北京の天安門広場の地下にはあっちこっちに地下防空壕が広がっているらしい。その一部が観光地になっている。観光地になっているくらいだから、秘密の地下壕ではない。しかしこの秘密の地下壕を見た日本人はあまり多くないのではないだろうか。そもそも中国人も、いや北京人もこの観光地の存在を知らない。中国人には解放されていないらしい。外国人だけに解放されている。私が行ったときも英語をしゃべる外人の夫婦と、中国人の顔をしているが英語をしゃべる中国人夫婦が一緒だった。白人のほうの夫婦は、ガイドブックのようなものを見ながら、62号と言う番地までは見つけ出したのだが、入り口が分からず迷っていた。その入り口には、「北京地下城」と看板が掛かっていたが、民家の入り口とも見える程度の看板なので、ここから先に大きな防空豪が広がっているとは想像できないかもしれない。それで私が、こっち、と教えてあげた。日本人なら分かるが、西洋人には漢字が分からないのだなと、当たり前のことが分かった。しかしここは漢字が読めても分かり難い。
その入り口を開けると迷彩服を着た係員がいて、一人20元でガイドが案内してくる。ガイドは英語だけのようだった。日本語のガイドはいないようであった。ガイドが迷彩服を着ているのは、元々が軍事施設だったからだろうか。
この入り口も分かり難い。実はこの入り口は天安門広場にあるのではなく、前門と言う所の更に西の胡同の中にある。道の名前は西打磨廠街で、昔、何かの古い工場があったと思わせる名前が付いている。周囲は普通の、と言うより、崩れかかったような民家が並ぶ中にある。崩れかかっているのは、これから再開発の取り壊しが始まるので、修理もされないままに放ったらかしにさっているからなのだが、もし再開発の為の取り壊しがないとしても、元々が崩れかかったような古い町なのである。
そんなことも分かり難い理由の一つでもあるが、そもそも日本のガイドブックにこの地下壕のことは紹介されていないのかもしれない。しかし英語のガイドブックにはチャンと紹介されているらしい。ガイドブックを片手に訪れる外人がいるので、多分そうだと思う。そんな分かり難いところにあって、更に謎めいているのは、何故か中国人には公開していないのである。中国人の観光客はいないし、中国人向けのガイドもいないようである。
それで、自宅に帰ってから、「北京地下城」で中国語のページを検索してみると、一年前位の記事に、やはり外国人だけに開放して、中国人には開放していないことが書かれていた。新聞記者が外国人にだけ開放して、中国人には見せない理由を聞いて回ったが、その真意がハッキリしない。一応の理由は人を沢山入れると危険だからだとか、ガイドが少ないからとか、観光資源保護のためだとかの理由はある。しかし何故中国人だけを制限するのかの理由にはならない。ただ中国人を差別しては拙いと思ったのか、団体ならばいいとも書いてあったが、記者が青年旅行社に聞いてみたところ外国人の団体は扱ったことがあるが、中国人の団体は扱ったことが無いとのことである。
なお個人的に見たい人は、毎年12月から4月までの間だけ、電話で予約して、職場か、住んでいる地域の紹介状を持ってくれば、参観客の状況に応じて見せてくれると言うことだった。実質的には中国人の個人での参観を拒否しているような規則である。何故そこまでしなければ見られないのかの理由は書いてなかった。
中に入ってみると、高さ2.5mくらいの広いトンネルがあって、1kmぐらいのところだけぐるっと一周できる。途中に集会所みたいな目的で作られた、かなり広い空間があるのだが、そこではシルク製品の売り場になっていた。当然観光客が少ないから販売員は暇そうだった。しかしガイドは結構うるさく外人にシルク製品を勧めていた。何人も入れる映画館とか理髪所も有ったとかも言っていた。シルク製品の売り場が映画館だったのだろうか。壁には前世紀6,70年代の宣伝画とか兵器の写真が掛かっていた。弾薬庫と書かれた部屋も見えた。この道は天安門広場のほうに繋がっていると言っていたが、そっちへの道は塞がれていて行けないようになっていた。
