クジラと捕鯨と漂流者
§1.鯨・ハワイ・アメリカ捕鯨船・鎖国・漂流ヒョウリュウ・文化交流
 キタ太平洋タイヘイヨウウカ日本ニッポンウミカコまれ、運搬ウンパンセン廻船カイセンキタマエセン)や漁船ギョセンオオ使ツカわれていた。鎖国サコク江戸エド時代ジダイオオきいフネ建造ケンゾウ規制キセイされツク
なかった。動力ドウリョクもなく風力フウリョク利用リヨウ帆船ハンセンであった
トク冬季トウキウミ小型船コガタセン遭難ソウナンすることがオオく、ツヨ海流カイリュウ反流ハンリュウもあり、陸地リクチからギャク方向ホウコウナガされて長期チョウキにわたり漂流ヒョウリュウすることがオオかった。
 漂流ヒョウリュウしてサイワいにシマ陸地リクチナガいたフネもあったが大半タイハンフネ行方ユクエ不明フメイとなりウミ藻屑モクズとなりワスられていった。しかし欧米オウベイ商船ショウセン
捕鯨船が日本ニッポン近海キンカイ来航ライコウし、ゲンザイ中国チュウゴク)との交易コウエキがあったアメリカの商船ショウセン航海中コウカイチュウ日本ニッポン漂流ヒョウリュウセン遭遇ソウグウすることがえていった。
サラ日本ニッポン近海キンカイウミクジラ資源シゲン豊富ホウフでこの情報ジョウホウ商船ショウセンからアメリカ本土ホンドツタわるとアメリカの捕鯨ホゲイ基地キチ大西洋タイセイヨウガワのナンタケットトウやニュー
ベッドフォード、フェアフェブンからスウ百隻ヒャクセキ捕鯨船ホゲイセン太平洋タイヘイヨウ来航ライコウしジャパングラウンドとばれるコウ漁場ギョジョウとなった。ハワイは中継チュウケイ基地キチとなった
が小笠原諸島や琉球で薪や食料を補給する船もあった。
 ジャパングラウンドにオオくの欧米オウベイ捕鯨船ホゲイセン日本ニッポン漂流ヒョウリュウシャ遭遇ソウグウしている。捕鯨船ホゲイセンカズえるのと比例ヒレイして漂流ヒョウリュウシャ機会キカイえて
救助キュウジョされた日本人ニッポンジンえこれらの記録キロクオオくなった。
 鎖国サコクチュウ日本ニッポンは、外国船ガイコクセン救助キュウジョされた漂流ヒョウリュウシャれてきても簡単カンタンってくれず、ハラうことに専念センネンしていた。黒船クロフネ来航ライコウ外国ガイコク
要求で食料・薪ミズアタ漂流ヒョウリュウシャることになっていったがナガ年月ネンゲツヨウしている。
 捕鯨船ホゲイセン救助キュウジョされた日本人ニッポンジンはサンドイッチ諸島ショトウ(ハワイ諸島ショトウ)につれていかれ日本ニッポンへの帰還キカンつことになった。鎖国サコクでもとの交易コウエキはして
いたのでへつれていかれるヒトもいた。ハワイとの関連カンレンはこの当時トウジから濃厚ノウコウになり現在ゲンザイツヅいている。
 救助キュウジョ捕鯨船ホゲイセンでは漂流ヒョウリュウシャ捕鯨ホゲイ手伝テツダいをしたり、サイ乗船ジョウセンしたり、ハワイで待機中タイキチュウ仕事シゴト大工ダイク・サトウキビハタケ)をしたり、数人スウニンはアメリカ本土ホンド
に行って教育を受け、英語を覚え通訳になったヒトもいる。
 捕鯨船に乗船して一等航海士になったジョン万次郎が特に有名である。ジョン万次郎は金鉱キンコウハタラ日本ニッポンカエ資金シキンめていた。
若くて前向きな人たちが外国語を早く覚え文化を吸収し日本と外国との文化ブンカ交流コウリュウ橋渡ハシワタしをしたことになる。
 長者チョウジャマル次郎ジロウキチ廻船カイセンキタマエセン)にって日本ニッポン各地カクチををマワっていたので日本ニッポン経済ケイザイ国内コクナイ情報ジョウホウクワしく貴重キチョウ情報ジョウホウ外国ガイコク牧師ボクシハナして
ハワイで話題にもなった。金銀キンギン換算カンザンでも日本ニッポンけばオオきいビジネスチャンスをツカめるとのオモいが開国カイコクハヤめたのかもからない。
 太平洋タイヘイヨウの鯨から捕鯨船がかかわり、捕鯨船ホゲイセン補給ホキュウ基地キチ避難ヒナンコウ必要性ヒツヨウセイから黒船来航となり日本も開国に向かったが、門戸開放、世界への
日本の前進、明治へのスタートにつながっていった。
§2.漂流ヒョウリュウ記録キロク
1.漂流経験をした人は外国の文化を吸収して日本に伝え、日本の文化や情報をアメリカにも伝えている。ジョン万次郎・次郎吉・彦蔵(ジョセフ・ヒコ)
  の3人が目立つ存在である
