中国が日本から輸入した和製漢語

以下の原稿は、平成23年11月に佐倉市の中央公民館で発表した時の原稿で、原稿の内容は、
大部分が中国人や韓国人の論文からの引用である。日本で作られた和製漢語をいかに中国が
取り入れたかについては、中国人側の研究が結構多い。

  明治時代にはたくさんの和製漢語が日本で作られ、その漢語を中国が取り入れた。もし毛沢東が毛沢東思想を書いたり、述べたりしたなら、当然、「共産、主義、資本、階級、思想、政治、経済、文明、文化」などという言葉を使ったと思われる。これらの漢語は日本で作られた和製漢語であって、現在中国でも日本と同じように使われている。もし中国が日本から和製漢語を取り入れなかったら、毛沢東は毛沢東思想も書けなかったはずである。

  私は北京で日本語を教えていて、それならば日本語についてもっと知っておかなければならないと思って、日本語に関する本を読んだ。そうしたら日本でたくさんの和製漢語が日本で作られ、それが中国に渡ったと書いてあった。それで和製漢語について、調べてみたくなった。2004年ごろは北京に居たので、中国語のネットを検索してみたら、和製漢語に関する研究論文は、意外にも和製漢語を受け入れた側の中国側にあった。

   参考;和製漢語と和製漢字とは違う。

   和製漢字は(ウィキペディアより)
   峠  辻  笹  榊  (腺)  栃  畠  畑  匂  凪  凧  俣  枠
   込  躾 (働) 搾   錻 ( )は中国が取り入れた日本製漢字

◎以下に現代中国語の中に和製漢語が日本から外来語として取り入れられたことが書かれている


  王彬彬氏の論文【現代中国語の中の日本語「外来語」問題】から引用

  【現代中国語の中の日本語「外来語」は、驚くほどの数がある。統計によれば、わたしたちが現在使用している社会・人文・科学方面の名詞・用語において、実に70%が日本から輸入したものである。これらはみな、日本人が西洋の相応する語句を翻訳したもので、中国に伝来後、中国語の中にしっかりと根を下ろしたのである。わたしたちは毎日、東洋のやり方で西洋の概念を論じ、考え、話しているのだが、その大部分が日本人によってもたらされたものである。このことを思うと、わたしは頭がかゆくなってしまう。
  実際上、日本語「外来語」を離れてしまえば、わたしたちは今日ほとんど話をすることができない。わたしがこの日本語「外来語」を論じる文章を書くとき、大量に日本語「外来語」を使わなければ、根本的に文章が成立しないのである。この問題はここ数年、何度か複数の人々によっていろいろな角度から説かれてきた。】


◎何故、日本人は和製漢語を作ったか。

  和製漢語は多くが西洋の言葉を訳すために作ったもので、それまでに日本には無い概念や社会・人文・科学についての言葉を翻訳したものである。

  明治時代に西洋の書物を翻訳する際に、日本で漢語を作ったのである。カタカナによる音訳ではない。日本人は何とかして西洋に追いつこうとして、西洋の書物を翻訳して知識を吸収した。その際に西洋の概念を英語やドイツ語フランス語などを音訳せず、漢語を造語したのである。もしこの時、日本人が外来語をカタカナ語で音訳していたらそれらの言葉は中国に入らなかったに違いない。

  和製漢語が日本で作られた経緯は、ネットで調べてもあまり分からなかった。誰が和製漢語を作ったかも分からなかった。それは私が見た論文が、中国側の論文であるからからかもしれない。しかし却って中国に何故和製漢語が中国に入ってきたかの中国側の事情は良く調べられている。


◎中国が日本から和製漢語を取り入れた中国側の事情

   陳生保教授の論文「中国語の中の日本語」の論文から引用

  【清の末期、 中国の国勢が急速に衰えた。 特に鴉片(あへん)戦争以後、 中国は各列強の侵略の対象となり、 次第に半ば殖民地化していった。 中国人は亡国の危機感に襲われ、 愛国の志士たちは、 痛ましい現実に目ざめて、 国を救う道をさがし求めていた。 隣国の日本が明治維新後まもなく資本主義の軌道に乗るようになったのを見て、 康有為・梁啓超を代表とする中国の一部のインテリが、 中国も日本に倣って維新することを主張し出した。 一八九八年に起こった戊戌変法(ぼじゅつへんぽう)は、 ほかでもなく日本の明治維新の影響によるものだったのである。】


