 | |||||||||
| 一 二 | |||||||||
| 三 四 | |||||||||
| 五 六 | |||||||||
| うみには | |||||||||
| くじらが | |||||||||
| いくとう いるか。 | |||||||||
| 一 二 | |||||||||
| 三 四 | |||||||||
| 五 六 | |||||||||
| (資料:キンダーブック 第8集7月号 たのしいふねのたび) | |||||||||
| 23 | 柿本人麻呂 | 「柿本朝臣人麻呂、石見国より妻に別れて上り来る時の歌二首併せて短歌」 | |||||||
| 万葉集 | (長歌) | ||||||||
| 長歌・短歌 | 石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ | ||||||||
| 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも | |||||||||
| 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和田津(にきたつ)の 荒磯の上に | |||||||||
| か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振(あさはふ)る 風こそ寄らめ | |||||||||
| 夕羽振(ゆふはふ)る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る | |||||||||
| 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の | |||||||||
| 八十隈(やそくま)毎に 万度(よろづたび) かへり見すれど いや遠(とほ)に | |||||||||
| 里は放(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草の思ひ萎(しな)えて | |||||||||
| 偲ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡けこの山 | |||||||||
| (巻二131、「一云」は略す。) | |||||||||
| 「鯨魚(いさな)取り」は 海にかかる枕詞です。 | |||||||||
| いさなとり 近江の海を 沖さけて 漕ぎ来る舟 ・・・・・(巻二の153) | |||||||||
| いさなとり 浜辺を清み うちなびき 生ふる 玉藻に ・・・・・(巻六の931) | |||||||||
| (短歌) | |||||||||
| 昨日こそ船出はせしかいさなとり | |||||||||
| ひぢきの灘を今日見つるかも (巻十七)作者不詳 短歌 | |||||||||
| (資料:くjら百話 中原雅夫著) | |||||||||
| 柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年 | |||||||||
| (724年)3月18日[1])は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。 | |||||||||
| 後世、山部赤人と共に歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の | |||||||||
| 一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。 (資料:Wikipedia) | |||||||||
| (資料:http://souenn32.hatenablog.jp/entry/20170828/1503864570) | |||||||||
| 24 | 時雨音羽 | 「鉾をおさめて」作詞:時雨音羽 、作曲:中山晋平 歌:藤原 義江 | |||||||
| 鉾をおさめて | -1928 | ||||||||
| 歌 | 1.鉾をおさめて 日の丸上げて | ||||||||
| 胸をドンと打ちゃ 夜あけの風が | |||||||||
| そよろ そよろと 身に沁みわたる | |||||||||
| 2.灘の生酒に 肴は鯨 | |||||||||
| 樽を叩いて 故郷の唄に | |||||||||
| ゆらり ゆらりと 陽は舞いあがる | |||||||||
| 3.金の扇の 波 波 波に | |||||||||
| 縄のたすきで 故郷のおどり | |||||||||
| 男 男の 血はわきあがる | |||||||||
| 4.エンヤッサ エンヤッサ | |||||||||
| ヤンレッサ ヤンレッサ | |||||||||
