中国人が声がデカイのは、文明について知っていないからだと思う

  私は中国の会社にいるのだが、中国人は声がでかくてうるさい。会社にいると私の頭の上を突然罵声が飛び交う。いやいや罵声ではない。普通の会話で感情豊かに話しているだけなのである。しかし私には罵声にも聞こえる。中国人の名誉の為に言っておくと勿論全部がそうであるわけでない。そしていつもうるさいわけではない。会社の開発室の方なん静かなものである。しかし不幸なことに、私がいる部屋は声のデカイ女性が多いのである。その声は声がデカイというだけではなく、爆発的であったり、声を引っくり返ってみたり・・・・・ それがどんない破壊的かはあとで、又書きますが。

  しかし中国人と話したかことのある人から、中国人の声はそんに大きくないという反論があるかもしれない。その場合日本語で話したのではないですか? 中国人でも日本語で話したら、そんな強烈な話し方にはならない。同じ中国人が中国人と中国語で話すと、日本語と違ってその勢いは倍化するのである。勿論中国語で静かに話す中国人も多いのだが。

  しかし中国人の中には、辺りの迷惑を気にせず大声で喚くように話す人が多く、日本人でそうする人もいるにはいるが、その割合は日本人より確実に多い。中国人の話し声が煩いということは、個人的な感想ではなくて客観的な事実でもある。何故なら中国政府自身がゴールデンウイークの前になると、中国人民の「旅游文明素質」を高めようなんてキャンペーンをするからである。中国人のグループが外国に行ったときに、中国人の声の大きさで、どのくらい外国人をビックリさせるかを政府が知っているから、政府自らがキャンペーンをするのである。このことは日記に既に書いた。

  しかし中国政府のキャンペーンの中の「文明素質」を高めようなんて言葉は、日本語からすればおかしな言葉で、文明とは長いことかかって築かれるcivilizationであるのだから、外国に旅行に行くからといって、または来年オリンピックがあるからといって、そんなに急に「文明」が高まるもとは思えない。まして素質とは、持って生まれた性質だから、直せないはずである。しかし中国語では素質であっても訓練などで直せるものらしい。それが直せるものならぜひ直していただきたい。ここでいう中国語の文明とは、礼儀とか道徳とか言う意味なのである。

  文明とは、なんのことはない行列に並ぶとか、痰を吐かないとかのことなのである。しかし「文明素質」を高めようと言われても「文明」の中身が分かっていなけければ文明素質の改善には結びつかない。大声で話す人にはおそらく、「文明」の中身にやたらに大声で話してはならないという項目があることを知らないのだろう。もし知っていても、自分の声の大きさを自覚していないのに違いない。

  仮に「大声で話すのは礼儀正しくない」という具体的なキャンペーンがあったとしても、聞いた本人は、それは田舎の人のことだろうと考えるだけかもしれない。中国人の声がでかいのは、田舎の人ではなくて、あなたのことなんですが。それがいかに破壊的で、外国人(私のことでもある)に耳障りなのか、本人は全く分かっていないと思う。おそらく本人してみれば、楽しく話しているだけ、もっといい言葉でいえば表情豊かに話しているだけ、ということなのであろう。

  突然話が変わるが、日本人とフランス人の夫婦が私の北京の家に泊まっていった。その二人が何か長いこと話していた。私にはフランス語だから何を話しているか分からない。そこで私は何を話しているのか聞いたのである。そうしたら二人は口喧嘩をしているところだとか。確かにフランス人の旦那の方は肩をすくめたり、手を広げたりしていた。でも案外静かな喧嘩なのである。中国人ならこうはいかない。派手な口喧嘩でわめき散らすに違いない。ある中国人にそのことを話して、フランス人は静かに喧嘩すると言ったら、それは冷戦であって、危険なのではないかと言われてしまった。中国人ならそういう見方をするだろう。

  「文明素質提高」のキャンペーンがあるにもかかわらず、中国人が自分の声の大きさが周りに迷惑であるかに気が付いていなのであるが、その理由はキャンペーンに具体性がないことも原因があると思う。何が非文明的であるかを示すか具体的な標語が極めて少ないのである。ゴミを捨てるな! とか、 大声で話すことは非文明的ですよ! といった具体的な標語を街の中であまり見かけない。道にべったりと吐かれた痰はいつも見るが、痰を吐くなと! というポスターも殆ど見かけない。中国人には文明とは“道徳”とか“礼儀”とか言った意味であることは理解できる。しかしそんな高尚な言葉でいわれても、どうすれば「文明素質提高」になるのかそこが分かっていないのだと思う。

  列に並んで割り込みをしないと言う礼儀は、北京ではかなり浸透してきた。具体的に指導すれば効果があるのかもしれない。しかし痰を吐く前の、ガアーっという、あの痰を切る音そのものは、他人に相当不快な感じを与えることを自覚しているのだろうか。痰を吐くことも相当、非文明的なのだが、その前の音も、かなり暴力的である。家に泊まっていたフランス人も随分恐れおののいていた。そういうことも具体的に言わないと分からないのではないのではなかろうか。 

  本場の中国人が中国語で話すとどんなに凄いか。凄いのは声に迫力があって、声がでかいと言うだけではなく、その他の要素もある。例えば日本人が「バカ」と言うのを中国語式に迫力を付けて言うには、「バ」と「カ」二つの音に平等に力を入れる言い方ではなくて、まず「バ」の部分を爆発的に音を吐き出すのである。破裂させるように発音する。更に「バ」の部分を高音で言って、「カ」の音は下げるのである。「バ」と「カ」の音程差は一オクターブくらい高低差をつける。しかし「カ」の音がかなり低い音になってしまっては迫力に欠ける。だから第一声の「バ」は声が裏返るくらい高い音から始めるのである。一度これで試していただけると、どれだけ破壊的な言い方になるか理解していただけると思う。現実にはそういう発声が延々と続くのである。そばで聞いている方は、何もあんなに大きな声で、しかも大げさに抑揚をつけて、声を裏返してまで話さなくてもいいのにと思うのだけれど。

  話が興に乗ってくるとますます声に高低差を付け、音楽用語で言えばフォルテッシモ最強音から急激にデフレッシェンドさせ、高音部では普通の声では間に合わないので、ファルセットの裏声まで使い、音程の高低差を際立たせる。声量も大きくしてり小さくしたり大小を使い分ける。デシベル比が大きいと言うのか。とにかく声に迫力があって、その声が直接耳に当たると風圧を感じるのである。

  声の大きい本人に、何とか自分の声はとてもうるさくて、他人に迷惑を掛けているのだと自覚して貰う方法は無いものだろうか。多分無理だろう。周りの中国人も、そうとは思っていないばかりでなく、掛け合いでワーワーやっているのだから。エレベータの中でも大声で話すやつがいるし、バスの中でも電話を受けるととたんにでかい声になる。中国は大声許容社会なのである。