  王彬彬氏の論文【現代中国語の中の日本語「外来語」問題】から引用

 【1898年秋、戊戌変法(ぼじゅつへんぽう)が失敗した後に、梁啓超は日本の軍艦「大島号」に潜入し、東瀛(東海=日本)に亡命した。暇をつぶすため、日本語に通じていなかったが、梁啓超は日本の作家・東海散士の小説『佳人之奇遇』を借りた。開いてみると、一部の日本語の格助詞を除いて紙面に満ちていたのは漢字であり、「之」「乎」「者」「也」の字が頻出していたため、梁啓超は概要を理解することがでた。横浜に住んだ後、国内読者のために『清議報』を創刊誌、創刊号に『訳印政治小説序』を発表した。この宣言風の文章の後には、『佳人之奇遇』の漢訳が連載された。『佳人之奇遇』の連載が完了した後、すぐにまた日本作家・矢野竜渓の小説『経国美談』の漢訳が連載された。この二つの小説の訳文は、すべて日本語に通じていない梁啓超の手になるものであった。

 このころ、大量の西洋の名詞・用語が日本語の中に進入してしまっており、「政治小説」として書かれた『佳人の奇遇』と『経国美談』の中には、自然とこの種の訳語が多く含まれていた。日本語に通じていない梁啓超は、その訳文の中で、いくつかの日本人の訳語についてはもちろんそのまま模倣することしかできなかった。これこそ、日本語「外来語」が中国に入り始めた最初だったのである。梁啓超はこのように模倣するとき、特に深く考えることなく、簡単に民主・科学・政治・経済・自由・法律・哲学・美学といった語彙を中国の読者に紹介したようである。これが意味することは、日本語「外来語」が中国にもたらされたのは、やむを得ない、自覚的ではない状況のもとで始まったということである。】


  
1904〜1905年に日露戦争があり、その後1911年(宣統3年)に辛亥革命がおこって、清朝が倒された。辛亥革命においても明治維新を成功させた日本の影響は大きく、日本から学ぼうとして中国から多くの留学生が来日した。

    陳生保教授の論文「中国語の中の日本語」の論文から引用

  【第一陣の中国留学生が日本入りしたのは、 1896年のことで、 13名だった。 それが年とともに増えた。
 例えば  1901年   280名
       1904年   1300名以上
       1905年   8000名】
  統計によると、 八千名は最高記録だったがこうした日本留学ブームは1937年の、 中国に対する日本帝国主義の全面的な侵略戦争の爆発まで続いた。 1936年6月1日当時の在日中国留学生は5834人だったが、 戦争開始後、 みな中国に引き揚げた。 1896年から1937年までの足かけ42年の間における中国人の日本留学生の数は、 合わせて61230名に達している。 そのなかで学校を卒業したものは11817名である。

  しかし、 それにしても、 明治時代の日本語には実にたくさんの漢字が使われていた。 「てにをは」 などの助詞をのぞいては、 名詞、 動詞、 形容詞はいうまでもなく、 副詞などもほとんど漢字で綴られているので、 中国人には親近感を与えるばかりでなく、 とても便利だった。 梁啓超は 『日本語を学ぶ利益を論ず』 の中で次のようにいっている。 「日本語が話せるようになるには、 一年間かかるだろう。 日本の文章が書けるようにするならば、 半年でけっこうである。 日本文が読めるだけで良ければ、 数日でいちおう出来、 数ヶ月で十分である。」

 大勢の中国留学生が日本に来た。 彼らはみなはっきりした使命感を持っている。 それはつまり明治維新後の日本に学ぶと同時に、 日本を通じて西洋文明を祖国に紹介するということである。 したがって彼らは短期間の速成的日本語教育を受けたのち、 ただちに日本書の翻訳に取り組み、 それを日本でまたは中国国内に送って出版した。 中国国内でも日本書の翻訳ブームが起きていた。 当時翻訳された書物は政治、 経済、 哲学、 宗教、 法律、 歴史、 地理、 産業、 医学、 軍事、 文学、 芸術など、 マルクス・エンゲルスの 『共産党宣言』から川口章吾の 『ハーモニカ吹奏法』 まで、 社会科学と自然科学のあらゆる分野にわたっている。】

  王彬彬氏の論文【現代中国語の中の日本語「外来語」問題】から引用

  【本来、洋務運動は西方から学び、西方を理解し、西方の著作を翻訳することが当然必要であった。しかし、日本を師とするように方向転換があり、西洋文化を学ぶ人たちはたちまち減っていった。日本に学ぶことは、単に日本を通じて間接的に西方を学びたいという希望であった。そのとき朝野ともに、このようにすることで努力は少なく効果を上げることができると考えていた。

  王国維は、日中両国の西洋専門用語を翻訳する方法が同じではないことを指摘している。日本人は二文字または二文字以上の言葉を組み合わせて西洋語を訳してきたが、中国人は単漢字を用いるのが習慣であった。「精密・不精密の違いは、すべてここにある」という。これは、実際には厳復への批評であった。単漢字を用いて西洋専門用語を訳すのは、まさに厳復の習慣であった。例えば「玄学」「理学」「計学」「群学」などはみなこのたぐいである。

