大学という単位

  中国の最近の大都市では、殆どが集合住宅になっていて、住宅の入り口は日本の住宅公団式と同じようなドアが付いている。しかしよく見ると日本の集合住宅とはずいぶん違う。まず表札が無い。郵便物受けが無い。ドアを開けて入るといきなり一つの部屋になっていて、靴を脱ぎ捨てる玄関が無い。部屋と部屋を結ぶ廊下も無いようである。風呂やシャワーは殆どの家庭に無い。その代わりとは言えないが、防犯対策はしっかりしていて、ドアの鍵は二重三重になっている。一、ニ階ではガラス窓に鉄格子がガッチリ付いていた。三階でも窓に鉄格子が付いているところがある。

  この様に日本と比較した場合に様々な差があるが、その原因は習慣、考え方、生活レベルの差に因るところも多いがそれだけではない。それは生活の大部分を"単位"と言われる組織に依存していることにも理由があると考えられる。郵便受けや、シャワーが無くても済まされる理由も"単位"のお陰に因るところが多い。まず中国の単位がどんなところか説明しなければならないが、"単位"とは企業や学校、役所などのことである。郵便物は"単位"宛てに送りられ、そこで受取る。

  私は大学の構内に住んでいたのだが、この大学も大きな単位の一つであった。この中には、学生のほかに先生と職員、その家族が敷地内に住んでいた。それだけではなく、大学の施設の修理をする人、庭の手入れをする人、大学の乗用車やバスの運転手、学生食堂の料理人、幼稚園の保母さん(勿論保育園も在る)、ボイラーの係、豆腐を作る人も一緒になって住んでいた。仕立て屋、洗濯屋、靴の修理屋までもが商売をしていただけではな、住んでいた。その他にも私が滞在していた小さなホテル(招待所と言う)や、大学が経営する合弁企業(私はここに駐在していた)までも"単位"の中に含まれていた。大きな単位ともなると、ここに住んでいる人は、この単位の中で生活が充足出来てしまう小さな町の様な所であった。

  郵便物は大学の正門の脇に郵便物を仕分ける小部屋が有り、郵便局はここまでしか郵便物を届けない。そこには郵便物仕分け専門のおばさんがいた。その係のおばさんは郵便物を仕分けるが、配達はしない。そこへは大学の中の小さいグループの担当者が引取に行くのである。引取られた郵便物は会社や教室に積まれたままになっているから、誰が、どこのガールフレンドと文通していかなどは、直ぐ皆に分ってしまう。当然プライバシーは無いことになる。別の会社への就職活動なんてのも判ってしまう。

  "ワイルドスワン"と言う本の中で、その著者は"中国にはもともとプライバシーなどと言う言葉も無かった"と書いているが、実際にその通りの様である。会社の中でも、男女間のことでも誰が誰にアタックしているかなど、周りの者は実によく知っていた。私が或中国人に、手紙は個人の住宅宛てに郵送出来ないのかと、聴いてみたところ、それは可能だといっていた。それなら何故個人の住所宛てにしないのかと重ねて聴いてみたところ、"単位"宛ての方が便利だから(中国では共稼ぎが普通で、不在の場合が多い)との答えであった。しかし不在であっても郵便物受けを設ければ解決しそうにと思えたが、やはり何かと"単位"に依存していた方が便利(確実なのか?)であるらしく。プライバシーの方はあまり気にならないようであった。

  風呂は勿論単位である大学の校内にあった。風呂といってもシャワーのことである。シャワーではあるがいわゆる公衆浴場みたいなものがあって、関係者つまり大学で働いている人だけではなくて、家族までもがそこを利用していた。中国の街の中に公衆浴場が無いわけではないが、極めて少ないのである。

  ついでに大学の中国的な組織に付いても書いておくと、中国ならではの係りもあった。例えば大学の正式な職員として、汽車の切符を買ってくれる係(中国では汽車の切符を購入するのが難しい)、コピーしてくれる係(勿論有償である)、貯蓄を扱う係、公安(治安を担当しているが、市内にある警察とは別の組織らしい)の係などが在る。これらの組織はいずれもが個別に部屋を持っていた。話はそれてしまうが、私の部屋から腕時計が紛失した時に、疑わしい工事の作業者を取り調べたのは、警察官ではなく、大学の公安の係の様であった。

  最も中国らしい組織は共産党の書記長(職名はハッキリ憶えていない)で、大学の学長と同じくらいの地位であるらしかった。何を担当しているのか聞いてみたところ、紀律や思想などを担当しているとのことであった。やはり中国では、共産党が"単位"まで入り込んでコントロールしているらしい。他には外事弁公室というのもあった。ここでは外国人や外国との窓口になるところであるが、ここが不思議なのは、外国との交渉がそう多くないところでも、この組織が外事弁公室との名前で、独立した組織として存在していた。そして何故か権力を持っている組織であった。そのほかにここで権力がありそうな職務は、秘書室とか、人事課みたいなとろであった。秘書室の秘書長は若くて、何故か威張っていた。

  私は大学内の電話番号をみて、組織の概要が分ったのであるが、中国的管理部門の番号は多かったけれども、大学本来の研究室等の番号の数は、日本と比べてずっと貧弱であった。それでも私が滞在していたここの大学の単位は、普通よりずっと恵まれ単位であった。ここを退職した先生は、現役の時の80%の年期金を貰えると言っていたが、つぶれかかった企業の単位では、金が無いので、そこの退職者は年金も貰えなくなってしまうのである。特に最近では、儲からない単位は整理されつつあり、退職後に所属した単位が無くなってしまったりすると、大変なことになる。

  また大学に入学してくる学生は、殆どが恵まれた家庭があるように見えた。共産主義の理想的な社会によって、貧しくても実力ある人だけが入学出来た時期もあったのかもしれないが、今ではどうも裕福そうな学生が多そうである。中国では大学生の数が少なく、本当のエリートであることには間違いない。私の妻がこの大学の招待所に三週間滞在しての結論であるが、大学の中と外では服装もハッキリと違い、別の世界の様だと言っていた。確かに女子学生を見ると、服装もスタイルも、物腰も洗練されていた。一方大学の塀の外には、半失業の状態の様な人や、ロバに野菜を引かせて、農村から売りに来る農民の別の世界があった。