| おどりつかれて 島かと見れば | |||||||||
| 母へ 港へ みやげの鯨 | |||||||||
| (資料:http://www.utagoekissa.com/hokowoosamete.html) | |||||||||
| 25 | 時雨音羽 | 「出船の港」作詞:時雨 音羽 作曲:中山 晋平 歌:藤原 義江 | |||||||
| 出船の港 | |||||||||
| 歌 | ドンとドンとドンと 波のり越して(注) | ||||||||
| 一挺(ちょう)二挺三挺 八挺櫓(ろ)で飛ばしゃ | |||||||||
| サッとあがった 鯨(くじら)の汐(しお)の | |||||||||
| 汐のあちらで 朝日はおどる | |||||||||
| エッサエッサエッサ 押し切る腕は | |||||||||
| 見事黒がね その黒がねを | |||||||||
| 波はためそと ドンと突きあたる | |||||||||
| ドンとドンとドンと ドンと突きあたる | |||||||||
| 風に帆綱(ほづな)を キリリと締(し)めて | |||||||||
| 梶(かじ)を廻(まわ)せば 舳先(へさき)はおどる | |||||||||
| おどる舳先に 身を投げかけりゃ | |||||||||
| 夢は出船の 港へ戻る | |||||||||
| 藤原 義江(ふじわら よしえ、1898年(明治31年)12月5日 - 1976年(昭和51年) | |||||||||
| 3月22 日)は、日本の男性オペラ歌手、声楽家(テノール(テナー))。 | |||||||||
| 時雨 音羽(しぐれ おとは、1899年(明治32年)3月19日 - 1980年(昭和55年) | |||||||||
| 7月25日)は、昭和期の作詞家。出生時の戸籍上の名前は池野 音吉(いけの | |||||||||
| おときち)であるが、1961年(昭和44年)に筆名を本名に改名したため、没年時の | |||||||||
| 本名も時雨音羽である。「君恋し」、「浪花小唄」とヒット曲を書き、レコード界草創期 | |||||||||
| の流行歌作詞家となった (資料:Wikipedia) | |||||||||
| (資料:http://www.utagoekissa.com/hokowoosamete.html) | |||||||||
| 26 | 頼山陽 | 「漢詩」 頼山陽 文政元年(1818) 下関に来た。 | |||||||
| 漢詩 | |||||||||
| 六連島望五洲波 | |||||||||
| 紫石山通玄海霞 | |||||||||
| 誤愛児郎好身手 | |||||||||
| 捕鰌平戸不帰家 | |||||||||
| (六連島は五洲の波 紫山石は通ず玄海の霞 誤って愛す児郎の好身手 | |||||||||
| 鰌を平戸に捕え家に帰らず) | |||||||||
| 六連島は下関沖に浮かぶ島。 | |||||||||
| 紫石山は赤間神宮の裏山、紅石山という | |||||||||
| 五洲は長崎県の五島 | |||||||||
| 鰌は鯨のこと | |||||||||
| 頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日 | |||||||||
| (1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、 | |||||||||
| 文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、 | |||||||||
| 三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に | |||||||||
| 影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。贈正四位]。 (資料:Wikipedia) | |||||||||
| 27 | 佐藤春夫 | 「望郷五月歌」 佐藤春夫 | |||||||
| 望郷五月歌 | |||||||||
| 詩 | 塵まみれなる街路樹に | ||||||||
| 哀れなる五月(さつき)來にけり | |||||||||
| 石だたみ都大路を歩みつつ | |||||||||
| 戀しきや何ぞわが古郷(ふるさと) | |||||||||
| あさもよし紀の國の | |||||||||
| 牟婁の海山 | |||||||||
| 夏みかんたわわに實り | |||||||||
| 橘の花さくなべに | |||||||||
| とよもして啼くほととぎす | |||||||||
| 心してな散らしそかのよき花を | |||||||||
| 朝霧か若かりし日の | |||||||||
