29 October, 2002
数年前、沢田研二をジュリーって呼んだら、そばにいた大学生たちが硬直した。「アキモトさん、沢田研二をジュリーって呼ぶんですか・・・」え?いけないんですか?ジュリーって死語ですか??沢田研二はジュリーでしょ。
キムタクがいかにカッコイイと言われても、KinkiKidsやら滝沢君やらジャニーズの綺麗な子たちがいかに幅を利かせようとも、若い頃のジュリーにゃかなわない、と私は思う。別にジュリーのファンだった訳ではないけれど。今思えば、ジュリーは綺麗だったし、ジャニーズと違って品が良かった。
いや、別にこんなことを年中考えているわけではないんだけれど、たまたま今日、ラジオでジュリーの古い歌を聴いたものだから・・・。
27 October, 2002
我が家はマンションだが、全部で24戸という小規模だ。小規模だと、いいこともあれば悪いこともある。まとまりやすい、管理組合の総会があまりもめないという利点もあるけれど、理事が年中回ってくるという欠点もある。
さて、今年我が家は理事だ。そして、本日は理事会主催の、マンションの非常階段の塗装の日なのだった。そもそも、マンションの非常階段の錆とりと塗装なんて業者に頼めばあっという間なのだが、マンション内にそういう仕事をしている人がいて、「こんなもの、自分たちでやればずっと安上がりですよ!」とおっしゃり、総会で可決されちゃったのだ。
というわけで、本日は朝からマンション中の人が集まり、大騒ぎであちこちの錆おとし。本当は昨日と二日に渡っての予定だったのだが、昨日は雨で流れてしまった。もちろん、中には出てこない家族もいる。
「○○さんは二日とも出かけるので欠席だって。」
「え??だって昨日、ご主人ジャージ姿で新聞を取りに来てたよー、それも午後に。」
「あ、そう・・・」
もちろん、こんな人ばかりではない。ほとんどの家から誰かしらが出てきて、マンション中を大騒ぎで走り回っていたので、お休みの皆さんはさぞ息を殺して家でじっとしていたに違いない(笑)。
さて、講師の言い出しっぺMさんによると、私たちの作業はまずお好み焼きのこてみたいなもので非常階段の錆をこそげ落とすことから始まる。
「これってなんだかかさぶたをむくみたい。」
最初は嫌々ながら、でもやっているうちにはまる人々続出。
次に、こそげおとしたところにコーティング材を塗りこむ。そして、これが乾いたらペンキを塗る予定であったが、初心者たちは午前中錆おとしに夢中になりすぎてすっかりばててしまい、本日はここまでで作業を終了した。
「これでみんなはまっちゃって、恒例行事になったらどうしよう・・・」
「恒例行事になるか、懲りるかどっちかだよね。」
もっとも、言い出しっぺMさんは「いや、結構順調だし、定期的にやらなければならないものだから、もちろんこれからもみんなでやりましょう」とやる気満々なのだった。ふう・・・。
22 October, 2002
芋の茎を食べた。
先日四街道こどもネット@旧おやこ劇場の芋掘りがあったのだが、その時に長崎出身のKさんが「さつまいもの茎っておいしいのよねー」とおっしゃる。私は芋がら(さといもの茎)は知っているがさつまいもの茎は知らない。「ええ!!!食べたい!食べたい!たべたーい!!!」とおねだりをしたら、「すっごくてまがかかるのよねー」と言いつつ、Kさんが煮てくれたのだ。おいしかったー♪
だいたいが、私は茎系統の食べ物が大好きなのだった。フキしかり、アスパラガスしかり、アケビの蔓の新芽しかり。でも、芋の茎の作り方を聞いたらものすごく手間がかかっていて、私にはまねできそうにない。改めてKさんを尊敬。
Kさん、ごちそうさまでした。とってもとってもおいしかったです♪
21 October, 2002
職場のFさんが携帯を替えて、Jフォンの最新機種にしたのをみたらちょっとうらやましくなって、504iが欲しいなあなどとぶうたれているところ。エニックスが最新の携帯コンテンツでスライムが飼えるというものを提供し始めたのだ。Fさんは私に負け時劣らぬスライム好きで、さっそくスライムを飼うらしい。いいなぁ・・・うらやましいなあ・・・しばらくはFさんのスライムを見せてもらって我慢しようっと!