2.長者丸の次郎吉はイマでは「日本人初の親善大使」とも呼ばれるようになった。土佐のジョン万次郎は「日本で初めて米国の教育機関で学んだ人、
  東大教授」,永力丸のジョセフ・ヒコは「アメリカの市民権を得た人物、通訳」とも言われている。
  長者チョウジャマル次郎ジロウキチから日本ニッポン情報ジョウホウたハワイの牧師ボクシ新聞シンブンにもき、オオくの外国ガイコクジン参考サンコウにしたようで日本ニッポンカイコクにも影響エイキョウしたとられている。
  数字スウジクライ(10シンホウ)、ギンキン交換コウカン比率ヒリツ日本ニッポン経済ケイザイ事情ジジョウトウ外国ガイコクることになった。日本ニッポンへの感心カンシンタカまり日本ニッポンモウけようというモノえた。
3.記録されている漂流者は下記カキ年表ネンピョウのごとくである。年表ネンピョウ以外にもっと多くの遭難や漂流があったと思われる。
4.アメリカの船舶に救助されたヒトが多い。特にアメリカの捕鯨船に助けられ捕鯨を手伝ったり、鯨肉を食べたり、当時の先端技術を見て漂流者は驚
  愕そのものであった。長崎ナガサキには異人イジンはいたが知識チシキがない時代ジダイ漂流ヒョウリュウシャハジめて外国ガイコクジン皮膚ヒフイロ身長シンチョウモノ衣服イフク黒船クロフネなどなどオドロき・オソ
    れが大きかったであろう。 
  アメリカの捕鯨船ホゲイセン大西洋タイセイヨウクジラくし、太平洋タイヘイヨウクジラオオいという商船ショウセン情報ジョウホウ太平洋タイヘイヨウ進出シンシュツし、ジャパングラウンドとばれるコウ漁場ギョジョウ発見ハッケン
  した。このためオオくの世界セカイ捕鯨船ホゲイセン太平洋タイヘイヨウて、またたくクジラ資源シゲンらした。
  キタ太平洋、オホーツク、アリュウシャン、北極ホッキョクカイの鯨資源をも枯渇させ、日本沿岸の鯨組の不漁の原因となった、江戸・明治期の古式コシキ沿岸捕鯨は
  終焉を迎えた。多くのこれらの外国船ガイコクセン日本ニッポン漂流ヒョウリュウシャ発見ハッケン救助キュウジョ日本ニッポンオクトドけた。
5.江戸時代、救助した日本の漂流者を外国船が日本に連れてきても、日本の鎖国で入国できず、断腸の思い、失望シツボウカンなどそのカナしみはいかば
  かりであったか。
  日本に帰国した人も長期の過酷な取調べを受け、外国で見た情報も話すことを禁じられ、幽閉の身、その消息ショウソクなど資料シリョウホトンられない。
6.漂流者が、自殺した記録キロク数例スウレイある。漂流中、或は外国で、また帰国後に自殺をしている。飢え・水不足・責任感・過酷な取調べなどが考えられる。
  漂流中の恐怖シンや、救助された後の外国船での恐怖感、文化習慣の違い、帰国できない失望などストレスがすごかったと推察できる。
7.帰国キコクまでのアイダ漂流ヒョウリュウシャタイする外国船ガイコクセン外国ガイコクジン人間ニンゲンアイ親切シンセツシンられる。ヒド仕打シウちをした外国ガイコクセンもあったが、海難カイナン事故ジコタイする救助キュウジョ活動カツドウ
    などは昔も今も変らない。
  外国ガイコク植民地化ショクミンチカ政策セイサク開国カイコクモトめる外国ガイコク魂胆コンタン捕鯨船ホゲイセン避難ヒナン補給地ホキュウチ確保カクホなどが漂流ヒョウリュウシャ帰還キカンにも影響エイキョウし、漂流ヒョウリュウシャ開国カイコク取引トリヒキにも利用され
  た。
8.外国ガイコクナガき、「奴隷ドレイ」にされた2レイがある。漂流ヒョウリュウからサラ奴隷ドレイ経験ケイケンし、日本ニッポンへの帰国キコクというヨロコびはいかばかりかとオモわれる。
9.外国で文化ブンカ、風習の違い、改宗カイシュウ、男女関係、結婚した人、遊女ユウジョインバイなどについても記述されている。
  各地カクチ移動イドウチュウ話題ワダイとして、外国の女セイが日本人の性器を見て小さいと笑ったというハナシ、日本の猥褻画を外国人が欲しがった話も記録キロクされている。
  シトカで現地ゲンチジンサカをすべるユキアソびをし女性ジョセイ着物キモノがはだけシリしたり、性器セイキえたりしたことがかれている。
チュウ1)センメイカタカタ人名ジンメイカタカタ国名コクメイ地域チイキメイ発生ハッセイ年月日ネンガッピ救助キュウジョトウ相違ソウイがみられる。
  
