愛国主義者が支える伝統医学? 中国の伝統医薬は効かなくて危ない

  中国の伝統医学を“中医”と言い、伝統医学による薬を中葯(薬)と言うのだが、実は去年から中国で中医取消署名運動を仕掛けている人がいる。その人は張功輝と言う人で、署名活動の趣旨は、「中医を5年以内に国家医療体制の中から排除し、西洋医学だけを唯一の国の医療技術とする」いうものである。現在の中国では、体制上病気の治療の一部を“中医”に頼っていて、治療薬として、薬草を沢山混ぜ合わせて作る葯(薬)もよく使われている。張功輝氏の主張は、中医による医療の全面禁止ということではなく、民間での医療はいいとするらしい。

  その主張は、西洋医学は因果関係が明確で、原理がはっきりしていが、中医にはそれらが全く無い。中医の伝統的診断方法である脈を診るなどの診断方法では病気を診断できるはずが無い、中医では臨床治療ができないと断定している。また、中医葯大学で勉強したと言ってもどれくらいの基礎ができるのか。 元々中医は非科学的で、実践の基礎が無いのだから、知識が身に付くわけが無い。もし中医で治ったとしてもそれは偶然に過ぎないとの主張である。

  より重要と思える主張は、中医や中薬は中国政府の衛生部でも安全を保証するのは難しいと言っている部分である。何故なら中国では中医中薬の安全性について研究したことが無かったと言っている。中国の中薬というのは生薬を20種類も混ぜて使うもので薬の種類が多く、現代医学から見てみれば、その安全性を保障できないとの主張である。

  私も調べていろいろ分かった事は、やはり中国の中医中薬は効かなくて危ないと言うことのほかに、中医を取り消そうと言う運動は中国で過去何回か有ったこととか、中国でも中医と言えども、伝統医学だけでは、現代の中国には役に立たなくなっていること。しかし、中国は中国の伝統と言う理由だけで、中医に診断の権利を与えていること。中医の保護は愛国主義と結びついていて、中医を取り消そうなどと言うと、愛国主義者から罵倒されかねないこと、等等である。

  日本にも漢方薬があり、漢方医といわれる人がいる。そういうことから日本人の中にも中医でもちゃんと治療ができ、中薬も効くのではないかと反論する人がいるかもしれない。しかしその考えるのは間違っている。中医と日本の漢方医、中薬と漢方薬は、その理論も少し違うらしいが、やはり国のかかわり方が全く違う。

  伝統医薬へのかかわり方の違いは、日本の場合、漢方薬であっても日本の薬事法(西洋医学による科学を基本としている)で認められているものでなければならない。漢方医にしても日本の場合は医師の国家試験に合格していなければ治療などの医療行為は許されない。その試験もまた科学を基本とするものである。日本では伝統的な薬だからと言うだけで、それを薬としては売っていいわけでない。漢方薬でも薬事法に従わなければならないからである。

  日本の針きゅうマッサージ師と中国の中医とは同じではない。日本の針きゅう師は診断をしないが、中国の中医は診断をするのである。中医にはガンだとかエイズだとかを診断する能力が無くても、中医であれば診断がでてしまう。中国の薬屋に中医らしき人がいて、無料で脈などを診て診断をしてくれて薬を勧めるが、薬を選ぶためとは言え、それに無料とは言え、診断などの医療行為などしてもいいものだろうか、中国ではいいらしい。これも中医であるからだろう。

  そもそも中国には医師の国家試験(中医の方には却って試験がある)など無いが、それでも西医と言われる人は、西洋医学を教える大学を卒業した人達である。しかるに中医といわれる伝統医学を学んだ人たちは、おそらく中国人以外には理解できない奇妙な理屈を勉強して、それで人を診断することができる。中国では医薬行政が中医と西洋医学とで、二重基準薬になっていて、中医薬は国家中医葯管理局の所管である。西洋医薬については国家葯監管理局が所管している。