と、大の大人が二人で「いいなあ」などとやっているので。”べほまづん”に呆れられている。実はFさんは職場のF先生の奥様なのだが、年齢も同じくらい、子どもたちの年齢も同じ、その上、Fさん自身も某九州大学の考古学研究室卒業という上に、大のゲーム好き主婦なのだった。いやいや、世の中にはよく似た人もいるものだ(笑)。
17 October, 2002
実は私は都会のど真ん中で生まれ育った人間だ。子どもの頃、私の周囲にはそれこそセミすらいなかった。当時の私のもっとも近しい昆虫は蟻とゴキブリだったのだ。こんな子ども時代を送った人間にとって昆虫は言うに及ばず、は虫類も両生類も、もっと原始的な生物も、およそ自然界に生息する見慣れないものはすべからく恐怖の対象だったので、子ども時代の私は虫に逃げまどい、ムカデに失神するようなひ弱な人間だったのだ。
さて、その後私はフィールドワークを日常業務とするようになり、その上半田舎に居を構え、今ではすっかり、昔っから自然は友だちのようなフリをしている。もっともゴキブリと蛾という弱点はあるにしても。
先日、久しぶりに湾岸を車で走っていて、林立する高層住宅やビルの光景を眺めながらふと思った。かつて私はそのなかで暮らしていて、結構その暮らしが気に入っていた。半田舎の四街道へ越してきたときにはすっかり憂鬱になったし、当時の私はある程度時が来たら都会に戻るつもりでいたのだった。ところが、今となってはもうあまりそこに戻ろうとは思わないのだ。確かに便利だけれど、蛾やドングリ虫の進入もないけれど、でも今の私には、森やホタルの飛ぶ田圃の方がいいや。
かくしてすっかり半田舎人となった私は、今日も蛾やドングリ虫と格闘している。
16 October, 2002
先日、縄文クッキーを焼くために拾ってきたドングリにはどうやら虫の付いている物があるらしく、ドングリを干しているざるの周辺では時々小さな虫が発見される。今日も今日とて、我が家のテーブルの上を小さな白い虫がせっせと這っていた。はじめてこいつにあったときには虫嫌いの私はほぼ気絶寸前だったのだが、毎日こいつに会っていると段々免疫も出てくるようだ。さっそくティッシュでつまんでさっさと捨てた(ゴメンね、虫)。
縄文クッキーを焼くのは春なので、私はこのドングリたちを冷蔵庫で保管しなければならないのだが、まだせっせと虫たちが出てくるので、どうしても冷蔵庫に入れる気になれないのだった。以前、怪我をした雀を保護していた頃、私は冷蔵庫の中で雀の生き餌を保存していたのだが、こいつらはまるで佃煮を入れるみたいなプラスチックのケースに入っていたので、間違える家族が続出し、えらくひんしゅくを買ったのだ。それ以来、虫を冷蔵庫に入れるのにはどうしても抵抗がある(笑)。
そんなわけで、今の私の日課はざるの中のドングリを引っかき回し、虫食いドングリを探すことだ。こんなに毎日探しているのに、虫は尽きない。やっぱりドングリを食べるのってとっても効率が悪いのだ。
10 October, 2002
このところ、仕事で遺物の実測をしているのだが、どうも作業がしづらい。物を注視できないのだ。注視しようとしても、物の形がぼやけて正確に見えない。
さて、実は私の左目眼底には先天性の腫瘍があって、そのせいで私の視覚はほんのちょっとだけクリアではない。今のところ、それはさして気にならない程度の物なのだが、もしもこの先腫瘍が大きくなるとちょっとやばいのであった。それで、私は一年に1度ほど、腫瘍の様子を確認してもらいに病院に行くのだが、とりあえず今のところ成長した形跡はない。
でも、物を注視しづらいというのは商売上とても困ることなので、実のところとても不愉快なのだった。原因が分からないのもさらに不愉快だ。腫瘍が成長し始めたのかなあ、病院に行こうかなあと漠然と思いつつこの数日が過ぎた。
ところが、先日100円ショップで私は大変なことに気付いてしまった。100円ショップには、安い老眼鏡も売っている。冗談で、一番程度の軽い老眼鏡をかけてみたら、ええ、なんとよく見えるのだ!まさか、私老眼になったの????物が注視しにくいのは、腫瘍のせいじゃなくて、老眼だったからなの??
近視の人間は老眼になるのは遅いと聞いていたのですっかり安心していたのだが、まさかこんなに若くして老眼になるなんて・・・。腫瘍が大きくなるよりある意味ショックだ(笑)。すっかり落ち込んだ私はがっかりしながら家に帰った。ああ、ついに老眼鏡をかけなくてはならないのだろうか・・・。
しかしながら、かなりひどい近視(視力0.04以下なのだ)で乱視の私は、普段はコンタクトをしている。あまりのひどい近視にメガネだと重くてかけていられないのだ。でも、一日中コンタクトを入れているのも辛いので、家に帰るとメガネに変える。実はコンタクトはもう数年前に作った物なのだが、家でかけているメガネはつい数ヶ月前に作ってもらったものだ。このメガネに変えると、ちゃんと物を注視することができるのだった。つまり、きっと、私はコンタクトを作ったときよりも近視若しくは乱視が進んで、ただ単に、コンタクトが目に合わなくなっただけなのだ、きっとそうだ!!!
