災害を美談に変えてしまうテレビ。そう言えばSARSのときも。
(2008年3月06日)


   一月中旬頃から中国の南方では大雪が降り、それで大災害になった。雪というよりも雨が氷になって、電柱や送電線の鉄塔にこびりついて、その重みで多くの鉄塔が倒れる大災害が起きた。雪だか低温の雨だが降ったのは一回だけではなく、何回も降って、低温の日が長く続いた。雨が氷になった理屈がよく分からないのだが、雨が氷になって道路などもつるつるになった。特に南方の貴州省、広西省、雲南省、広東省の四省では、未曾有の被害を受けたという。倒れたか被害を受けた鉄塔は12万本以上、断線した個所は3万3千箇所以上であったとか。そのうち高圧線の鉄塔が倒れたのもが1677本、損傷が913本、断線が2769箇所であったらしい。完全に復旧するのは3月末まで掛り、解放軍兵士まで動員して14万名以上が働いていると言う。

  この災害は中国人民が大量に故郷へ帰省する旧正月と重なり、その旧正月は中国人にとって家族と団欒をする時でもあったのだが、汽車が止まってしまったり、高速道路も封鎖になって大混乱になった。そのときテレビで報道されていたのは、国家主席と首相が、慰問や激励にあちこちを駆け回る姿と、湖南省の鉄塔の崩壊と高速道路の大渋滞、それに広東省広州駅での人の大渋滞(旧正月の帰省者での)が主であったように思う。災害の様子を詳しく伝えると言うよりも、国家幹部の活躍と、災害が有ったけれども国の幹部ががんばっている事を伝えるのと、政府はいろいろな対策を講じていると言うことを報道するのがテレビの役割のように思えた。

  ところでこの災害後の春節の時、2月6日から11日まで雲南省を旅行をしたのだが、旅行前の報道では、雲南省が酷いと言う報道は無かったように思うのだけれど。そう言う情報とか予報を正確に報道していなかったのもしれない。それで安心して雲南省に旅行に行ったのだが。雲南省もかなりの被害を受けていたらしい。もっとも行った所は、雲南省でもベトナムに近いようなところだったから、災害とは関係が無かった場所であった。しかし意外に寒かったので、この寒さも、長く続いて寒波の影響だったのかもしれない。

  今回の災害では、死者は今になって見れば今回の災害で、100名以上の人が亡くなっているのだが、始めの報道では報道されなかったように思う。災害を受けて困っている人の映像は出てきたが、呆然としている人の姿ではなく、困っていても、地方政府が食料を届けてくれて、それに感謝している映像であたりする。かっこよく指示を出している役人とか、泥だらけで鉄塔を復旧している人とか、渋滞の車に食料の差し入れがあって喜んでいる映像とかであった。中には、確かにボランテアで、復旧に参加している人もいた。とにかく事態をマイナスに捕らえる映像は無く、全て災害をプラスに思考できるような映像ばかりであった。

  確かに倒れた鉄塔の復旧は大変らしかった。鉄塔の多くは道も無い山の上に在るらしく、そんな所へ鋼材を運び上げるのは、人力しかなく、それは見ていても大変らしかった。

  そして、その復旧の大変さを伝えるのに、迎戦とか、抗撃とか、雪戦とかいう言葉を使い、災害を敵の侵入に喩えて、そこで働く人を敵に立ち向かう戦士の如く報道するようになった。ある番組では勇壮な音楽入りで報道していた。戦争の如く報道するのであるが、敵に撃たれて死んでしまったとか、負傷してしまったとかのマイナス画像は無い。復旧作業中に犠牲になった人は「人民英雄」として報道されたが、これは報道としての付加価値があった人だからであろう。被害を数字では伝えるのであるが、被害を受けたと言うだけの画像は無いか、有っても少なかた。

  こういう報道の仕方は中国式の常套手段であるが、以前も見たことあるなあと思ったが、それはSARSの時がそうであった。SARSを敵に喩えて、中国人民をそれに立ち向か兵士のように報道していた。こういう報道の仕方では、SARSの問題点を探るような報道は当然されない。むしろ問題点を隠すというか、災害を転じて美談に仕立て上げる手法である。あの時は、昔の戦争の映像もバックに流して、悲壮な音楽も付け加え、抗戦としての雰囲気を盛り上げていたかもしれない。

  そして、最近では今回の雪の災害を天災を敵とみなして抗戦する、一大民族叙事詩にまで仕立てあげた特別番組までできた。そこでは「迎戦暴雪雨」とかいう、特別に作曲された歌も歌われ、シャベルで雪を掻き上げる踊りが踊られた。災害復旧に活躍した人や、雪に閉じ込められたバスの乗客を、何日も貧しい家に泊めてあげた農民が舞台に登場して賞賛された。つまりは暴雪雨に打ち勝った中華民族は素晴らしいという話になった。

  災害復旧に狩り出されたのは、解放軍の兵士であり、武装警察であったから、抗戦に喩えるのもあながち嘘では無いが、天災を転じて愛国の叙事詩にまで仕立て上げるのは、いかにも中国らしい。確かに泥だらけになって、無償で救援にあっていた人は居た。しかしその善意のボランテアの人達の映像なのだが、救援に出発するところからずっと撮影しているカメラマンがいた。ここまでするのは、却ってボランテアが少ないので、報道価値がある貴重な映像になると思えたので、それを追いかけて撮ったのかな、なんて皮肉な見方をしてしまった。

  勿論、中国のテレビが、災害の負の部分を全く伝えないと言うことではない。最近のニュースを見ると、大々的に義捐金を送ると宣言して、宣言効果をあげた会社が、全く義捐金を送っていなかったり、大災害の最中に職場を放棄してどこかに行ってしまった地方幹部が何人も首になったりのニュースも確かあった。しかし一方では大災害を、中華民族はすばらしいとう話にまで、持てって行ってしまうテレビの力は凄いと思った。日本でも地震の大災害が起きたことがあるが、そこまでしただろうか。日本のテレビは何故そうしないのだろうなんて考えた。