§3.日本人漂流者救助年表
船名センメイ 漂流ヒョウリュウ期日キジツ   ヒト 救助キュウジョされた 救助キュウジョセン国名コクメイ場所バショ 救助キュウジョ船名センメイ/船長センチョウメイ 上陸ジョウリク移動イドウ帰国キコク
イナワカマル 1806ネン2ガツ 漂流ヒョウリュウ 8 1806ネン5ガツ8 アメリカショウセン テイバーゴウ ハワイ(8ニン⇒マカオ⇒バタビア⇒長崎ナガサキ(2ニン)⇒故郷コキョウ(1ニン  
        コーネリウス・ソール 帰路マラリア、病気で死亡。長崎で1人自殺。  
          ※最初にハワイへ行った日本人。  
                         
トクジョウマル 1813ネン 漂流ヒョウリュウ 2 1815ネン3ガツ24 イギリス商船ショウセン フォーレスターゴウ バハ・カルフォルニア⇒アラスカ⇒カムチャッカ⇒日本ニッポン  
  小栗重吉     ウィリアム・ピゴット 『船長(ふなおさにっき)日記』  
          『ヲロシヤノ言』 (日本最初のロシア語辞典)   
          ※史上最も長期にわたって漂流した人物(1ネン5ヶゲツ漂流ヒョウリュウ  
                                           
※○□× 1824ネン 漂流ヒョウリュウ 9 1824ネン アメリカ捕鯨船ホゲイセン オーロラゴウAurora 江戸エドワン沖合オキアイ日本ニッポン漁船ギョセンワタした。    
      (ナンタケット) コフィン 途中マッコウクジラを2頭捕獲した。この肉を漂流ヒョウリュウシャに酢を掛けて  
          食べさせた。漂流者は貪る様に食べていたという。  
                           
越後エチゴフネ 1832ネン12ガツ 漂着ヒョウチャク 4 ハワイに漂着ヒョウチャク   ハワイ⇒カムチャッカ⇒オホーツク⇒択捉エトロフトウ経由ケイユ日本ニッポン  
                         
タカラジュンマル 1832ネン10ガツ 漂着ヒョウチャク 3 1833ネン12ガツ ワシントンシュウ   マカオ⇒モリソンゴウ⇒(日本ニッポン)⇒カエされ上陸ジョウリクできなかった。  
  岩吉イワキチ久吉キュウキチ音吉オトキチ   フラットリー岬   マカー・インディアンの奴隷になっているところを  
          ハドソン・ベイ・カンパニーに救助される  
          ※音吉、嘉永2年(1849) イギリス軍艦で来日(浦賀)  
          ※音吉、嘉永7年(1854) 長崎での日英交渉に通訳として来日  
                         