でもやっぱり、近くが見づらいっていうのは間違いなく老眼の症状だよなあと、かなり不安な日々なのだった(笑)。
08 October, 2002
我が家の窓際の壁に、一匹のテントウムシが数日前から張り付いている。ちょうど日が射し込む暖かいところなので、どうも彼はそこに居着いてしまったらしい。子どもたちも気が付いたらしく、「なんでこんな所にいるんだろうねぇ・・・」とちょっと不思議そうだ。テントウムシは冬眠をするので、もしかしたら彼はすごく居心地のいい冬眠場所を見つけたのかも知れない。そんなわけで、私は彼を追い払うに追い払えず、横目で気にしながら彼と共存をしている。
このまま、彼は冬中この壁に張り付いているのだろうか。彼が動き出すときが、来年の春の開始なのだろうか。そんなことをちょっと考えながら動かない彼を見ていると、ちょっと春が待ち遠しい。
ああ、そう言えば、9月から10月にかけてはちょっとアナクロだけれどレイ・ブラッドベリイが読みたくなるのだねぇ。
07 October, 2002
浅野忠信主演の映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」には、東南アジアをちょっと小馬鹿にする新聞社の支局長が出てきて、『大新聞社の嫌みなインテリ記者』というステロタイプな描かれ方に、見ていた私は不愉快な気がしたものだった。そういう人もいたのかもしれないが、少なくとも一ノ瀬泰造の周りにいた日本人記者は、大新聞社の人であろうともっとまともで深く考える人であったはずだ。そういう人の一人が朝日新聞の和田俊さんで、彼は一ノ瀬に最後に会った日本人なのだった。
私は久米弘が嫌いなのでニュースステーションは見ないのだが、和田氏がコメンテーターであった数年間だけは例外的に見ていた。和田氏が折に触れて一ノ瀬のことをいろいろな場で語っていたことや、一ノ瀬が行方不明の間心を砕いてくださっていたことも知っていたし、彼の言葉の中に、一ノ瀬のアンコール潜入を止められなかった悔恨も感じていたので、なんとなく、私は心の隅で、和田氏のことを好意的に感じていたのだと思う。和田氏の書かれた文の中で、和田氏の奥様が一ノ瀬を弟のようにかわいがっていたこと、その奥様を早く亡くされたことなども知った。
その和田氏の訃報を先日聞いた。一ノ瀬を巡る人たちの中に、また一人、彼の元へと旅立つ人がいる。きっと今頃は奥様と、一ノ瀬と、再会を果たされているのだろうか。ご冥福をお祈りします。
04 October, 2002
さるMLで、抱腹絶倒なHPを紹介された(笑)。このひと、こんなにユーモアのある人だとは知らなかったよ、まったく(^^;。いまの仕事はさっさと辞めて、ニュースステーションの司会とか、吉本に転職とか、もっと新たな実害のない道を模索してくれたら好きになれそう(大笑)。ってか、こんなにお馬鹿なのに、なんで今の仕事に就いたのか、どうしても疑問だ・・・。
01 October, 2002
10月になりました。今年もあと3ヶ月です。
これを書いている今、私の周りはだいぶ台風も収まり、ちょっと前までの激しい風の音もすっかりなりを潜めた。明日はきっと快晴だろうと、久々に洗濯が片づくなとちょっと安心したりしている。洗濯物が溜まりきっているのだ。
昨日久々にお茶の水に行ったら、母校はいま建て変えラッシュで、古い校舎が取り壊されて工事中だった。ここ数年で、お茶の水校舎が次々に新しい建物に建て変わり、なんだか母校ではないみたいだ。古いものを賛美するわけではないけれど、なんだかちょっと寂しかった。
母校の古い校舎は長い期間に建て増しを繰り返していたので、あちこちに秘密の入り口や不思議な階段があって、それはそれで結構楽しかった。ちょっとRPGのダンジョンのようだったのだ。廊下を歩くと立てカンなども未だ転がり、ちょっとあやしい雰囲気があった。きっと新しい校舎になると、大学側もそういうアブナイ人たちは排除するのだろうし、怪しさや不思議さは無くあるのだろう。健全になっちゃうんだろうな。でも私は、若いときにあの不健全さが妙に大人っぽく感じられていたので、健全になってしまうとなんだかあまりにも無邪気で幼すぎるような気がしてしまう。
こんなことを考えるのも、歳を取ったからですかねぇ・・・。それとも、秋だからですかねぇ・・・。