則岔石林を日本人として始めて見に行く、
そこでチベット族の美女と出会う

  チベット族の美女と出合ったなんて書くと、嘘だなんていわれるかもしれないので、初めに断っておくが、美女と言うより可愛いと言ったほうが正しいかもしれない。写真を載せるので、嘘を言っても仕方がない。チベット族であることは確かである。

  則岔石林と言っても分かる人はいないと思うが、甘粛省の甘南地区にある石林である。日本人として始めて行ったなんて、ここでもいい加減なことを書いていると言われそうだが、これは昨年のGWに青海省のカンブラー地貌公園に行って、ホームページにカンブラー地貌公園に日本人として始めて行ったと書いてみたが、全く反応が無いので、今回は則岔石林に日本人として始めて行ったと書いてみた、と言った程度のことである。しかしgoogleに則岔石林と入力しても、日本語では全く引っかからなかった。そういったわけで、日本人として始めて則岔石林に行ったということは、本当である可能性も無くは無い。そのくらい珍しいところで奥地であることは確かである。そして則岔という名前からして漢語の感じではなく、チベット語の地名ではないかと思わせる語感である。

  そこに行けたのは全くの偶然と言うことでもない。今回の甘南の旅行に際して、中国語のページで甘南にはどんな見所があるかとか、そこまでの行き方や距離を調べて、則岔石林に付いても知っていた。中国語のページには則岔石林が綺麗であるとかの説明は書かれているが、位置がハッキリとは分からず、そこに行った旅行記(中国語の)ようなものは見当たらない。だから案外不便なところなのかとも思えて、旅行の予定に入れておかなかった。

  しかし合作市でタクシーに乗ったところ、タクシーの運転手は売上を稼ぐ為に、長距離の観光を勧めた。その運転手は則岔石林に片道二時間で行けるという。道もいいと言う。既に時刻は3時を過ぎていたが、このあたりの土地に来てみて日が落ちるのが遅いことに気が付ていた。地理的には北京から見ると千数百キロも西の土地なので日が落ちるのが遅いのも当たり前なのである。それでタクシーに乗って則岔石林へ行ってみることにした。

  因みにこの日は蘭州から出発しているから、蘭州から合作(海抜(2936m)まで276K、合作市から則岔石林まで130k、則岔石林と合作市の間は往復しているから、この日は536K位走ったことになる。ところで則岔石林は石林のほかに森と草原が一体になった観光地とかかれていたが、このあたりでは草原は多いが森林が残っているところは少ない。石林と名前が付いているだけに、石の山が聳えて、岩の割れ目を通って奥に進むようになっている。ここはチベット族の聖地なのか、仏様の絵とか、経文のようなものが岩に描かれていた。森が残っているのもそういうことと関係があるのかもしれない。ここに着いてあまり時間が無かったし、歩くと息が切れるので(標高が高い)あまり奥まで行くのは止めにしたが、深い岩の裂け目と綺麗な水流があたりして綺麗なところであった。しかし日本人として始めて則岔石林に行ったと、誇れるほどのところかどうかは・・・・・  ともかく合作市から更に130kも行ったところで、チベット族のテリトリーであって、日本人があまり行かないところであることは確かである。



  そこはあまりに奥であることからなのか、観光客は少なかったが、そこにいやに頭が小さくて足が長い、すなわちスタイルが良くて若い美女の一団がいたのである。こんなところで美女と出会ったなら、「どこから来たの?」ぐらいのことを言って、「写真を撮らせて貰えない?」 くらいのことを言いたいのだが、ここはやはりチベット族の地だから、言葉が通じるのだろうかなんて、美女を前にして逡巡していたら、一緒に付いてきた運転手が代わりに話し掛けてくれて、「この人は日本から来たのだ」なんて言ったらしく、こちらも話し掛けやすくなり、写真を撮ってもいいということになり、写真を撮らせて貰うことが出来た。果たしてこの一団はチベット族であって、うまいことにタクシーの運転手はチベット語が話せたのである。

  本当に美女かどうかは意見が分かれるかと思うが、一応タイトルが美女なので、美女としておくが、何故美女ばかりが集まっているのかが、不思議であった。チベット人が住むある地区には美人が多い地区があり、その地区の人たちが遊びに来ているのかと思った。写真を送って欲しいかと聞いたところ、送って欲しいと言うので、住所を書いてもらったら、碌曲県芸術団と書いてあったので、美女が集まっている理由が分かった。実は美女の集団だけでなく、男子もいたのだが、そういわれて見れば男子の方も格好が良かったかもしれない。芸術団といっても北京辺りの歌舞団のメンバーと比べるとだいぶ差があるし、化粧などのあまりしていなくて、日焼けた子もいた。

  その一団は、住所は漢字で書けたが、中国語は、運転手の話だとあまり出来ないとのことだった。しかしチベット族とチョッとした交流が出来たのは、そのタクシーの運転手のおかげである。則岔石林を出て帰りかけたときにもチベット人の一家らしき人達が、ヤクを引いて家に帰るところだったので、写真を撮ろうとしたら、その運転手がチベット人に話し掛けて、引き止めてくれて写真を撮らせてもらえた。それだけではなく、ヤクに乗せて貰えたり、チベット人の美女と一緒に写真を撮らせてもらえたのである。

  ここでも美女と言うと、又嘘と言われそうだが、ちゃんと写真も撮ってあって証拠もある。しかし私の姿も写っているのでこの写真は載せないことにする。確かにその人は意外にも美人だったのである。意外にもと言う意味は、チベット人の農民は農作業に行く時は、顔をぐるぐる巻きにしてあって、顔が見えないのである。それが写真を撮るとことになると、マフラーのようなものをはずして素顔が出てきたのだが、それが意外にも日に焼けていなくて美人でもあった。このとき進められて前に出てきて一緒に写真を撮った人は一番若い人だったが、マフラーのようなものをはずしたくらいだから顔に自身があったのかもしれない。

  実はこの美人のほかに、その人のお母さんだか、お祖母さんだかと並んで写真を撮ってもらいたかった。その人も美人だったと言うことではない。その人は歳のせいもあり、日本人にはちょっと居ないくらいに皺が深く渋紙のようであった。やはり高原の日差しの強さのせいかもしれない。顔をぐるぐる巻きにする理由もこの皺を見ればよくわかった。あの美人も将来はあのようになってしまうのかなんてことも考えた。

  意外にもチベット人と間接的にでも交流が出来たのも、運転手がチベット語が話せたからで、そのお陰である。何故運転手がチベット語を話せるかは別のところで書いた。しかし、後で写真を見るともっと写真を撮っておけばよかったと思うことも多い。それにあの一家に撮った写真を送ってあげたら喜んだかもしれない。多分デジカメなんか知らない人達だろうから。住所を聞いておけばよかった。

  芸術団の美人の方は、メンバーの写真をよく見てみたら、確かに美人もいたが全部が美人と言うわけでない。でも会ったときはもっと美人が多いように思えた。やはり則岔石林に入った日本人は、私が初めでではないだろうかなんて考えていたからかもしれない。