新疆の旅−3(火炎山の谷間にある美しい村)
(2008年6月5日)


◎カシュガルのポプラの木が高々とそびえているわけ

  カシュガルの農村に高々とそびえているポプラはとても美しい。ポプラがそびえている並木道をロバ車が走っている光景は、カシュガルの農村の原風景のように思える。その間をロバ車がとことこ走るのもなかなかいい。もともとこのポプラは木の幹が白くて直立するので、中国語では白楊樹と言われているのだが、それにしても白い樹の肌がきれいに目立つ。そこでタクシーの運転手にあの樹は個人の物か、共同の物かと聞いてみたのである。そうしたら、並木道のものであっても個人所有なのだという。そして樹に梯子を掛けて、ポプラの枝打ちをしている光景を見た。ポプラの枝を落として、個人的に資源として利用するらしい。もともと白楊樹の樹はあまり枝を横には延ばさない樹なのだが、途中から生える枝を落としてしまうのでその幹の白さが一層目立つわけである。枝打ちをしたからといって樹の高さが高くなるわけではないが、白い幹が真っ直ぐに伸びているので、その直立した姿が目立つのである。
    カシュガルのロバ車の写真

◎高台にあるウイグル族の古民居

  カシュガルの街の中の観光地としては、ウイグル族の古い民居が好かった。バザールもよかったのだが、朝であったので早過ぎたかもしれない。やはり新疆時間の関係で、北京時間で考えては早すぎて駄目なのかもしれない。それと、やはりバザールは日曜日がいいらしい。郊外の農民などもたくさん集まってくるからである。

  それで古い民居なのであるが、何故か高台にあり、観光地の名前として高台民居と書かれていた。その高台を下から見ると、茶色い土の要塞のように見えた。入り口で金(一人30元)を取られるのだが、ガイドが案内してくれる。中国語の説明が完全には分からなかったが、ガイドが案内してくれるので、家の中が見られるところはいいところである。

  モロッコのカスバ(行ったことは無いが)の迷路のような細い道を上って行くと、両側に茶色の土の家がびっしりとくっ付き合って並んでいた。道も茶色っぽかった。外は全部が土色の茶色の世界であった。家の中に入ると、家が崖に添って立てられているせいか、意外に家の中が深く、下に四階ぐらいある家もあった。家の客間などは赤い絨毯が敷いてあったり、ウイグルらしい装飾があったりして、きれいに飾られていた。家具は少ないように思えた。ウイグル族の家の特徴は居間とは別に、客を迎える客間があるようで、そこにはウイグルの絨毯が敷かれて、絨毯のようなもの(タペストリー?)が掛けられていた。

  ある家で部屋の隅にある狭い階段を上って上の穴から顔を出したら、狭い部屋で轆轤を回して陶器を作っている人がいてびっくりした。

  家は狭いところに建てられているせいか、家の建て方などはさまざまであった。トイレは屋上のテラスにあるようなことを言っていたが、確かに屋上にはそれらしい小屋が見えた。

   その町全体がエキゾチックな感じがした。そのエキゾチックに見える理由は、やはり住んでいる人の顔や言葉、それに赤や緑色が混ざっているウイグルの矢絣模様のせいかもしれない。

  迷路のような細い道の上には、建物が道の上に張り出して作られていた。その下は薄暗くなっていて、カスバ(行ったことは無いが)みたいだった。ガイドの説明によると道幅の半分までなら自分の権利で、道幅全部を使って道の上を自分の家にするなら、向かいの家にお金を払って、道路の上に自分の家を拡張するのだとか。

   ある家の中を覗くと、揺り籠に赤ちゃんが寝ていた。揺り籠を見て、ここは中国ではないのはないかと思った。中国ではあまり見リ揺り籠を見たことがない。

◎頭の中でウイグルの音楽が鳴り響く

  今回の旅行はタクシーをチャーターして観光地を回った。運転手はすべてがウイグル人だったのだが、音楽好きのためか、よく新疆の音楽を掛けるていた。新疆の音楽はリズムがハッキリしていて、太鼓の音など独特のリズムを刻むのだが、旅行中ずっと、同じようなリズムを聞いていたので、新疆の旅が終わっても、そのリズムが耳にこびりついてしまった。それにカシュガルで本物の音楽も聴いたし・・・・

