四合院は大雑院、四合院の謎(11月14日)


  北京のガイドブックには、「北京には北京特有の古くからの胡同と言われる路地がたくさん有り、そこには四合院と言われる古い建物がある。四合院とは中庭を四方の建物で囲んだ建築形式で、なかには観光用に四合院を見学させてくれるところもある」などと書かれていたりする。これは嘘ではないが、誤解を与えかねない。この文章では古い四合院がそのままの残っているように思えてしまうが、実は古いままではないのである。実は北京に住んでいる人でも、四合院の中のことは知らないかもしれない。

  確かに北京には古くからの四合院がある。しかしそこには既に中庭は無い。中庭があると書けばお屋敷のようだと錯覚するかもしれないが、以前の四合院には中庭があって、お屋敷のようであったかもしれないが、今で中庭は無くなっている。こう書くと、観光で四合院に入って中庭を見たと言う人がいるかもしれない。確かに中庭の空間がある四合院はある。私も入って見せてもらったことがある。しかし人に見せてもいいような四合院は、一所帯だけが住んでいた。しかしそう言うのは極めて少ない。

  他の大部分の元四合院の中庭は、小さく区切られた違法建築で埋めつくされ、中庭は無くなり、十所帯以上もが密集して雑居して住んでいる。そう言うのを「大雑院」という。「院」と言うのは建物や塀などで囲まれた空間を言うらしいが、四合院も「大雑院」も囲まれていて、入り口の門は一つだけである。その門は四合院も大雑院も同じ様式である。それはあたりまえのことで、昔の四合院が大雑院になったらしいのである。

  ところで大雑院とはどんなことになっているのか。その中に入ってみれば一目瞭然であるが、あの門の中にはなかなか入りにくい。小さい門のところに、電気のメーターが10個も15個も設置されていれば、それは相当大きな大雑院といえる。乱雑に物が置かれている門の奥に、15所帯もが住んでいる(トイレもないまま)のかと思うと、大変な生活であることが想像できる。そして大雑院の門は開けられている。何故なら大勢の人が出入りするので、閉めてなどいられないのではなかろうか。これに対して門がきちんと閉められているのは、個人の院ではないかと想像しているのだが。

  ある中国人が書いていたが、大雑院を空から見れば、ひね生姜のように見えるだろうと言っていた。私にはそのさまが想像できるのだが、ひね生姜は、親の部分を元にしてあちこちに突き出て増えていく。大雑院内の小部屋も、壁とか塀を一方の壁として、新しい部屋をぼこぼこと作ってしまうのである。そうして増殖して行ったさまは、ぼこぼこの生姜のように見えるのだろう。それが大雑院の俯瞰図でなんだろ。

  そこで、四合院の謎についてあるが、四合院が大雑院になる過程では、他人の侵入とか中庭の占拠とかがあったはずである。それはどのように行われたのだろう。もう一つの謎は占拠されなかったか、または占拠されたが、元の持ち主に戻された四合院もあるらしいことである。そう言った災いから逃れられ四合院の運命と、大雑院になったしまった大部分の四合院との運命の分かれ道はどこにあったのだろう。第三の謎は、中庭への、他人の侵入とか占拠とが有ったとして、それは違法な行為と認めていないのだろうか、もし違法ならば何故原状に回復しないのだろう。

  いずれの謎も、中国人は謎と思わないのだろうか。謎ではなくて中国人は知っていることなのだろうか。そのことについての研究とか、記録とかは無いのだろうか。そういったものが、一切無いとすると、それも私には謎めいて見えるのだが。そのあたりは中国の恥部、タブーなのかもしれない。そうであれば、謎について知りたい気持ちがますます強くなる。