靴を脱ぎっぱなしにしてはいけない


  日本語は教えるのは難しいと言う話なんですが。「靴を脱ぎっぱなしにしてはいけません」という日本語を中国人に教えたのですが、なんか理解できないようです。この(〜っぱなし)はある動作が終わって、放置されて、そのことを少し非難している意味があると、教えたのですが・・・・・、やりっぱなし、食べっぱなし、散らかしっぱなし・・・・・    お母さんが子供を叱るときにも使うとか、諭すと言うか、礼儀を教えるときにも使うとか、教えたのです。

  彼らの言い分は靴を脱いだままにしておいて、どこに非難される理由があるのかと言うことなんです。そうなんです。やはり日本語を教える時、習慣の違いなんかを説明してやらないとなかなか理解できないようです。元々、中国人はめったに靴を脱ぎません。最近は床を木にする家庭も出てきましたが、床は土間のような状態ですから、靴を脱ぐのはベットに上がる時くらいなものです。そのときでも中国では靴を揃えて脱ぐとか、脱いだ後、揃えるということを教えることはないようです。だから、「靴を脱ぎっぱなしにしてはいけません」と言っている意味が分からないのです。

  逆に日本では靴を脱いだとき揃えておくものだと言う前提があるから、靴を脱ぎっぱなしにしてはいけません、ということが理解できるのだと思います。日本では靴をバラバラにしておいてはいけなのですが、中国ではバラバラでも構わないようです。このことを聞いて初めて、非難の意味を込めて言うことを理解できない理由が、ようやく私にも分かりました。日本に行ったことのある女性が、「そう言えば日本では玄関で脱いだ靴はよく揃えてありましたね」と言っていました。

  もし中国人のある家庭で、床が木であったりして、脱いだ靴は必ず靴箱(下駄箱)に収納するというルールがある家があるとすれば、靴箱に収納しなければならないという意味で、「靴を脱ぎっぱなしにしてはいけない」と言う意味が分かると思います。しかし中国の家具屋で靴箱を売っていたかしら? 無いのではないかと思いますが。あったとしても小さいものでしょう。物が豊かな日本では最近の靴箱には立派なものがありますね。

  日本には玄関があり、そこに脱いだ靴をぬぎちらしかしておいては目立ちますが、中国には元々玄関が無いのです。ですから例えば「ガラガラと玄関の戸を開けると、靴が脱ぎ散らかされていた」などという情景は無いのです。元々玄関が無いのですから、この情景はあくまでも日本の情景だと言うことです。もし中国の情景だとすると、靴が脱ぎ散らかされている場所は玄関ではなくて、「入り口の近く」と翻訳しなくては正確ではありません。そして「ガラガラと玄関の戸を開ける」という情景も極めて日本的なものです。どうしてでしょうか?

  ガラガラと音のする戸とはどんな戸でしょう。ガラガラと音のする入り口の戸は中国には無いのです。この音から想像すれば、これは左右に引く引き戸ですね。元々中国にある戸や窓は、押すとか引っ張るとかするものであって、引き戸は無かったのです。ですから「ガラガラと玄関の戸を開ける」を、安易に中国語で「ドアを開ける」と翻訳しては間違いなのです。これだとドアを押すとか引っ張って明けたことになってしまいます。

  引き戸は中国に無かったと書きましたが、中国でもアルミサッシの普及と共に、引き戸も中国に入ってきたようで、今では窓などにはこの便利な方式が盛んに使われています。この引き戸の方式は多分日本から入ってきて物でしょう。しかし、やはり中国に入るとやはり問題がありますね。寸法とかの精度が低いせいか機密性が低いのです。我が家のアルミサッシもかなりおかしな部分があります。例えば網戸が内側に付いています。日本では網戸は必ず外側ですね。

  それには理由があって、内側に付いていると窓の開け閉めが不便になるからです。それから、窓の開け閉めをするのに必要な引き手というか、くぼみというか、そういうものがありません。だから窓が明け難いのです。これも中国人に中国の窓は明け難いと言っても、どうして明け難いのかと質問されるかもしれません。私は日本のサッシの方がずっと便利なことを知っているから、そう言えるのですが、彼らには分からないかもしれません。中国の窓が明け難いと言ってもちゃんと明けることはできますから。

 今日、中国のテレビを見ていたら、どらえもんの漫画をやっていましたが、のび太君の家の玄関は意外に大きく、靴は玄関にちゃんと揃えてありましたね。しつけも意外にちゃんとしているようです。

  追記:ある中国人の方から中国にも靴を脱ぎっぱなしにしてはいけない、靴をチャンと揃えなさいという言葉があり、子供の頃、躾けられたというメールを頂いた。「真是的、把靴子脱得東一個西一個、把靴子放好」という言葉で、「これは靴を脱ぎっぱなしにして! ちゃんと揃えなさい」、という意味で子供に教える言葉だそうです。中国でも躾はいろいろあるのかもしれない。このメールを頂いた方は、いい家庭の方なのかもしれない。生まれた家の様子が、四合院という古い形のお屋敷のようだったので。