トルコ石の飾り物はお宝かもしれない


  今年になって続けて買った二つの物は、本当にお宝かもしれない。そう言っても、誰も信じてくれないかもしれない。以下にこれがお宝であることを説明しているのだが、この文章を読んで信じてもらえるかどうか・・・・・

  下の二つのものは別々に買ったの物であるが、いずれもトルコ石で象嵌された奇麗な飾り物である。名前を付ければ「トルコ石象嵌飾牌」と言うのかもしれない。一つは青銅に象嵌した物(左)で、もう一つは玉(ぎょく)に象嵌した物(右)である。この二つの共通点は、トルコ石の象嵌であることであるが、デザインも獣面紋であることが共通している。盾型であることも共通している。もう一つの共通点はそれが斉家文化の物だと聞かされた点である。斉家文化の物だというのはそれぞれの売り子が言ったことで、斉家文化の物ならば今から4000年前の物である。

  左は青銅の物で高さ13.7cm。右は玉(ぎょく)の物で高さ15.2cm。


  上の物に目が象嵌されているところから獣面紋のように見える。デザインが獣面紋であれば学術上の価値もある。何故なら、中国の沿海部の杭州に起こった良渚文化(5300〜4200年前)の獣面紋は、はるか時空を越えて殷(商)にも伝わったからである。距離にして1000K以上はある。時間にしても700年とか1000年くらい掛けて伝わったのかもしれない。良渚文化の石器の獣面紋が殷・周の銅器の饕餮紋(とうてつ)紋になったと言われている。良渚文化と斉家文化の距離ならば殷・周よりも遠く2000k近くあるかもしれない。

  獣面紋とか、とうてつ紋のデザインがあって、しかもトルコ石で象嵌されているという極めて珍しい飾牌(中国では牌飾と記されている)であるので、これを誰かに自慢したいところなのだが、その相手が誰もいない。会社の中国人に珍しい物が手に入ったと言うと、現物を見もしないうちから、偽物じゃない? 中国は偽物が多いよ! なんて言われてしまう。私が、偽物のはずはない、こんなものを作ったりする人やこんなものが出来る人はいないと言うと、中国人は何でも作るよ! 河南省には偽物が作る工場もあるよ! なんて言われてしまって、珍しい物であるかどうかの話に入る前に、偽物であるかどうかの議論になってしまう。高い金を出して騙されたのだろうという疑いを解かなければ、話が先に進まないから、珍しい飾牌の話までは進まない。だからこのお宝について自慢したり、話し相手になる人が誰もいないと言うわけである。

  そこで、これが本物である上に、極めて珍しいものであることを書いておきたいのだが、そんなことを読んでくれる人がいるのだろうか。でも一応書いておくことにする。今回買った物は私としては偽物ではないと確信している。何故なら、売れない物に偽物が殆ど無いのではないかと私は考えている。偽物は売れるから作られるのだと思う。これらの物はあまりにも珍しすぎて、偽物を作っても売れないと思う。これが4000年前の前の物だと俄かに信じられるだろうか。殆ど信じる人が居ないから売れない。売れない偽物は作らないという理屈である。もし4000年も前の物を真似て作るとすると、かなりの知識と技術が必要であって、結構なコストがかかるはずである。大量に作るならまだしも、一つや二つ作っても割に合わないだろう。本物の手間の掛け具合をご覧いただきたい。


  左の物は玉(ぎょく)であるが、目の周りと縁は玉である。右の物は青銅で、目の周りの丸い部分が青銅である。詰めてある物はトルコ石だが、そのほかにも玉とか他の物も詰めてあるらしい。ちなみにこの物の値段であるが、安くはないが、これだけ手間暇掛けて、製造者に利益が出るほどの値段で買ったわけではない。だから偽物ではないと信じている。

  ところであまり存在すらも知られていない物の存在がどうして分かったのかと聞かれそうである。実は青銅の盾型の飾り物は、三年か四年前に潘家園と言う骨董市場で始めて見て、その後にももう一度見たことがあるのだが、今年になって三度目に見て思い切って買ったものである。その後いろいろ調べて解ったのであるが、やはり貴重な物であることが解った。あまり知られてはいないが、調べてみるとある程度のことは解る。玉へトルコ石を象嵌した物の方は、つい最近北京の会社の直ぐ近くの、露天の骨董市で初めて見て、これは直ぐ買った。これも買ってから調べたのであるが、トルコ石を玉に象嵌するのは文献上はよく知られていることらしかった。

  人が滅多に目にすることが無いくらい珍しい物なのだが、その珍しさを説明するのは難しい。存在も知られていないくらいなのだから、あれと同じくらい珍しいと言う言い方が出来ない。試しに妻に、これは今から4000年も前の物でとても珍しい物だと言うと、4000年前のものなら石ころでも珍しいのかなどと、たちどころに言われてしまう。なにも4000年前の石ころを珍しいと言っているのではないのだが、珍しいと言う部分を説明するのが難しいので、4000年前と言うところを強調して言ったのである。そこで下の図を見ていただきたい。ちょっとややこしいですが。