  日本にはすでに訳語があって、それは思いつきで作られた言葉ではなく、「専門家数十人の考究・数十年の改正を経て」最終的に確定したものである。それは実情に合っており、同時に中国人が日本語訳を借用すべき有力な理由だ、と彼は述べている。また、西洋専門語を翻訳するとき、日本人は二文字以上の言葉を組み合わせるのが習慣であり、このために中国人が単漢字を用いるのと比べて正確に原意を伝達できると指摘している。

  しかし、このような日本に学ぶ風潮に対して、中国近代の第一の翻訳家・厳復は堅固たる反対の態度を示していた。はじめのころは、 日本の訳語と厳復らがつくった訳語が共存した。 例をあげてみよう。 「Economics」 という英語は日本語で 「経済学」 と訳されているが、 それにはとても抵抗を感じたようである。 なぜなら 「経済」 ということばはもともと中国の古語であり、 「経世済民」 の意である。 「経世済民」 とは世の中を治め、 人民の苦しみを救うことである。 現代語におきかえるならば大体 「政治」 という語に相当するからである。

  そのほか 「哲学」 (Philosophy) は 「理学」 「智学」 と共存し、 「社会学」 (Sociologie) (仏語) は 「群学」 と共存した。そのほか挙げてみよう。
    物理学−格致学 地質学−地学 砿物学−金石学 
    雑誌−叢報 社会−人群 論理学−名学 
    原料−天産之物 功利主義−楽利主義

  ところが、 厳復らの自作新語の大部分は、 日本の訳語ほど良くなかった。 というのは、 かれらの訳語は古典から来たものが多くてわかりにくかったため、 流行しなかったからである。 今からふりかえってみれば、 厳復らのやりかたには、 そもそも無理があった。 ことばは社会実生活の反映である。 中国語に入った西洋の新語はもともと中国社会になかった事物である。 古い中国語からそれ相応の語をさがし出すのは、 なんといっても無理な話である。 ない袖が振れぬとはこの事だろう。 したがって日本の訳語と厳復らの訳語が一時期共存はしたが、 結局のところは日本訳語の勝ちとなり、 厳復らの訳語は、 姿を消してしまった】

◎日本人はどうやって和製漢語を作ったか。その時代の日本人は、中国の漢語とか漢文については非常に精通していたようである。

   陳生保教授の論文「中国語の中の日本語」の論文から引用

  【日本語が中国語のなかになだれこむ背景には、 中国が西洋の新語を積極的に輸入する事情があるほかに、 当時日本における新語のつくり方にも原因がある。 当時の日本では、 西洋の新語を訳すとき、 少数の音訳をのぞいて大部分は意訳をしていた。 しかも音訳であろうと、 意訳であろうと、 みな漢字を使っていた。 特に意訳の場合は、 ちゃんと中国語の造語法のルールを守ってつくられた。 具体的には次の通りである。

 一、 修飾語+被修飾語
  (1)形容詞+名詞
   例=人権 金庫 特権 哲学 表像 美学 背景 化石 戦線 
    環境 芸術 医学 入場券 下水道

  (2)副詞+動詞
   例=互恵 独占 交流 高圧 特許 否定 肯定
   表決、歓送 仲裁 妄想 見習 假釈 假死

 二、 同義語の複合
   例=解放 供給 説明 方法 共同 主義 階級 公開 共和 希望 
   法律 活動 命令 知識 総合 説教 教授

 三、 動詞+客語
   例=断交 脱党 動員 失踪 投票 休戦 作戦 投資 投機 抗議 
   規範 動議 処刑

  要するに、 日本人は西洋のことばを日本語に訳すとき、 漢字を使って中国語の造語法の法則にしたがって訳語を苦心惨憺してつくったと言える。 特に第三の 「動詞+客語」 の造語法は日本語にはもともとないばかりか、 日本語の文法とは正反対である。 こうしてできた日本の訳語が大量中国語のなかに入っても、 中国人はちょっと見知らぬことばだなと思うことがあったかもしれないが、 あまり違和感を持たなかったにちがいない。】


  
私が中国にいたころ中国人に聞いてみても、和製漢語があまりにも違和感のない訳語であったせいか、中国人は「断交、脱党、動員、政治、経済」などの言葉が日本語からの外来語であるとは気が付いていない。これらの言葉は中国人にとってみれば外来語のはずなのであるが、日本語由来の外来語であることを99%の中国人が知らないのである。


