挨拶ができるということ

  今、日本に戻っているのだが、日本でも犯罪が多い。その犯罪の内容が中国とは違って、金が目的ではない犯罪が多くて、家庭内の犯罪が多く息子とか娘とかが事件を起こすのがとても多い様に思える。その事件の報道の際に、近所の人がその息子について「ちゃんと挨拶も出来る息子さんでしたよ」という場面が何回かあった。日本でなら近所の人にちゃんと挨拶できるのは、まともな人間であることを示す、指標のように言っていた。私も平均的な日本人だから、近所の人に挨拶が出来るのは社会生活に必要な礼儀であって、挨拶もしない、出来ないと言うのは問題があるとは思うのだが。

  翻って中国では、あんまり挨拶をしない国なのである。だから中国では、近所の人にきちんと挨拶が出来るかどうかによって、その人物がまともであるかどうかは判断できない。この基準でわが牛街のアパートの住人を判定すれば、殆どがまともな社会人ではないと言うことになる。

  私が住んでいる団地アパートにはエレベーターがあって、エレベーターおばさんが、エレベーターを操作している。この専門のエレベーターおばさんは二人いて、19階建ての住民の全ての顔を知っていると思われる。住民のほうも当然エレベーターおばさんと顔見知りのはずである。エレベーターに乗り合わせた際に観察していると、殆どの人がエレベーターおばさんと挨拶をしない。だからと言って知らない振りというわけでもない。「あそこで、○○を安く売っているよ」などと情報の交換はしている。会話が無いわけではないのだけれど、挨拶はしないのである。知り合いであっても、特に用事が無ければ黙っているような感じである。

  二人いるエレベーターおばさんのうち、愛想が良い方のエレベーターおばさんは、私が会社から帰って来ると、「御飯はまだでしょう? これから作って食べるのでは大変だね」などと声を掛けてくれる。他の人にも何かを話しかけている。しかしいきなり何かの話題から入り、コンニチワとか、オハヨウとか、コンバンワとかは言わない。もちろんオヤスミナサイとも言わない。

  エレベーターおばさんはいつもエレベーターに張り付いているから、各家庭の状況を良く把握している。私のことも一人暮らしで、帰りが遅くなるにもかかわらず、家で自炊して食事をすることをよく知っている。それで上のような会話になるのである。愛想が良い方のエレベーターおばさんは、私が出勤するとき「出勤?」と声を掛けてくる。だから朝、オハヨウとは言わないが、「出勤?」という確認のような言葉が挨拶代わりなのだろう。無口のほうのおばさんは私がニンハオと挨拶すると、私だけには「早(ザオ)」と朝の挨拶を返すようになった。やはり挨拶をされて黙っているのは良くないらしい。二人のおばさんが休みのときには、臨時で来るエレベーターおばさんがいるが、無愛想で全く無口で決して挨拶などはしない。もっともこちらからも挨拶はしないのだけれど。

  私がいる中国の会社でも、出勤、退勤時の挨拶は無し。黙って椅子に座り、黙って椅子から立って、静かに帰途につく。六時になった! さあ、帰ろう!とくらいは言う。しかしお先にとかは言わない。我が社から日本に出張で行く中国人は、とても増えたのだけれど、そして機会があれば、「日本に行ったとき、会社の出勤、退勤時には挨拶をしたほうがいいよ」とは言うのだけれど、多分日本の会社で挨拶はしていないのではなかろうか。日本に行ってご馳走になったら、ご馳走になった後も、翌日最初に会ったときにも、「昨日はご馳走様でした」というのが日本の習慣だと教えるのだけれど、中国の習慣からかけ離れた習慣は、なかなか身に付かないのではなかろうか。

  挨拶をしないからと言って、彼等がまともな社会人ではないなんてことは決しない。挨拶をしないということではなくて、コンニチワとか、サヨウナラなどの挨拶専門用語を使わないだけなのである。日本は挨拶が多い国なのである。いやアメリカ人も挨拶をよくするようだから、中国が少な過ぎるのだろう。現在二年後のオリンピックに向けて、北京市民に外国式の挨拶の方法を教えたりしている。先日テレビで見たのは、相手の手にキスをする方法を教えていた。挨拶の方法を教えたいなら、そんな特別な方法を教えるより、中国語でもいいから、挨拶をまず口に出す事を教えるのが先決ではなかろうか。

  私が中国の会社に出勤するときはどうであるか? 私が日本語でオハヨウと言うと、私の両隣の人物二名だけが日本語でオハヨウゴザイマスと言う。そのうちの一名は日本での生活の経験がある人である。あとの人は私が中国語でオハヨウと言うと戸惑ってしまうらしい。