玉や獣面紋の広がりと、青銅器やトルコ石の象嵌の始まり
良渚文化 龍山文化 斉家文化 二里頭文化晩期 殷・周時代
新石器時代
5300〜4200年前
新石器時代
4300年前
新石器時代
4000年前
青銅器文化
3600年前
青銅器文化
3600年前以降
獣面紋の発生 獣面紋あり? 獣面紋は少ない 獣面紋が伝わる 青銅器の礼器の
とうてつ(饕餮)紋
になる
璧玉やj玉などの
玉器がたくさんつくられる
⇒伝わる⇒ 璧玉やj玉が伝わる。沢山の玉器が作られる ⇒様々な玉器が
斉家文化から伝わる
様々な玉器の礼器が作られた
最初の青銅器の
出現。銅鏡もあった。
二里頭文化晩期に青銅器の礼器が作られ始める 青銅器の礼器が
盛んに作られた
トルコ石の玉への
象嵌の始まり
へトルコ石の青銅へ象嵌の始まり?
中原から1000k
以上東の長江下流(浙江省)の文化
山西省など 中原から800k
以上西の黄河上流(甘粛省)の文化
中原(河南省)の
文化
中原(河南省)の
文化

  中国の古代の歴史から見ると玉(ぎょく)の文化は良渚文化あたりから礼器用に使われ始めて、東から西に伝わったらしい。デザインの面で言えば、獣面紋も良渚文化から始まって、東から西へ伝わり、殷・周のとうてつ紋(饕餮という漢字がある)になった。一方、青銅の技術や象嵌の技術は西から伝わったらしい。それらが斉家文化あたりで一緒になったようである。

  下の写真の左は良渚文化の獣面紋(玉)、中央は二里頭遺跡から出土したトルコ石象嵌とうてつ紋牌飾(青銅)。これは二里頭文化の代表意的な出土品である。左は殷の時代のとうてつ紋がある青銅器。この写真だけは私が南京博物館で撮ったもの。このように並べてみると文様の伝播がよくわかる。


  二里頭文化の代表意的な出土品である「嵌松緑石饕餮紋牌飾」(これは本当にお宝である)の横に、私が買ったお宝かもしれないものを並べて見ると、その類似性や貴重さが良くわかると思う。

斉家文化の玉製牌飾
私が買った物
斉家文化の玉製牌飾
骨董屋の図鑑から
写真に撮った
斉家文化(?)の
青銅製牌飾
私が買った物
二里頭文化晩期
青銅製牌飾

  右の二つは目が下になっているが、一番左の物は吊るす紐の穴が上にあるのでこの位置が正しいようである。右端のものは、上下が逆になっている写真があって、どちらが正しいか解らない。 左の二つは図鑑にあるくらいだら斉家文化のものとハッキリしている。左の物も出土した場所(二里頭遺跡)もわかっているのでこれもハッキリしている。問題なのは、私が買った物の青銅製牌飾であって、斉家文化で青銅がよく使われだしたのは明らかであるが、青銅にトルコ石を象嵌するほどの技術が有ったかどうかは調べても分からなかった。斉家文化の物だと言う写真も見付からなかった。青銅の技術が飛躍的に進歩したのは二里頭文化晩期であり、デザインがそっくりであることから、二里頭文化に近いようにも考えられる。しかし左から三番目の牌飾を売っていた骨董屋は、いずれも、斉家文化の物だと言っていた。骨董商のカタログにも斉家文化の物として載っている。中国は奥が深いから、考古学者も知らないことを骨董屋が知っているのかもしれない。

  上の写真のように並べてみたのは、左から右へと獣面紋のデザインが伝播したのではないかと思えたからである。左の斉家文化と、右の二里頭文化の地域は800kくらいは離れている。年代も400年は離れているかもしれしれない。もしこのよう獣面紋が伝わったとすれば、東から来た獣面紋が、一旦シルクロードの方の斉家文化(甘粛省)まで伝わって、象嵌技術と一緒になって中原である河南省の方に逆戻りしたように見える。もしかしたら私が買った物は、斉家文化から二里頭文化へ、青銅技術や象嵌の技術が伝わっていったミッシングリングを解明するに相応しいお宝なのかもしれない。  

  私の買った物はお宝であるから高く売れるか? 本物で貴重な物だと言うことと、それが高く売れると言うこととは別かもしれない。これらの物は殆ど人に知られて知られていないから、人気が無くて高くは売れないと思う。逆に人気がある物には偽物が出やすい。中国では玉(ぎょく)そのものに人気があって、オークションなどでは目の玉が飛び出るほどの値が付く。その価値観は中華思想とも関係があるのかもしれない。玉(ぎょく)は中国伝統の芸術とされ、更に中華を表す龍が彫ってあったりすると、益々人気が出る。しかし人気があって、真似のしやすい玉(ぎょく)の彫り物には、相当多くの偽物があるのではないかと何時も思うのだけれど。

  ところで、左二つの玉製牌飾の玉の部分はあまり奇麗ではないと思うかもしれないが、玉だから透かしてみると、奇麗なのである。下の写真は後ろからライトを当ててみた写真である。右のものは怪獣のような動物のシルエットが見える。透き通っているところが玉で、不透明な部分がトルコ石である。
  おまけと言う訳ではないが、またしても買ってしまったトルコ石の象嵌細工の写真を載せます。これは玉に象嵌したのではなくて黒い石にトルコ石を象嵌したものである。蝶なのか蛾なのか分らないが、4000年前の斉家文化のものであることは確からしい。黒い石に象嵌をした物は図鑑に載っていた。現物は写真よりもっと大きくて巾が15cmあり、奇麗である。厚さ5mmの象嵌細工である。