肥後ヒゴフネ 1835ネン12ガツ 漂着ヒョウチャク 1   ヒィリピンに漂着ヒョウチャク   マニラ⇒マカオ⇒モリソンゴウ⇒(日本ニッポン)⇒大砲タイホウ追返オイカエされる  
  船長センチョウ庄蔵ショウゾウ          
長者チョウジャマル 1839ネン1ガツ 漂流ヒョウリュウ 7   アメリカ捕鯨船ホゲイセン ジェームス・ローパーゴウ ハワイ⇒カムチャッカ⇒オホーツク⇒アラスカ⇒択捉エトロフチャク日本ニッポン(6ニン
キタマエセン 船頭センドウ平四郎ヘイシロウ     (ナンタケット) オービット・キャスカート 船名センメイゼンロッパゴウともす)ナンタケット船籍センセキ  
  ※次郎吉の資料シリョウ     James Loper 漂流ヒョウリュウシャ捕鯨ホゲイ手伝テツダいをしながら乗船ジョウセンしていた。  
  が有名       長者チョウジャマル日米ニチベイ色々イロイロ資料シリョウノコされて漂流ヒョウリュウ物語モノガタリツクられた。  
          「漂流人次郎吉物語」「蕃談(ばんだん)」  
          「時規(とけい)物語」(時計物語)  
          井伏鱒二の小説「漂民宇三郎」がある。  
          資料:「時規物語」 遠藤高m・「蕃談」 古賀謹一郎  
                         
日本人ニッポンジン 1840ネン6ガツ 漂流ヒョウリュウ 3   アメリカショウセン アージャイルゴウ シナ⇒行方ユクエ不明フメイ        
            F・ゴッドマン            
土佐トサ漁船ギョセン 1841ネン1ガツ 漂流ヒョウリュウ 5 1841ネン6ガツ27ニチ アメリカ捕鯨船ホゲイセン ジョーン・ホーランドゴウ ハワイ⇒フェアーヘーブン⇒アメリカ捕鯨船ホゲイセンハワイ沖縄オキナワ日本ニッポン
  筆之丞・万次郎   (フェアーヘーブン) ホイットフィールド ※ジョン万次郎はフェアーヘーブンで教育を受けた。  
  ・重助・寅右衛   鳥島で救助   帰国後日本捕鯨の推進を図るも時代遅れのアメリカ式であった。  
   ・五右衛門       (船名ハヲラン号の記述もある)ニューベットフォード船籍  
             
              資料:東洋漂客談奇 吉田正誉      
永住エイジュウマル  1841ネン11ガツ 漂流ヒョウリュウ 13   スペインセン エンサヨゴウ バハ・カリフォルニアのサン・ルーカスミサキ⇒サン・ホゼ    
  兵庫ヒョウゴ 船頭善助と初太郎       船頭センドウ善助ゼンスケ初太郎ハツタロウはアメリカセンアビゲイル・スミスゴウ船長センチョウドエイン)  
エイ寿コトブキマル 多吉・弥一郎       ⇒マザトラン⇒マカオ⇒長崎ナガサキ  
  ・伊之助       多吉タキチ弥一郎ヤイチロウ伊之助イノスケの3ニンはアメリカセンセントルイスゴウ  
          の1ニンはスペインセンでシナにオクられる⇒シナ⇒長崎ナガサキ  
          ※「エイ寿ジュマル」との記述キジュツもある。  
          資料:東航紀聞 岩崎俊章  
                         
聖徳セイトクマル 1842ネン 漂流ヒョウリュウ 2   フランシスゴウ ホノルル⇒ハウエルゴウ船長センチョウイングル)⇒マカオ⇒長崎ナガサキ  
  ヘイ惣七ソウシチ     ハッセイ 上記ジョウキの永寿丸の初太郎ハツタロウとサミュエル・ウェルス・ウィリアムスのイエ  
          出遭う。弥佐平は永寿丸の初太郎長崎ナガサキカエ  
                         
サチタカラマル 1845ネン2ガツ 漂流ヒョウリュウ 11 鳥島に漂着 アメリカ捕鯨船ホゲイセン マンハッタンゴウ ウラ 途中トチュウ仙寿丸も救助キュウジョし2セキヒトたちを日本ニッポンカエした。
          マーケター・クーパー   (1845ネン3ガツ15ニチ記述キジュツもある)  
セン寿ジュマル 1845ネン2ガツ9 漂流ヒョウリュウ 11 幸宝丸救助キュウジョ アメリカ捕鯨船ホゲイセン マンハッタンゴウ ウラ (2セキ22ニン帰国キコクした)  
 (千寿丸)       の翌日救助キュウジョ   マーケター・クーパー ※「千寿丸」の記述もある。  
        される                
日本人ニッポンジン 1847ネン5ガツ 漂流ヒョウリュウ 4   アメリカ捕鯨船ホゲイセン フランシス ・ヘンリッタ号 1ヵ月後ゲツゴ海上カイジョウ日本ニッポン漁船ギョセンワタした    
            プール            
日本人ニッポンジン 1848ネン 漂流ヒョウリュウ 15 アメリカ捕鯨船ホゲイセン ハワイ・ラハイナ上陸ジョウリクさせた  
            コックス            
日本人ニッポンジン 1849ネン1ガツ 漂流ヒョウリュウ 4 アメリカ捕鯨船ホゲイセン   2ニン朝鮮チョウセンカマヤマウラ護送ゴソウした。この情報ジョウホウ対馬ツシマ府中フチュウ藩主ハンシュ対馬ツシマカミ  
          が幕府に連絡し2人を長崎に送らせた  
                         