| わが夢ぞ | |||||||||
| (途中)省略<五十二行という長い詩> | |||||||||
| 通ふべききはにあらねば | |||||||||
| 目を上げてただに望みて | |||||||||
| いそのかみふるき昔をしのびつつ | |||||||||
| そぞろにも山を下りぬ | |||||||||
| 歌まくら塵の世をはなれ小島に | |||||||||
| 立ち騒ぐ波もや見むと | |||||||||
| 辿り行く荒磯石原(ありそいしはら) | |||||||||
| 丹塗舟(にぬりぶね)影濃きあたり | |||||||||
| 若者の憩へるあらば | |||||||||
| 海の幸鯨(いさな)捕る船の話も聞くべかり | |||||||||
| 且つは聞け | |||||||||
| 浦の濱木棉(はまゆふ)幾重なすあたり何處(いづく)と | |||||||||
| いざさらば | |||||||||
| 心ゆく今日のかたみに | |||||||||
| 荒海の八重の潮路を運ばれて | |||||||||
| 流れよる千種百種(ちぐさももくさ) | |||||||||
| 貝がらの數を集めて歌にそへ | |||||||||
| 贈らばや都の子等に | |||||||||
| (六年五月) | |||||||||
| 底本:『定本 佐藤春夫全集』 第1巻、臨川書店 | |||||||||
| ( 資料:くじら百科 ) | |||||||||
| 佐藤春夫の「望郷五月歌」詩碑は和歌山県新宮市新宮1番地 熊野速玉大社境内 | |||||||||
| にある。 | |||||||||
| 佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日) | |||||||||
| は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論 | |||||||||
| ・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで | |||||||||
| 旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。 | |||||||||
| 初代新宮市名誉市民。 (資料:Wikipedia) | |||||||||
| (資料:http://www.mikumano.info/satoharuo/bokyogogatuka.html) | |||||||||
| 28 | 佐藤佐太郎 | 佐藤佐太郎 | |||||||
| 詩 | |||||||||
| 「燻製のしたたる鯨の脂身を | |||||||||
| かみつつゐたり暑き日昏れて」 | |||||||||
| 佐藤 佐太郎(さとう さたろう、1909年(明治42年)11月13日 - 1987年 | |||||||||
| (昭和62年)8月8日)は、日本の歌人。日本芸術院会員。妻の佐藤志満も歌人。 | |||||||||
| (資料:Wikipedia) | |||||||||
| 29 | 捕鯨の歌 | 「南氷洋捕鯨の歌」 作詞土岐善麿 作曲 堀内敬三 | |||||||
| ニッスイ | |||||||||
| 社歌 | 時は来たれり 菊日和 壮途輝く 黒潮や | ||||||||
| 赤道遠く希望を乗せて 船団浪を衝きゆくところ | |||||||||
| 祖国よ今ぞ栄えあれ | |||||||||
| 踊る巨体に 雲晴れて 意気も鋭く放つ銛 | |||||||||
| 南氷洋のしぶきの中に 歌声高くロープを曳いて | |||||||||
| 感謝に仰ぐ十字星 | |||||||||
| 運ぶ航路は 三千里 見ずや この肉この油 | |||||||||
| 無限の宝庫開いてここに 日本水産使命は新た | |||||||||
| 世界の前に誇るべし | |||||||||
| 日本水産の船団が出港するとき、社歌とともにこの曲を流して士気高揚を計った。 | |||||||||
| 土岐 善麿(とき ぜんまろ、1885年(明治18年)6月8日 - 1980年(昭和55年) | |||||||||
| 4月15日)は、日本の歌人・国語学者。(資料:Wikipedia) | |||||||||
| 30 | 捕鯨隊 | 「日新丸捕鯨船隊行進曲」 | |||||||
| マルハ日新 | 作詞 押村 悟 作曲 堀口 敬三 | ||||||||
| 社歌 | 編曲 飯田 三郎 歌 永田紘次郎・井口小夜子 | ||||||||
| いざいざ行かん颯爽(さっそう)と 躍進日本の名において | |||||||||
| 祖国の意気を示しつつ マストに高き日の丸の | |||||||||
