意外にディープだった西安の旅

  10月始めの中国のゴールデンウイークに西安に行ってきましたが、結構ディープな旅でした。妻と一緒に行ったのですが妻はディープだったとは思っていないでしょう。今回の旅行の目的は兵馬庸であり、大雁塔であったわけで、ホテルは五つ星と、四つ星のホテルに泊ったわけですら、ディープなはずはありません。第一、妻はディープな旅などは嫌いですからそういうところには行きません。

  西安への旅がディープな旅だった訳の第一は、黄土高原の大地の裂け目を見られことです。黄土高原がよく見たと言っても、ようやく見えたのは、旅行から帰ってきて、写真を整理してしかも、よく見えない写真を修正して、修正してようやく見えてきたものなのです。しかし偶然見えたと言うものでもありません。西安の辺りには黄土高原があるのを知っていましたから、それ是非見たいと思っていて狙っていたのです。

  飛行機の席は、勿論窓際を要求して、翼の上は避けて、しかも右側の席を指定しました。右側は北になるので太陽が窓ガラスで反射しないからです。それからエンジンの直ぐ後ろは駄目です。エンジンの排気ガスで気流が乱れて、その下の風景がボケるからです。飛行機の窓から写真を撮りたい方は、これを参考にしてください。なお、成田から北京のくる場合、富士山がよく見える場合がありますが、富士山は左手に見えます。翼の上ではよく見えません。窓のガラスが汚れていたらよく拭きましょう。

  黄土高原を見たい、写真に撮りたいと思っても、タダの平らな風景では面白くありません。黄土高原の特徴がある光景を撮りたいと思っていたのです。黄土高原特有の地形とは、平らな黄土高原が、あるところで垂直に崩れ落ちて深い谷になっているのがその特徴です。堆積した黄土は何十メートルにも堆積しているので、たまに降る雨が縦に深く沁み込み、それで大地がパカッと割れるのだそうです。その黄土の地裂が黄土高原の特徴でもあるわけです。

  北京を出発したときは快晴でした。北京で空が青く見える日は珍しいのですが、この日は青い空でした。西に飛んでも行ってもなお下界がよく見えました。しかし西安に近づくに従って、だんだん風景がぼやけてきたのです。雲なのか霧なのか殆ど下が見えなくなってしまいました。あとで、タクシーの運転手に聞いたところでは、今の時期この辺りは霧が多いそうです。実際この旅行の期間は毎日霧でした。霧が出る時は晴れなんだといっていましたが、太陽が見えない晴れなのです。

  しかし見えないと思っていた黄土高原の割れ目が見えたのです。薄ぼんやりと写っていた下界の写真を修正して、更に修正して、試行錯誤していたらはっきりと見えてきたのです。さすがデジタル写真です。コントラストを強くしてみたり、暗くしてみたりそれを組み合わせてみたりしていたら、ようやく、しかもかなりはっきりと見えてきました。それが別ページの写真です。その谷の深さは思いかけぬほど深か〜く、深か〜く文字通りDEEPであったのです。他の人があまり見たことない、たまたま見たとしても、なかなか写真には撮れない黄土高原の割れ目が撮れて、それがハッキリと見えたことで、今になってみたら今回の旅はかなりディープな所に行った旅であったのだなあと思ったわけです。

  西安から東北に200km位行った所にある、党家村までに行ましたが、ここ辺りは黄土高原でもあるにもかかわらず、また黄土高原の大亀裂の上に懸った高速道路の橋を通りましたが、濃い霧で黄土高原の特徴は殆どわかりませんでした。またヤオ洞も見たかったのですが、霧のため遠くから遠景を見ただけで諦めました。

  ディープな旅であったことは、西安の地元の骨董市場に二つも行ったことからもディープでした。お土産屋ではないです。観光客が行かないマニアしか行かないような市場です。今回の旅行もフリーの旅ですから、予定に無い骨董市にも、思い付いたら直ぐ行けるわけです。西安には骨董市場がたくさんあるらしいです。