テン寿ジュマル 1850ネン2ガツ 漂流ヒョウリュウ 13 1850ネン4ツキ22 アメリカ捕鯨船ホゲイセン ヘンリー カムチャッカで2ニンをヘンリー・ニーランドゴウノコしカムチャッカ⇒  
 紀州キシュウタカ       ・ニーランドゴウ ⇒2人アメリカ捕鯨船ニムロット号
 
        G・H・クラーク ⇒2人アメリカ捕鯨船マレンゴ号  
          ⇒3セキホノルル香港ホンコン上海シャンハイ長崎ナガサキ  
          カムチャッカ残留ザンリュウの7ニン⇒ロシアセンメンチコフゴウ  
          (リンデンバーグ船長)⇒シトカ⇒(下田)  
          役人ヤクニンれず⇒5下田シモダチカくに上陸ジョウリクさせシナにかった  
                         
エイチカラマル 1850ネン12ガツ 漂流ヒョウリュウ 17 1851ネン1ガツ22ニチ アメリカ商船ショウセン オークランドゴウ ⇒サンフランシスコ⇒シナ⇒仙太郎センタロウはペリー艦隊カンタイ横浜ヨコハマるも  
エイリキマル 仙太郎センタロウ   日本ニッポンカイコク」に   下船せず、ノチに⇒宣教師ゴーブルと帰国  
  伝吉デンキチ   利用しオーリック   伝吉デンキチはイギリス使節シセツ帰国キコク  
  彦蔵   提督の命令で 彦蔵(ジョセフ・ヒコ)はアメリカ市民になり領事館通詞として帰国。
  (ジョセフ・ヒコ)   シナに移送した ※「栄力丸」との記述キジュツもみられる。米国市民権第1号のヒコ。  
        資料:長瀬村人漂流談 奥田昌忠・漂流記 浜田彦蔵  
                         
永久エイキュウマル 1852ネン4ガツ 漂流ヒョウリュウ 4   アメリカ捕鯨船ホゲイセン アイザック ホノルル上陸ジョウリク        
三河ミカワ渥美郡アツミグン 岩吉イワキチ善吉ゼンキチ      ・ホウランド号 岩吉イワキチ善吉ゼンキチカマヤマ対馬ツシマ長崎ナガサキ  
  作蔵サクゾウ勇次郎ユウジロウ     ウェスト 作蔵サクゾウ勇次郎ユウジロウ捕鯨ホゲイ参加サンカ⇒ニューベッドフォード⇒香港ホンコン  
          フランス捕鯨船ナポレオンデルデ号船長ローベスで  
          1855年12月12日に帰国  
                         
八幡ハチマンマル 1852ネン10ガツ 漂流ヒョウリュウ 1 アメリカ商船ショウセン   ⇒サンフランシスコ⇒その不明フメイ  
  重太郎ジュウタロウ 9ヶゲツ   マツマエオキ難破ナンパ     サンフランシスコで ヒコゾウ=ジョセフ・ヒコがジュウ太郎タロウ通訳ツウヤクをした。  
             
八幡ヤハタマル 1854ネン7ガツ   アメリカ商船ショウセン レディー・ピアースゴウ ⇒サンフランシスコ⇒下田シモダ  
  ユウスケ     所有者ショユウシャバロース 重太郎は(勇之助)か?  
                         