  実は私は、北京でもよくウイグル族の店に行って、そこではいつも音楽が掛かっているので、ウイグルの音楽は結構好きなのである。旅行から帰ってきて、ウイグルのラグマンは、北京のとは違うようだと聞いてみて、北京のは北京人向けにトマトソース味なのだと教えてくれてのは、ここのウイグル人の女主人である。

◎火炎山の谷間にある美しい村

  トルファンにはたくさん見るところがあって、細かく数えると10箇所ぐらいは有るかもしれない。それを全部見る時間もないので、交河古城、べゼクリク千仏洞、高昌古城、アスターナ古墳、火炎山、吐峪溝マザー村を見た。その中で吐峪溝マザー村が一番良かった。吐峪溝マザー村とはどんな村なのか。ここは以前開放されていなかったが、最近、観光地として開発されて知られるようになったところである。運転手に聞いてみたところ、果たして漢族が投資して開発したとかで、あまりに村民に利益が回らないので閉鎖などの騒ぎがあったのだとか。ウイグル族の運転手は、不満げな口ぶりで言っていた。

  それはともかく、吐峪溝(トゥユィコゥ)マザー村はなかなか魅力的な村であった。しかしこの村のことを一口で言うのは難しい。新疆で一番古い村とかで、ウイグルの伝統的な建物とか生活様式を残している村であるとのことだが、村ができる前からの、古い仏教の吐峪溝千仏洞があったり、その後回教徒が進出してきて、回教徒の聖地となったりで、その歴史が残っていることでも、見所がたくさんある。

  村の光景から言えば、火炎山に大きな割れ目が入り込んでいて、それを吐峪溝大峡谷と言うのだが、その吐峪溝大峡谷の出口にあるのが吐峪溝マザー村である。周りは木が一本も無い赤茶けた荒漠とした土の山で、火炎山の一部である。村は入り口の自動車道路から見れば、低い谷間にあって、村の中央を水が流れていた。上から村を見れば、中央には、高い緑色の尖塔を持ったモスクが見えた。村の中と周囲だけに緑がある。道路をはさんで反対側の山の斜面には、回教特有の丸い天井を持つ回教のお寺が見えた。

   中国のブログにあった吐峪溝マザー村の写真

  家の壁は日干し煉瓦か土壁であって、その色は当然のことに回りの山の色と同じである。村中が赤茶けていた。それでここは中国第一の「土の村」とも言われているそうである。家の作りはウイグル族の伝統的な作り方らしく、中央には大きな土の床の居間があった。ベットがその居間にあったり、家の外にもベットがあったりしたが、ここは夏はとても熱いところなので、涼しさを求めて、外などでも寝るのだとか。  家は傾斜地にあったりするので、傾斜地を利用する為か家の形はさまざまだった。

  村を抜けて、谷の奥に行くと千仏洞がある。そこには行くには新しく長い木道が作られているのだが、この木道が例の漢族の開発商が投資して作った道なのだろう。道の両側には桑の木がたくさんあって、ちょうど桑の実がたくさんなっていた。この桑は実を食べるために植えられていうようで、日本の桑の実のように濃い葡萄色にはならないようであった。ちょっと食べてみたが甘かった。

  木道の終点の崖の上に、壁画が残っている千仏洞があった。この近くには有名なべゼクリク千仏洞があるが、このあたりではあちこちに、千仏洞が作られたようであって、吐峪溝千仏洞も1700年前頃から作られ始めて、多くの石窟や寺院もあったらしく、対岸にも石窟の穴が見えた。吐峪溝千仏洞は新疆三大石窟の一つなのだとか。しかし保存がいいのは9個だけとかで、見物できる石窟は二つとか三つに過ぎない。昔は仏教の聖地であったのだろう。

