胡同の奥、何でこうなるの?(2008年3月06日)


   胡同の奥に有る謎に付いては、既に何回も書いたので、重複することも多いのですが、取り壊される胡同を見てきて、やっぱり謎が多いと思いました。そこはハッキリ言って汚いところなのですが、では何故汚いところを見るのかと聞かれかもしれません。それを見るのは、日本と比較して日本の方が良いと安心する為の、覗き趣味かと聞かれるかもしれません。

  比較をしているかもしれませんが、それだけではなく、日本でも条件が同じならこうなるのだろか? という疑問とか、何故そうなってしまうのか? なんて詮索したくなるのです。こういうのは詮索好き? それとも覗き趣味?

  そしてその謎に付いて考えていると、北京の表側だけを観光する人に、北京の裏側はこんなですよ、とか、こんな謎もあるのですよ、と言ってみたくなることも確かにあります。それでその謎とか疑問を、写真で見えるようにしてみました。

  古くからの北京人が住んでいるところは、平屋であってその平屋は必ず囲まれた一角の中に在ります。四合院もそう言った作りでありますが、囲まれた一角と言うのは入り口は一つだけ有って、それは多くの場合門ですが、入り口は決して二つは無いことも特徴です。

  この囲まれた一角を「院」と言うのですが、家は「院」の中にありますから、家の入り口は表道に向かっては、決して開いていません。一度門をくぐった中に、家の入り口が在ります。これもここの特徴です。例外は通りで商売をしている店で、商売をするには、さすがに「院」の中でと言う訳には行きませんから、通りの側に入り口が開いています。

  そこで謎なのですが、北京辺りの人は、どうしても囲まれた一角の中に住みたい性向があるのか、と言うことです。そしてその囲い、すなわち「院」なのですが、そこへの入り口は一つだけにしたいという嗜好もあるように見えます。

  どうしても、門の中に家をおきたいらしい

「全ての中国人はそう言う性向がある」とは言えなくて、中国の他の地方では、塀を作らずに住んでいるところもあります。しかし他の例で言えば、日本の団地は東西南北どこからでも入れて、塀で囲まれていないですが、中国の場合は必ず囲ってあって、入り口をできるだけ少なくしたります。防犯の為にはいいのかもしれませんが、とても不便なことがあるのも確かです。

  そして「院」の中なんですが、今は「大雑院」と言われる状態になっています。「大雑院」とは、以前の個人の大きなお屋敷である四合院の中が、細分されて、それだけでなく、四合院の中庭に違法な小屋を建て増しして、雑居の所帯が住むようになった場合もあります。四合院の中でなくても、他に空き地が在ると、他人の家の壁を利用して自分の家を建て増して、そのようにして建て増しが増殖していって、大雑院になった場合もあるようです。

  大雑院の中、どうしてこんなに乱雑になってしまったのか

  そして謎ですが、何故「大雑院」ができたのか、何故個人の屋敷である四合院が「大雑院」になってしまったのか。いつから雑居の所帯が入り込むようになったのかが謎です。以前は「大雑院」は無かったようです。「大雑院」になったのは文化大革命の時の大混乱が原因だったようなのですが、原因はそれだけなのか?

  この門に電気のメーターがいくつもあので、
  
中は「大雑院」になっていることがわかる


  院の中は小屋を増設しまった結果、人のすれ違いもままならぬ道だけになってしまいました。このような建て増しは違法とはいえないのか。これも謎です。

  これは違法な建て増しではないのか

  建て増しは以前のことだけではなく、最近で行われているのではないでしょうか。胡同といわれる路地があるのですが、その路地も両側の家が道側に部屋とか物置とかを増設してしまって、路地自体が細くなっているところがあります。これは違法ではないのか。違法であっても放置されたままなのか。

  立ち木を取り込んで作った建て増しは、違法ではないのか

  これも日本人からすると理解できないことです。もっともこういった現象は胡同の辺りだけではなく、高層ビルのベランダのもっと前に、鳩小屋を張り出して取りつけてあったりして、中国人の考るところはなんか違うところがあるのではないか? と思えるのですが。

  以前の四合院の中庭に樹が植えられていました。今では中庭がなくなっていて家が建て込んでいますが、何故か樹は切らないようです。小屋みたいな家を増設する時、樹を避けるようにして、または樹を家の中に取り込んでしまうように小屋を増設します。これも不思議です。家の床屋(椅子があるところが床屋)の写真も、樹が家の中に取り込まれていますね。

  康有為という清末の有名人が住んでいた屋敷

  何故、樹を取り囲むようにして住処を建てるのか

  この写真は康有為という清末の有名人の屋敷の中なのですが。そこの中庭に、中央の樹を切らずに、その樹を囲むように小屋が作ってあります。何故樹を切らないかと、それが不思議です。樹は大切にされているのか?

  樹は大切な物なのか、樹だけが残された取り壊し跡

  四合院が大雑院になっているところが多いのですが、そうではなく、元のままの中庭のある四合院もあるし、一家族だけで住んでいる四合院もあります。そうすると四合院の運命は何で分かれたのか、雑居の所帯に侵略されなかったのは何故だったのか。これも知りたいところです。

  何故か珍しく中庭が残っている四合院

  大雑院になった理由は文化大革命の混乱に原因があるようですが、それが収束しても原状に戻さなかったのか。大部分は原状に戻っていないようです。何故原状に戻せないのか、一部は戻したと言う話もあるが、どんな場合が戻されたのか。それも謎です。

  大雑院とは日本で言えば長屋のような建物に近いといってもいいのかもしれませんが、大きく違うところがあって、中国の場合は周囲を囲って、入り口は只一つの門にしたいようなんですが、もう一つの違いは大雑院の中の住み方は相当乱雑で汚いと言うことです。

  何故か住み方が汚い大雑院の中

  まるでゴミ屋敷

  それで謎なんですが、何故、乱雑さ汚さをあまり気にしないのかという疑問です。狭いから満足に物を置くとろが無いとうことは分かります。しかしそれにしても汚い。昔長屋住んでいた日本人もやはり貧しくて狭いところに住んでいたと思いますが、これ程の乱雑差の中に住んでいたのか。日本人でも同じ環境で住んだら、こういう状態になるのかなという疑問です。 中国人だからこうなるのかなとも思うのですが。

  個人の家の壁に落書きのようなものを書く権利が有るのか

  写真を撮りに場所は、既に取り壊しが始まっている取り壊し予定地なのですが、取り壊し前の壁に丸に「拆」と言う字が大きく書きなぐられています。これはチャイと読み、多分「取り壊す予定だ」といいう意味のようです。しかし取り壊し予定地だと言っても、汚らしく落書きのように書きなぐる感覚は、日本には無いもののように思います。それより不思議なのはこの壁の所有権とか権利とかはどうなっているのかという疑問です。

  やはり何事も日本と比較してしまうのですが、日本人の感覚からすると明渡し前の自分の家の壁にこんな落書きみたいなことを書かれると、「壁とはいえどもこの壁の権利はまだ自分にあるのだ」と抗議したくなると思うのです。

  しかし中国では違うようです。外側の壁については、そういった権利を主張しないらしいです。もともと大雑院も、他人の家の壁を、自分の家の壁として建て増しするくらいですから、建物についての個人の権利の意識が曖昧なのかもしれません。権利の意識が曖昧(いい加減?)ということは、路地に違法とも思える建て増しがあることからもうかがえます。