中国人は権力を持つと愛人を囲う(9月13日)

  中国人が愛人を持つ場合、明らかに権力と関係があり、権力を持つと、それでは愛人を囲おうという場合が非常に多い。ある統計によれば、汚職をした役人(殆どが共産党員)の7割に情婦がいたという数字がある。だから全員ではないのだけれど、日本人の場合よりずっと多いと思う。日本人でも浮気とかの面では、決して道徳的とは言えないが、権力を持ったからといって、じゃあ、愛人を囲おうという図式は少ないのではないだろうか。日本人の場合、権力とかお金持ちとかに関係なく、浮気をすることはあるかもしれない。

  しかし、中国の場合、権力すなわち汚職、ついでに愛人も、という図式は日本よりずっと多い。最近も陜西省の元政協副主席(元宝鶏市市長、元市委書記、63歳)・パン家トが汚職などで捕まったが、なんと11人もの愛人告訴団によって訴えられたことが発端であった。中国の事件について思うのだが、中国のこう言った犯罪はスケールが大きいのであるが、11人もの愛人を抱えるのではなく、2、3人に止めておけなかったのだろうか。愛人、2、3人であればパン家トも悪事を暴かれることなく、無事に定年を迎えられたかもしれない。

  この事件は1986年、42歳のパン家トがある工場に副工場長として赴任したことから始まる。そこに工場長としていたのがパン家トより10歳も若い李思民であった。権力は李思民が握っていたから、パン家トは何もできず、恨みを持ったらしい。そして時は廻り1994年にパン家トは宝鶏市の市長になった。「仇はよく出会うもの」という話が中国にあるらしいが、李思民は一副局長に過ぎない身分で、同じ宝鶏市政府の中にいたのである。そしてパン家トは、家族を含めた市の交歓会で、李思民に若くて美しい妻が居ることに気が付いた。その妻は曽倩といい、ある高校の英語教師であった。

  ここからパン家トは市長でありながら、思いっきりの悪事を企てるのである。
@ 1995の元旦に、パン家トは、幹部による年始の、観光地での
  泊りがけで行う総会を催し、家族も参加するように幹部に要請する。
A その総会中に、突発の用事を李思民に言いつけ、宝鶏市に帰させる。
B その晩、パン家トは曽倩の部屋に入り込み、曽倩に
  李思民の情事の赤裸々な写真を見せる。
C 曽倩は泣き出し、パン家トは慰めるが、その間、睡眠薬入りの
  紅茶を飲ませる。
D 曽倩が朝起きてみると、傍にパン家ト市長が寝ているのを発見して
  驚く。
E パン家ト市長は泰然自若として、旦那も浮気して居るのだから、
  貞操を守る必要はないと曽倩に言う。
F 曽倩は夫の背信に怒り、また市長の権勢を恐れて、市長に従う
  ことにする。
G 李思民の浮気や情事の写真は、パン家ト市長のでっち上げであった。

以上が悪徳市長の悪事であった。

  その後、市長は曽倩に旅行会社の社長の職を与えたりして、曽倩との密会は続くのである。パン市長は市の人事権を握っているから、市職員の移動の前には賄賂の大金が入るようになった。一方の曽倩はパン市長の要求に体が持たないと思ってか、パン市長が欲しいのは金品ではなく、女であると言う噂を流したのだとか。すると自分の地位が危ないと思っている官吏とか、報復を恐れている官吏とかは、自分の妻をパン市長と話をさせに行かせるようになった。市長は幹部の妻子を引っ張り込むので、ジッパー市長とまで言われるようなる。ジッパーは引っ張って閉じるからである。かくしてパン市長に情婦団というのができた。

  情婦団に波風が立たないようにしておくには金がかかる。しかしパン市長が運がいいことには、1998年3月には宝鶏市の市委書記になった。市委書記というのは市長より地位が上で、共産党が政治を支配する為の職位である。情婦団に掛かる金を稼ぐ為に、当然の如く市委書記の権力を利用した。

  パン市委書記の指示で李思民(曽倩の夫)に金融投資会社を作らせ、李思民を社長にして、副社長には別の情婦の一人と、別の情婦の夫をあてた。違法の会社でありながら膨大な利益を上げて、パン市委書記も情婦達も蓄財が順調に進んだ。

