日本沿岸における銃砲捕鯨の歴史

銃砲の種類


ポスカン銃


捕鯨銃とボンブランス(火矢)


捕鯨箭(セン)・ロケット


グリーナー砲


ノルウェー式捕鯨砲(現在)
※資料:『HARPOONS AND OTHAR WHALECRAFT』THOMAS G. LYTLE 

日本沿岸における銃砲捕鯨の歴史
年度西暦場所組・会社等内容
天保12年 1841年 鳥島 中浜万次郎 ジョン万次郎(中浜万次郎)アメリカ捕鯨船に救助される。
弘化3年 1846年 アメリカロバートアレン アメリカ人ロバートアレンがボンブランス方式を考案した。
嘉永5年 1852年 土佐 中浜万次郎 1852年11月16日ジョン万次郎は土佐中ノ浜の故郷に11年ぶりに帰り着いた。
安政4年 1857年 函館 中浜万次郎 ジョン万次郎は函館に出向いて欧米の捕鯨技術を学び「鯨漁之御用」を命じられた。
安政4年 1857年 函館 函館奉行所 函館奉行所役人がアメリカ捕鯨母工船レピット号でボンブランスを実見した。
文久3年 1863年 小笠原 中浜万次郎 万次郎は捕鯨船を傭船、船長として小笠原出漁、外国人船員を雇い2頭を捕獲。
文久3年 1863年 ノルウェー スフェント・フォイン ノルウェー式捕鯨法の完成
明治4年 1871年 北海道 山口藩 山口藩は増毛・留萌でアメリカ式捕鯨を試みた。漁民との軋轢で継続できなかった。
明治5年 1872年 平戸 植松捕鯨組橘 重彦が始めて捕鯨銃を使用したが、その後中断している。
明治6年 1873年 千葉 開洋社 藤川三渓がアメリカ人銃士を使って日本初ボンブランス捕鯨を行った。
明治7年 1874年 北海道沖 開洋社 藤川三渓の開洋社は北海道沖で洋式捕鯨を試みる。
明治7年 1874年 生月 益富組 (生月の益富組栄華を誇った捕鯨から撤退。)
明治11年 1878年 太地 鯨組 太地大セミ流れ、大勢の遭難者を出す。
明治13年 1880年 平戸 植松組 明治13年〜明治15年試験的に銃捕鯨導入した。
長崎 平戸組 長崎県の楠 成彦がアメリカ捕鯨銃を使い、初めて捕鯨を行うとの記録がある。
明治15年 1882年 平戸皿川捕鯨組小関亨が平戸皿川に捕鯨組を創設、網掛け捕鯨をしたが成績悪く捕鯨銃に変更した。
明治15年 1882年 平戸瀬戸鯨猟会社 明治15年秋以降、本格的にボンブランス導入した。
     生月 ? 当初は手持ち式捕鯨銃と共にポスカン銃を使用したが、その後専ら捕鯨銃のみとなる。長崎県沿岸部に広がる。捕鯨銃捕鯨の開始。
アメリカ製のブランド型捕鯨銃(口径24_・28_)を使用した。
明治15年から昭和22年まで続き、銃は平戸でコピーが作られた。
明治17年 1884年 平戸瀬戸 植松組 平戸瀬戸のような浅い漁場では捕鯨銃は有効であった。
明治20年 1887年 房総沖 関沢清明 房総沖や金華山沖で関沢清明による新火器試験
     醍醐組 ポスカン銃を用いた試験操業をした。
明治21年 1888年 小川島 小川島捕鯨会社 小川島捕鯨組から小川島捕鯨会社に社名を変更した。
明治22年 1889年 日本海 ディディモフ ディディモフのノルウェー式捕鯨船ゲンナーヂ・ネルウェルスコイ号が                             日本海で操業を始めた。
明治23年 1890年 朝鮮半島近海 ディディモフ ロシアのディディモフが朝鮮近海で、ノルウェーで作った捕鯨船で                                 捕獲し、ナガスクジラとザトウクジラ皮脂肉5万斤を長崎で販売した。
明治24年 1891年 壱岐 今西晋四郎 壱岐の今西晋四郎から長崎県に米国製捕鯨器具による捕鯨計画書が出される。先端可動式の手投げ銛(金時銛)・ポスカン銃・捕鯨銃・ボンブランス・捕鯨砲と銛が図示されている。ただし船は和船である。
ノルウェー式捕鯨砲と同じ。明治32年の小川島の米国製中砲と同じか。
明治24年 1891年 伊豆大島 関沢清明 関沢清明が考案した捕鯨中砲の試験操業を伊豆大島沖で実施した。                                 櫓漕船の船首に中砲をすえつけたが砲座低く結果は出なかった。
明治24・25年 1891年 平戸 植松組 副島清三郎が米国製捕鯨銃を改良し日本人に合うものにした。
24年6頭、25年6頭、26年8頭、27年2頭、28年11頭、29年6頭の 成績を上げる
明治26年 1893年 大島 関沢組 関沢組は大島にてボンブランスでツチクジラ26頭を取り好調だった。
明治26年 1893年 朝鮮海域扶桑海産会社 扶桑海産会社は朝鮮海域で明治24年に試験した関沢氏の砲を借り捕鯨を行った。
