新疆の旅−1(達瓦昆砂漠など)
(2008年5月27日)


  4月28日に北京を出発して5月3日に北京に戻る、5泊6日の新疆の旅行をしてきたのだが、新疆の数々の美しい光景や、珍しい光景を写真に撮って、写真を殆ど撮り終わったあたりで、デジカメを掏り取られてしまった。新疆のスリは技術的にも高度なのかもしれない。デジカメより、撮った写真がなくなってしまった方が悔しい。

  朝北京を出発して、ウルムチに着いて、新疆の美女ならぬ、ローランの美女(ミイラ)を見ようとおもって、新疆博物館に行ったのだが、あいにく月曜日で、休館日だった。新疆でも博物館は月曜日が休みであった。残念だったが次の予定である国際大バザールに行くことにした。ここで、早速、カバブとラグマンという新疆の汁なし麺を食べた。新疆のチャーハンみたいな物も注文した。

  これらは新疆の名物なので、新疆に行く人は是非食べてみるべきである。結局今回の旅行では毎日カバブを食べることになった。大きめなカバブは、ウルムチでもカシュガルでもトルファンでも、とても美味しかった。但し埃は気になったが。

◎ 新疆美人はどこにいるか?

  その日の内に、カシュガルまで飛ぶ予定だったが、まだ時間があるので、国際大バザールの中にある国際バザーある演芸大劇院と言うレストランシアターまで、行ってみた。ここは夜しか実演が無いのだが、時間があったのでどんな踊りがあるのか見に行ってみたのである。そしたらそこの支配人なのか、受付なのか、凄い新疆美人がいた。実は5年前に、ここの踊りを見たことがあるが、人数も美人も多く、カシュガルやトルファンなの踊りより数段上だった。多分新疆で一番きれいな新疆の踊りが見られるところだと思う。値段は一番高い席が380元だったか。安いのは180元だったか? まあそんな程度だった。ここの歌と踊りは新疆旅行に行くならお勧めである。夜しか踊りは無いのだが、昼間なら女支配人の顔を見に行くだけでも価値がある。

  ウルムチには、他にも美人がいた。新疆餃子屋の窓ガラスの中で、数人の新疆美人が民族衣装を着て、餃子を包んでいた。客寄せに、美人を置いているのだろうが、美人に餃子を包ませるなんて、珍しい光景だった。

  やはり新疆はウイグル族の国だから、西洋系の顔が多く、その顔は中国の西の果てであるカシュガルに行くと、もっと多くなった。西洋系の顔だから美人だと言うわけではないけれども、やはり美人が多かった。カシュガルのホテルの受付の女性も美人だった。

◎新疆には新疆時間がある

  カシュガルには朝北京を出発して、ウルムチを経由して、その日のうちにカシュガルに行ったのだが、ウルムチ空港からの出発が遅れて、ホテルに着いたのが夜の12時を過ぎていた。こんなに遅くては、ホテルの予約が取り消されてしまうのではないかと心配したが、12時過ぎでも、街もホテルは賑やかだった。ここで新疆には新疆時間があることを思い出した。北京と新疆では実質的に二時間か三時間の時差があり、新疆時間は北京時間より二時間遅れているのである。

  カシュガルで12時過ぎといっても、新疆時間では10時頃であるに過ぎないのである。カシュガルでは新疆時間の関係だけはなく、なぜか本当の真夜中まで賑やかだった。

  ホテルに入ったら、受付の新疆美人が言うには予約がないと言うのである。中国では(新疆も中国である)、予約した場合と飛び込みとではえらく値段が違う場合がある。それで困ったと思ったが、結局予約されていることがわかった。ネットで予約した値段は198元(3000円位)で、表示されている値段は500元か600元もした。部屋は中国語では“豪華標準間”と言う部屋を予約しておいたが、3000円でも広い部屋で、街のロータリーが見渡せて、なかなか良い部屋であった

  翌日、朝から市内のあちこちを観光して、昼飯を食べ終わったら、2時過ぎていた。次の観光地に行こうと思って、タクシーの運転手をつかまえて話していたら、100kも先にある砂漠に行けると言う。北京なら午後の2時過ぎに100kもあるところに行って観光してくるとなると、帰りが暗くなってしまう。しかしここは新疆であって、それも西の果てである。それで明るいうちに帰ってこられるのである。実際に暗くなるのは夜の10時近く(北京時間の)ではなかっただろうか。

◎カシュガルに本物の砂漠があった

  午後の2時過ぎに出発した100kも先にある砂漠とは、達瓦昆砂漠と言うところである。漢字ではダワコン砂漠と読む。正確にはウイグル語で何と言うところなのか?  一般に現地語を漢字で表すと漢語風に訛ってしまうから正しくウイグル語を表現していないかもしれない。大体カシュガルが中国語では「カシー」になってしまって、観光地図には「カシカ」とも書かれていた。自分の生まれた土地をこんな風に訛って呼ばれていては、ウイグル人は気持ちが好くないかもしれない。

本題に入って、ダワコン砂漠はこんなところ。 他の方のブログに写真が載っていた。実は最初ダワコン砂漠に行く予定は無く、その日は市内観光だけの予定だったが、ホテルで貰った地図を見たら砂漠の名前があり、午後の二時からでも行けるということであったので行くことにした。それにそこに行ったことのある日本人は、ほかにいないのではないかなぁ〜、我々がここに行った始めての日本人になるのではないかなぁ〜、なんて考えて行くことにしたのである。 しかし我々が一番目ではないようで、既に上のブログのように行ったことがある人がいた。それでもめったに日本人が行かないところであるのは確からしい。