◎中国に入った和製漢語は1000語くらいであったらしい。非常に多いとは言えない数であったが、使用頻度は非常に高いのである。


    陳生保教授の論文「中国語の中の日本語」の論文から引用

  【『漢語外来語辞典』 には、 一万あまりの外来語が収められているが、 それは二千年ぐらいの間に中国語に入った外来語全体である。 数からいえば日本語は約一割を占めているに過ぎないが、 しかし、 総数一万あまりの外来語には、 遠い昔ぺルシャ (現在のイラン)、 印度及び西域から入った 「獅子、 葡萄、 琵琶」 などの語のほか、 「仏陀」 などの仏教用語がたくさんあり、 その多くはもう死語か、 あまり使わない語になっている。 それに対し、 日本語は最近五十年間にどっと入ったものだし、 ほとんどは常用語として中国語に定着している。 】


◎そのほかの和製漢語の特徴など

    陳生保教授の論文「中国語の中の日本語」の論文から引用

  【第二に近代になって中国語に入った新語のほとんどは日本語からである。 西洋から直接入ったものもすこしあるが、 それは全部名詞であり、 しかも現在あまり使わないものが多い。 日本語から入ったものは、 名詞だけでなく、 動詞もある。 例えば 「服従 復習 支持 分配 克服 支配 配給」 などがそうである。
また、 自然科学や社会科学の基本概念も多くは日本語から来ている。 例えば 「哲学 心理学 論理学 民族学 経済学 財政学 物理学 衛生学 解剖学 病理学 下水工学 土木工学 河川工学 電気通信学 建築学 機械学 簿記 冶金 園芸 和声学 工芸美術」 など。

  第三に、 日本来源の語は、 現代中国語における使用頻度が非常に
高い。
     〜中略〜
  
  ある調査の二二八五の二音節基本語のなかで出現頻度五〇〇以上の語は八八語あるが、 そのうち日本語から来たものは二八語で、 三一・八%、 およそ三分の一を占めているというわけである。

  第四に日本来源の語は、 常用語としての名詞、 動詞、 自然科学と社会科学の基本概念ばかりでなく、 造語の力を持つ接尾語のような語が23もある。 これらの語は現代中国語で幅広く活躍している。 各々例を挙げてみる。

(1) 化−一元化 多元化 一般化 公式化 特殊化 大衆化 自動化 
  電気化 現代化 工業化 民族化 科学化 機械化 長期化 口語化
  理想化
(2) 式−速成式 問答式 流動式 簡易式 方程式 恒等式 西洋式 
  日本式 旧式 新式
(3) 炎−肺炎 胃炎 腸炎 関節炎 脳炎 気管炎 皮膚炎 肋膜炎
(4) 力−生産力 消費力 原動力 想像力 労動力 
  記憶力 表現力 支配力
(5) 性−可能性 現実性 必然性 偶然性 周期性 放射性 広泛性 
  原則性 習慣性 伝統性 必要性 創造性 誘惑性
(6) 的−歴史的 大衆的 民族的 科学的 自然的 必然的 偶然的 
  相対的 絶対的 公開的 秘密的
(7) 界−文学界 芸術界 思想界 学術界 金融界 新聞界 教育界
  出版界 宗教界 体育界 
(8) 型−新型 大型 中型 小型 流線型 標準型 経験型
(9) 感−美感 好感 悪感 情感 優越感 敏感 
  読後感 危機感
(10)点−重点 要点 焦点 注意点 観点 出発点 終点 着眼点 盲点
(11)観−主観 客観 悲観 楽観 人生観 世界観 宇宙観 科学観
  直観 概観 微観 (ミクロ)  宏観 (マクロ)
(12)線−直線 曲線 抛物線 生命線 死亡線 交通線 運輸線
  戦線 警戒線
(13)率−効率 生産率 増長率 使用率 利率 廃品率 頻率
(14)法−弁証法 帰納法 演繹法 総合法 分析法 表現法 選挙法
  方法 憲法 民法 刑法
(15)度−進度 深度 広度 強度 力度
(16)品−作品 食品 芸術品 成品 贈品 展品 廃品 半成品 記念品
(17)者−作者 読者 訳者 労働者 著者 締造者 倡導者 先進工作者
(18)作用−同化作用 異化作用 光合作用 心理作用 精神作用
  副作用
(19)問題−人口問題 土地問題 社会問題 民族問題 教育問題
  国際問題
(20)時代−旧石器時代 新石器時代 青銅器時代 鉄器時代
  原子時代 新時代 旧時代
(21)社会−原始社会 奴隷社会 封建社会 資本主義社会
  社会主義社会 中国社会 日本社会 国際社会
(22)主義−人文主義 人本主義 人道主義 自然主義 浪漫主義
  現実主義 虚無主義 封建主義 資本主義 帝国主義 社会主義
  排外主義 復古主義
(23)階級−地主階級 資産階級 中産階級 農民階級 工人階級
  無産階級】


