日本の常識は中国の常識ではない−2

  最近のことであるが、私の知的財産権(?)に関することが、私自身の上にも起こった。それは、私の書いた旅行記(このホームページに載っている)が、ある中国のラジオ局のホームページに無断転載されていることに気が付いたのである。抗議をしたら、私の名前を載せればいいかというような返事が来たが、転載された文章が改ざんされていたり、細切れにされたりしていたので、それを元に戻すように要求をした。しかし相手は私の文章を元に戻すことが出来なくて、100編以上有った旅行記全部を削除してしまった。私の旅行記は100編あまりのうち70編は有ったかもしれない。だから私のものだけの70編を削除すればよかったかもしれないが、無断転載だからどの旅行記が誰のもかさえも分からなくなっていたのだろう。それとも他の旅行記も無断転載であったのだろうか。

  70編とは多いのは多いのだが、同じ旅行記を二回も三回も転載したり、細切れにして分解して何回にも分けて掲載したことも多い理由である。同じ旅行記を二回も三回も転載したのも何故なのか理由がわからない。

  改ざんされていた部分は語尾の部分で、普通体(旅行に行ってきた)の文章が丁寧体(旅行に行ってきました)に変えられていて,それだけならまだしも、変え残したところがあって、普通体と丁寧体の混ざった奇妙な文章になっていた。こんな旅行記を私が書いたものと思われるのも心外である。これも文章の末尾を何故変えたのか理由がわからない。

  ラジオ局といえば、マスコミの一つであるはずだと思うのだが、中国のマスコミはマスコミであっても、知的所有権とかの問題については、日本の常識とは違ってかなりいい加減なようである。と書いたがここは中国である。よく考えて見ると中国のブログなど(博客と書いてボーグゥと読む)では、他人の文章を無断転載するのは当たり前らしい。日本の常識は中国の常識ではないのである。だから私がクレームをつけて、ラジオ局の人がそれを受け入れたのは、マスコミの人であった為であるかもしれない。その担当者はグローバルスタンダードとなる常識を知っていたからなのかもしれない。日本の常識をもってして、他の中国の人に抗議をしても、問題が解決したかどうかは疑わしい。

  そう推測する根拠として、ラジオ局に載った私の文章が、更にコピーされて別のブログに無断転載されているページがあるを見れば分かる。それは吉林の四季・冬吉林の四季・春について書いた文章である。いずれも中国人のページである。写真は私のでなく、ラジオ局がどこからか見つけて転載したもの(多分無断転載かも)である。今ではラジオ局の無断転載の文章は無くなったが、そのラジオ局がどのように私の文章を転載したかは、更に無断転載された先に残っていて、よく分かるのである。この文章は改ざんされていないものである。そして私はこのブログの主に対して抗議をするか? おそらくこちらはラジオ局と違って、日本の常識を話しても中国では通じないかもしれないのである。