  個人旅行のいいところは、現地の情報を調べて、良いところが在ったら、計画を変えて、気ままにそこへ行けるのはいい点である。そこへ行ってみたら、とても良いところだった。長いドライブの終点に湖があって、その向うに、草木が一本も無い、茫茫たる砂漠、砂丘が連なっていたのである。

  個人旅行は気ままで自由でいいのだけれど、もしツアーで行っていたら、この湖の見方がもっと違っていたかもしれないなんて後で思った。それは後で調べて気が付いたことなのだけれど、チャーターしたタクシーの運転手(ウイグル人)は、この湖について何も知らなかったのである。ツアーで行ったなら必ずガイドが、この湖についての伝説を話してくれただろう。こんな砂漠の端に湖があるので、運転手に何故なのか聞いてみたら、ここまで水を引いてきて、湖にしたのだという。砂漠の縁に人工湖を作るなんて、無駄なことをするもんだと思ったが、実は自然の湖で、伝説もある湖だったのである。

  そもそもダワコンとか言う名前は昔のお姫様の名前で、昔、三世紀末の頃、テリムと言う王様がいて、娘と娘婿とを連れて、国民の為の水を探しに出かけた。砂漠の縁に、水のある深い穴があったので、そこを大勢に掘らせたが、何も見つけることができなかった。しかしプリンセス・ダワコンは父と夫の目を盗んで、一夜の内に水の湧き出るところを掘り当ててしまった。そしてダワコン姫は湖の水になったのだとか。

  そこは人工の湖ではなく、自然の湖だったのである。それを知っていれば、砂漠の縁にある珍しい湖の見方が違ってきて、そこで船に乗ってみたりしたかもしれない。その時は砂漠の人工湖で船に乗る必要も無いかなと思ったのである。船には乗らなかったが、ラクダにもサウンドバギーカーに乗ってみた。一台100元。サウンドバギーカーは自分で運転するのでもいいと言われたけれど、それに運転士を頼むと、80元だったか余計に掛かるので、自分で運転してみようかななんて思ったけれど、自分で運転しなくてよかった。砂漠の砂丘は急な砂の壁になっているので、そこを降りる時は、まるでジエットコースターを真逆さまに滑り落ちるようなもので、こんな砂漠の中でジエットコースターのようなものに乗るとは思わなかった。お陰で首がちょっとむち打ち症のようになってしまった。そこを登るときは相当加速度をつけなければ登りきれなかった。

  サウンドバギーカーに乗らないと、砂漠のちょっと奥の高いところには行けなかったかもしれない。それに4月の末であるのに、すでに30度はある暑さだった。やはり砂漠には暑さが似合うのだが、私は汗だらけになるのがいやでもあるので、やはりサウンドバギーカーに乗ってよかった。

   高いところから見たダワコン砂漠は砂丘が連なり、大海の波頭のようだった、本当に砂だけでできた砂漠には草木は一本も無い。暑かったが空気は乾燥していてさわやかだった。新疆に行ったことがある人でも、本物の砂漠を見た人は少ないのではないだろうか。新疆に行けば、どこにでも砂漠がありそうな気がするが、茫漠として荒野があっても、それは小石が混じるゴビタンだったりして、本物の砂漠は大きな都会の近くには少ない。

  次にはラクダに乗った。一人60元。つまりラクダ一匹60元である。乗る前になぜか突然こんな奥地で60元では高いのではないかと思った。もう砂漠は見たからラクダに乗るだけでいいかなと思ったりして、値引きを交渉した。交渉したといってもここは、カシュガルの奥地である。だからウイグル語でなくては駄目なのである。そこでウイグル人の運転手に交渉して貰うことにした。しかし半分乗るだけでは駄目だなんて言われて、60元出して乗ることにした。やはりラクダに乗ってよかった。60元は高くなかったのである。ラクダに乗って砂丘を眺めて見れば、北京を離れて二日目なのに随分遠くの地の果てまで来たものだという感慨を覚えた。ラクダに乗らなければ後悔したかもしれない。

  いや後悔しなかったかもしれない。ラクダに乗ってみなければ、その先に何があったか、ラクダの乗り心地がどんなものであるのか分からないのだから。

  しかし、そこから帰ってからダワコン砂漠に付いて調べてみたのだが、ここは本当はブリマンクム砂漠と言う砂漠の縁で、ダワコン湖はカシュガルから実は110kのところにあり、砂漠や湖のほかに、古い街の遺跡や、古墳、1800年は経ている“胡楊王”という名前を持った胡楊の大木や、原始胡楊林などがあるのだとか。前もって知っていれば、そこへi行けたかもしれない。その点は残念だった。しかし知っていてもそこまで行けたかどうかは分からないが、もし行けたら、日本人としては初めって行ったところになったかもしれない。

  ここでもカバブを食べた。こんなところでもビールは冷えていたこれはぜひとも書いておかなければならない。トイレは合格だった。タクシー代300元、

  そして、達瓦昆砂漠への行き帰りも趣のある道だった。ウイグル族の村を通って行くのであるが、そんな田舎に行っても、スピード違反の取締りがあるらしく、前方に物陰があるとタクシーの運転手が、急にスピードを緩めてみたりして走って行った。ウイグル族の村の市場なども、興味深かったが、やはりカシュガルの村の光景と言えば、高々と直立してそびえる白い幹のポプラ並木である。そのポプラ並木が何故かくも白く直立して見えるのかは、その謎が後になって分かったのである。