  薬については、西洋医薬の方は、科学的根拠に基づいて審査する(実際は科学的根拠のほかに賄賂も必要であるらしい)が、中薬は伝統医薬の原典に根拠がある。そして恐ろしいことに張功輝氏の主張によれば、中国では中医中薬の安全性について研究したことが無かったと言っている。安全第一より、伝統第一である。実は中国の中薬と言うのは、生薬や貝殻みたいな物(?)などを、やたらにたくさん混ぜ合わせて(20種類も)、それを煎じて飲むものである。しかしその中薬の原料の一つ一つに医薬としての基準があるのか。まして配合方法にも、どれだけの根拠があるのか。会社の近くに中医病院があって漢方薬を調合しているところを覗いてみたが、大量の原料からの埃みたいな物が舞い上がっていて、それだけでも体に悪そうだった。

  それは別として、今の中医について調べてみると別の実態が浮かび上がってきた。中医といえども結構西洋医学を勉強していたり、西洋医薬を使うのである。中医検定試験と言うのさえあって、その内容をちょっと覗いてみたら西洋医学による伝染病の予防とか治療とかの科目もあった。中西結合医なんて医者もいる。中医と西洋医学のいいとろを取って治療する・・・・、なんてものではなくて、実は西洋医薬のほうが良く効くし、薬が高いから儲かる。西洋医学は科学的にいろいろ検査をするからこれでも儲かる。中医の診断は、脈を取るとか顔色を見て診断する程度だから儲からない。それになんと言っても検査すると何の病気かよく分かる。陰とか陽とか、元気が無いのを何でも腎臓のせいにする訳の分からない説明より、レントゲンの方が患者が納得する。と言うことで、中医も今では西洋医学にすっかり頼りきっているのである。その結果、本物の中医というのはどんどん減っていって、中医の中で伝統的な薬(たくさんの生薬などを混ぜる)の処方ができるのは、今や10分の1に過ぎないのだとか。中医の質を上げようとして、良い教育(科学的な教育だと思う)をすると、それは西洋医学を学ぶことであって、まじめに教育すればするほど中医の墓穴を掘ることになるのだとか

  中医と西医のいいところを取って診療するなら、それはそれでいいのではないかという理屈がある。ここでなるほどと思ったら、中医擁護論者の思う壺である。なぜなら、中医というのは西洋医学の知識が少ない可能性が大である。また、中医側の奇妙な理屈や、脈を取っただけで診断される可能性もある。だから危ないのである。最近も有名な女優が西洋医学を拒否して中薬に頼り、乳腺ガンで死んでしまった。そのことからまた中医の弊害が話題になった。中医廃止の説は再び中央電視台のテレビにも取り上げられた。

  張功輝氏の意見が現実的であると思ったのは、中医による医療は全面禁止ということではなく民間での医療はいいとしているところである。中医が診断しても良い場合は、西医が居ない場合と、西医が直せない病気の場合としている。中国には西医が居ない地区が多いから、完全に中医を締め出したら、無医村地区ができて困るのだろう。医者に診てもらえずに死ぬよりは、正確な診断ができない中医にでも、診てみてもらったほう患者にとっては幸せかもしれない。西医が直せない病気の場合でも、中医なら直せるかもしれないという、絶望より希望を与える心理的効果の面から見ればいいのかもしれない。中国の医療というのは、単なる風邪であってもやたらに点滴(中国の医者は西医であっても何でもいつでも点滴)をして、これで風邪が治るような心理的効果を与えのは、中医の役割と同じであろう。とにかく功輝氏の意見は中医を完全に締め出すのではなく、無医村などでは活躍の場を残すというものである。

  張功輝氏の主張に対して、国の衛生部や国家中医葯管理局が反論している。その主張は、中医中薬は国粋(国の文化の精華)であり、中国の医薬衛生上、不可分のものである、今まで中華民族の繁栄に役立ってきたもので、今にいたっても中医は治療の選択の手段である、中医取消なんて、歴史に対して無知な者が言うことだ。衛生部はこの主張に対して断固反対すると述べた。

  しかし反論は明らかに弱弱しい。中薬の安全性は保証できないなどと言われて、反論していない。効かないと言う部分にも反論できない。中医中薬は国粋(国の文化の精華)だから残すべきだと言うところだけが根拠である。愛国的理屈が科学をも、安全性をも凌駕している。