| 朝日に映ゆる旗風に 波濤万里の海越えて | |||||||||
| 堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊 | |||||||||
| いざいざ征かん溌剌(はつらつ)と 海国日本の名において | |||||||||
| 祖国の誇り示しつつ 吼(ほ)ゆる巨鯨の群れ追いて | |||||||||
| 南方十字星冴ゆる 怒濤逆巻く極洋を | |||||||||
| 堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊 | |||||||||
| いざいざ征かん行かん凛々(りんりん)と 水産日本の名において | |||||||||
| 祖国の誉れ示しつつ 奮迅(ふんじん)止まぬ熱戦に | |||||||||
| オーロラ燃ゆる空の下 挙げよ制覇の鬨(とき)の声 | |||||||||
| 堂々進む精鋭は 日新丸の捕鯨隊 | |||||||||
| 昭和11年(1936年) | |||||||||
| 31 | 酒井早苗 | 「腹の中に」 作:酒井 早苗 (選者 新川和江) | |||||||
| 腹の中に | |||||||||
| 詩 | 腹の中にクジラがいる | ||||||||
| こいつはむやみに | |||||||||
| 暴れる | |||||||||
| あの人の言葉が | |||||||||
| 気に入らない | |||||||||
| あの人の行いが | |||||||||
| 気に入らない | |||||||||
| メクジラたてて | |||||||||
| いるけれど | |||||||||
| 人の心は変えられない | |||||||||
| 変えられるのは | |||||||||
| 自分の心 | |||||||||
| もっとひろい海を | |||||||||
| 泳ごうよ | |||||||||
| 遠くまで | |||||||||
| 見えるから | |||||||||
| (産経新聞 平成16年7月22日 朝の詩) | |||||||||
| 面白いので紹介した。 | |||||||||
| 32 | 高村光太郎 | 「潮吹く鯨」 高村光太郎 | |||||||
| 潮吹く鯨 | |||||||||
| 詩 | 金華山沖の黒潮に五月が来て | ||||||||
| 海は急に大きくなり | |||||||||
| 青セロファンのテントの様に明るくなった。 | |||||||||
| きらびやかに流れる波は真昼の日に瞬き | |||||||||
| 進路は陸地にいささか寄った。 | |||||||||
| 一度潮を吹いた抹香鯨は又深くもぐり | |||||||||
| 巨大な頭の重量を水にのせかけ、 | |||||||||
| 塩の濃いなめらかな此の暖流のうれしさに | |||||||||
| 今は心を放って限りなき思いに耽つた。 | |||||||||
| イルカでもなくシヤチでもなく | |||||||||
| 抹香鯨で自分があるのを | |||||||||
| 世にも仕合せだと鯨は思ふ。 | |||||||||
| ああ現在は争いがたい。 | |||||||||
| 現在以外は鯨は見ない。 | |||||||||
| 現在の頂点をつねに味わい、 | |||||||||
| 鯨は仮定に触れず形而上に参入しない。 | |||||||||
| うつうつとねむるのに似た思いに鯨は酔い、 | |||||||||
| 未知の陸地の近よるけはひを、 | |||||||||
| 半ばおそれ半ばよろこび、 | |||||||||
| もう一度高く浮いて五月の空へ | |||||||||
| 息一ぱいの潮を虹と吹いた。 | |||||||||
| 牡鹿半島の鮎川港に鳴る汽笛を | |||||||||
| この膨大な楽天家は夢にも知らない。 | |||||||||
| (資料:Flippers) | |||||||||
| 高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年(明治16年)3月13日 - 1956年 | |||||||||
| (昭和31年)4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。 | |||||||||
| 東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現在の東京都台東区東上野一丁目)出身。 | |||||||||
| 本名は光太郎と書いて「みつたろう」と読む。(資料wikpedia) | |||||||||
| https://ameblo.jp/syunrei-goto/entry-11934398381.html | |||||||||
