繝医ャ繝・繧「繧、繧ウ繝ウ 斉家玉器の奇奇怪怪

  以下の話は考古学の話でもあり骨董業界の話でもあるのだが、言いたいことは中国ではおかしなことがまかり通っている、日本ではありえない話が中国にあるということを言いたいのである。

  中国古代の斉家文化について調べるのに中国語のネットに載っている論文などを調べたのであるが、斉家文化について調べれば、斉家文化の玉器についても分かってくる。そうしたら斉家文化の玉器については極めて怪しい世界であるらしいことが分かった。

  今中国は景気がいいせいか骨董収集の大ブームの中にある。骨董品のオークションなどは日本などよりずっと多い。骨董の中でもとりわけ古代の玉器、その中でも斉家文化の玉器が人気を集めている。しかし玉器の愛好家によって収蔵される玉器は殆ど盗掘品ではないのだろうか。さもなければ古代の遺蹟からの出土品ではなく現代の新作か? 中国の骨董業界では、収蔵家によって収蔵されている物が盗掘品であるとはあからさまには言っていないが、もしかしたらこのことは暗黙の了解事項として骨董業界に通用しているらしいのである。そのことは中国の考古学者の論文を読むと明らかに分かる。

  中国社会科学院文学研究所の葉舒憲氏の論文「斉家文化と玉器時代(西北成人学報2008、1期)」によれば、

  『斉家文化に詳しい学者はほんの僅かであるのに、突然、新しい学問の領域が現れた。それは玉学または玉文化の研究と言われているもので、考古学者によるものではなく、斉家文化の古玉について興味津々の収蔵家による学問である。今世紀に入ってのことであるがその古玉收藏者や玉文化研究者が、何冊ものカラー印刷本を出版している。例えば「斉家古玉」とか「斉家文化玉器研究」などの本である。

  しかしこれらの古玉は疑いもなく正式に発掘されたものではなく、個人の収蔵物なのである。これに対して我々考古学界では検討するに値しないものであると考えている。斉家文化の探求については一種の平行状態があって、一方では発掘された出土品を唯一の基準とする専門家の研究であるが、もう一方は考古学に詳しくなく専門家でもない収蔵界の出版物である。この出版物は独断的であって個人の収蔵物を見せるのが主な目的である。

  こうしたから出版物は今世紀に入って以来蔓延しているが、これによって骨董市場の古玉の暴利を誘い、偽物作りの参考書にもなっている。甚だしきは、自費出版した本の作者自身が、自分の収蔵品ついて値を付ける者も現れ、本物か偽物かもわからないものに法外な値を付ける者も現れた。』と書かれている。

  この論文の中で収蔵家の集めた物が、盗掘品だとハッキリは書かれていないが、「これらの古玉は疑いもなく正式に発掘されたものではなく」と書かれているから、盗掘品以外の何ものでもない。いやいや中国ではそうではないかもしれない。私の知っている甘粛省(ここにはたくさんの遺跡がある)の馬さんは、自分の土地から出た物は自分のものであると言っていて、自分でも土地を買いたいと言っていた。だから中国では自分の土地から出てきたものは盗掘品とは言わないのかもしれないけれど。

  また葉舒憲氏の論文の中では、『玉器時代について書いた研究書はあるのだけれど、それは東方地方の紅山文化や江南の良渚文化の玉器を主体にしたものであって、斉家文化の玉についての記述が無ことは不可思議なことだ』と書いておられる。さらに別の葉さんである、中国社会科学院考古研究所の葉茂林氏も、「現在斉家文化玉器につての専門書は一冊もない」と書かれている。文化玉器の考古学者側の体系的な研究は進んでいないようである。但し葉茂林氏によれば最近出版された「中国出土玉器全集(15巻本)」の15巻目には大量の斉家文化玉器が収録されていて、この本は参考になるとしている。葉舒憲氏が強調したいのは正規の発掘によって「出土」したものなら参考になると言いたいのである。

  謝端居氏の著書「甘青地区史前考古」(2002年出版)によれば斉家文化の遺蹟は1100個所くらい発見されていて、そのうち発掘されたのは3、40個所だと書かれていえる。この数字で言いたいことは、まだ未発掘である遺跡がたくさんあると言いたいための数字なのか、まだ発掘された遺跡は少ないと言っているのか、その意味がはっきりしないが、その遺跡から出土した玉石器は3000個近くであったと書かれている。

  そしてその次に重要なことが書かれているのだが、
「出土した斉家文化玉器の工芸上の突出した特徴は、何の装飾も無いことで、普通は無紋である」(p123)とある。このことは実に重要な証言である。実は収蔵家が集めた斉家文化の玉器はこれとは全く様相が異なるらしい。


