タイトル クジラが見る夢
著者 池澤夏樹
出版社 新潮社(新潮文庫)
価格 667円(税別)

 このHPのあらゆるところで触れているように、古今東西の男性の中で私が誰よりも愛しているのは(そう、これはもう愛だと思う)戦場カメラマンの故・一ノ瀬泰造氏なのだけど、やはり人間は現実に生きなければならない。現実に生存している人では誰かというと、それはもちろんうちの旦那、というのは真っ赤な嘘で、強いてあげるなら池澤夏樹とジャック・マイヨールでしょう(あんまり、現実に生きてないかも・・・)。だって、かっこいいんだもん。
 「クジラの見る夢」は、池澤がジャック・マイヨールと過ごした日々について、池澤による文章とイラスト、カメラマンによる写真で構成している本だ。池澤だけでもかっこいいのに、そのうえジャック・マイヨール、ああ、ため息がでる・・・
 ジャック・マイヨールは、リュック・ベンソンの映画、「グラン・ブルー」でジャン・マルク・バールが演じていた、あの人。マイヨールと、ジャン・レノが演じていたエンゾ・マヨルカとの素潜り記録競争は「グラン・ブルー」を見ていただくとして、マイヨール自身は決して素潜りだけの人ではない。
 本書から知られるマイヨールの軌跡と横顔は、とても知性的で野性的。知性と野生は相反する言葉のようだけど、本当に魅力的な男性は両方持ってなければならない、と私は思う。マイヨール自身は常に野外、それも海に身を置いてきた人だけど、その海から彼が学んだ知性は、計り知れないくらい深いもののようにみえる。マイヨールのふだんの生活は、ちょっとアーネスト・ヘミングウエイにも似ているけれど、ヘミングウエイがとりあえずは海と格闘していたのに対して、マイヨールは最初から海に抱かれている。本書でのマイヨールは、最初はイルカと(これについては彼はお手の物らしい)、そして次にクジラと一緒に泳ぐのだけど、何故彼がクジラと泳ぎたいのかについて、マイヨールの観察者としての池澤はこう結論する。
 「ジャック・マイヨールという男の精神の一番奥にあるのは、何かしら偉大なものに近づこうという意志、自分の内なる力によってそれを実行したいという欲望らしい。」
 マイヨールという人の内には、自分自身の力で、高みへと近づきたいという、一種求道的な精神が宿っているに違いない。でも彼が宗教的なストイックさから自由なのは、彼自身が「海に潜る」という行為を心から楽しんでいることに尽きると思う。マイヨールは、池澤の「何故、スキューバを使わないのか」という質問に、あっさりこう答える。「あれはエレガントではない。」これってかっこよすぎ。
 イルカとは、以前から友達だったマイヨールだが、クジラとはなかなかうち解けない。クジラの方で、この男を受け入れるかどうか長い時間をかけて観察しているようだ。だから、彼は時間をかけて、クジラたちに受け入れられるよう自分を海に向かって素直にさらけ出していく。だから、最後はマイヨールとクジラとのほんのひとときの逢瀬と、それを見つめる池澤のマイヨールへのかすかな羨望とで終わる。
 でも、私はマイヨールを観察する池澤も、とてもかっこいいと思う。
 池澤もやはり、知性と野性の人だ。たとえば、ヨーロッパを放浪して住み着くのがギリシャというところ。ヨーロッパの他のどこの国よりかっこいい。本当なら大変な旅をしてきたのに、エッセイではたった一言、「ナイルの水源を見に行った」。これが沢木耕太郎なら文庫本6冊になるところ(^^)、かっこよすぎ。詩的でクリアな文体で、でも現象を冷静に観察するところ、ああ、憧れてしまう。そのうえ著作の奥付の著者近影は、静かで落ち着いた大人の男。そう、私は池澤が大好きなのだ。(ちなみにわが家では日常会話で彼を語るときは、”池澤夏樹さま”と”さま”をつけるのが義務づけられている、ははは。)このふたりが海にいるというのは、もうそれだけでうっとりとしてしまう。
 私自身が心の平衡を失いかけるとき、私はこの本を読む。マイヨールの海へと向かう衝動と、それを観察する池澤のクリアな文体が、私の心を静かに贖ってくれるような気がする。本当は海へと向かいたいのだけれど、時間も空間もそれが許されない人に、この本はお薦め。池澤自身のイラストや添えられた写真も、彼の文体のようにクリアで素敵。