明治27年 1894年 金華山沖関沢組 関沢清明による新火器関沢式中砲試験。マッコウクジラ2頭捕獲。
長寿丸、2連発中砲に英国製ンブランス・綱付き銛を据付た。
(参考:くろしお文化6)
明治27年 1894年 朝鮮・ロシア ロ・太平洋捕鯨 ロシア側はロシア太平洋捕鯨鰍設立。朝鮮近海・ロシア近海で                                   操業した。舷側解体し、工船も導入した。
明治29年 1896年 小川島 小川島捕鯨会社 手投げ銛にボンブランス発射装置を装着したポスカン銃を使ったが、操業成果は上がらなかった。
ポスカン銃は鯨に接近しないと使えない欠点があった。
明治30年 1897年 小川島 小川島捕鯨会社 小川島では平戸から銃士を雇い入れて捕鯨銃の試行。操業許可を受け操業した。網銃併用操業となる。
捕鯨銃 銃身長さ:90.9a 重さ:11.25` 口径:3.03a
火矢(破裂銛) 長さ:53.9a 重さ:0.9` 廻り:27.27_ 装置火薬 75c
明治31年 1898年 長崎 英露人捕鯨組合 (リンガー商会)。朝鮮半島近海でノルウェー式捕鯨を開始した。                               多量の鯨肉が長崎に入り価格低迷、国内捕鯨業に打撃を与えた。
明治31年 1898年 太地 熊野捕鯨 アメリカ製のボンブランス捕鯨銃を輸入し網取とボンブランスの併用操業となる。
この銃で太地ではじめてのシロナガスクジラを捕獲した。
明治31年 1898年 小川島 遠洋捕鯨 ノルウェー式捕鯨船烽火丸(長崎)124トンが小川島漁場で実験操業。明治32年まで続いた。
明治32年 1899年 西海地域 遠洋捕鯨 西海地域・薩南地域・朝鮮半島沿岸で実験操業。福岡・佐賀・長崎 沿岸域での実験操業。結果は2頭にとどまる。翌年も3頭にとどまり経営軌道に 乗らなず廃業した。
明治32年 1899年 小川島 小川島捕鯨 小川島では組合組織を変更し、株式会社組織として船団構成も改変した。 双海船・双海附船など網関連船を削減、ボート船・銃専用 和船・小蒸気船が加わり57隻から49隻に削減した。
捕鯨銃を本格導入し網掛け突取捕鯨との並存操業となった。
動力船には米国中砲を搭載した。
明治32年 1899年 小川島 小川島捕鯨 小蒸気船に米国製中砲(詳細不明)を装備し使ったと記録がある。
明治32年 1899年 仙崎 日本遠洋漁業 岡十郎らノルウェー式捕鯨を行うため山口県仙崎に会社創立。
日本初鋼船捕鯨船である第1長周丸を建造。漁具はノルウェーから輸入した。
明治32年 1899年 小値賀島 日本遠洋漁業 長崎県に捕鯨銃申請書が提出された。
銃の口径:2.8a 長さ:96a 重量:9` 
ボンブランス 長さ:55a 重さ:0.9` 射程距離は約55b。
明治32年 1899年 韓国 ロ・太平洋漁業 韓国政府と協定を結び捕鯨基地を設ける。朝鮮からの鯨肉輸入は300斤近くに達した。
明治33年 1900年 朝鮮海域 日本遠洋漁業 ノルウェー式捕鯨船(第1長周丸:鋼製蒸気船)を朝鮮海域に出漁させる。
1年目・2年目は成績振るわず。3年目第1長周丸は座礁した。
明治34年 1901年 朝鮮海域 日本遠洋漁業 1901年英露人組合のオルガ号傭船、1902・1904年はノルウェーのレックス社のレックス号レギナ号を傭船、4年目から捕獲急増した。
明治35年 1902年 小川島 小川島捕鯨 小川島では日露戦争にむけた大演習があり、鯨が泳路を変え大不漁となる
明治36年 1903年 太地 前田兼蔵 太地の前田兼蔵が前田式連発ゴンドウ鯨銃完成(前田式五連砲)した。
ロープ付き銛を射出する砲で、和歌山・三陸・外房・室戸・呼子などで使用された。
明治36年 1903年 長崎捕鯨合資会社 ノルウェー式捕鯨を開始した。成績も比較的に良好であった。
明治37年 1904年 小川島 小川島捕鯨 日露戦争開戦。捕鯨網類を徴発され3頭の捕獲に止まる。
           日本海 ロ・太平洋漁業 日本はロシア太平洋漁業鰹椛ョ捕鯨船を拿捕した。
明治38年 1905年 小川島 小川島捕鯨 休業。『網掛突取捕鯨』が終わる
明治39年 1906年 潮岬沖 東洋漁業 銚子方面に回航中オルガ丸がシロナガスクジラ捕獲、串本浜に揚げる
         大島 東洋漁業 東洋漁業株式会社は大島村に事業所設置。
明治39年 1906年 鮎川 東洋漁業 鮎川に近代的な捕鯨基地が完成し、日本の近代捕鯨が開幕した。                             鮎川・銚子・館山に事業所建設。東洋捕鯨の操業で土佐の鯨組は廃業。