| 33 | 荒川法勝 | 「鯨はどこから〜その名竜涎香〜」 荒川法勝 | |||||||
| 鯨はどこ | |||||||||
| 詩 | 病みつかれたクジラのみが | ||||||||
| かぐわしい香を放す | |||||||||
| 信じられない世界に | |||||||||
| このかおりはなんだろう | |||||||||
| くずれおちた | |||||||||
| けがれた肉体をもつ悪霊のみが | |||||||||
| 一種いい難い神秘を伝えることができる | |||||||||
| 巨鯨の腐燗した内臓の | |||||||||
| ちぎれた腸から | |||||||||
| どうしてあの純粋な結晶が生まれのか? | |||||||||
| <りゅうぜんこう> | |||||||||
| あのかぐわしい雰囲気は | |||||||||
| どこからくるのであろう | |||||||||
| 病みつかれた鯨のみが | |||||||||
| そのことを知っている | |||||||||
| どうしてあんなうなり声を出すのか | |||||||||
| あくと油でどろどろと | |||||||||
| 悪臭をはなす | |||||||||
| 世紀の海から | |||||||||
| 苦痛のうねりの波が | |||||||||
| 昂奮してさか巻き | |||||||||
| 百の太陽が焼きつくされ | |||||||||
| 海はもえるように疼く | |||||||||
| うずいた鯨の体は膨れあがり | |||||||||
| 肉体はささった千の銛から | |||||||||
| 皮膚は破れ | |||||||||
| 黒ずんだ血が流れ | |||||||||
| 海という海に広がっていく | |||||||||
| そのとき すべての海という海が | |||||||||
| 香料の液体となり | |||||||||
| 花々のにおいのように | |||||||||
| 太古の神話の光彩をあつめ | |||||||||
| いちめんの香りを | |||||||||
| はなつことだろう | |||||||||
| 龍涎香(りゅうぜんこう)あるいはアンバーグリス(英: Ambergris)は、 | |||||||||
| マッコウクジラの腸内に発生する結石であり、香料の一種である。高価であった。 | |||||||||
| 龍涎香という呼び名は 良い香りと他の自然物には無い色と形から『龍のよだれが | |||||||||
| 固まったもの』であると中国で考えられたためである。現在は合成して作られる。 | |||||||||
| (資料:Flippers) | |||||||||
| 荒川 法勝(あらかわ のりかつ/ほうしょう、1921年9月7日-1998年5月6日)は、 | |||||||||
| 作家・詩人、文芸評論家。 | |||||||||
| 岩手県下閉伊郡崎山村(現・宮古市)出身。慶応義塾大学文学部哲学科卒。 | |||||||||
| (資料wikpedia) | |||||||||
| 34 | 北原白秋 | 「唐津小唄」 玄界灘の一部、多くの島があり好漁場であった。現在イカが有名 | |||||||
| 唐津小唄 | |||||||||
| 小唄 | お鼻高島、姫島にくや、ホノトネ、 | ||||||||
| どうせ手管にゃ加唐島。 | |||||||||
| 「唐津、唐船、とんとの昔、 | |||||||||
| 今はおいさの山ばやし。 | |||||||||
| チャントナ、チャントナ。」 | |||||||||
| * | |||||||||
| さかな鳥島、また加唐島、ホノトネ、 | |||||||||
| 今日もひぼしか、烏帽子島。 | |||||||||
| 「唐津、唐船、とんとの昔、 | |||||||||
| 今はおいさの山ばやし。 | |||||||||
| チャントナ、チャントナ。」 | |||||||||
| * | |||||||||
| 鯨潮ふく、舟子は勇む、ホノトネ、 | |||||||||
| 冬は荒海、神集島。 | |||||||||
| 「唐津、唐船、とんとの昔、 | |||||||||
| 今はおいさの山ばやし。 | |||||||||
| チャントナ、チャントナ。」 | |||||||||
| * | |||||||||
| 片手漕ぎ漕ぎ、日傘をさして、ホノトネ、 | |||||||||
| いつまた逢ふやら殿の浦。 | |||||||||
| 「唐津、唐船、とんとの昔、 | |||||||||
| 今はおいさの山ばやし。 | |||||||||
| チャントナ、チャントナ。」 | |||||||||
| * | |||||||||
| 恋し夫恋ひ、佐用姫さまよ、ホノトネ、 | |||||||||
