チベット族のお宅訪問

  チベット族の家を訪問できたのは偶然だった。甘粛省の甘南の行政の中心部合作市で頼んだタクシーの運転手が、チベット語がしゃべれて、チベット人の友達がいたからである。合作市からもっと奥の朗木寺に入るのにバスで行こうかと考えたが、運転手が300元で行くというので、タクシーでいくことにした。やはりタクシーの方がずっとよかった。好きなところで、タクシーを止めて写真が撮れるし、チベット族の家も訪問できたし、そこでトイレも借りられたしなどで、やはりタクシー代を払っただけのこことはあった。この運転手はなかなかおしゃべりで、自分のことをよく話すので家族構成などよく分かった。運転手のおかげでいろいろ体験できたのでタクシー代はチップを上乗せして350元にした。

  この運転手は漢族なのである。漢族なのにチベット族地区で育ったのだとか。それでチベット語が話せて、それに大学も出ているらしい。大学の友達にはチベット族の友達がいて、その友達の何人かは学校の先生をやって、その友達の一人が高原の中にあるチベット族の学校の先生をやっているので、朗木寺に行く途中にあるその先生のお宅を訪問したというわけである。運転手は久しぶりに友達に会いたかったのだろう。その友達の家は出発した合作市から100k以上走った辺りにあったから、なかなか会えないのかもしれない。この先生は男の先生だったが、もう一人女先生の友達がいて、それは目的地の朗木寺にいるとのことだった。しかし、GWの休暇なので合作市に戻ったとかで会えなくて残念だった。残念だと思ったのは、そのチベット族の女先生は相当の美人だと、運転手が何回も言ったからである。



  運転手は26,7位で若い運転手だった。だからその友達も若いのである。運転手は未婚だそうで、男の先生も未婚。女の先生も未婚かもしれない。それはともかく男のチベット族の先生は結婚の相手をもう見つけたと言っていたが、運転手はいないのだとか。今の時代男が相手を見つけるのは相当大変なのだと嘆いていた。家をちゃんと用意をして、ちゃんとした職業を持っていないとなかなか難しいのだとか。その運転手は、未だ家が無いようだし、タクシーの運転主ではちゃんとした職業には入らないらしかった。

  タクシーの運転主一家の聞いた状況を書いておくと技術系役人(水利局?)だったお父さんが退職していて、おかあさんは、小さい小料理屋をやっていて、子供のいるお姉さんは、タバコ専売局のようなところに勤めていて、羽振りがよさそうだった。田舎での良い仕事と言うとやはり役所関係らしい。弟は大学で絵を勉強しているらしい。大学と言っても本当に田舎の、この地方の大学のようであったが、兄弟は全部大学に行っているので、まずまずの生活なんだろう。晩飯はお母さんの家の食堂で食べたので、経済状態などよく分かった。ここ写真を取ってあげればよかったのだが、そのときは気が付かなかった。

  タクシーの運転手の話も、生活の一端が分かって興味があるのだが、やはりチベット族の家庭を覗けたのことは、私はそう言うことに興味があるので興味深かった。何が面白かったか? 家の構造とか、家族構成が面白かった。あとは食べ物なんかも初めてものがあった。まず家の構造であるが、正面に門がひとつだけあって、その門をくぐると中庭があって、周りには建物がある。しかしその建物には家畜や飼料が入れてあって、生活の場ではない。その中庭もヤクがいたりして、人間はそこを通るだけのようで、トイレも含めて生活の場は全て二階にある。部屋は中庭を囲む建物の上の北側だけにある。そのほかの建物の屋根(つまり住居部分の南側に)はテラスになっていてそれがかなり広い。テラスは収穫物を干したりするのに使う場所かもしれない。なかなかユニークなのはトイレであった。トイレはテラスの隅ににあって、囲まれているが、屋根は無い。そして意外に清潔であった。出したものは一階に落ちるし、周囲が汚れたら砂を掛け、それを下に落とすので清潔さが保たれるようであった。屋根はないが用を足す時、女性なら完全に隠れるようになっている。テラスとかトイレとか表面は全て土でできていたが、硬く締まっていた。200km近くの行程の途中で、トイレが使えたのはありがたかった。

  この辺りのチベット族の家には衛星放送の大きなアンテナがある。1.5m位はある大きなものである。それと似たようなものがテラスにあるのだが、それはアンテナではなくて湯沸し器なのである。ここは高原で日差しが強いから、アンテナ状反射板の、太陽光線の焦点のあたりに薬缶を置いておくと、昼間はたちまちお湯が沸くらしい。これは省エネ装置なのだが、太陽の回転に伴って、アンテナ状反射板を何時も動かさなければならないのが欠点である。

  そして家族であるが、未だ独身の学校の先生がこの家の主人のように見えた。そしてそのお母さんがいて、お父さんはいなかったが、お父さんは昔、村の村長をやったことがあり、ここでは金持ちの方であるとか。小学校前の子供が二人居たが、一人は先生のお姉さの子供で、もう一人はおばさんの子供だったか。いずれの両親もここに居なくて預けているらしい。子供を両親が育てないで、じいさんばあさんに育児を任せるのは漢族にはよくあることであるが、チベット族もそうなのか。 奇異に思えたのは先生の叔父さんが、二人も結婚しないでこのうちに居ることである。このことはチベット族の習慣とかに何か関係がありそうだが、理由は聞かなかった。

  食べ物だが、訪問して部屋に通され、直ぐパンとかミルクティーとか、八方茶を出してくれた。八方茶はクコとか棗の実とかを茶のようにして飲むものである。以前チベット料理屋でミルクティーを飲んだが、それはミルクとお茶が乳化して混ざっていたが、ここのは上はミルクで、下はお湯で完全に分離していた。ミルクはヤクのミルクらしく、臭いがかなりきつかった。主食のパンはメロンパンを大きくしたものに似ていて、何か黄色い色がついていた。別の主食もあって、それは麦焦がしをバターと練って、軟らかい餅のようにして食べるものがある。これを指で練って勧めてくれたが、その指は洗ってないのは確かなので、チョッと気持ちが悪かった。

  チベット族といえば、チベット犬である。この旅行に行くまでは、チベット族といえば、チベット犬である、とは思っていなかったが、行って見ればそうなのである。チベット族の村にはチベット犬がたくさんいた。黒豚は放し飼いにされていたが、犬は放し飼いにされていないようで、殆どは鎖に繋がれていた。チベット犬は獰猛だからなのだろうか。訪問した家にはチベットッ犬が三匹もいて、一匹はいかにも獰猛そうで吼えられた。本物のチベット犬をたくさん見て、なおかつ吼えられたなんて日本人は少ないかもしれない。チベット人のお宅を見せて貰った日本人も少ないもしれない。