明治40年 1907年 房総 東海漁業 東海漁業がノルウェー式捕鯨船 天富丸輸入
明治40年 1907年 房総 東海漁業 東海漁業がノルウェーより中砲(グリーナー砲)6門輸入、昭和30年頃まで 使われた。
明治40年 1907年 仙崎 長門捕鯨 銃砲方式導入で通浦古式浦捕鯨は不振に陥り廃業。仙崎に長門捕鯨鰍ェ誕生。
明治40年 1907年 熊野灘 各捕鯨会社 各捕鯨会社熊野灘に進出、活況を呈する。
明治40年 1907年 串本 太平洋漁業椛シ 太平洋漁業梶A大阪春日組が串本に事業所設置。
明治40年 1907年 太地 帝国水産 帝国水産椛セ地向島に事業所設置。
明治40年 1907年 三輪崎 三輪崎でノルウェー式捕鯨行われる。詳細不明。
明治40年 1907年 二木島 大日本捕鯨 二木島に捕鯨事業所設置。
明治40年 1907年 土佐 大東捕鯨椛シ ノルウェー式捕鯨の大東捕鯨梶E土佐捕鯨合名会社が出来た。
明治41年 1908年 土佐 丸三製材捕鯨部 ノルウェー式捕鯨の丸三製材捕鯨部が土佐に出来た。
明治41年 1908年 小川島 小川島捕鯨 小川島捕鯨鰍ェ共同操業(大1大東丸110d)によるノルウェー式捕鯨導入
             大東漁業 ノルウェー式捕鯨砲を持った大東漁業鰍ニの共同操業となった。
明治41年 1908年 日本 各捕鯨会社 ノルウェー式捕鯨会社数12社、捕鯨船数28隻に達した。
明治41年 1908年 大島 各捕鯨会社 東洋漁業株式会社に続いて事業所設置。
明治41年 1908年 東洋捕鯨 捕鯨会社の合同、東洋捕鯨株式会社の設立。
明治41年 1908年 日本 捕鯨船隻数30隻以内に制限。
明治41年 1908年 川尻 川尻浦鯨組 川尻浦鯨組が解散し、長門北浦捕鯨が歴史の幕を閉じる。
明治42年 1909年 安房地方 東海漁業 東海漁業は捕鯨事業不振のため天富丸を東洋捕鯨に売却、沿岸に戻る。
明治43年 1910年 加部島 小川島捕鯨 (共同)小川嶋から加部島に本社・解剖所を移した。 平戸式銃捕鯨は、ノルウェー式捕鯨導入以降も継続使用された。
大正から昭和初期まで続き、ノルウェー式捕鯨船と共同操業し、その 前後に各数週間ずつ捕鯨銃による操業もしていた。
小川島捕鯨株式会社・大東漁業株式会社共同での本格操業に入った。
明治43年 1910年 日本沿岸 大東漁業 大東丸は小川島以外の時期は太地・鮎川・荻野浜・釜石・両石・花咲 網走・紋別で操業した。(和歌山・宮城・岩手・北海道)
明治43年 1910年 房総 東海漁業 グリーナー砲を20隻近くの安房テント船に設置し捕獲好調であった
大正10年 1921年 小川島 大東漁業 呼子で第2大東丸103dが操業に加わる
昭和期 1926年〜 加部島 大東漁業 ボートに代わり焼き玉エンジンの小型動力船第一丸一丸・第二丸一丸
昭和7年 1932年 加部島 大東漁業 加部島で前田式五連装砲の使用
昭和9年 1934年 日本 沿岸捕鯨 沿岸捕鯨船隻数を25隻以内に制限。
         日本 日本水産 日本最初の捕鯨母船(アンタークチック号)南氷洋出漁。
昭和11年 1936年 日本 大洋漁業 日本最初の捕鯨母船(日新丸)建造。
昭和13年 1938年 日本 沿岸捕鯨 母船式漁業取締規則の改正。沿岸捕鯨の体長制限規定された。
昭和14・15年 1939年40年加部島 小川島捕鯨 ノルウェー式小型捕鯨砲が動力船に搭載され、銃捕鯨は姿を消した
昭和15年 1940年 北洋 日本 最初の北洋出漁行われる。
昭和15年 1940年 加部島 日本水産(共同)。呼子で日本水産が操業。
昭和16年 1941年 加部島 大洋漁業(共同) (共同)。呼子で大洋漁業が操業。
昭和17年 1942年 安房 外房捕鯨 50_のノルウェー式捕鯨法が導入されグリーナー砲の時代終わる。(昭和15年?)
昭和22年 1947年 平戸瀬戸 22年春漁で平戸の捕鯨銃の使用終わる。
昭和24年 1949年 加部島 大洋漁業捕鯨部 (共同)。大洋漁業捕鯨部が加部島のノルウェー式捕鯨を撤退して終わる。
※社名に注意(漁業と捕鯨)
資料;鯨取り絵物語 中園茂生・安永浩著
   くろしお文化 捕鯨特集 黒汐資料館
   熊野誌第56号捕鯨特集 新宮市市立図書館
   くじらといきる・西海捕鯨の歴史と文化 名護屋城博物館
   明治期の呼子・小川島捕鯨:安永 浩著
   http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3011/g-isanatoru-zyu-hou.html

