三峡下り番外編(12月5日)


  10月の始めに妻と長江の三峡下りをしてきたのですが、「三峡上り」もしなければならない羽目になってしまいました。三日かけて船で下ってきた三峡を、距離にすれば600km以上あるところを、一日でとってかえして重慶に戻りました。三峡上りも印象深かったですが、「三峡上り」もいろいろあって印象が深いものになりました。いろいろあってとは、やはり中国ならではの、いろいろな障壁が立ちはだかったのです。中国も便利になったものだなどと安心してはいけません。

  ことの起こりは、帰りの飛行機のチケットを買い間違えたからなのです。三峡下りは重慶から宜昌までの船の旅なんですが、三峡下りを終えて、宜昌から北京に帰ろうと思って、宜昌飛行場まで行ったら、目的のフライトがないのです。何故かとインフォメーションに聞いてみると、「宜昌」からだと思っていたチケットが、実は「宜賓」からのチケットだったのです。これでは宜昌の飛行場にフライトがあるはずがありません。

  もともと「宜昌」と「宜賓」をとり違えたのは、宜昌空港からのフライトが少なくて、「宜昌」から北京に帰る方法をいろいろ探していたのですが、中国のネット予約で「宜賓」を「宜昌」と間違えて、チケットが見つかったと喜んでしまって、予約したからです。だから「宜昌」の位置については知っていて、「宜昌」から他の大都市に移動するのがかなり不便だと言うことも知っていました。

  だから、別のルートを探すとなると、かなり大変なことになるかなと不安がよぎりました。宜昌空港のインフォメーションの人がいろいろアドバイスしてくれたのですが、宜昌空港の翌日のチケットも売り切れで、ここから一番近い武漢空港からの翌日のチケットも無いとのことでした。結局は、三峡下りに出発した重慶に戻るしかないとのことで、重慶からなら、翌日の夜遅くのチケットなら買える事がわかりました。しかし、三日で下ったルートを一日で戻る方法があるのか? 宜昌から重慶までは山ばかりで長距離バスはあるのかなど心配になりましたが、これはインフォメーションの人がいい方法を教えてくれました。

  それは翌朝の早朝6時に出発する飛船という船があるとのことでした。飛船とは、水中翼船のことらしく、それならかなり速く走る船のはずです。しかし、早い船と言っても、宜昌の上流には三峡ダムがあって、そこには閘門があり、三峡下りではその閘門を三段か、四段くらい降りてきたばかりなのですが、それを再度通過しなければなりません。そんなことをしていたら、時間に間に合うのか、そんな心配もありましたが、とにかく空港から市内に戻り、飛行機や船の切符を買いに行ったり、ホテルを捜したりしなければなりません。

  インフォメーションの人の提案では、知り合いの運転手が手助けしてくれて、100元でチケットの購入やホテルへの案内などを手伝ってくれるということなので、それをお願いしました。

  船の切符の購入やホテルの確保などは問題が無かったのですが、問題は飛行機のチケットを買う現金のことです。中国の人民元を確保するのが大変だったのです。妻と二人分の飛行機のチケットを買いなおさなければならないので、人民元が不足してしまったのです。しかし問題はありません。信用カードを持っていたし、信用カードが使えなくて、信用カードで3万元までキャッシンができるからです。日本円もありました。

  しかし次々と障壁が現れたのです。宜昌は人口100万人くらいらしいですが、100万都市であっても、信用カードも、日本円を持っていても使えない場合があるということです。金策に駈けずり回る羽目になったのです。このときの気温は10月の始めであるのに三十度以上はあったでしょう。 気温の暑さとあせりの気持ちで大汗をかきました。

  最初の障壁はチケット代理店で、(中国のでも)クレジットカードは使えないと言うことでした。このあたりから雲行きがおかしくなってきました。そこで、そのカードで人民元のキャッシングをすることにしました。与信限度額は3万元もあるのだから何とかなるはずです。幸いクレジットカードを管理している招商銀行がすぐ見つかりました。

  そこで結構親切な女子行員に聞いてみると、初めてのキャシングには、“開通”という手続きが必要なことがわかりました。しかし、それがなかなか上手くいかないのです。何回か操作を繰り返しえしているうちにハット思い当たりました。申請した時のバスポート番号と今のバスポート番号は違うのです。それがようやくわかって、古いパスポート番号を入力して、銀行の女性に手伝って貰って、やっと“開通”に成功しました。古いパスポート番号のメモがなかったらどうなことか。

  さて現金の引出しです。しかし2000元しか引き出せません。何故か? 初回は2000元までだそうです。ならば日本円をそこで両替すれば良いと思って、聞いてみると、この銀行では両替はできるのだけれども時間が過ぎているとのこと。まだ三時ごろなのに締切時間はそんなに早いのか?