この形を璧(へき)という。正規な発掘によって遺蹟から出土する
玉璧(ぎょくへき)は、この様に無紋であるらしい。


  楊伯達氏の論文によると、古玉の収蔵家について、北京、蘭州、フフホト、成都、重慶、深センなど各地の十名以上の収蔵家の収蔵品を調べたとところ、その収蔵品の特徴とは、まず第一に収蔵量が多く、多い人は6、700件以上、少ない人でも100件以上を収蔵していていたのだとか。二番目にその種類が多いことである。ふつう考古学の発掘で出土する玉器以外の形として、大型の玉璋,各種多孔刀、各種の玉琮などがあり、浮彫や立体的な羊、猿、兎、神像などの加工品もある。三番目の特徴は装飾加工されたものが多く、浮彫とか線刻と透かし彫りとかによる装飾がおおいのだとか。中には象嵌品やトルコ石を嵌め込んで表面を磨いたものもある。四番目は大型の玉器が多いことである。

  このことは、公立博物館に展示されている玉と明らかに様相を異にするらしい。博物館の学者は大型の玉琮や華麗な玉璋を疑い、それは他の文化のものではないかと排除し、正式に発掘出土したものだけを基準として選別して並べるから、博物館に並ぶ斉家文化の玉器は、無紋の素朴な玉器が数個並ぶというありさまらしい。

  ここで葉茂林氏(中国社会科学院考古研究所)の論文「再び斉家文化玉器について語る」(中国文物報,2006年5月10日第6版)を読んでみると、葉茂林氏の基本的な考え方は、斎家玉器の研究は考古学によって発掘出土した玉器を研究の標準にするべきであるという考えである。しかしずっと以前民間に流れていた古玉で、それがそののち博物館に収蔵されたものなどは参考になるとしている。話はちょっとそれるが中国人は昔から玉が大好き人間で、清王朝の乾隆帝なども古玉を収集しいたらしい。清王朝が収蔵した古玉は、今、台湾の故宮博物館にあり、40個ぐらいは斉家文化の古玉であるらしく、これは古玉器の研究資料になっているのだとか。

  とにかく中国人は玉が大好きで、古代王朝の夏、殷、周の時代から戦国時代、ずっと下って清の時代まで玉が大好きだった。今でも中国人は玉を好む。骨董市などには玉の製品がたくさん並んでいる。しかし現在は古代の玉と違ってヒスイが好まれ、腕輪などの装飾品が好まれる。ヒスイは硬玉と言われるが、昔の玉は軟玉と言ってあまり固くない。形も斉家文化の古玉は「壁」とか「璋」とか「斧」とか「琮」とか「圭」とか、ある程度形が決まっていて、腕輪などより形が大きいものが多い。その時代にそういうものを持つ意味も現代の装飾品と違っていて、身分を表すとか、祭器、礼器、葬器とかに使われたらしい。出土する場所は墓が多い。

  再び葉茂林氏の論文に話を戻せば、『ある人の説(収蔵家の説?)によれば、斉家文化玉器については、早期と晚期の区分があり、早期と晚期とでは形状などは同じでないとする説がある。その説に従って、早期の玉器を見れば、5、600年位続く斉家文化の遺跡から出土した玉器と形状などは一致する。しかし
収蔵家が言う晩期の玉器は、斉家文化のどの時期にあたるのか明らかでない。そして晩期の玉器と言われるものは新品種である。この説は人を誤らせる説である』と葉茂林氏は言うのである。


収蔵家が収蔵した玉璧(ぎょくへき)は、浮彫や陰刻などによる装飾がある。
この様なものを収蔵家は斉家文化晩期のものというのか。新品種なのか。


  実際に考古学上の研究では、斉家文化にあった玉器は斉家文化の後に絶えてしまって、次の寺窪文化、辛点文化には伝わらなかった。それならば斉家文化晩期の玉器とはどの時期に作られたものなのか、斉家文化晩期の玉器と言う言い方はどの時代を差すのかあやふやなのである。

  葉茂林氏の話は続く、『我々は、そのものを見ずに所謂斉家文化晩期の玉器が偽物か本物かまでは言えないが、ハッキリ言えることは所謂新品種と言われている物は全て斉家文化玉器ではない』と断定している。新品種だと言う意味は、今までに遺跡から出土したことがない形や種類であるから新品種と言うのだろう。