  具体的に中医中薬が危険な例をあげよう。これは私が書いた日記の中にあるが、ある中薬を飲んで中毒になり“馬兜鈴酸腎病”を起した事件があった。死者も出て馬兜鈴酸事件と言われる事件になった。しかしこの事件では国も製薬会社も、死者や病人に謝罪や賠償することも無く、責任がうやむやになってしまった。日本でなら大問題になるべき事件である。これも中医中薬だから許されたと言うことだろう。国が管理していてもこういう事件が起きている。以前の中薬には水銀が使われていたし、血圧を高くすると言う朝鮮人参が、血圧が高い人にも低い人にも、処方される場合があるという。

  中医中薬とその理論では新しい薬などは全く期待できないことも弱点である。中薬を科学的に研究したり改良したりすると、実験などが必要であるからどんどん西洋医薬の考え方に近づいてしまう。もっとも中薬の改良と言うと恐ろしいものがあって、個別にAとBという伝統薬があったとして、これを混ぜれば、もっと良い伝統薬ができるとして、簡単に新しい薬ができてしまう可能性もある。これも恐ろしい。AとBとは良い薬だとしても、AとBとを混ぜたらもっと良い薬ができるという理屈を、実験も省略して結論を出してしまうとすれば恐ろしい抜け穴である。これもAとBとが伝統薬であることから科学的根拠を省略できる。

  実は信頼できる漢方薬ならば、中国以外でも漢方薬の需要はあるとのことだが、中国の中薬はその基準の国際化にも乗り遅れて、日本とか韓国に生薬や漢方薬の市場を取られてしまっているのだとか。日本の“救心”とか“六神丸”は効くらしいが、中国に“六神丸”と言う薬があったとしても、日本の同じと考えない方が良い。やはり科学的に根拠が無ければ中国文化の“国粋”と言っても、国際的には通用しないのが当然だろう。中医が医者として通用するのは中国だけなのだから。

なお、余談になるが日本の生薬を使った薬と、中国の中薬とはかなり違うところがある。日本の生薬は大部分がそのエッセンスを取り出して、錠剤などにしたものであるが、中国の中薬は乾燥した葉っぱや根っこを20種以上も混ぜたものである。だから中薬を受け取ると相当な荷物になる。それを煮出してそれを飲むのであるが、私の疑問は、何故20種ではなく、19種では駄目なのか、また主要な10種を混ぜただけのもので何故駄目なのか。膨大な生薬の組み合わせの中から、全ての組み合わせを経験して、それを伝統に取り入れたとは考えられない。それと、中国の中薬の原料になる葉っぱや根っこに、汚染が無く、必要な成分が含まれているかというような品質の基準があるのだろうか。恐らく中薬の原料においても、そのよう科学的根拠とは無縁なのだろう。

  なお中医を廃止すべきだと言う意見は、ネットで調べてみると、この意見に賛成している人がかなりいる。しかもこの主張は、100年も前からも何回か繰り替えされた主張であるらしい。魯迅もその一人だったとか。日本で言えば明治の時代のことである。中国の伝統医薬が生き残れるのは中医を捨てて、科学的検証に耐えられる薬だけを残すしか、ないかもしれない。しかしこれはずっと以前に日本が取った道である。中国は日本の後を追えるだろうか? そして科学的な議論で、偏執的な愛国的中医擁護論を駆逐できるだろうか。

  できないかもしれない。何故なら中国にはまた別の伝統的で奇妙な理屈がある。それはマルクスレーニン主義を発展させて、毛沢東理論ができ、その上にケ小平理論ができ、さらに“三個代表の理論があるとしていて、その全ての理論の正当性を常に叫んでいる。今でも大学生にそれらの全てを教えている位だから、役に立たないマルクス主義や毛沢東理論を、誰も否定できない。偏執的な愛国的中医擁護論を駆逐できないのと同じである。冷静に科学的な目で考えれば、中医もマルクスレーニン主義も毛沢東理論も役に立たないことは同じであるのに。