  また、新しい障壁の出現です。でもってその障壁をかいくぐるにはホテルに行って、持っている日本円を両替すればいいと思い、ホテルに行きます。しかしここには重慶のホテルと違って両替のカウンターは影も形も有りません。

  そこで中国銀行に行ってみることにしました。幸い近くに中国銀行がありました。そうすると嬉しいことに両替できると言うではありませんか。当然両替をして貰って、船と飛行機のチケットも買って、ホテルも確保して、北京には戻れる目処が立ち、しかし明日は620kmもの大移動があるので、一日余分に泊まることになったホテルでゆっくり休もうと思いました。

  しかし、中国の障壁はまだ続くのです。ホテルで一休みしているところに、誰かがドアをノックしました。ホテルの従業員だと思って、ドアを開けたところ、なんと先ほど、両替したばかりの、銀行の女行員が私の部屋を探し当てて尋ねてきたのです。 何で私の部屋が分かったの? と思いましたが、とにかく銀行員です。銀行とホテルとが近か過ぎたのが悪かったのかもしれません。

  そして女行員が言うことには、両替した金を戻せと言うのです。理由は、休みの日(国慶節)なので、本来ドルなら換えられるが円は換えられないのだとか。そんなことを今さら言われても困りますから、断固拒否します。すると元をドルに換えてドルを円に換えることならできるから、とにかく銀行に来てくれと、言うようなことを言い出しました。

  そんな程度ならいいかなと思って、銀行に行きましたが、パソコンの操作なのか、手続きなのかがなかなか上手くいかないようです。相当もたもたしていて、挙句の果てに、またまた、休みの日(国慶節)は、円は換えられないので、換えた元を返せと言い出すのです。埒もあかない問答を繰り返していると、たまたま、チケットを持って来てくらた人がいて、「中国では規則があっても、なんとでもなるよ」 とか言って、「手数料を払えばいいだろう」と言ったら、 たちまちなんとかなんてしまって、少し手数料を取られましたが、それで無事開放されました。 

  しかし、考えてみると、最後の障壁は本当に一歩手ごわい障壁でした。何故なら、国慶節か休日の時には、日本円が交換できないというルールを行員がよく覚えていたら、始めから日本円を元に替えられなかったことになります、そんなことになったら、国慶節の休みの間宜昌に閉じ込められて、数日間は北京の戻れなかったことになります。あわやという一歩手前の状態でした。後で考えてみると、中国の分からないルールは一歩間違えると怖い!! という状態でした。

  それにしも、祭日期間中、円は替えられないなんて変な規則を作ったり、(中国の)クレジットカードが使えなかったり、中国の旅はやはり日本とは違うのだと改め実感しました。こんな馬鹿な規則は、重慶のような大都市でも、適用されるのでしょうか。東北の地方都市でもこれと同じ規則が適用されていたという情報もあります。もし祭日の期間中、北京で日本の観光客に円の両替はできないと言ったら大きな問題になったと思うのですが。

  重慶への戻り方は、船だけで行くのではなく、始めにバスで三峡ダムの上流まで上って、三峡ダムの閘門を避けて迂回します。その後長江に出て、飛船(水中翼船)に乗り、万州と言うところで船を下り、そこからノンストップの高速バスに乗り換えて重慶に行くというものでした。

  このようにして620kの道のりを12時間半でようやく重慶に戻る事ができました。そしてその夜の11時25分発の飛行機に乗って、夜中の2時半頃までには北京の家に辿り着けました。そして殆ど寝るまもなく、翌朝の9時の飛行機で妻を日本に送り返すことができました。めでたしめでたし・・・・・ でした。