| なんのわたしも望夫石。 | |||||||||
| 「唐津、唐船、とんとの昔、 | |||||||||
| 今はおいさの山ばやし。 | |||||||||
| チャントナ、チャントナ。」 | |||||||||
| * | |||||||||
| 肌はけいらん、にほひはおこし、ホノトネ、 | |||||||||
| 宵は呼子の松浦漬。 | |||||||||
| 「唐津、唐船、とんとの昔、 | |||||||||
| 今はおいさの山ばやし。 | |||||||||
| チャントナ、チャントナ。」 | |||||||||
| * | |||||||||
| (大部分省略した) | |||||||||
| 松浦漬(まつうらづけ)は、佐賀県の郷土料理である。 | |||||||||
| 鯨の上顎付近の軟骨であるかぶら骨を刻み、水にさらして脂を抜いたのちに | |||||||||
| 酒粕に漬けた、唐津市呼子名産の珍味。有限会社松浦漬本舗で製造されており、 | |||||||||
| 同社サイトによると、平凡社の百科事典作成の際に日本珍味五種の一つとして | |||||||||
| 挙げられたという。 | |||||||||
| 場所は佐賀県唐津市、江戸・明治・大正・昭和まで捕鯨が行われていた。 | |||||||||
| 呼子・小川島の古式捕鯨が有名である。 | |||||||||
| 松浦漬は鯨の上顎の軟骨で作られ酒の粕につけ美味絶品である。玄海漬もある。 | |||||||||
| 北原 白秋(きたはら はくしゅう、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年) | |||||||||
| 11月2日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉( りゅうきち)。 | |||||||||
| 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」・「ちゃっきり節」等)の分野でも傑作 | |||||||||
| を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、 | |||||||||
| 活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を | |||||||||
| 代表する詩人である。(資料wikpedia) | |||||||||
| 35 | 北原白秋 | 「松浦潟 新曲」 | |||||||
| 松浦潟 新曲 | |||||||||
| 詩 | 一、 松浦潟、誰を待つ身か、忍ぶ身か、 | ||||||||
| 何に領巾(ひれ)ふる、佐用姫か、 | |||||||||
| わたしゃチラリと一と目でも、 | |||||||||
| 虹の松原、たよたよと、 | |||||||||
| エエコノ、わたした橋ぢやえ。 | |||||||||
| 二、 舞鶴の、羽に身を借る、夏の空、 | |||||||||
| 雲の浮岳(うきだけ)、松浦川、 | |||||||||
| わたしゃチラリと一と目でも、 | |||||||||
| 波の高島、末かけて、 | |||||||||
| エエコノ、涼しい晴ぢやえ。 | |||||||||
| 三、 玄海の、島は烏帽子(ゑぼし)に、沖の島、 | |||||||||
| 鯨潮ふく、小川島、 | |||||||||
| わたしゃチラリと一と目でも、 | |||||||||
| せめて姫島、小呂(をろ)の島、 | |||||||||
| エエコノ、夜あけの霧ぢやえ。 | |||||||||
| 四、 七つ釜、岩は六角、玄武岩(いは)、 | |||||||||
| 右は立神、潮の花、 | |||||||||
| わたしゃチラリと一と目でも、 | |||||||||
| 股でのぞいてはらはらと、 | |||||||||
| エエコノ、呼子の沖ぢやえ。 | |||||||||
| 五、 つはものの、夢も名護屋の、麦の秋、 | |||||||||
| 帆かけた船か、遠凪(とほなぎ)か、 | |||||||||
| わたしゃチラリと一と目でも、 | |||||||||
| 兎(と)にも、松風、さわさわと、 | |||||||||
| エエコノ、鳴らした城ぢやえ。 (昭和5年5月) | |||||||||
| 松浦佐用姫(まつらさよひめ)は、現在の唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘。 | |||||||||
| 単に佐用姫(さよひめ)とも呼ばれる。弁財天のモデルであり、日本全国にある | |||||||||
| 同様な伝説の本家である。佐用姫伝説もある。 | |||||||||