  銃砲の種類・説明    
銃砲の種類内容
モリ+短銃+ボンブランス『ポスカン銃』ともいう。鯨にごく接近し長いモリを投げ、鯨に当るとボンブランスを発射し、体内で破裂させ致命傷を与えるようにしたもの。
欠点は鯨のごく近くでなければ使えず、効果がないことである。
このため網掛突取法と併用されたが『捕鯨銃+ボンブランス』に移行した。
捕鯨銃+ボンブランス鯨の近くに寄り、銃を発射し、鯨体内でモリが破裂し致命傷を与える仕掛けにしたもの。
欠点は綱がついていないので鯨が死んで沈下すると捕獲できないことである。
このため網掛突取法と併用された。
当初アメリカ製を使用したが大きく危険でもあり、日本人の体格に合わせ小型化し使いやすく改良された(平戸)。
アメリカ式捕鯨では動く処理船である捕鯨船と捕鯨ボートを活用しボート突取法+捕鯨銃により死んで沈まないセミクジラ・マッコウクジラの捕獲に効果を発揮した。
肉は捨て油だけ採るアメリカ式捕鯨は労力少なく上手くいったが、日本では食料+油脂としての鯨体のため、あらゆる鯨種をとる必要があり、処理基地も遠く、沈む・逃げる鯨の捕獲率は悪かった。
基地に運ぶ途中にも鯨が息を吹き返し、逃すものも多かった。
利点:人員機材・コスト削減 網掛突取法との共同作業であった。
継続的操業は平戸瀬戸・呼子・房総などごく一部であった。
捕鯨箭(セン)バズーカ砲のような火器
グリーナー砲船体に固定した小型の砲で、ロープが付いたモリを発射できるようにしたもの、ただしモリに破裂装置がなく、致命傷を与えられないこと。
単なるモリ発射装置といえる。欠点は爆装モリを使えないこと。
千葉県で当初6門が輸入され、ツチクジラ漁に使われ昭和17年まで使用された。
前田式連成銛銃太地の前田氏が開発した銃を縦に並べた3連〜5連銃(砲)。
小型鯨捕獲用。
船首部に銃を固定し、ロープ付き銛を続けて発射できるようにしたもの。
関沢式中砲グリーナー砲の欠点を補った砲。中砲を並列に2門付け、爆装モリとロープ付きモリを両方発射できるようにした船首固定型中砲である。
残念ながら開発が遅く、直ぐにノルウェー式に代わって資料が殆ど見られない。
ノルウェー式捕鯨爆装モリを、船首に固定した大砲で打ち出し、鯨体内で破裂させて致命傷を与え、船体のウインチとロープと緩衝装置(スプリング)で引き寄せる効率的捕鯨法である。
死んだ鯨体に「空気入れモリ」を刺し圧搾空気を入れて浮鯨し、ラジオブイ・標識旗・方位板を立て、さらに次の鯨を追尾できる様にし連続捕鯨が可能になった。