§4.日本人漂流・漂着年表
船名センメイ 漂流ヒョウリュウ期日キジツ   ヒト 漂着ヒョウチャク 国名コクメイ場所バショ   上陸ジョウリク移動イドウ帰国キコク
商船ショウセンタイ 1644ネンガツ 漂流ヒョウリュウ     韃靼ダッタンコク   清国シンコク北京ペキンウツり1646ネンガツ大阪オオサカいた  
 越前エチゼン 佐渡サド出港シュッコウ       シンコク   資料シリョウ越前エチゼンセン漂流ヒョウリュウ 筆者ヒッシャ不詳フショウ  
  漂流                      
廻船カイセン 1668ネン11ガツ 漂着   12月6日 バタン島漂着   1670ネンガツ九州キュウシュウ五島ゴトウ帰着キチャク  
尾張オワリ知多郡チタグン 三河ミカワコクオキ遭難ソウナン           資料シリョウシュウ大野村オオノムラフネ漂流ヒョウリュウイチケン  
                         
ハマイチ次郎ジロウ 1711ネン10ガツ     1712ネン 択捉島に漂着   蝦夷エゾジンオクられ厚岸アッケシ帰還キカンした  
右衛門船 大隅オオスミコクハマイチ           資料シリョウ択捉エトロフトウ漂流ヒョウリュウ  
  出帆漂流ヒョウリュウ                      
廻船カイセン 1719ネン 漂着ヒョウチャク 12 1720ネン 無人島に漂着   1739ネンガツ八丈島ハチジョウジマ  
 遠州エンシュウ荒井アライ 船頭センドウヘイ           資料シリョウ遠州エンシュウセン無人島ムジントウ物語モノガタリ筆者ヒッシャ不詳フショウ  
                         
ワカイチマル 1757ネンガツ上旬ジョウジュン 漂着ヒョウチャク     台湾タイワン西ニシ海岸カイガン   福州フクシュウ南京ナンキンて1759ネンガツ,長崎ナガサキ帰着キチャク  
  志摩シマコク大王ダイオウザキ       に漂着   資料シリョウ台湾タイワン漂流ヒョウリュウ 筆者ヒッシャ不詳フショウ  
  で漂流                      
伊勢イセマル 1764ネン10ガツ 漂着ヒョウチャク   1765ネン正月ショウガツ ミンダナオトウ   奴隷ドレイとして中国チュウゴクジンわれ、ボルネオを  
 筑前チクゼンコクカンハク 鹿島灘カシマナダ付近フキン       に漂着   1772ネン長崎ナガサキ  
  漂流           資料シリョウ漂流ヒョウリュウ天竺テンジク物語モノガタリ 筆者ヒッシャ不詳フショウ  
  孫太郎                      
ヒメミヤマル 1765ネン11ガツ 漂着ヒョウチャク         ミナミシナカイハイって安南アンナン:ベトナムにく、途中トチュウいの  
 常陸ヒタチコク 銚子チョウシからの帰途キト           ヒョウ民に会い1767ネンガツ南京ナンキンセン長崎ナガサキチャク  
  漂流           資料シリョウ安南アンナンコク漂流ヒョウリュウ物語モノガタリ  
                         
シンマサマル 1782ネン 漂着ヒョウチャク 17   7ヶゲツ漂流ヒョウリュウ   アムチトカ⇒カムチャッカ・ヤクーツク・イルクーツク・⇒  
伊勢イセコク 江戸エドかう途中トチュウ       アリューシャン列島レットウ   サンクトペテルブルグ⇒エカテリーナ2セイ謁見エッケン  
船頭光太夫 駿河湾スルガワン漂流ヒョウリュウ       アムチトカ島漂着   帰国キコクユルされる。  
大黒ダイコク光太夫             1792ネン根室ネムロコウ帰国キコクコウ太夫タユウイソキチイチの3ニンのみ。  
              1人ヒトリフネ死亡シボウ。11ニンはアムチトカやロシア国内コクナイ死亡シボウ  
              新蔵シンゾウヒロゾウの2メイ正教セイキョウ改宗カイシュウしイルクーツクに残留ザンリュウ  
              10年間在留  
                 
              資料:北縒聞略 桂川甫周  
              小説ショウセツ「おろしやコク酔夢スイムタン井上イノウエヤスシ1968ネンがある  
松屋マツヤシチセン 1785ネン 漂着ヒョウチャク 4   鳥島トリシマ漂着ヒョウチャク   流れ着いた薩摩船で1797年脱出  
 土佐トサコク チョウヘイ              
              資料:無人島漂流記 作者不詳      
観音カンノンマル 1841ネン 漂着ヒョウチャク     フィリピン群島グントウ   10ヶ月間の漂流。マニラ・シナをて1843ネン12ガツ  
陸奥ムツコク重吉ジュウキチセン 江戸エド回送カイソウ途中トチュウ       サマル島付近に   長崎着。  
  漂流       打ち上げられる。      
              資料:呂宗国漂流記 大槻清崇