甘粛省大縦断の旅−3(砂漠のタマリスク)
(2008年11月7日)


  10月2日は嘉峪関からタクシーをチャーターして、途中、破城子遺跡や、楡林窟、鎖陽城を見て敦煌まで行った。走行距離530K 900元、8時半発、敦煌には午後6時10分に着いた。やはり印象的だったのは、行けども行けども続く、荒漠とした乾いた風景だった。それが何時果てることもなく続くのである。もしこの道が初めて通る道だったらこの道は間違いではないのかと、心配になったかもしれない。そしてもうひとつ印象的な光景だったのは砂漠の紅葉、または黄葉だった。



  実は2000年の4月に、安西からりタクシーをチャーターして楡林窟、鎖陽城を見に行ったことがある。そのとき運転手が、この辺りは秋になると、とても綺麗だと言っていたことが記憶にあって、今は秋なので、きっと綺麗なのではないかと、期待してそこへ向かったのである。綺麗なものとは、後で調べるとタマリスクの紅葉でるらしい。見たときはこの植物の名前はタマリスクかもしれないという知識が無かったので、確かめ無かったが、後で他のところで見たタマリスクよりは背が低かった。

  その辺りの低い喬木か草かは確かに一面紅葉していて綺麗だった。場所は安西から楡林窟へ行く途中の、安西からしばらく行くと、木が一本もない奇怪な禿山の間の道を通るのだが、そこを抜けると、広いゴビタンの平原が続いていた。地平線が見えるくらい広い平原だった。そこにタマリスクの紅葉があった。砂漠のタマリスクである。本当はここは砂漠ではなく、小石の多いゴビタンである。「砂漠のタマリスク」と言ってみたのは、タマリスクは砂漠にふさわしい植物だから、そう言ってみたと言う理由だけなのであるが。

  タマリスクの紅葉が綺麗のところは、もっと奥にあった。そこには楡林窟の近くで、楡林窟の下を流れている河の続きの川岸で、荒涼たる山を背景に真っ黄色に黄葉した木が茂っていた。この木も砂漠にふさわしい胡楊の木だったかもしれない。その川岸にはタマリスクも生えていて、そこのは平原野のものよりはもっと赤く紅葉していていた。

  ここのは平原にあったものより背が高く、確かにこれはタマリスクだったと思う。次に見に行った鎖陽城にもタマリスクはあった。鎖陽城の周りはゴビタンと言うより、砂の砂漠といった感じだったので、ここのものこそ砂漠に生えるタマリスクと言うのにふさわしいかもしれない。ここのタマリスクは崩れかけた遺跡の縁取りのように紅葉していて綺麗であった。

  ところでこの辺りでのタマリスクの紅葉はもっと時期が遅くなると、例えば10月10日とか20日頃になると、もっと赤くなるのかもしれない。その頃旅行した人のブログの写真は、もっと赤かったのである。しかしタマリスクの画像検索をしてもあの平原が一面に赤くなっている写真は見当たらなかった。もし本当にあの平原が真っ赤になるならそれを見たかったのだが。そうは言っても、タマリスクの一番綺麗なときに行ってみたいなどという旅行は、どだいわたしには無理なので、諦めなければならない。期待以上の思いがけない紅葉が見えたので、これで十分満足できた。

  タクシーは前日の晩に、交渉して出発時間、値段を決めておいた。嘉峪関から敦煌までは観光無しで直接行っても350k位はあるし、ましてゴビタンの中にある楡林窟、鎖陽城に行ったと言う運転士は多くはないのではないかと思って、楡林窟、鎖陽城に行ったことのある運転手を探したのである。すると三人目で行ったことがあると言う運転手に当たり、その人に頼むことにした。

  タクシーは高速道路をずっと走って、安西まで行ったのだが、途中風力発電がたくさんあるところを通った。この辺りは風が強いところなのだろう。風が強いので、地形も風で削られて特殊な形になり、それでできたヤルダン地貌という地形が見えた。

  安西までは行って、安西からは敦煌の方向に向かって走り、しばらく行ってから敦煌へ行く道と分かれて、鎖陽城のほうに行くのだが、この辺りで、運転士が楡林窟にも鎖陽城にも行ったことが無いことが発覚した。わたしは自分で簡単な地図を持って行ったので、道を間違えることは無かったが、ここで道を間違えたらそれこそ大変なことになるところだった。

  鎖陽城を見た後、既に2時頃になっていたので、食事をしようと、運転士に言ったら、敦煌へ行ってから食べたほうがいいなんて言っていた。つまり、これから鎖陽城に行って敦煌に着くまでどのくらい時間がかかるのか、運転士には全く分かっていないようだった。そこで食事をしなかったら、夕方まで食事できない事になるので、ゴビタンの中の小さな村で麺を食べた。結局敦煌に着いたのは夕方の6時ごろになった。