◎現代中国語に対する日本語の影響について

   高名凱氏の論文『現代漢語のなかの外来語研究』からの引用

  【現代漢語の語彙に対する日本語の影響はたいへん大きい。 現代漢語における外来語の主要なるものは日本語から来ている。 日本語は漢語外来語の最大の源だといっても過言ではないだろう。 おびただしい数にのぼる西洋語のほとんどは、 日本語を通じて現代漢語の中に導入されたのである。 その影響を具体的にいうと、 次の三点が挙げられる。

  (一)、 中国語の語彙の複音化のテンポを早めた。
中国の古代語 (日本でいう漢文) にも、 二つまたは二つ以上の文字でできた語彙も少々あることはあるが、 非常に少ない。 ほとんどは一つの文字が一つの語彙になるのである。 語彙の複音化、 つまり二つまたは二つ以上の文字で一つの語をつくることは、 中国語が古代語から現代語へ脱皮する過程での趨勢だが、 日本語をはじめとする外来語の進出によってその脱皮のテンポが早められたといえる。

  (二)、 語の複音化によって語義が細くなり、 表現がいっそう緻密になり、 正確になった。例えば、 「行」 という語は古語では 「行く」 「走る」 「行為」 「行動」 「行進」 などの意を有する多義語だったが、 現代漢語では複音化によって、 いくつかの語ができ、表現がもっと的確になった。

  (三)、 西洋的な表現がたくさん入り、 中国語のセンテンスが長くなった。 新語の大量導入、 語の複音化と表現の緻密化、 長文の活用など、 これらはいずれも古代漢語から現代漢語への脱皮であり、 中国語の進歩である。 こうした中国語の進歩は、 世界各国の進んだ文化の吸収、 はては中国の現代化実現に役立つものであろう。 】


◎王彬彬氏の論文の結びの言葉にはこんなことが書かれている。
  最後にわたしは言いたい。わたしたちが使用している西洋の概念について、基本的には日本人がわたしたちに替わって翻訳したものであり、中国と西洋の間には、永遠に日本というものが挟まっているのである。


  以上の論文から分かることは、和製漢語とは西洋の新しい概念や言葉が和製漢語に翻訳されて、それらの漢語を中国人が使いだしたことが強調して書かれている。

  しかし金光林氏の論文によると、「日本在来の漢字語で、中国では使われていなかった漢字語」も沢山中国に入っていたのである。つまり西洋の新しい概念や言葉を翻訳する以前からあったと思われる日本在来の漢字語(他の論文では漢語と書かれているが)でも中国は輸入したようである。それは金光林氏の論文では日本式漢字語として分類されている。

 
   金光林氏の論文『近現代の中国語、韓国・朝鮮語における
    日本語の影響』 ―日本の漢字語の移入を中心に― 
         からの引用の続き

【中国語に移入された日本の漢字語をその性質によって次の三つに分類し、その主な事例を列挙したい。

(1)日本式漢字語(日本在来の漢字語で、中国では使われていなかった漢字語)

場合、場面、場所、便所、備品、武士道、舞台、貯蓄、調製、大本営、道具、不景気、服従、服務、被写、副食(物)、復習、破門、派出所、必要、保険、方針、表現、一覧表、人力車、解決、経験、権威、化粧品、希望、勤務、記録、個別、交換、克服、故障、交通、共通、距離、命令、身分、見習、美濃紙、目標、内服、内容、認可、玩具、例外、連想、浪人、作物、作戦、三輪車、請求、接近、説教、節約、支部、支配、市場、執行、侵害、申請、支店、初歩、症状、処女作、処刑、集団、宗教、出席、総計、倉庫、想像、体験、退却、但書、停戦、展開、手続、特別、特殊、取締、打消、話題、要素、要点、入口、覚書、貸方、借方、弓道、高利貸、興信所、茶道、柔術、立場、出口、肉弾、引渡、読物。

  以上の漢字語は日本人が長い時間をかけて生成した漢字語であり、日本語から移入するまでは中国語にこのような漢字語の使用例がなく、「場合」「身分」「見習」「取締」「打消」などは漢字語と言っても純粋な日本語の発音と造語法に基づいて生成された言葉である。】

  上の論文と例示された漢語を見ると、確かに西洋の新しい概念の言葉だけではなく、純粋な日本語の発音と造語法に基づいて生成された言葉も中国は日本から輸入したようである。確かに場合、場面、場所などは中国語の中でよく使われるが、これはも元々日本製であったようである。なお金光林氏の論文では
日本の漢字語(和製漢語をその性質に次の三つに分類していて、あとの二つの分類は次のようである。