| 537年、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と佐用姫は恋仲となったが、 | |||||||||
| ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を | |||||||||
| 振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、 | |||||||||
| 加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった、という言い伝えがある。 | |||||||||
| 『万葉集』には、この伝説に因んで詠まれた山上憶良の和歌が収録されている。 | |||||||||
| (資料:ウィキペディア(Wikipedia)) | |||||||||
| http://www.yoyokaku.com/hakushuu.htm | |||||||||
| 唐津の名所が謡いこまれています。 | |||||||||
| 上記の唐津小唄の場所を含めた古式捕鯨である。 | |||||||||
| 36 | 佐藤 妙 | 「呼子音頭」 作詞:佐藤 妙 | |||||||
| 唄 | |||||||||
| 島はエー | |||||||||
| 島は鷹島 島は鷹島 加部島 小川島 | |||||||||
| 鯨汐ふく 鯨汐吹く 松浦潟。 | |||||||||
| (資料:西海の鯨唄:野本政宏著) | |||||||||
| 詳細は不明 | |||||||||
| 37 | 和歌 | 光神鳴りはためける海の面に鯨の立てし汐煙かも 和田厳足 | |||||||
| 短歌 | 松浦潟かよふ鯨のあと見れば天路にけぶる八重の汐風 上田秋成 | ||||||||
| しおけたつなだの荒波さぐくみてくじら行く見ゆ真熊野のうみ 海上胤平 | |||||||||
| 瀬戸小舟鼓ならしてさわぐなりくぢら入りけむ天のはしだて 池袋清風 | |||||||||
| 大海は広くしありけりむれ鯨潮高吹きゆたに遊べリ 足槫千亦 | |||||||||
| 打ちむれて遊ぶを見れば荒海に住む鯨すら心ありけり 森 鴎外 | |||||||||
| 海原を鼎 かなえ と湧かしすく立ちて 雌雄抱きあう大鯨かな 森 鴎外 | |||||||||
| 朝凪の春日うららに汐吹かぬ鯨浮べり眠るにやあらん 森 鴎外 | |||||||||
| 乗り越えむ躍り越えむのあらそいに海豚海豚の背と脊打つとも 尾上紫舟 | |||||||||
| 海豚の腹白くかがよひ沈みゆく海の底ひを見てゐたりけり 足槫千亦 | |||||||||
| 我が船の辺津浪くぐる海豚の腹波を透けては青く光るも 川田 順 | |||||||||
| (以上資料:Flippers) | |||||||||
| 38 | 俳句 | 鯨よる浜とよ人もただならず 紅葉 | |||||||
| 浦人や鯨の油幾日汲む 碧梧桐 | |||||||||
| 鯨の血流れて砂に溜りけり 月二郎 | |||||||||
| 人垣の隙に見えゐる鯨かな 青眼子 | |||||||||
| 田の畔を人の見にゆく鯨かな 里石 | |||||||||
| 鯨着きし笛鳴りひびき雪の山 圭史 | |||||||||
| 銀漢(天の川)の尾をふりかぶり鯨割く 南極 | |||||||||
| なつかしや山人の目に鯨売 石鼎 | |||||||||
| 雪の上に鯨を売りて生きのこる 楸邨 | |||||||||
| 捕鯨船嗄れたる汽笛をならしける 誓子 | |||||||||
| 勇魚とる船見送りのテープこれ 青邨 | |||||||||
| 剥げてゐる沖の汽船は捕鯨船 京童 | |||||||||
| くぢら船見送ってゐる娼婦かな 波川 | |||||||||
| 彼去って又捕鯨談聞き難き 石南 | |||||||||
| 高浪のかげをゆくなり捕鯨船 真琴 | |||||||||
| 沈む日に汐吹きかくる鯨かな 谺 | |||||||||
| (上記資料:くじら百話 中原雅夫著) | |||||||||
| 暁や鯨の吠える霜の海 暁臺 | |||||||||
| 船日記鯨を見ると記しけり 稲青 | |||||||||
| 暮れんとす沖に鯨を見つけたり 月人 | |||||||||
| 貝殻をつける鯨の尾鰭かな 里石 | |||||||||
| 海原は鯨にはづむ霰かな 巳琴 | |||||||||
| 十六夜や鯨来そめし熊野灘 蕪村 | |||||||||
| 既に得し鯨は逃げて月ひとつ 蕪村 | |||||||||
| (以上資料:Flippers) | |||||||||
| 青東風や海豚のあそぶ沖の礁 蝶衣 | |||||||||
| 眼を細め海女に甘ゆる海豚かな 黄鶴亭 | |||||||||
