私の暗い趣味
(2010年5月30日)


  私の趣味は暗くてオタク的な趣味であると思う。その趣味はやはり中国と関係がある。絵を描くだとかギターを弾く趣味を持っている人は羨ましい。絵や楽器の趣味は、上手であれば上手ですねと褒めてくれる。上手でなくても「いい趣味ですね」ぐらいは言ってくれる。ところが私の趣味は、これが私の趣味ですと言うと、「それは偽物ではないか」とか、「何でも鑑定団に出して鑑定してもらったら」と言われてしまう。絵が趣味ですと言うのと反応が違うのである。だから私の場合、「これが私の趣味です」と、誇りを持って言いたいのだが、そうと言い出し難くなる。

  「何でも鑑定団であれば、何でも鑑定できる」と信じている人は多い。それが本当なら、考古学上の出土物を鑑定する場合に、考古学者に鑑定してもらうより、「何でも鑑定団」で鑑定して貰った方がいいことになる。考古学者にも分からない古代の出土物は多いはずである。考古学者にもわからない物を「何でも鑑定団だから何でも鑑定できる」なんことは無いのであるが、そういうことを言う人に「何でも鑑定団であっても、何でも鑑定できるはずがない」という事実を長々と説明するのでは本当に疲れてしまう。そして「何でも鑑定できるはずだ」と信じている人を改心させるのは、オウム真理教の信者を改心させるほどに難しいように思える。

  「何でも鑑定でも、鑑定できるはずがない」と言うことや、私の集めた物が本物であることを説明しようとしても、私の妻のように「あなたがそれを本物と信じているのは、新興宗教を信じているようなものだ」と逆に反撃されてしまっては、もはや説明や議論の入り口にも達しないのである。

  私の趣味は確かにオタク的であって知識もオタク的であるから、普通の人が知らない専門的な知識を沢山知っている。集めた物の真贋も鑑定できる。勿論、集めた物は全て本物である。(実は買った物が全部本物であったわけではなく、何回も騙されたりした。しかしそのことによって経験を重ね、真贋が分かるようになったのである。それで目の前にある物が、何故本物であるかも説明できる。偽物と分かった物はつき返したとか、壊したとかした。)

  説明はできるが、その説明にかなり時間がかかる。私が集めた物は中国の黄土高原地帯から出土する物であるが、黄土高原とは? と説明する必要があるのだが、それをちゃんと聞いてくれれば、私の集めた物の真贋の説明の入り口になるのだが・・・・・。

  私が集めた物の中には、中国の夏王朝と関係があるものがある。だからこの物の由来を説明するには、やはり夏王朝の説明から始めなければならない。何千年前の頃であったかとか、どの地方にあったかとかを説明しなけらばならない。しかしその説明をしようとすると、「それより先に何でも鑑定団に本物かどうか鑑定してもらったら」なんて言われてしまう。

  更に私が集めた物の一つに、アンダーソン土器と言うものであるが、それは中国の黄土高原から出土する。その土器に水をかけると、黄土高原の土の臭いが香り立つ。しかし臭いがしない物もある。ではそれは偽物かと言うとそうとは限らない。高温で焼かれたアンダーソン土器はアンダーソン土器とは言えない。では低温で焼かれた土器ならばアンダーソン土器と言えるかというと勿論そんなことも言えない。それ一つだけで偽物だと言える根拠もあるが、真贋を説明するに一言では言えないことも多い。そう言ったややこしい理屈を全部聞いてくれば、私の集めた物が本物のお宝だと信じてもらえるのだが、残念ながら聞かされている方は、私の長い説明を聞いているうちに、やはり「何でも鑑定団に鑑定してもらった方が良いのでは」という疑念が湧いてきてしまうらしい。「何でも鑑定団なら何でも鑑定できる」という信仰は、意外に根強いようである。

  私の趣味と言うのは、中国甘粛省の蘭州や臨夏市の周辺から出土する彩色のある土器を集めることや、もっと後の時代の、斉家文化のトルコ石の象嵌の玉器を集めること、またトルコ石象嵌のある銅器を集めることなのである。その地方の土器は、日本の土器と違って煮炊きに使う実用品ではなく、身分を表すために所有したためか、とても奇麗な彩色がある。トルコ石の象嵌の玉器にしても高い象嵌の技術で作られた芸術品である。トルコ石象嵌のある銅器ともなれば、銅器が初めて中国に現れた時期の芸術品なのである。

  私はそれらの珍しいお宝を集めて収蔵しているのであるが、上に説明したような事情で「私の趣味はこれです」となかなか言い難くなってしまった。それで鬱積した気分の中で寝る前に、ウイスキーの水割りを飲みながら、陶然とした気分の中で、私の集めた物はなかなか素晴らしいものではないかと、土器の尻などを撫でまわすのである。土器の尻だけではなく、トルコ石象嵌の銅器も取り出して撫でまわす。トルコ石象嵌の玉器も撫でまわす。それはその物が本物か偽物かなどと雑音に煩わされることのない至福の時間である。

  しかし夜中に土器の尻を撫でまわすなんて、私の趣味はやはり暗い趣味であるようである。至福の時間が過ぎ酔いが醒めても、素晴らしいお宝を集めたという信念は変わらないが、妻はそれは新興宗教の虜になってしまったようだと言うのである。