北京の秋、練炭の詩(11月30日)


  北京で働いている会社の直ぐ近くに、報国寺といういう寺があります。報国寺は由緒ある寺としてより、骨董市が立つ寺として知られています。それで昼休みには、よく報国寺に散歩に行きます。今日も散歩に行ってきました。

  それで気が付いたのですが、北京の秋とi言えば練炭売りなのです。リヤカーを引いた練炭売りが出始めるのは、秋の風物詩でもあるのです。この練炭は、北京の焼き芋売りも使っていますが、実はスラムのようなところに住んでいる人が使う物なのです。北京の裏町・胡同でも練炭が使われています。胡同の奥もまた今ではスラムのようなところだからです。そのような、人が密集して住むところを「大雑院」と言います。

  報国寺の周りには、その骨董市で骨董を地べたに並べて売る、地方からの売人が、間借りして住んでいたりします。骨董を売るといってもガラクタのような物を売っているだけなのです。そして、きょう報国寺の周りの練炭売りを見ていたら、一編の、練炭の詩を思い出しました。 その詩は、

   秋の日の
   レンタンの
   ためいきの身にしみて
   ひたぶるに
   うら悲し。

  フランスの有名な詩人 ポ−ル・ヴェルレーヌの詩です。この詩の題は、落葉です。練炭と落ち葉の写真があるので見えるようにしました。
  
  詩の解釈ですが、何故練炭が、ひたぶるにうら悲しい感情を誘うのか。それは、北京の大都会の中でありながら、早い秋の寒さの暖を取るのに未だに練炭を使わなければならないわびしさを、「ひたぶるにうら悲し」と表現したのだと思います。

  時代はオリンピックが開かれようとしている北京であるのに、今は大雑院となってしまった四合院の片隅に、たった二坪位のねぐらを構えて住んでいるわが身を嘆いた詩であります。たった二坪のねぐらはこんなふうです。
  
  この写真が家の全てです。昔のお屋敷四合院の入り口を占拠した違法建築です。どうして四合院がこんなことになってしまったのか? これは私の疑問であって、住人はひたぶるにわが身のことを嘆いてるだけだと思います。

  しかし、フランスの詩人が「練炭」の詩を作るはずが無い? そうです。ヴェルレーヌ がレンタンの詩をつくるはずがありませんでした。練炭は日本人が発明した物だからです。正しい詩は、上田敏の美しい翻訳があります。

  それに上の写真は、観光地になった南鑼鼓巷での写真なので、通りに面したところだけは綺麗になっていて、報国寺の周りより綺麗です。報国寺の周りはもっとひどくて、北京の裏の顔、別の世界があります。

  北京の裏にはスラムのような大雑院が在るなんて、北京に来る多くの観光客は気が付かないでしょう。そう言えば、練炭は日本人によって明治初期に長崎で発明された物なのですが、練炭なんて、今の若い人は知らないでしょう。いや知っているかもしれません。知っているとすれば練炭で自殺することが発明されたからでしょう。

  話は飛びますが「発明」という言葉も日本人が発明した言葉です。いや、日本人が作った言葉で、中国語に取り入れられています。練炭も日本人の発明が中国で立派に利用されています。

  話を元に戻しますが、練炭のことは北京の団地に住んでいる人でさえも、もう分からないかもしれません。そして、北京に今でもスラムのような「大雑院」があることを、忘れているかもしれません。因みに団地は高層ビルで、「大雑院」はみな平屋です。しかしあの練炭の臭いを嗅げば、しばらく前に使った記憶が蘇るかもしれません。そして以前住んでいた平屋の大雑院を思い出すかもしれません。

  練炭のことを秋の風物詩と言いましたが、それはあくまで私のような異邦人が言うことであって、それを使う人から見れば、そんな情緒的なものではないでしょう。いまでも練炭を使っている人達は、トイレも無く、ガスの設備もなく、やむを得ず練炭を使っている人たちです。自殺なんかをしたくなくても、北京では練炭中毒事故で死んでしまう人がいます。