    金光林氏の論文『近現代の中国語、韓国・朝鮮語における
    日本語の影響』 ―日本の漢字語の移入を中心に― 
        からの引用の続き

(2)近代に改造された漢字語(近代に日本人が欧米の諸言語の言葉を翻訳する際、古代中国語の漢語をその意味に合わせて改造し、その改造された漢字語を中国語に移入した場合)

文学:『論語』「先進」篇、『論語』の「疏」(注釈)に出典があり、文章の
   意味。
文化:『説苑』「指武」篇などに出典があり、文治教化により、また法律
   などにより人民を平和に治め従わせる意味。
文明:『易経』「乾卦」「文言」篇に出典があり、物事の筋道が大いに
   明らかになる意味。
文法:『史記』に出典があり、法律や規則の類の意味。
分析:『漢書』『後漢書』に出典があり、物事を本体から分離する意味。
物理:『晋書』に出典があり、物事の道理の意味。
演説:『書経』「洪範」篇に出典があり、詳しく説明する意味。
諷刺:『文心彫龍』に出典があり、婉曲な語句によって、謗る、当てこ
   するの意味。
学士:『史記』に出典があり、学者を指し、魏晋六朝頃から中国の
   各朝廷の官職の名前。
芸術:『後漢書』『晋書』に出典があり、学問・技術の意味。
議決:『漢書』に出典があり、評議し、取り決める意味。
具体:『孟子』「公孫丑」篇に出典があり、内容が大体備わっていると
    いう意味。
博士:中国の歴代王朝に設置された官名であり、古今に通暁した
   人物を指した。
保険:『随書』「劉元進伝」などに出典があり、険要の地に立てこもる
   ことの意味。
封建:古代の天子が爵位と土地を諸候に分け与え、その分封された
   区域に建国させることの意味。
方面:『後漢書』に出典があり、方向の意味。
法律:『管子』に出典があり、法律政令とは官吏と人民の務めるべき
   規則や準則の意味。
法式:『史記』『管子』などに出典があり、法律と制度の意味。
保障:『左伝』などに出典があり、保護するために遮り覆ってくれるもの
   の意味。
表情:『白虎通』に出典があり、顔つきや身ぶりで心情を表わす意味。
表象:『後漢書』に出典があり、表面に現れたしるしまたは姿の意味。
意味:唐の白居易、杜牧らの詩に出典があり、楽しむの意味。
自由:唐の杜甫の詩に出典があり、自分の意思に従って行うという意味。
住所:蘇舜欽の詩に出典があり、一般にいるところの意味。
会計:『孟子』に出典があり、出納の計算をする意味。
階級:『三国志』に出典があり、官位に階段があるという意味。
改造:『通鑑』『宋史』に出典があり、改めて選択する、または重ねて
   製造するという意味。
革命:『易経』に出典があり、王者の姓を変える、即ち王統を変えると
   いう意味。
環境:『元史』に出典があり、周囲がめぐり囲まれている区域。
課程:『詩経』『元史』に出典があり、割り当てられた仕事や勉強の程度、
   または物品に課する税の程度
計画:『漢書』に出典があり、謀慮、たくらみの意味。
経理:『史記』『旬子』に出典があり、通常の筋道(常理)という意味。
経済:『宋史』に出典があり、民を治め、民を救うという意味。
権利:『史記』「灌夫伝」に出典があり、権力と利益の意味。
検討:中国の宋、明の時代の官名。
機械:『荘子』『淮南子』に出典があり、人のたくらみや巧智の意味。
機会:韓愈、蘇轍の詩と文に出典があり、事を行う適当な時機の意味。
機関:黄庭堅の詩、『鬼谷子』『易林』に出典があり、策略をめぐらす心、
   事の発動が仕掛けられたものの意味。
規則:李群玉の詩に出典があり、常に守るべき規範の意味。
抗議:『後漢書』に出典があり、正直な気持ちで論ずることの意味。
講義:経典の意味を解き明かした書物、または師が儒教について講学
   する時にそれらに関する学説を広く集めて著した書物。
故意:杜甫の詩に出典があり、昔馴染みの気持ちや心の意味。
交際:『孟子』「万章」篇に出典があり、礼儀と進物でもって相まじ
   わるの意味。
交渉:範成大の詩に出典があり、関連の意味。
構造:『宋書』に出典があり、組み立てる意味。
教育:『孟子』「尽心」篇に出典があり、教え育てるの意味。
教授:『史記』に出典があり、道理を説くすべを生徒に伝授すること。
   一方、漢代以来の中国の教育職の官名でもあった。
共和:中国の周の時代の年号。
労働:白居易の詩に出典があり、いたわり、感謝するの意味。
領会:向秀の賦に出典があり、暗黙の道理が相会得している意味。
流行:『孟子』に出典があり、水の流れ行くように遠くまで波及すると
   いう意味。
政治:『詩経』に出典があり、行政上で施行された一切の国を治める
   事の意味。
社会:『東京夢華録』『夢梁録』『二程全書』『貞観画史』などに出典が
   あり、の神官や村里の人々が祭日がやってくるごとに会合を開き、
   神仏へのお礼参りをする意味。
進歩:『伝燈録』に出典があり、停止することなく一歩一歩前に進む意味。
信用:『左伝』『漢書』などに出典があり、信じて用いるの意味。
支持:柏梁の詩、杜甫の詩などに出典があり、つとめて保持すると
   いう意味。
思想:曹植の詩に出典があり、思慮するという意味。
自然:『老子』『淮南子』『晋子』などに出典があり、天然、ありのままの
   意味。
手段:『謝上蔡語録』に出典があり、事柄を処理する手立てをとると
   いう意味。
主席:『史記』に出典があり、宴席を主宰する者の意味。
主食:『通鑑』に出典があり、天子の食事を主につかさどる役目の者の
   意味。
運動:董仲舒の『雨電対』に出典があり、めぐり動くの意味。
予算:耶律楚材の詩に出典があり、前もって計画を定めるという意味。
遊撃:中国の歴代の軍事将校の官名。
惟一(唯一):『書経』に出典があり、もっぱら、ひたすらの意味。