  一つ目の骨董市場では、妻が古い急須を買いたいというので、250元の言い値を90元に負けさせて買い、ダテに長いこと中国にいるのでは無いことを妻に見せ付けました。二つ目の骨董市では、私が古い土器を買いました。200元の言い値なので、100元で買おうとしましたが、骨董商と丁丁発止の値引き交渉をしても、それは果たせず、120元で買うことになりました。丁丁発止の値引き交渉をしたと言うのは嘘です。第一方言なので、その老人の言うことは殆ど聞き取れません。骨董商と言うのも正確ではありません。その老人と言うのはトイレの番をしている髭面の老人で、トイレに入る人から.0.5元を徴収しているついでに、少しばかりの骨董を並べて売っているのです。骨董では殆ど商売になっているとは思えません。妻はその老人の本物だと言う説明に騙されて買ったのだろと言いますが、そうではありません。聞き取れないのですから騙されるはずがありません。自分で本物と信じて買ったのです。ディープなところが嫌いな妻は、二番目の骨董市場にはついてきませんでした。ここは八仙庵古玩市場という道教の廟の前にある市場でした。

  骨董を売っている老人もディープでしたが、ここで買った土器もまたディープなものでした。そしてこれは確かに本物で、掘り出し物です。買ったのは袋状の三つ足を持った「鬲」と呼ばれる土器で、形から殷墟の時代の初期(殷墟第一期)の物と思われます。「鬲」は殷墟とか中華文明の標準的な土器とも言われている土器です。ですから「鬲」の形の研究が進んでいて、どの時代の土器なのかは容易に分かるのです。家に帰って中国歴史の本の図と比較してみて解りました。本物で掘り出し物だと言っても、興味が無い人にとってはほこりだらけの植木鉢のようなものですが。

  観光地もディープなところを観光しました。西安から北東の黄河が流れている辺りにある党家村とか韓城を見に行きました。韓城は一応市ですが、党家村は文字通り村ですから、村と聞いただけで妻はそこへ行きませんでした。ですから一人で200kmもタクシーをチャターして党家村などを見に行きました。もったいない! 

  党家村は黄土高原にある村で、670年も続く古い村で、殆ど党氏と賈氏という人だけが住んで居るそうです。明、清の時代の四合院の形式の家が、125戸も昔のままの姿で残っているというディープな村なのです。いちばん新しい四合院でも100年以上も前の古い物だそうです。昔この村が商業で栄えた頃に作られた四合院形式の家なので、北京の四合院などよりは作りが豪華なのだそうです(しかし)面積は小さい)。豪華さは石や木や煉瓦にさまざまな彫り物が残されていることからも解ります。北京のものと違うのは、正面の奥の部屋が先祖を祭るところであったり、二階があったりするところも違います。党家村は「伝統的な民居の生きた化石」とも言われるところです。

  村の崖の上にもう一つの村があり、その村は城壁で囲まれていて、匪賊に襲われたときなどはこの村に逃げ込めるようになっていました。この村に行くには黄土を穿ったトンネルを通って行くのですが、その入り口には頑丈な城門がありました。ここではかって映画「七人の侍」のような、村人と匪賊の攻防があったのかもしれません。それにもかかわらず村が古いままで残っているということに興味を覚えますが、同時に古い物を壊してしまったことにも興味を覚えます。「人民中国」の古村探訪というページによれば、「1960〜70年代に、多くの家屋や見張り門、地方劇の舞台などが取り壊されてしまったという」と書かれています。これはちょうど文化大革命の時期に一致しますから、多分、毛沢東の文化破棄によるものでしょう。今年5月に行った甘粛省の甘南地方のチベット寺院も、同じく毛沢東の文化大革命で、破壊的な打撃を受けたらしいです。この時期はあっちこっちで文化材が破壊されました。匪賊からは守られた文化財も、毛沢東の文化破壊では守りきれなかったのかもしれません。毛沢東は古い文化には関心が無く、実際に北京の多くの文化財の取り壊しも指示したとのことです。未だに中国の大学で教えている毛沢東思想の中にはこの思想は出てこないと思いますが。