  実は現在でも吐峪溝マザー村はイスラム教の聖地でもあるのである。山の中腹にあって村から見える寺院がそれで、マザーとは賢者の墳墓という意味だとのことで、言い伝えによれば1300年前の歴史があるのだとか。実際にここに巡礼者が巡礼に来るのだとか。

  ここでお土産に干しぶどうを買った。トルファンは葡萄の産地で、いたるところにレンガで作られた葡萄を干す四角い建物が見られた。

◎行けなかったオイタグ原始森林

  カシュガルでの話に話を戻すと、最初の計画ではカラクリ湖に行くことになっていたのだが、運転手の勧めで、冰川公園にいくことに変更した。120km位あるとのことであった。カラクリ湖は以前、行ったことがあるし、ホテルで買った観光地図にも冰川公園が載っていたので変更したのである。

  しかし、カラクリ湖に行く道と同じ道を行き、真っ赤な崖の山が見えるあたりに、右に折れて脇に入る道があるのだが、そこが交通止めになっていて、観光客は進入禁止になっていた。元の道はカラクリ湖に行く道なので、真っ直ぐ行けばカラクリ湖に行けるのだが、カラクリ湖に行くには時間が遅いし、カラクリ湖への道を行くためには、運転士の事前の許可書が要るのだとかで、それで冰川公園もカラクリ湖も諦めざるをえなかった。

  旅から戻って調べたのだが、冰川公園は別の名をオイタグ原始森林と言い、“オイタグ”とは真っ赤な山のあたりを言うらしい。真っ赤な山はオイタグ山であるらしい。そのオイタグ山から右に折れて砂利道を35km位奥へ行くと、3000m位の高原にオイタグ原始森林があるのだとか。

    幻の冰川公園(オイタグ原始森林)はこんなふう 
    
  更に調べてみると、「奥にはオイタグ村があって、世界一海抜の低い氷河(2,800m)の雪崩れがほとんど毎日眺められる。チャクラギール峰(6,200m)を見ることができ、キルギス族牧畜民の夏場の牧場になる所で民族風情がとても濃厚な場所」と書かれていた。入れなかったのは季節が早すぎたせいだったかもしれない。こんなところなら是非行きたかった。上の写真は夏の写真らしい。残念。

  カラクリ湖に行く国道沿いにあるオイタグ山はこんな風、
    真っ赤な山のオイタグ山。

◎偶然の農村観光

  オイタグ原始森林に行けなかったのだが、その代わりと言っても、だいぶ観光のランクが落ちるのだが、運転手の友達の家へ観光に行くことになった。もともと家の中を覗くのは好きだし、なんと言っても、ここは中国の西の果てで、少数民族の農家である。そう思って珍しいウイグル族の農家に入ってみれば、農家の観光も悪くはなかった

  ウイグル族の家はどこでもそうらしいが、お客を迎える絨毯の客間が専用にあって、その絨毯の上に座って、ラグメンをご馳走になった。その後、ロバ車を仕立ててもらって、ゆるりゆるりと村の下にある広い草原に降りていった。そこの草原には水が湧き出していて、羊や馬が方放牧され、遠くにはカラクリ湖方面の雪山が見えた。方向からいえば、カラクリ湖の対岸に見えるムズターグ・アタ山とかコングール山だったかもしれない。

  冰川公園にもカラクリ湖にもいけなかったけれど、中国の西の果てのウイグル族のお宅が訪問ができたので、まあいいかと諦めた。そういえば去年は、同じく運転手の友達の家ということで、チベット族の農家も訪れることができた。

◎野生のラクダを見た

  新疆には野生のラクダがいるらしい。最初に見たのはカシュガルに行く道の赤い山のオイタグ山があるあたりで、広い河原の奥に居た。運転手に聞いたら野生だといっていた。

  もう一つは、トルファンからウルムチに戻るとき、乗合タクシーに乗って戻ったのだが、遠くに、ラクダの群れが見え。これも運転手に聞くと確かに野生だと言っていた。野生のラクダを見たのも、今回の旅行の成果であったかもしれない

        2003年の新疆の旅の写真