  以上の近代に日本人によって改造された漢字語の中には、中国ですでに使われていた意味と近似するか大差がないものもあり、例えば、「学士、博士、封建、方面、表象、自由、住所、革命、権利、機会、規則、講義、交際、構造、教授、政治、進歩、信用、自然、手段、投機、唯一」などがそうである。それでも全く同じ意味ではなく、やはり日本人がこれらの古くからの中国の漢語に近代用語として新しい意味を付与したと言える。これら以外の、例えば、「分析、意味、環境、機械、抗議、故意、労働、社会、支持、主席、主食」などの漢字語は中国の漢語とはかなり違う意味で使われているし、よく知られている「文学、文化、文明、芸術」などの漢字語も中国の漢語とはニュアンスが違う。やはり、これらの漢字語はすでに古典の中の漢語ではなく、近代文明の中で新しく意味を付与された近代言語になったわけである。

(3)欧米の言語を意訳した漢字語(明治期の日本で漢字の組み合わせにより欧米の言語を「意訳」〔または部分的に意訳〕し、さらにそれが中国語に移入された場合)

馬鈴薯、弁証法、美学、美術、美化、美感、微積分、傍証、物質、治外法権、蓄電池、直覚、調整、超短波、仲裁、抽象、代表、代理、代数、断交、談判、断定、瓦斯、脱党、電業、電力、伝播、電報、伝票、電流、伝染病、電車、電信、導電線、動機、動員、導火線、動向、独裁、独占、動脈、動脈硬化、動産、導体、液体、演繹、不動産、復員、概括、概念、概論、概算、学位、学期、学齢、劇場、現役、現実、現象、原則、下水道、議案、議員、議会、義務、技師、互恵、軍事、軍国主義、背景、配給、迫害、迫撃砲、博覧会、判断、反動、反映、反革命、判決、反応、反射、反対、破産、併発症、偏見、批判、批評、否決、引渡、否認、否定、法学、法医学、法人、法科、放射、保釈、放射線、保障、放送、法則、法廷、法定、方程式、表演、表決、一元論、医学、意志、意識、意図、自治、自白、自発的、人為的、人格、人生観、蒸発、情報、条件、蒸気、静脈、蒸留、科学、化学、解放、海事、改良、回収、潰瘍、改善、客観、幹部、関係、観念、管制、鑑定、借方、仮説、貸方、仮定、過渡、寡頭政治、刑法、警察、系統、経済学、結核、建築、企業、金額、金庫、帰納、交易、雇員、甲状腺、公開、根本的、拘留、交流、光線、公証人、肯定、組合、脚本、局限、供給、共産主義、休戦、命題、免除、未知数、民主、目的、目的物、無機、入場券、冷蔵庫、瀝青、歴史、列車、論理学、領土、領域、領海、緑化、領空、流体、最後通牒、最恵国、催眠術、催涙弾、索引、算術、三角(法)、作用、左翼、成分、生物学、政府、請願、制裁、政策、生産力、政党、制約、世界観、積極、専売、説明、社団、社会学、社交的、試験、新聞、信号、侵犯、進化、侵蝕、消防、消毒、商業、消費、商品、消化、消火器、消火栓、職員、消極、承認、消音器、集中、主義、集合、周波、主観、主権、周期、宿舎、主任、出版、出訴、出超、出廷、曹達(炭酸ソーダ)、即決、総合、総理、相対、総体、数学、対比、体育、退化、対応、体積、対象、対称、体操、単位、提案、定額、定義、提供、偵察、展望、展覧会、鉄道、哲学、投票、登記、特権、特許、特徴、特務、得数、特約、突撃隊、右翼、要衝、予約、遊撃戦、遊撃隊、唯物論、唯物史観、唯我論、唯理論、唯神論、唯心論、有価証券、有機、財団、財務、材料、財政、前提、絶対。

