中国の警官は岡引を引き連れている(11月8日)


  日記に書く面白い題材は無いかなと思いながら歩いていたら、面白い場面にぶつかった。それは中国の警官が手下を引き連れて歩いているのを見たからである。中国のお巡りさんには手下がいるんだ、と思ったのである。この手下は同じ警察官の部下という意味ではなく、身分の違う手下である。日本の江戸時代に、与力とか同心とかが、岡引を従えていたのに似ているなぁ〜、時代劇みたいだなぁ〜、とも思った。

  こういう光景はしょっちゅう見るものではないが、たまに警官が街を巡回するときに、手下を連れて巡回していることがある。中国の警察と言うのはいろいろ種類があって、よく見かけるは交通警察であるが、交通警察は交通だけが専門だから、街を巡回しているのは治安警察官の方かもしれない。

  警官とその手下との区別は一目瞭然で、制服も違うし態度も違う。警官は胸をはって体躯も大きいが、岡引の方は若くて痩せている。しかも警官の三歩ぐらい後をうなだれた様子で従っているように見える。よく見ればうなだれているのではなく、三歩も後ではないのであるが、警官との態度、服装の差からそう見えてしまう。警官の服装は警官の制服であるが、手下の服装は、北京の場合警備会社の制服を着ている。「保安」と呼ばれる人達である。「保安」とは警備会社の派遣社員である。この「保安」と呼ばれる手下は、江戸時代の与力に従う岡引のように見えるのである。

  岡引を辞書で調べてみると、岡引は江戸時代の警察機構の末端を担った、非公認、無報酬の協力者と書いてあったが、北京の警官がなぜ手下をつれて歩いているのか。想像では、人手不足なので、コストが安い「保安」を警備会社から派遣させて、手下にして巡回しているのではないかと思うのだが。それとも警官が楽をするために手下を使っているのだろうかか。北京で警官の後に付いて歩いている「保安」は、無報酬ではないはずだが、非公認であることは江戸時代の岡引に似ている。岡引には逮捕権が与えられていたかもしれないが、北京の警官の手下には逮捕などの権利は無いらしい。

  そう言えば、北京では二年位前に警察が犬狩隊を組織した。犬の登録を管理するのは警察であるから、35センチ以上の大型犬とか、気性が激しい種類の犬とか、二匹目の犬とか、市の条例に違反している犬を捕まえる犬狩隊を組織したのである。新聞記事をよく読んでみると、その犬狩隊は警官ではなくて、「保安」つまり警備員の人達であった。犬狩隊の「保安」に犬を捕まえる権利は無いのだけれど、警官の指示で犬を捕獲するらしい。安い給料で危険な仕事をさせられているらしい。

  実は中国の社会では、政府の役人がやるべき職務を、役人ではない手下や別の組織に代行させることが非常に多いのだとか。本来政府(中国では地方の役所でも政府という)の職務を代行して行う人達を、政府に協力して管理することから「協管員」と言う。そして「協管員」が居るのは、何も警察ばかりではなく、交通、収税、工商、労働監察、城管など、多くの政府系機関で、「協管員」を利用しているのである。

  話はややこしいが、中国の大都市には、警察ではなくて、警察の一部の権力を執行している、別の警察に似た組織がある。それを城市管理監察大隊、略して「城監」と言う。「城監」は「協管員」ではないが、「城監」とは軽微な犯罪の取り締りを分担していているらしい。例えば、街中の無許可販売とか、人力三輪車の取り締まり、環境とか緑化関係の規則違反、都市計画、都市改造関係の違反、道路の違法占拠の取締りなどを担当している。この組織は警察とそっくりの制服を着ているが、警察ではない。ちなみに北京では路上の物売りや屋台は、殆ど禁止である。

  そして「城監」には処罰権はあるが、逮捕権は無いらしい。処罰権が有ると言っても、違法な屋台や三輪車での営業者に対して、罰金の通知を出して罰金を払わせるわけにはいかない。流動人口と言われる外地人はおそらく罰金を払いに来ないのだろう。そこで逮捕権は無いので、品物や車などの没収という強硬手段をとる。そうなると没収物の運搬などの肉体労働が必要になる。処罰の決定は「城監」が行うが、没収などの肉体労働は「城監」の家来の、「協管員」が行うのである。街角に「城監」が現れると、リヤカーの果物売りなどが、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。運悪く「城監」に捕まると、没収物をするのは「協管員」である。「協管員」が没収されたリヤカーを別の所に運んでいたりする。それが私がいる8階の事務所からよく見える。

  「城監」の権限にはあいまいなところがあり、例えば違法のコピーCDを売っているのを取り締まれるが、取り締まれる根拠は、違法なコピーCDであるという理由ではなく、違法営業であるからという理由らしい。とにかく「城監」と言う、警察のような、実ははそうでもないような組織が中国にはあるのである。

  その「城監」の手下になる「協管員」というのは、政府の正式職員ではなく、正式な管理部門に属しているわけでもなく、協管員の給料は正式の職員よりとても安く(4分の1という数字もある)、社会保証と言う面から見れば、年金、医療保険などがなく、大分は臨時工に属しているらしい。政府機関の面倒な仕事を請け負ったりすれば、公務員がやりたがらないことをやることになり、それでいて人権などの権利を侵され、被害を受けた場合の十分な保証も無いと言う。

  しかしいろいろな機関が手下の組織を使って行政を行うのであるが、不思議なことに正式ではない協管員を組織するのに、その待遇はもちろん、財源とか人数とか福利とかにて責任義務の範囲については、明確な法律による規定な無いのだそうである。どうやら「協管員」とは、政府の組織が勝手に作れる補助組織のようである。そして正規の組織の公務員は命令を出すだけの役割となり、それを実行する下請けの汚れ役は「協管員」と言うことになる。日本にも大企業と下請けという二重構造があるが、中国のは、行政や治安の面での二重構造である。こういう現象を「協管員現象」と言い、「協管員現象」は全国に蔓延していていると言う。そしてある新聞記事には公務員は「貴族化」、協管員は「悲劇化」と書かれていた。

  ある都市では、治安協管員や交通協管員と言われる人たちがたくさんいて、この人達は警官によく似た制服を着ているのだが、何かで注意すると「警官ではない者に注意されたくない」と言われたりするらしい。また協管員の側も、僅かの権力を笠にきて、違法な罰金を取ってみたりして、協管員に対する市民の感情は決して良いものではないのだとか。どうやら協管員」とは、中国特有の、あやふやな、悲しき組織らしい。だから私が、警官の後に付いて歩いている「協管員」の姿を見た時、うなだれた様子に見えたのも、気のせいだけとは言えないかもしれない。共産主義でありながら身分差を作り出しているなんて、おかしなことである。