  さらに『収蔵に熱中する収蔵家たちはもっと慎重にならなければならない。もしあなた達が言う一種の観点、
つまりそれら新品種が斉家文化の晩期のものだと言うならば、まず先に学問を学んで、これらの玉器はどこから出土したのかの根拠を明らかにして、さらに斉家文化の早期、晩期をどうやって区分するのかを説明すべきである。』と言っている。そうでなければ公衆を迷わせ、文物市場を混乱させることになると書かれている。

  中国の収蔵界の現状というと、考古学者にここまで言われても決着がつかないままに、怪しげな斉家文化の古玉器が流通していて、斉家文化の古玉器ブームにまでなっているのである。理解できない中国の現状である。もう一つ中国の収蔵界の現状というと盗掘品が堂々と出回っていることである。学者から斉家文化の物ではないとまで言われた斉家文化玉器は、盗掘品か新作の偽物かのいずれかであるに違いない。

  全てが偽物とは考えられないから一部(または多くの部分)は盗掘品であることに間違いはない。収蔵家が持っている盗掘品は、それが本物であってもどこの遺蹟から出たのか、斉家文化のいつの時期のものかを証明できないのである。盗掘品であるなら逆に本物であると言えることには間違いないのだが。

  日本の縄文土器ならば、それが盗掘品であっても土器の編年の体系に照らし合わせれば、それが出土する地方や作られた時代がかなり正確に分かるのではないだろうか。中国の斉家文化の玉器には玉器の編年の体系は研究されていないようである。

  斉家文化の新品種の玉器が出土する遺跡がどこかに存在するのかだろうか? 私の考えでは存在すると思う。そのことは私が集めた特殊な玉器が、どこの遺蹟から出たとは分からないのだけれど、それらが本物として存在することから、斉家文化の新品種の玉器が出土する遺跡が存在すると考えられる。もしその遺跡が発見できれば、考古学界の快挙になるだろうし、斉家文化の晩期の玉器の問題を一挙に解決することになるのだが。私が集めたものはトルコ石で精巧に象嵌(ぞうがん)された、璧(へき)とか斧(ふ)なのだが、これが本物である限り、それが出土した遺跡はどこかに必ずあるはずである。そこは甘粛省の黄河上流のさらに黄河支流のどこかであると思うのだが。

  斉家文化の晩期の玉器が盗掘品であれば、それは本物であるから新作の偽物ではないことになる。しかし玉器の偽物も多いことは大いに考えられる。その理由は玉器の偽物を作れば大いに利益が上がるからである。

  古玉の鑑定家(考古学者ではない)が言うには、古玉の真贋を鑑定するには、第一に玉の質、つまり石の種類。第二に玉器の形とかの装飾・加工。三つ目に「受沁」によって真贋が鑑定できるという。「受沁」とは玉が長いこと地中に埋まっているうちに受ける風化作用と浸食作用を言うらしい。鑑定家はこれがあると本物であるという証拠としてとてもありがたがる。

  玉の偽物は作りやすいと思う。ふさわしい玉材を集めて、それを現代の金属加工器具で加工すれば簡単に加工できる。そしてその形を本物よりちょっと複雑にして、これは斉家文化の晩期のものであると言ってさらに価値を高めることもできる。

  個人的な感想では古玉器の真贋の鑑定は、正しくできるのかと疑問に思う。ふさわしい玉材を使い、それらしい形状に加工した偽物を偽物と鑑定できるのだろうか。「受沁」があればこれこそ本物だなんて鑑定家が言うが、「受沁」が無いからと言って偽物だという根拠にはならない。そもそも「受沁」とは4000年も地中にあった経年変化で環境によってさまざまに変化するし、全く変化しないかもしれない。

  以前日本の「何でも鑑定団」で、中国から買ってきた斉家文化玉器が偽物であると鑑定された。偽物が多いところから買ってきたものだから、結果として偽物とした鑑定は正しいのかもしれない。しかし何でそれを偽物と判定したしたのかその根拠を詳しく聞いてみたかった。納得できる理由で偽物と判断したのだろうか。そんなに簡単には真贋は分からないと思うのだが。第一、本家の中国では斉家文化晩期の玉器と言われる玉器が、本当に斉家文化晩期の物であるがどうか、または偽物なのか未だに決着が付いていないのだから。

  つまり偽物であっても、それに対して容易には真贋を判定できないのではないかと思う。だからこそ偽物も多いと思われる。中国は玉器に限らず偽物が多いのだけれど。

  この文章のまとめは、中国の現実とは盗掘品が非常に多く出回っていても問題にされない国であること。斉家文化の玉器については考古学上大いに疑問がありながらそれが解決されないまま骨董界のブームになっていること。中国はやはり偽物が多い国であること。この三つである。


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