  韓城市では孔子を祭った文廟や、古街(古い時代の町並みがそのまま残っている通り)を見ました。それに韓城は司馬遷のふるさとですから、司馬遷の墓と祠があります。ここも見所ですから見に行きました。ここは高いところにあるので、ここから黄河がかすかに見えました。党家村や韓城は何れも古いも村、町です。古い村とか古町とかを中国語で“古鎮”といいますが、古鎮が好きな人にはなかなか面白い所です。

  翌日は壷口という、黄河の濁流が滝となっているところにも行きたかったのですが、妻がそこにも行かないと言うので、そこはやめにしました。そこに行ったとしたら、もっとディープな旅になったでしょう。壷口の滝は以前、中国の紙幣に印刷されていたくらい知られた所ですが、西安からだと、やっとどうにか一日で往復で来る位遠いところなので、中国人もなかなか行けないところです。

  妻が行きたくいといっていたところにも一緒に行きました。それは西安の夜店で、そこで羊のシシカバブーなどを食べましたが、妻は意外と美味しいと言っていましたが、元々羊のシシカバブーは美味しいのです。別のところで、羊の胡麻ダレのシャブシャブも食べましたが、これも美味しいと言っていました。食べず嫌いなのです。西安の夜店というのも結構ディープな所で、シルクロードの入り口を感じさせるところでもあります。羊のシシカバブーを焼いている人は全部と言っていいほど白い帽子を被っている回民です。回族のことです。回族が焼いたシシカバブーを夜店で食べると、いかにも西の方に来たという感じがします。それにシシカバブーに振り掛ける孜然という香料のズーランは、ウイグル地方から来た外来語とのことです。ですからこの香料の匂いもシルクードの匂いです。西安の回族が住んでいる細い路地を三輪車で通りましたが、この辺りまで来るとシルクロードの雰囲気がさらに濃厚になります。路地裏はチョッと怪しげな感じもしますがディープでもあります。

  ディープではない食べ物の話を書いておきますが、西安には結構、飲茶が食べられる店がありました。「香港早茶午茶」と書かれた店があったので、そこに入って、「ヤム茶」といったら飲茶のメニューを持ってきました。「ヤム茶」という言葉が通じるのです。北京では「ヤム茶」と言っても全く通じません。「ヤム茶」は香港とか広東辺りの物らしいので、北京では「飲茶」は正当な中国料理には入らないでしょう。おそらく北京に住む人に「ヤム茶」をご馳走してあげると言っても喜ばないでしょう。西安は南方の観光客が多いので「ヤム茶」が食べられるのでしょう。

  西安でブランド品の上海蟹を食べたこともなかなかディープでした。上海蟹でも陽澄湖の蟹はブランド品なのです。蟹にはチャンと陽澄湖のタグがついていました。陽澄湖のタグがついている蟹は私も初めて食べました。最後の昼食の時、泊まったシャングリラホテルに、ビュッフェスタイルの昼食があったので、それにすることにしました。.西洋式のビュッフェだったので、それにしたのです。そうしたら陽澄湖の蟹がありました。三匹も食べました。とにかく美味かったです。北京で上海蟹をよく食べるので蟹の値段をよく見ていますが、陽澄湖のタグつきの蟹は9月の頃、北京では普通の蟹の三倍くらいもしていたようです。しかも私は、上海蟹はレストランで食べたことは一度も無かったのです。それで高いビュッフェスタイルの食事であっても、なんか元が取れたような気になりました。

  ところでブランド品の上海蟹を食べたことがディープであると言えるのかどうか。元々はディープである激辛中国料理などが嫌なので、西洋スタイルの料理にしたわけですが・・・・・・。上海蟹の味は奥が深いという意味ではディープです。高級ブランド品が思いもかけず安く食べられて、深い感動を与えられたという意味でもディープでした。

  なんと言ってもディープだったのは、西安の霧だったかもしれません。毎日霧で覆われていたばかりではなく、霧に臭いがあるのです。聞いてみて分かったのですが、ちょうどこの時期はトウモロコシの収穫が終わった時期で、農家でトウモロコシのキビ柄を焼いているのです。それが西安の街の中まで漂ってくるのです。霧が出るような日は風がありませんから、空を覆い街に留まり、目に染みるような感じでした。古都を覆う深い霧、これもディープでした。