| 海豚群夕日さすらう川奈村 十四男 | |||||||||
| (以上資料:Flippers) | |||||||||
| 39 | 俳句 | ||||||||
| 山おろし一二のもりの幟かな 蕪村 | |||||||||
| 突きとめた鯨や眠る峰の月 蕪村 | |||||||||
| 手取にやせんとのり出すくじら舟 蕪村 | |||||||||
| 菜の花や鯨も寄らず海暮れぬ 蕪村 | |||||||||
| 弥陀仏や鯨よる浦に立玉ふ 蕪村 | |||||||||
| (上記資料:鯨イルカ雑学ノート 鯨者連編著) | |||||||||
| 海原は鯨にはづむ霰かな 巴琴 | |||||||||
| 鯨売市に刀を鼓(なら)しけり 蕪村 | |||||||||
| 鯨とれて茶にも酒にも油哉 之房 | |||||||||
| をのをのと喰過がほや鯨汁 几菫 | |||||||||
| 船繫ぐ裏門高しはつ鯨 野坡 | |||||||||
| 鯨舟新島守を慰めつ 召波 | |||||||||
| (上記資料:くじら百話 中原雅夫著) | |||||||||
| 江戸期 | |||||||||
| うどん屋のばゝあ鯨の話する | |||||||||
| さいはてで呼び返さるゝ鯨売り | |||||||||
| くじら汁喰い喰い下せはくやしがり | |||||||||
| 明治以降 | |||||||||
| 熊野灘鯨のみえる母の背(せな) 岸本水府 | |||||||||
| ウシ喰った口でクジラを可愛がり 坂本ゆたか | |||||||||
| (上記資料:西海の鯨唄 野本政宏) | |||||||||
| 百隻の舟にとりまく鯨哉 正岡子規 | |||||||||
| お長屋の老人会や鯨汁 正岡子規 | |||||||||
| 解纜や亜庭の鯨浮き出でぬ 山口誓子 | |||||||||
| 南極地より捕鯨船剥げて突く 山口誓子 | |||||||||
| 煙吐きみずからかくる捕鯨船 山口青邨 | |||||||||
| 捕鯨船かなしき別れ妹を抱き 山口青邨 | |||||||||
| 絵のごとき捕鯨船団いま送る 山口青邨 | |||||||||
| 勇魚とる船見送りのテープこれ 山口青邨 | |||||||||
| 鯨割く夕空赤く血にただれ 南極 | |||||||||
| 潮吹きて鯨大きく沈みけり 夜畔 | |||||||||
| 鯨軆の処理航跡を血に染めて 美泉 | |||||||||
| 打ち果たす構え薙刀に鯨剥ぐ 秋蘿 | |||||||||
| 銛綱の一瞬たゆみ鯨仕止む 款冬 | |||||||||
| あの巨躯に凡そ可愛ゆき鯨の目 忍冬 | |||||||||
| 乳房追う仔鯨のありいとほしむ 木星 | |||||||||
| 捕鯨図の涛にきらきら紙魚走る 新宮市 尾崎普巳 | |||||||||
| 辣韮咲いて鯨来る海きらきらす 高知県 甲藤卓雄 | |||||||||
| 水菜煮て鯨の海を思ひおり 橿原市 塩谷 俊三 | |||||||||
| (上記資料:鯨イルカ雑学ノート 鯨者連編著) | |||||||||
| 40 | 大滝詔子歌集 | (イルカ) | |||||||
| 短歌 | 水槽に閉ぢ込められ居るイルカらを笑顔に見てゐる人間吾も | ||||||||
| 囚はれの身にありながら笑みてゐるやうな顔付きイルカと目の合ふ | |||||||||
| 目の前に泳ぎ来りて胸内を見透かしたるかイルカの一瞥 | |||||||||
| 微笑める如くに見ゆる顔なるも笑つてをらぬイルカの眼 | |||||||||
| 宙に弧を描きてイルカの潜りゆく先に広がる海原は無し | |||||||||
| 海原を全速力に泳ぎゐし頃をイルカは覚えをるやも | |||||||||
| やるせなき思ひは募る軍用に兵器としてのイルカもあると | |||||||||
| (鯨) | |||||||||
| 海面に頭を突き出してこの鯨眼は確とカメラ見てゐる | |||||||||
| 驚きと哀しみ胸に人々は浜に死にたる鯨を囲む | |||||||||
| 息をせぬ鯨の上に数本の白き小花の供へてありぬ | |||||||||
| 神妙な顔に子供ら近寄りて鯨の死骸にそつと触れをり | |||||||||
| ナイロンの魚網の口に絡まりて鯨は捕食できずにゐたると | |||||||||
| 三・一一の漂流瓦礫かもしれず鯨に絡まりゐたる魚網は | |||||||||
| 嬉しくてたまらないよといふやうに鯨はジャンプす大海原に | |||||||||
| ヤッホーと叫びをるやも大鯨力の限りジャンプをしつつ | |||||||||
| ジャンプする鯨を嬉しがつてると見るは人間側の勝手か | |||||||||
| (資料:大滝詔子 短歌とコラム 怯むことなく) | |||||||||