  以上の欧米言語を意訳した漢字語は、そのほとんどが思想、観念、法律、制度、科学、技術、医学、芸術などに関わる近代の言語であり、元の欧米諸国の言語も古典語よりは近代文明の中で新しく生成された言葉が多いと思われる。】

◎中国の外来語辞典を探す

  陳生保博士の「中国語の中の日本語」の論文には、中国には『漢語外来語辞典』あると書かれていた。その辞書を買って調べれば、どの言葉が日本製漢語であるか一目瞭然で判別できると考えたのである。日本製漢語は中国から見えれば、外来語であるから、当然日本製漢語は外来語として外来語辞典にに載っていると考えられた。 しかし中国で外来語辞典を探そうとしても中国には外来語辞典は売っていないのである。

  中国の外来語辞典で、ある漢語が日本製であるかどうかを調べる着想は、自分でも素晴らしいと思ったのだが、しかし中国には外来語辞典が売っていないのである。そしていろいろ調べてみると、陳生保教授の論文に出てくる外来語辞典の名は『漢語外来語辞典』ではなく、『漢語外来詞詞典』(高名凱・劉正_・麦永乾・史有為編)であることが分かった。しかし『漢語外来詞詞典』は絶版になっていて買えなかった。しばらくして中国のにもネットにも古書のネットワークがあることが分かり、『漢語外来詞詞典』を入力して検索してみたら見つけることができた。

  見つけることができたのだけれど、南京市の古書店あるとかで買うのは困難と思われがっかりした。しかし古書店の中の住所が報国寺というのがあり、その寺はなんと会社と私の住まいとの中間にある寺で、その寺では毎週木曜日に骨董市が開かれていて、私は木曜日には必ずその骨董市に行っていたのである。早速、報国寺の中にある古本屋に行ってみると、『漢語外来詞詞典』が二冊あり、二冊とも買い占めた。考えてみると購入した『漢語外来詞詞典』は、とても貴重なもかもしれない。中国唯一の外来語辞典かもしれないし、一般の書店では売っていないのだから。




  『漢語外来詞詞典』という辞書は1960年から22年の歳月をかけて編纂されたもので、1984年に出版された。この辞書には約一万の外来語を収録してあり、日本からの外来語はその内、896であると言う。



  例えば『漢語外来詞詞典』によれば「労働」と言う単語の語源は日本だと書かれている。英語のlavourを意訳したものだとしている。そして「働」の字は日本人が作った漢字であるが、古代漢語には労動と言う言葉があったらしい。しかし英語のlavourとは別の意味であったらしい。そして元々あった字は「動」であった。


◎中国語の中でどのくらい和製漢語が使われていいるか、その出現頻度を実際に調べてみたくなった。

  和製漢語の使用頻度をしらべるにあたって、どうせなら毛沢東思想の本の中にどれくらい和製漢語が現れるかを調べてみようと考えた。しかし解ったことは、毛沢東は毛沢東思想を書いていないのである。毛沢東思想は有ることになっているが、文化大革命を起こした無茶苦茶な非理論的な考えは、だれも理論として体系化できなかったのだろう。

  そこでたまたまネットの中に毛沢東思想を解説した「毛沢東思想内容」と「毛沢東思想概論」と言う短い文章があったので、その中にどのくらい和製漢語を含まれているかを、『漢語外来詞詞典』で一つ一つ確認して、和製漢語に赤い印をつけてみた。

  但し、金光林氏が日本語からの外来語としている「政治、文学、主席、政権、右傾、左傾」などは、『漢語外来詞詞典』の中では日本からの外来語とはしていないので印を付けなかった。『漢語外来詞詞典』の中に896あると言われている和製漢語のほかにも、和製漢語はもっとあるのではないかと思われる。

  中国に渡った和製漢語の数はたった1000ぐらいかもしれないが、和製漢語は繰り返し使われるので出現頻度は相当高いのである。思想、政治、 経済、 哲学、 法律などに関する文章の中に現われる和製漢語の出現頻度は、下の文章の赤い字で分かると思うが、30%〜40%程度かもしれない。

  とにかく現代中国語の中で和製漢語が使われる割合は相当高い。そしてそれらの漢語が日本からの外来語であることをほとんどの中国人は知らないのである。








   End