不思議なことは、この地下壕の管理をしているのは、一応シルク工場の名義になっているとの事で、そういえばシルク製品売り場で、シルクの布団を作っていた。あれは布団作りの実演だったのか。それとも布団の生産をしていたのだろうか。何故ここをシルク工場が管理しているのだろう。シルク工場が管理していても、企業であれば何故もっと利益が出るような努力をしないのだろうか。例えばシルク製品の生産にもっと力を入れるとか、観光客をもっと増やすとか。何か怪しい。辻褄が合わない。中国人に見せないシステムはシルク工場の経営者が考えたのだろうか。どこからの指示なのだろうか。
ところで日本人はここへ入れるだろうか。日本人と中国人は似ている。中国語が出来るからと言って、入場料は幾ら?などと中国語で聞くと、中国人だと思われて入れなくなるかもしれない。私は、案内した外国人の後を付いていったから、ガイドと思われたようである。しかしその後怪しいと思われたのか、どこから来たのかと試すように英語で聞かれた。その場合英語で答えるのもいいし、日本語で答えるのもいい。日本語で、聞き取れないと言うのも言い。しかし中国語で聞き取れないと言ったのではここに入れなくなるかもしれない。
そもそも、この防空壕が作られたのは1967年から1977年の10年もの間、30万人を動員して30km以上もの防空壕を作りあげたものだと言う。ソ連、アメリカの核戦争を恐れてのことらしいが、特にソ連とは珍宝島で衝突(1969年)したりしていたから、ソ連からの攻撃を恐れてこんな軍事設備を作ったのかもしれない。1969年に828命令と言うのが全国的に発令されて、一層建設が加速されたと言うから、ソ連と抗争が関係あるようである。
この防空壕が繋がっている範囲は、天安門は言うに及ばず、北京駅、政府の主要機関、天壇公園、果ては故宮までも繋がっているとか。30万人収容可能とも言われている。故宮にまで繋がっていると言うのは、図面も無いのだから推測だろうと言う記事もあった。掲示板への書き込みでは北京の西山の方にある軍事基地までも繋がっていて、一番広いところでは軍用車が四台も並んで走れるとか。この話はユン・チュアンの「マオ」の中にも出てきたような気もする。
この防空は30万人もの老若男女を動員して、まともな工具も無い時代に手堀で掘ったらしい。時はあたかも40年近くも前の、文化大革命の最中のことであった。掘らされた老人の話も見つかったが、正規の仕事が終わってから、自前の工具を持参して、穴にもぐり、夜の十一時まで掘ったという。当然賃金も無かったという。文化大革命の恐怖政治の最中であったから、誰でもが自主的に参加して掘ったのだろう。
ここを中国人に見せない状態にしておくのではなくて、ここを“愛国宣伝基地”にしたらどうなんだろう。中国は
“歴史に学べ”と盛んに言っている国なんだし、全国に“愛国宣伝基地”なんてものを沢山作って、新中国は共産党のお陰であると盛んに宣伝している。実際に地下の大防空壕は祖国防衛の為の、大勢の民衆を動員した大事業であったはずである。それなのになるべく隠しておきたいという態度は、この大事業がバカバカしくて無駄な事業であったことを、そして“掘らされた”苦い思い出を庶民に思い出させないよいうにしている為ではなかろうか。新聞の記事には“掘らされた”とは書いてなくて“掘った”と書かれていたが、実際は文化大革命の恐怖政治の最中に恐怖を利用して、“掘らされた”のではなかろうか。中国人に見せないのは、悲惨で、馬鹿らしい毛沢東の文化大革命を、記憶から消えてしまうように、そうしてしているのかもしれない。“無駄な”という意味は、ソ連との緊張は毛沢東の方が仕掛けたらしいからである。中国には
“歴史に学べ”ない事実がたくさんある。
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