※関沢氏や、万次郎はアメリカ式捕鯨を進めた。しかしノルウェー式捕鯨砲が
1860年に完成し、時代おくれの開発になった。

銛と銃砲類の比較
   
種類発射力飛距離銛の破裂致命力短所
手投げ銛人力ごく短い非破裂銛弱い綱付き多くの人・多くの銛がいる
時間が掛かる
モリ+短銃+ボンブランス人力ごく短いややあるモリに綱鯨に接近しないと使えない
  (ポスカン銃)火薬で発射破裂矢綱付き網掛突取法の補完機
捕鯨銃+ボンブランス火薬で発射長距離破裂矢ややある綱なし鯨が沈下しないように綱付き銛を使う必要があった。沈下鯨多い。
ロケット砲のような火器火薬で発射長距離非破裂銛ややある綱付き命中率が悪い
グリーナー砲火薬で発射長距離非破裂銛弱い綱付き致命率が低い
単なるモリ発射機
前田式連成銛銃火薬で発射長距離非破裂銛弱い綱付き致命率が低い
連発・連装小型鯨用
関沢式中砲火薬で発射長距離非破裂銛やや強い綱付き二重の手間が掛かる
破裂銛(綱なし)銛発射+破裂矢の2連銃
ノルウェー式捕鯨砲火薬で発射長距離破裂銛強い綱付き効率いいが肉を傷める