  しかし曽倩などの蓄財状況を見て、他の情婦達がうらやましがった。そこにまたしても運がいいことに、宝鶏市の大プロジェクトがあった。宝鶏市は水不足の地区なので、丁度水道水を引いてくる計画があったのである。パン市委書記が自らこのプジェクトの責任者になり、プジェクトを分割して、いろいろなおいしい仕事を、情婦達に分け与えることができた。

  ところが今度は、パン家トの妻、潘玉芝が黙っていなかった。夫に情婦団がいても黙っていたらしいが、情婦達にがっぽがっぽと金が入りだすと黙っていられなくなったらしい。そこでパン家トは妻の潘玉芝に、水道管(コンクリート管)の工事の工程を担当させた。かくしてパン家トの妻と愛人達で50億日本円近くの工事を請け負うことになった。

  しかしやはり上手い話は続かないのである。導水プロジェクトが始まって半年もしないうちに、崖崩れや水道管の破裂などの、品質面での重大事故がた立て続けに起きるようになった。2002年の冬に、パン家トが6名の情婦を引き連れて、アフリカ視察旅行に行っている間に、6度もの水道管破裂事故が起きた。上級機関や国もこの事故に注目しだした。パン家トはこの情報を得て急遽アフリカから引き返えし、事件の背後にある豆腐のおから式工事(手抜き工事でコンクリートが豆腐のオカラのようになること)の責任者を暴き出すと、記者団に語った。しかしその裏では責任者である妻を娘と共に、素早くカナダに移民させて逃がしてしまった。そして豆腐のオカラ式工事もうやむやにすることに成功したのである。

  パン家トは、2003年5月には省の政協副主席にまで昇進した。しかしその席を暖める間も無く、無許可の金融投資会社の無責任経営が破綻して、14億円もの国債が回収できなくなり、被害を受けた市民が北京にまで押しかけ直訴した(中国では地方で埒が空かない場合、上級機関に直訴することが度々ある)。そしてついに金融投資会社の社長である李思民や副社長である情婦なども捕まった。

  こうなると李思民の妻である曽倩も夫を見捨てるわけにはいかない。省都の西安にいるパン家トに会いに行き(出世して省都に移ったらしい)、対策を相談した。狡猾なパン家トは、曽倩にこう言ったのだとか。もし李思民が罪を全て被るなら、司法に手を回して李思民の刑を執行猶予3年ぐらいにできる。しかし李思民が全てを暴くことがあれば、それこそ李思民を死刑にしてしまうと脅したのだとか。曽倩はパン家トを信じることにして、李思民を説得して、李思民が全ての罪を被ることになった。しかし思いもかけないことに、社長の李思民は死刑、副社長は16年と10年の重罪の宣告を受けてしまったのである。

  ことがここまで至って、曽倩はパン家トを、わたしの夫はあなたの代わりに死刑の判決を受けたのに、ひとでなし! となじった。しかしパン家トはせせら笑いながら、李思民など死んでも惜しくない。おまえはこれから俺のところ来い、悪いようにはしないと、言い放った。そこでついに曽倩も切れたのである。

  曽倩はパン家トを告発する決心をしたが、徹底的にやるためには一人では力不足と考えて、11人の情婦団で告訴することにした。そして11人の協力の元に鉄壁の証拠をそろえることができ、11人の情婦告訴団がパン家トを訴えたのだった。

  2006年5月下旬、中央紀律委員会が秘密裏に宝鶏市に駐在し調査を開始。2007年2月5日に一部の犯罪についてマスコミに初めての発表があった。2007年7月も発表があったが、引き続き調査中とのことで、まだ告訴にはいたっていない。例によって、権力を握った者が悪事を働くのは共産党員であって、それを調べるのもまた、警察や検察ではなく、共産員を対象とする調査機関、紀律委員会が調べている。

  それにしても思うのだが、中国では権力を握ると、本当にいろいろなことができてしまうものである。司法に手を回して、李思民の刑を執行猶予3年ぐらいにすることだけができなかったのだろうか。もしできたなら、曽倩が切れることはなく、パン家トも数々の悪事を逃れるとこができたかもしれない。そして曽倩に実行力と組織力が無ければ、愛人の夫に罪をなすりつけて、やり過ごすことができたかもしれない。しかし11人の情婦告訴団の訴えがなければ、パン家トの罪が暴けなかったのかと考えると、中国の闇は深いように思える。また日本にはこれくらいスケールの大きい市長はいないと思う。

  以上の記事と、パン家トの写真は人民網の記事に載っていた。